いくら休んでも疲れが残っている. 体が重い. この疲れは何だろう.
非常に鬱が苦しいので頓服を飲む. しばらくしたら効いてきた.
11 時半に起きる.
買い物に行く. 体が重たく, 足を一歩前に出すのも辛い.
帰宅して食事. 鰤の刺身, 湯豆腐, 卵かけご飯.
いつも冷奴だが, 湯豆腐も美味しい.
食べて再び寝込む. そのまま休んだ.
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長い文章になってしまいました. お時間のあるときに読んでください.
最初にチーズのことです.
> なんというチーズですか。
私が食べたのはジェラール・クラシック (GERARD Classic) というチーズのウォッシュタイプのものです. パッケージには GERARD Classic LE ROUX とありますね.
独特の香りと舌にのせたときの滑らかな感触と軽いしょっぱさが味わい深いチーズでした.
好みは人それぞれでしょうけれど幸せに食べました.
また『病院ラジオ』は未見ですが, 先日『伊集院光とラジオと』というラジオ番組にサンドイッチマンがゲストで登場したときに話題になっていましたよ.
誰が言ったのかは覚えていないのですが, 「深刻な病気を抱えた患者さんたちが出演するんだけど, 俺らが大変だなあと思ってるのに当の患者さんたちは明るくて病気をギャグにしちゃったりするのが凄いと」というような言葉が自分の中に残りました.
>『私は自分の中のいっとう深いところに潜んでいる一番キライな感情と闘っています。』
> 〉私は, ステルスマリアさんがこのような文章を書いたことにあなたの誠実さを感じます.
> 素直にありがとうございます。って言えない自分がいます。
> 私は底彦さんを知らないし底彦さんはわたしを知らない。
そうですね. もしかしたら私はステルスマリアさんの心の中に土足で踏み込むようなことをしてしまったかも知れません.
ごめんなさい.
けれどもステルスマリアさんが「いっとう深いところに潜んでいる一番キライな感情と闘っている」ことに, 私が半ば勝手に共感したことは事実なのです.
そのような闘いは自らへの内省から生じるものだと思います. そこには自身の数々の醜さや矛盾が見つかるでしょう.
だから上のステルスマリアさんの言葉に共感したのです.
少しづつ説明していきます.
二階堂奥歯さんの『八本脚の蝶』は美しい文章で綴られています. 私には多くの書物からの引用や自身の言葉を紡ぐことによって, 彼女が一つの明確な世界を構築しようとしているように見えます.
以下に私が『八本脚の蝶』から受けた極めて個人的な印象を書いてみます.
奥歯さんが作り上げようとしたその世界とは, この現実世界と少しだけ似た, しかし根源的に異なる奥歯さんの想像の中で「創造された女性」として存在しようとした奥歯さん自身の物語, だという気がするのです.
ここで言う「創造された女性」とは漠然とした言い方になってしまいますが, 球体関節人形や天野可淡作品などのドール, コルセットやピアスや貞操帯などで矯正された肉体を持った女性の果てにあるもの, 宗教や幾多の物語の中で語られ神格化された聖なる女性たちに例えられると思います.
奥歯さんはそこに絶対の美を感じ, 崇拝し, 自らをその物語の中に閉じ込めようとしたのではないでしょうか.
私の奥歯さんに対するこの見方の背景には, ジェンダーの差はあるものの, かなりの部分で私が自身の憧憬や嗜好や願望を重ね合わてしまうという事実があります.
ですからステルスマリアさんの抱いている二階堂奥歯さんのイメージとはかなり異なっていると思います.
私自身の病とも関係してくるのですが, いわゆる現実の世界, 誰もが生きているこの社会から離れて内的な世界に重きを置いて生きようとしている自分にとって, 外の現実世界は必然的に向き合わざるを得ない対象となるのです.
正直に言えば, 私はこの世界との向き合い方, 折り合いの付け方を未だ知りません.
私の想像ですが, 奥歯さんにはその向き合い方がもしかしたら見えかけていたかも知れないと思うのです.
明確な根拠はありません. 彼女の文章から受ける印象と, そうあって欲しいという私の願望からこう思いました.
ステルスマリアさんが引用したヘンリー・ミラーとアナイス・ニンの書簡は初めて知りました.
私はこの往復書簡が, 心の病の或る本質を言い当てていると思いました. いい文章ですね.
たとえば私自身の病について「魂がそれを必要としているのだ」とまで言い切ってしまうのは苦しいことで単純に同意はできません.
しかし, ある意味で私の気質や行動が鬱病という病を呼び寄せてしまったということを否定もできないのです.
その上で,
> このような精神状態に陥ったときは、傍らにいて欲しいけど助言して欲しい訳じゃない。
> そっと背中を押して欲しいだけ。と思うのは、我が儘で身勝手でしょうか?
という思いは, 心をあずけられる他者がいて初めて成立するものなのではないでしょうか? そのような他者が存在するならば我が儘とも身勝手とも思いません.
上で書いたこと, つまり内的な人間が外の世界と向き合うことに伴って, 私には自分以外の他者への恐怖があります.
そのせいか, 苦しいときに静かに傍らにいてほしい, そっと背中を押して欲しい他者を望みません.
もしそのような他者を見出だそうと思えるようになったら, 私の病も幾分かは治癒したと言えるでしょう.
この他者への恐怖は, 私の過去の体験から心にケロイドのように残ってしまっているものです. 他者によって切り刻まれたものです.
そしてそのような経験によって, 私はある種の悪についてはっきりと語れると思います.
それは他者の内的世界 ── 思想や想像やあるいは信仰 ── を監視し支配しようとすること, 特に非常に多くの場合に身体的・精神的な暴力によってその支配を完遂させようとする行為です. 私はこれは一つの悪だと考えています.
棘のある言葉, 恫喝, 面罵, 無視, 殴打, 冷笑などが支配のためには使われますね.
このような監視・支配行為は正義と親しげな笑みを伴って近付いてきます.
そして人の心を回復不能なまでに破壊します.
違うでしょうか?
その反対の行為, すなわち他者をその内面も外面も含めて尊重し敬意を払い大切に思う, ということは一つの善ではないかと思うのですが, そう思わない人は多いでしょうね.
> 私は、奥歯さんのことを特別に考えたことはありません。生きた(てる)世代は違いますが、ごくごく普通の女の子。ちょっとだけ才能に恵まれた興味深い(読書量、おしゃれ、好きなものetc)。だからバイブルなのです。
ステルスマリアさんにとって, 二階堂奥歯さんは等身大の女の子なのですね. 引用した文章からは, ステルスマリアさんの生きている地平は奥歯さんの生きているそれと地続きだと受け取りました. 間違っていたらごめんなさい.
そこでステルスマリアさんは, ご自身と同じ世界線にいるその女の子が追い込まれ追い詰められたことをどのように思いますか?
おそらく, その女の子 (奥歯さん) の頭の上に突然隕石が落ちてきて死んでしまったというようには考えないのではという気がします.
何か, 厳然として存在する悪意が奥歯さんの心の深いところまで蝕んだと思うのではないでしょうか?
私はその悪意は, 奥歯さんの「世界」に蛇のように侵入し, 静かにしかし陵辱的に喰い尽くし破壊していったと想像しています.
これは私のかなり一面的な見方であり, あまり考えたくない事柄なのですが『八本脚の蝶』の終わりのほうを読むたびに心に浮かんでしまいます.
最後に『偽善』にということに関連して書きます.
私の場合には偽善というより『嘘』と言ったほうが直接的です.
『嘘』, これが私の一番深いところに潜んでいる一番嫌いな感情です.
私は過去から現在に至るまで, 自分が嘘ばかり付いてきた, という意識があり苦しいのです.
それは, 私が現実世界の中でうまく生きていこうとした時に, 意図せず自分の行動となって現れました.
皆のためを考えて行動していると周囲には見せながら, 最終的に他者を貶めて自分だけが良い子になるようにするのですね.
そこには強烈な自己中心的な意識があります. また他者への無関心もありました.
この行動意識は私の原初的な気質・性格と深く結び付いていて, いかに苦しんでもどうにもならないのです.
治すことはできないでしょう.
自分が嘘に嘘を塗り重ねて生きる人間であるという事実, そのようなことを行ったという自分への罪責感は大きくとても苦しいです.
生涯抱えていくことになります.
長々と書いてしまってすみません. またステルスマリアさんが不快に感じられる箇所もあったでしょう.
そうであれば謝ります. 本当にごめんなさい.
-=-=-=-
ブログの本文にも書いたのですが, 今の自分は食べて眠るだけの生活を送っています.
もう夏なのに湯豆腐ばかり食べています.
辛い料理は好きなのでチゲにするのはいいですね. 今度やってみます.
暑くなってくるようです. お体の調子など崩されませんよう祈っております.
気が向いたときなどにまた気楽に書き込んでください.
今日は、ずいぶん涼しかったですね。
お加減はいかがですか?
〉私は今日ちょっと奮発して高いチーズを食べましたよ. 関係ないですが.
関係ありますよ〜。(笑)
なんというチーズですか。
気になる気になる(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)さぞ美味しいのでしょうね。(うらやま
先日、たまたま見たテレビ番組(病院ラジオ)なんですが、依存症の患者さんを訪ねたもので、数人の患者さんや関係者の方とMCのサンド(芸人)がお話するという。
辛く苦しい闘病生活の中で前向きに治ることのない病と向き合って一日一日を積み重ね生きて行く、ちから強い生命を感じました。
もちろんそこへゆきつくまでには計り知れない苦悩があったこともうかがい知れますが、見終わった後に、ほっこりと感じたのは私だけではなかったようです。
底彦さんは、ご存知でしたか?
『病院ラジオ』で検索すると過去の放送が見られます。
底彦さんのような人生の先輩に、でしゃばった事を申し上げすみません。
〉しかし奥歯さんのような「世界」を持ったひとが向き合ったということが大変に重要なのだと思っています.
私は、奥歯さんのことを特別に考えたことはありません。生きた(てる)世代は違いますが、ごくごく普通の女の子。ちょっとだけ才能に恵まれた興味深い(読書量、おしゃれ、好きなものetc)。だからバイブルなのです。
〉ですから少なくとも私はずっと向き合わざるを得ないでしょうね.
奥歯さんの「世界」って何ですか?
底彦さんの「世界」って何ですか?
過去ですか、現在ですか、未来ですか?
「世界」って何ですか。
底彦さんがいてそのまわりに幾人かの支えてくれる人がいる「世界」の他に『向き合わざるを得ない』ものって何ですか?
ヘンリー・ミラーとアナイス・ニンの往復書簡にこんなものがあります。(ご存知でしたらごめんなさい。)
ヘンリーからニンへ。
「人が自分で呼びよせる病気と、人が屈してしまう病気とを僕は区別する。
そして僕は、自分で呼びよせた病気を抱えたきみをそっとしておきたかった」
「病気なら病気を楽しめばいい。
しばらく一人になるために病気になることだってある。
そうやって体は頭を支配しているんだ。
こういうのは頭でどうあがいても解決できない問題だ」
「誰にも、愛する人にも助けてもらえないときというのがあるのだ。
一人になるしかない。
病気であるしかなく、病気に溺れるしかない。
魂がそれを必要としているのだ」
このような精神状態に陥ったときは、傍らにいて欲しいけど助言して欲しい訳じゃない。
そっと背中を押して欲しいだけ。と思うのは、我が儘で身勝手でしょうか?
『私は自分の中のいっとう深いところに潜んでいる一番キライな感情と闘っています。』
〉私は, ステルスマリアさんがこのような文章を書いたことにあなたの誠実さを感じます.
素直にありがとうございます。って言えない自分がいます。
私は底彦さんを知らないし底彦さんはわたしを知らない。
一番キライな感情。
『偽善』という感情です。
生と死、愛と憎しみ、光と影、人はこの二律背反を同時に生きなければなりません。
善って何ですか。
悪って何ですか。
表裏一体に存在する感情に戸惑っています。
そんな私を救ってくれる言葉があります。
『聖なるあきらめ』=とあるシスターの助言です。
具合が悪いのにこのような長文を書いてしまいごめんなさい。
明日は、朝から雨で気温が上がらず梅雨寒だとか(東京ですが)。
ご自愛くださいね。
あっ!そうそう湯豆腐いいですね。
あっさりポン酢もいいけどチゲは?辛いのは苦手ですか?(笑)
それではまたです(・ω・)ノシ