一昨日は認知療法シートを書く際に過去の記憶を丹念に思い出していたら, そのことによって抑鬱感や罪悪感に襲われて寝込んでしまった.
昨日は終日鬱による気分の落ち込みが続き, 何もできなかった.
-=-=-=-
一昨日の場合, 認知療法シートを書くのにあそこまで徹底的に過去を思い出して分析する必要など無かったということである. 度を越して真剣にやり過ぎた. 取り調べではないのだ.
残念ながら, 過去の記憶は未だに自分の傷である. これを治すために本を読んだり, PSW さんにアドバイスをもらいながら勉強している.
まず, 当事者同士で体験を話し合う方法がある. これはレイプ被害に遭った女性やベトナム帰還兵の心の傷の回復を手助けする方法として導入され体系化もされて, その有効性は医学的にも確認されているようである (†1).
†1: J. L. ハーマン『心的外傷と回復』
デイケアで時々やっている集団カウンセリングがこれの代用になるかも知れない (ならないかも知れない). 都合が付くようならば参加して試してみる.
また, 今回認知療法シートを書いたときのように, 自分自身への攻撃になるような思い出し方はしなくていい. PSW さんから示唆され, 現在読んでいる本にも紹介されている, 苦しい記憶を別のイメージで置き換えていくという方法もある (†2) .
†2: ディビッド・マス『トラウマ』
この方法は一人でもできそうなのだが, まだあまり積極的に取り組むことができていない.
-=-=-=-
昨日の鬱状態は前日の不調からの疲れが残っていたこと, そして梅雨入りによる季節的なメンタルの不調が思い当たる.
デイケアでも季節の変わり目などに体調を崩すメンバーが多い. 自分の場合は年末年始と梅雨の時期が特に気分の落ち込みが辛い.
主治医や PSW さんによれば, 生活習慣でこのような変調をある程度抑えられる.
・ 規則正しい生活
・ 食事 ── 良質の蛋白質 (赤身の肉, 赤身の魚, 豆, ナッツ類) の摂取
・ 運動 ── 有酸素運動 (ウォーキング, ジョギング, 自転車, スイミング,...)
自分も毎年試みているのだが, これまでの日記 (このブログと紙の日記) だけだと, 本当に効果があったのかどうか今一つわかりづらい.
先の年末年始は最悪だったが, あれは昨年末までのバイトを無理を押して全力でやり過ぎたことの反動だろう.
今回, ちょうど自分にとって気を付ける時期である梅雨になったので, 今度は手帳や健康管理のアプリなどへの記録を付けながら上の生活習慣を実行してみようと思う.
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
主治医の診察を受けてこられたこと, 外出の困難にも拘らずそれを乗り越えられて出かけられたこと, 立派だと思います.
Takeo さんの行動を尊敬します.
抗鬱薬と漢方薬を処方してもらったのですね. Takeo さんの状況が困難の中にあるということはここまでの Takeo さんのコメントやブログの文章からも感じられました. 現在の症状について主治医と時間をかけて話ができて良かったです.
現在の主治医のかたは薬についても必要と判断したものしか処方しないという点は素晴らしいと思います. 過去服用して副作用が感じられなかった抗鬱薬と漢方の処方ですか.
薬がうまく作用して, Takeo さんの症状が少しでも良い方向に行くことを祈っています.
また気が向いたときには気軽にコメントをしてください.
P.S. Takeo さんが以前言及していた木村敏『精神医学から臨床哲学へ』という本, 興味があったので図書館で借りてきました. ゆっくり読んでみるつもりです.
今日、昨年暮れ以来、今年初めて主治医の元を尋ねました。もう読まれているかもしれませんが、数日前に投稿した「Oさんへ」という記事のような気持ちで。
主治医にも言いましたが、わたしは「精神医療」や自分の状態(といっても、病名もはっきりしないという事情もありますが)についてあまりにも無知なまま、25年間も精神科医を転々とし続けてきました。逆に言えば、これまではそれほど切迫した状態になかったから、ともいえるのでしょうが・・・
昨日あるブログで、向精神薬の危険性と日本の精神医療についての批判的な記事をいくつか読みました。
わたしが現在の主治医の元に10年近く通っているのも、毎回20分くらいは、雑談めいたことでも時間を取ってくれることと、本当にこちらが望み、医師も必要だと判断した薬しか処方しない点です。
昔(10年以上前)は初診で50分〜1時間はどこでも相場のようでしたが、今では初診30分、再診以降は10分というのが一般的のように感じます。
その点だけでも、現在の主治医は得難い存在と言えるでしょう。
薬、特に向精神薬は必要最低限度でいいというのが、わたしと主治医の共通した認識です。もっとも、わたしのような「なんとか障害」というのと、「鬱病」や「統合失調症」などとを同じに語ることはできませんが。
今回は、日ごろブログに書いているような抽象的なことではなく、今現在の状況を少しでも改善(?)させる「可能性」のある薬についてほぼ25分ほど検討し、わたしが30歳の時に、大森の総合病院の心療内科で、はじめて処方された抗うつ薬と、同様の作用を持つ漢方の2種類を処方してもらいました。
第一の薬に関しては、当時それを飲んだ時に自覚的な副作用がなかったことから。漢方は、副作用がある可能性もありますが、「漢方」を試してみたいということで、こちらの希望でした。
◇
今のわたしの気持ちが100%「Oさんへ」で書いたことと一致するわけではありませんが、あの中にやはり否定しきれない事実、眞實もあると思っています。
底彦さんの言われた「適度な運動」「食事療法」「規則正しい生活」これがワン・アンド・オンリー、ベストの療法であることは紛れもない事実ですが、今のわたしにはそれができない。
それに少しでも近づけるための「必要悪」(主治医の言葉)としての久しぶりの薬の追加ということになりました。
あまり期待するとがっかりすることになりますので、抗鬱薬の追加によって、体調が更に悪くなることがなければ良しとします。
今のわたしには、わたし自身でも、わたしの書いたものでも、誰かに愛されるということが必要なのだと、ここでの底彦さんとのやり取りで気づきました。
わたしがよく引用する昔の歌の歌詞ですが、You're nobody till somebody loves you... です。
底彦さんも心穏かな日曜が過ごせますように。
Takeo さんの書いた通りです. 東京は破壊され続けています. 多くの場所で, 誰かの故郷になったかも知れない街が破壊され, その代わりに街の形をした街でないものが出現するという現象が繰り返されています. 人びとはその街でないものの中で生きなければならない. しかしそこで生まれ育った子供たち, そこに生きざるを得ない人びとにとって, そこもいつかは郷愁の対象となるのです. その時にまた破壊が行われ, 醜悪な何かに置き換わっていく.
やがて東京は, かつて人びとの豊かな生活の場だった, 無意味に巨大な忘れ去られた何かになっていくと思います. 新しい街の生命を与えられて再生してほしいですが無理かも知れません. 東京という街が哀れです.
私が幸運だったのは, 曾祖母・祖父母が長く生きて子どもの私に昔の話をたくさんしてくれたおかげで, 昭和の初期や大正, さらに遡って明治, そしてその向こうに微かに感じられる江戸が記憶の中にあることです. そこで語られた様々なものは, もう記憶のその場所にしかありません.
その記憶だけはどうにかして残したいですが. 今の私では, できることはそれしか無いのです.
-=-=-=-
Takeo さんを Takeo さんとして形作っていたものは最早外部には存在しない. それが Takeo さんのひきこもりの一つの要因なのですね. 納得できます.
ところが文章からはさらに, Takeo さんを抱擁してくれていただろう内なる世界も失われつつあるように感じられます. これは恐ろしいことのように思えます.
私は上の Takeo さんの文章を読んで数日間, 少しでも肯定的な感想を書こうと考えていました. しかし無理です. せめて休息をとってくださいと言うことくらいですが, それも一方的な要求を押し付けるだけになるのかも知れません.
Takeo さんの書いた「ただただくるしい」という一節が残っています. Takeo さんの中に流れている時間が止まりそうになっているのではないか, と.
私は, ひきこもるということは生きる選択肢の一つだと考えています (以前はそうではありませんでした). 外の世界から離れて, ひきこもって, 目標など無く, 数か月・数日後の生活も想像することができない今日が全てのような時間であっても, 流れている限りはその中に何かを見出だすことはできます. その都度それを掴んで眼前にある時間が少しだけ延びる. 私はそれを繰り返して日々を繋いでいます.
先の文章にも書いたかも知れませんが, その目の前の時間の中に掴み得る何物かを見出だす, その何物かを Takeo さんの文章やアートの投稿が与えてくれたことは何度かありました. と言うよりも, ひきこもるという行為が生存の有効な方法だと考えるようになったきっかけの一つは Takeo さんの文章と投稿された絵画や詩なのです. このことはある程度確かだと言えるのです.
今朝, Takeo さんのアートのブログが更新されていました. 新しく投稿された絵からは, 子どもの頃によく模写をした永井豪の「デビルマン」に登場するシレーヌとカイムの姿を思い出しました. 数日前には, やはりこのブログで知った私の好きなスロヴァキアの画家 Rudolf Krivoš の作品が投稿されていてゆっくり楽しみました.
このことは私にとって小さな光 (today's little gleam) であって救いです. ありがとう.
Takeo さんが今日一日を穏やかに過ごされますよう.
今読み返したら、誤字が目立ちます。気づいた箇所だけですが修正したものを再送します。
すみません。
こんばんは、底彦さん。
すぐれぬ体調の合間を縫って書いてくださった真摯な文章に深く感謝します。
これはお礼でも、返事でも、回答でもない。今のわたしの気持ちをありのままに、率直に語ったものです。これに対しての返信、感想は底彦さんにお任せします。読んでもらえるだけで十分だという気持ちです。
先ず、わたしの中の「怒り」について。いつごろから、と期限を限定することは困難ですが、今のわたしの胸の裡の感情を数値化すると、どのように軽く見積もっても、50%は「怒り」「憎しみ」といった感情で占められています。
残りが「絶望」であったり「倦怠」であったり「厭世観」であったり・・・言ってみればこの胸の内側すべて「負の感情」のみで充たされています。いったいそのほかにどのような感情を持ち得るでしょうか。
西部邁の「電車恐怖症」という表現には、読んだ時から違和感がありました。
そうとしか書きようがないとは言えますが、底彦さんの指摘を俟つまでもなく、
これは「恐怖」ではなく、いわゆる「スマホ人」たちへの「憎悪」に他ならないでしょう。すくなくとも、わたしが「電車(バス)恐怖症」という時の「恐怖」とは「憎悪」の意であり「敵意」であり「軽侮」といった感覚であって、文字通りの「恐怖」といった感情は微塵もありません。
「Takeo さんは現在, 日々生活を送る中で何かの兆しのようなものを感じはしなかったでしょうか? それは, 何かが欠けてしまった感覚, どこかがうまく組み合わさっていない感じ, 周囲からかけ離れているという意識, 大きなものが喪失された空虚さといった, 現実の中に突然現れた不安の形のようなものではなかったでしょうか?」
既にご承知だと思いますが、わたしが少しづつ崩壊してゆく直接の契機となったのは、おそらく生涯唯一持った「親友」に去られたこと。それと前後して、生まれ育って40年以上生きてきた大田区を離れて、郊外に移ってきたことだと思っています。
しかしそれだけではありません。これはもう『楽天ブログ』を使っている当初から最も頻繁にわたしのブログに現れるテーマですが、わたしが「故郷喪失者」であるということ。
つまり東京という街には蓄積された街の歴史というものがなく、時間の連続性がないということです。これは何もわたしに限ったことではありません。東京に生まれ、また東京で育ったものは、みな故郷喪失者です。
それのことは過去に「わたしは何故引きこもるのか?種村季弘の場合」にも書いたことです。
つまり東京という街には、わたしがここで生まれ、ここで育った、という「痕跡」「形跡」がほとんど遺されていないのです。それでもまだ20世紀末までは、なんとか東京は「わたしの」東京と同一でした。
>大きなものが喪失された空虚さ
それが今です。今の銀座は私の知っている銀座ではなく、
今の丸の内、八重洲は、わたしが歩いた場所ではなく、
今の馬込はわたしが17年間暮らした馬込ではありません。
わたしをわたしたらしめていたものは、最早「外部」には存在しません。
◇
ブログについて過分の言葉を頂きうれしく思います。
わたしはいま自分でも驚くほどの速度で、日々弱っています。先週出来ていたことが今はもうできない。そんなことが増え続けています。
>文章を書き絵画や詩を渉猟する
ということも、最早できなくなってしまっています。
底彦さんが愛読してくださっていたような内容のブログを書くことも、もうできそうにありません。横になっている時間も、一週ごとに伸びています。
そして当然ながら、精神科医とはもう半年以上会っていません。
仮に会っても、どんな精神科医でも同じでしょうが、今のわたしに対してできることは、抗うつ薬なりトランキライザーを処方するだけではないでしょうか。
無論それによってたとえ2割でも回復すれば、と思わぬこともありませんが・・・
底彦さんの心を幾分か和ませる文章なり、アートなりという自己表現が、孤独の苦しみから生み出されている。それはその通りでしょう。しかし今までは、書くことを主にした自己表現によって、苦しみが相殺されていたのかもしれませんが、今はただただくるしい・・・
それはなにがしか創造的な苦しみではなく、ただただ単純に身体的な、精神的な、言い換えれば存在していることの苦痛なのです。
わたしはただひたすらに「死」を願っている訳ではありません。けれどもいったいこのような日々がいつまで続くのでしょう。そして仮によくなるとして、その「よくなる」とはブログが書けるようになることだけを意味するのでしょうか?
たったひとりでも、わたしの書いたものを愛してくれる人がいる。それはとても大きな喜びであることに間違いはありませんが。
わたしには過去も明日も、未来もありません。更に言えば、「現在」「今この時」すら存在しないように感じます。時間はわたしとはまるで無関係に勝手に流れてゆく。
お読みくださりありがとうございました。
すぐれぬ体調の合間を縫って書いてくださった真摯な文章に深く感謝します。
これはお礼でも、返事でも、回答でもない。今のわたしの気持ちをありのままに、率直に語ったものです。これに対しての返信、感想は底彦さんにお任せします。読んでもらえるだけで十分だという気持ちです。
先ず、わたしの中の「怒り」について。いつごろから、と期限を限定することは困難ですが、今のわたしの胸のうちの感情を数値化すると、どのように軽く見積もっても、50%は「怒り」「憎しみ」といった感情で占められています。
残りが「絶望」であったり「倦怠」であったり・・・言ってみればこの胸の内側すべて「負の感情」のみで充たされています。いったいそのほかにどのような感情を持ち得るでしょうか。
西部邁の「電車恐怖症」という表現には、読んだ時から違和感がありました。
そうとしか書きようがないとは言えますが、底彦さんの指摘を俟つまでもなく、
これは「恐怖」ではなくいわゆる「スマホ人」たちへの「憎悪」とに『他ならないでしょう。すくなくとも、わたしが「電車(バス)恐怖症」という時の「恐怖」とは「憎悪」の意であり「敵意」であり「軽侮」と言った感覚であって、文字通りの「恐怖」といった感情は微塵もありません。
>Takeo さんは現在, 日々生活を送る中で何かの兆しのようなものを感じはしなかったでしょうか? それは, 何かが欠けてしまった感覚, どこかがうまく組み合わさっていない感じ, 周囲からかけ離れているという意識, 大きなものが喪失された空虚さといった, 現実の中に突然現れた不安の形のようなものではなかったでしょうか?
既にご承知だと思いますが、わたしが少しづつ崩壊してゆく直接の契機となったのは、おそらく生涯唯一持った「親友」に去られたこと、それと前後して、生まれ育って40年以上生きてきた大田区を離れて、現在の府中市に移ってきたことだと思っています。
しかしそれだけではありません。これはもう『楽天ブログ』を使っている当初から最も頻繁にわたしのブログに現れるテーマですが、わたしが「故郷喪失者」であるということです。つまり東京という街には蓄積された街の歴史というものがなく、時間の連続性がないということです。これは何もわたしに限ったことではありません。東京で生まれ東京で育ったものは、みな故郷喪失者です。
それのことは過去に「わたしは何故引きこもるのか?種村季弘の場合」にも書いたことです。
つまり東京という街には、わたしがここで生まれ育った。という「痕跡」がほとんどないのです。それでもまだ20世紀末までは、なんとか東京は「わたしの」東京と同一でした。
>大きなものが喪失された空虚さ
それが今です。今の銀座は私の知っている銀座ではなく、
今の丸の内、八重洲は、わたしがあるいたそれではなく、
今の馬込はわたしが17年間暮らした馬込ではありません。
わたしをわたしたらしめていたものは、最早「外部」には存在しません。
◇
ブログについて過分の言葉を頂きうれしく思います。
わたしはいま自分でも驚くほどの速度で、日々弱っています。先週出来ていたことが今はもうできない。そんなことが増え続けています。
>文章を書き絵画や詩を渉猟する
ということも、最早できなくなってしまっています。
底彦さんが愛読してくださっていたような内容のブログを書くことも、もうできそうにありません。横になっている時間も一週ごとに伸びています。
そして当然ながら、精神科医とはもう半年以上会っていません。
会っても、どんな精神科医でも同じでしょうが、今のわたしに対してできることは、
抗うつ薬なりトランキライザーを処方するだけではないでしょうか。
無論それによってたとえ2割でも回復すれば、と思わぬこともありませんが・・・
底彦さんの心を幾分か和ませる文章なり、アートなりという自己表現が、この孤立の苦しみから生み出されている。今までは、その自己表現によって、苦しみが相殺されていたかもしれませんが、今はただただくるしい・・・
それはなにがしか創造的な苦しみではなく、ただただ直截に身体的な、精神的な苦痛なのです。
わたしはただひたすらに「死」を願っている訳ではありません。けれどもいったいこのような日々がいつまで続くのでしょう。そして仮によくなるとして、その「よくなる」とはブログが書けるようになることだけを意味するのでしょうか?
たったひとりでも、わたしの書いたものを愛してくれる人がいる。それはとても大きな喜びであることに間違いはありませんが。
わたしには過去も明日も、未来もありません。更に言えば、「現在」「今この時」すら存在しないように感じます。時間はわたしのはまるで無関係に勝手に流れてゆく。
お読みくださりありがとうございました。
Takeo さんのコメントを読んで, もしかしたら相当迷いながらこの文章を書いたのではないかと想像しました. 一つ一つの言葉を煩悶の中で考え, 試行錯誤の中で選びながら書いたような印象も受けました.
現在の Takeo さんの主治医のかたが特に親切だとのこと, とても幸運なことだと思います. 誠実なかたなのでしょう. ある程度の時間もとって話を聞いてくださるのですね. それだけでも何よりと感じます.
精神疾患の診断は診てもらった医師によって決定されますよね. 一定の診断基準 (†) が定められているとは言え, 抑鬱状態の持続や幻覚・幻聴などの目に見える症状を診断の主要な根拠として病名が定まっていく状況なのでやはり診断にばらつきがあり, 対応も変わってくるようです. これは私自身が経験しました. ですから医師によって病名も変わることがあり得ると思います.
†: DSM - Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders のことです. あらためて確認したら現在の最新は 2013 年発行の第 5 版 (DSM-5) でした.
fMRI や血液の検査などによる診断が取り入れられればより正確な処方が行えるのではないかと思いますが, まだごく一部の医療機関でのみの実施に留まっているようですね. 研究としてはいろいろな検査方法が提起されているようですが.
一定の診断基準に基いて精神疾患の診断が下されると書きましたが, 私に尋ねられているのはそういうことではないと思います.
自分の話になりますが, 私は, 現在の自分の行動はおかしい・これは身体の普通の状態ではない, と言った具体的な事実に気がつくことで自らの病を感じることが時折あります. 周りのようにできない・異なることをしている, 何かが失われてしまった, 身体が異常に重たくて動けない等々. 最初に精神科に行ったきっかけもある仕事の朝に, 同僚に話し掛けることが全くできない自分が居たからです.
Takeo さんは現在, 日々生活を送る中で何かの兆しのようなものを感じはしなかったでしょうか? それは, 何かが欠けてしまった感覚, どこかがうまく組み合わさっていない感じ, 周囲からかけ離れているという意識, 大きなものが喪失された空虚さといった, 現実の中に突然現れた不安の形のようなものではなかったでしょうか?
西部邁氏が「スマホ人たちの群れを見ると吐き気を催すので」電車恐怖症になった, そういうエピソードを Takeo さんが引いています. 私は西部氏の著作を読んだことが無く, 人と成りも知らないために西部氏の電車恐怖症について詳しくは知りません. しかし Takeo さんが引用した言葉からは西部氏が感じたという恐怖の外に, 強い攻撃性を感じます. 恐怖と憤りが混同されている可能性は無いでしょうか. あるいは西部氏は強い攻撃性を持った言葉を前面に出すことで, 自らの内に在る恐怖がそのままの形で外に知られることを意識的に避けたのかも知れません. 西部氏のエピソードについてはその程度です.
けれどもここから, Takeo さんが「西部氏の電車恐怖の拡大版」と言う Takeo さん自身の問題に少しだけ踏み込ませてください.
Takeo さんのブログにもコメントとして以前書きましたが, 私は Takeo さんの文章から世界に対する強い拒絶・拒否の意思を感じます. その強硬さ・烈しさがどこから来るものなのか知りたいとも書きました. Takeo さんが「そもそもわたしの厭世感が西部の電車恐怖の拡大版なのです」と言うのは, この Takeo さんの持つ攻撃的とも言える世界への拒絶の強烈さという側面においてではないですか.
しかし Takeo さんの誠実な人柄を感じるのは, 強固な拒絶の意思が表出する文章であっても, その文章の中に, 同時に生きることへの強い苦しみと苦痛・苦悩が表われていることです. 最近のブログの文章では特にそれが顕著だと感じます. その表われようは, 以前は仄めかされているだけだったものが, 誰の目にも明らかに良くないとわかるほどだと思います.
これほどの苦しみが Takeo さんの日々の時間を覆い尽くしている状況はどのようなものなのでしょう. 想像もできませんが, 何か Takeo さんの明日, 今日という時間さえも追い詰め削り落としているのではないでしょうか.
私は, 朝の時間に Takeo さんのブログを訪れています. 更新されていればその文章をゆっくり読むし, 絵画や写真や詩などの新しいアートが投稿されていればそれをじっくり観賞します. これらの行為が私にとって大切なのは Takeo さんのブログが私を, 私自身の感性が摩滅してしまうという恐怖から幾許か救ってくれるからです.
Takeo さんが綴る文章や掲載された絵画や詩などの中に, 私の感覚を響かせ揺する何物かがあるのです. 私自身が感じる限り, それは Takeo さんの攻撃性 ── 世界への "No" ── ではなく, 無二の繊細な美であり純粋な精神の眞實です. ここには Takeo さんの美への感受性や世界からの孤独・孤立, 諦念や絶望の全てが表われていると思います. だから美しく眞實なのだと受け取っています.
そして, この美しい文章は世界から遠く離れています.
前述した, 現在の Takeo さんの過ごす時間の中に何らかの兆しが無いですか? という問いへの一つの答えが Takeo さんのブログに表われていると思うのです. 世界から置き去りにされたような美しい結晶が「病」であるというのならば, Takeo さんの「精神」は「病」の中にあると敢えて言えるかも知れません.
そうであるならば, 逆に文章を書き絵画や詩を渉猟する日々の行為の中に, 最低限現在の Takeo さんの精神を維持する何ものかは見出だせませんか. 私は本当のところは, これらの行為が Takeo さんを世界と僅かにでも繋ぐ隘路になるのではないかと思っているのです. 現在 Takeo さんの居るのがどれほど暗い場所であっても, です.
Takeo さんの文章の総体から読み取れる絶え間の無い苦痛を, これより酷くするのは危険なことの予感がします.
そして, Takeo さんが何度か書いている自己肯定感の低さも私は恐ろしいのです.
Takeo さんを取り巻く様々な環境がことごとく閉塞していくような, 一つ々々閉じていくような, そのような恐ろしさです.
現在の場所には留まって欲しい, 今はそれだけでもいい, と祈っているのです.
Takeo さんは「治る(治す)治らない(治さない)を別にして、わたしはそもそも、精神疾患であるのかを知りたいのです」と書いていますが, Takeo さんが実際に精神疾患であるかどうか, 私には本当にわかりません. それでも Takeo さんの抱えている「電車に乗れない」ことを伴う外出困難と乗り物恐怖が, 著しいものであることは素人なりにわかります.
現在の主治医と, Takeo さんの症状についてもう一度よく話してみるという手段はもちろんあります.
別の精神科医の診察を受けてセカンドオピニオンを求めることは私もお薦めしたいです. 主治医にそれを話してそのための紹介状を書いてもらうというのがよく言われている手順です. けれども様々な事情で主治医に話すことができないが他の医師の診断を受けたいという患者さんも多く, 病院やクリニックの中にはそのための相談に乗ってくれるところもあります. まず電話で聞いてみるという手段が考えられます.
ところが, 外へ出て, おそらくは交通機関を利用して目的の病院を訪ねることの困難が Takeo さんにはあります. 仮に直接診察を受けることになったとしても, 何を伝えていいのかわからない, という困難も現状では伴っているのですね.
私も外出恐怖がつらいですが, 頓服を服用して何とか踏ん張ってクリニックや認知療法には行けます. 不十分ではありますが, ゆっくり話して主治医や PSW さんと自分の体調について会話することができます.
しかし Takeo さんの苦しみの状態はそのレベルではないような気がします. ではどうすればいいのでしょう.
現在 Takeo さんを形作っているもの ── 文章を書くことや絵画や詩や音楽 ── を伝って外の世界に辿り着くことはあり得ませんか? 私はそれを願っています. 全く可能性の無い絶望的な願いでしょうか?
ごめんなさい. 私に伝えられるのはここまでとなります. 全く無力な返信になってしまいました. 本当にごめんなさい.
Takeo さんの魂が少しでも光の方角を向きますように. 心より祈っています.
いつも一週間か十日分まとめて、日記、読んでいます。そもそもわたしはなぜこのようなシンプルな日記に惹かれたのか?よくわからないのです。それはここに淡々と叙述されている「事実」よりも、行間から滲み出てくる苦痛の叫び、苦悩、煩悶のようなものがわたしを引き付けたのではないかとも考えます。
わたしは「同病相憐れむ」ということについて、底彦さんに、質問をしたいと思いました。
できるだけ簡潔に書きたいと思います。
先ず、わたしは精神科通院歴25年になりますが、まったく馬鹿馬鹿しいお話ですが、「精神疾患」の定義すら知らないのです。
過去に様々な病名がつけられました。中にはわたしが精神疾患であることを断固否定する医師もいました。
府中市の「精神障害者とその家族を守る会」の会長もその一人でした。
彼は強く主張しました。「狂って(病んで)いるのはこの国だ。」と。
今の主治医とは10年来の付き合いになりますが、仮に、わたしが今、まったく初めての精神科医に行った時、わたしは問診票に何を書けばいいのかわかりません。
「抑うつ状態」はうつ病に限らず、統合失調症にも見られます。
「総合的に判断」・・・といっても、わたしが医師に与えられる情報っていったいどのようなことでしょう?「スマホが嫌い」?「デジタル・ワールドが嫌い」?「LSDが嫌い」?
ブログにも書きましたが、西部邁は「スマホ人たちの群れを見ると吐き気を催すので」電車恐怖症になりました。でもこれって「心の病」でしょうか?
つまるところ、わたしの外出困難もこれの拡大版に過ぎません。
いや。そもそもわたしの厭世観が西部の電車恐怖の拡大版なのです。
今が1970年代なら、わたしは治りたいと願うでしょう。しかし1970年代に上記のような理由から「外出困難」「乗り物恐怖」になるということはちょっと考えられないのです。
「以上のようなことを私ではなく、主治医に訊いてみたらどうですか?」と思われるのは当然です。けれどもわたしは外に出られない。内科や眼科には自転車で行けますが・・・
そして現在の主治医は、過去出会ってきた20数名の精神科医の中ではずば抜けて「親切」なドクターです。きょうび、「親切」というだけでも滅多に巡り合えない美質ですが、同時に過去の経験からして、大変失礼ですが、暖簾に腕押しの感が否めないのです。
親切であり、時間をかけて患者の話を聞いてくれる。それ以上の何かを精神科医に求めること自体がナンセンスなのだと思います。
ただわたしは、治る(治す)治らない(治さない)を別にして、わたしはそもそも、精神疾患であるのかを知りたいのです。それはそもそも無理なことなのでしょうか?
わたしは主治医に対し恩を仇で返すようなことはしたくありません。けれども、別の、医師の、意見も聞きたいのです。
お暇な折に率直な意見、アドバイスを聞かせていただければ幸いです。
読んでくださってありがとうございました。