2024年07月16日
■あいこ編 たのしい時は靜かな曲を聴くの
「娘さんですか?」
「はい、そうです」
違うやろ!
どう見ても
同年代やろ
よく言われました
「親子さんですね」って
「お前、親戚雇って
言わせているんやろ」
でも、感覚は
僕より 少しですが
若いかもわかりません
部屋で聞く曲も
森田童子 さんとか
山崎ハコさんの 曲が多い
少し 哀愁のある
靜かな 歌ですかね
「たのしい時は
逆に
靜かな曲を聴いてるのョ」
なるほど
なんとなく わかります。
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■あいこ編 夫婦漫才やったら?
■大阪編 立山センター・オーバーさん
立山オーバーさん 立山センターさん の両師匠です
もうだいぶ 芸歴を
積み重ねましたね。
長年の仲間です
とにかく 漫才が大好き
人を笑わせることに
人生をかけています。
大阪へ行った時は
事前に連絡して
会うようにしていますが
「ブログとか
動画だけど
ネットにあげてもいい?」
「かめへん かめへん
どんどん上げて」
了解を頂きました。
第16回 NHK漫才コンテスト
優秀賞 受賞
本当に しゃべくりがうまい
それでいて
ネタの中に 下ネタとか
人の悪口で 笑わせる部分が皆無?
今はお笑いの 賞レースが盛んです
テレビ枠なので
ネタができるのは
2分か3分
それに馴れているのか
短いネタしかできないのか
ショッピングセンターなんかへ
見に行っても
若手の芸人さんは
五分から せいぜい10分しか
観客を持たせることができない
そんな人が 多かった
あと、何をするか
抽選会でお客さんを
盛り上げるしか無いですね。
オーデションを受けて
8年ぐらい お世話になった
日本昭和村も
ショー時間は 最低40分以上
毎回 それ以上 短いと
外される 状況でしたし
敬老会なども
50分〜1時間は
盛り上げて欲しいと要望されます。
何度か
僕の仕事関係で
来てもらいましたが
たいてい
僕が1時間
センターオーバーさんが1時間
お願いされる イベントが
多いです。
「ま〜君はいいわな
手品で逃げれるから」
本当に
しゃべくりだけで
1時間
場を持たせるのは
難しい
でも 毎回 こなしてくれます
機会があれば
昔のように
2組で 仕事に行きたいですね
立山センター・オーバーさん
下ネタとか
お客さんをいじって
笑わせるのは 素人でもできる
人の悪口で 笑いを取るな
師匠
横山ホットブラザーズの
教えです。
ステージでは僕は言いませんが
ステージ以外では
下ネタ大好きです 僕は(笑)。
■劇場 新花月で
デビューほやほやの 僕
大阪のジャンジャン横町にある
松竹系の劇場です
松竹さんが直接 持っていたのでは無く
借りていたようですネ
大阪でも大手の事務所に
入らせていたのですが
出れる芸人さんの数も
決まっていて
むつかしかったのですが
「僕らも時々
出させて頂くので
うちの弟子、勉強させて
もらえませんか」
師匠が松竹さんに頼み込んで
ようやく出れたみたいです。
松竹さんも所属の若手芸人さんを
多く抱えていましたのでね。
「あの劇場で
頑張ったら
力がつくで」と
言われるほど
大阪でも評判の劇場
とにかく
ホームレスさんと
酔っ払いが9割りをしめます。
「1回目見たでー
同じネタすんな」
「お前らおもろ無いから
次のと変れや」とか
1番前に座って
ものすごく 笑っている
お客さんがいたので
「僕らの漫才
そんなにおもしろいですか?」
って聞いたら
「今、ラジオで
漫才聞いてるんや
めちゃおもろいで
お前らも聞くか?」
イヤホンとって
俺たちの漫才聞いてや。
■あいこ編 いつまで続く兄と妹関係
若い写真です
いくつぐらいでしょうか
恥ずかしいのか 顔を見ると
目を細めて つくり笑いをしてしまいます
芸人さんのタマゴは
たくさんいましたが
さみしさと 苦しさで
すぐ 女性の方へ
逃げてしまう 人も
たくさん見えました
僕の身近の 弟子仲間もそうでした
そして 最終的には
水商売の世界に
変って行くんです
水商売が悪いというのではなく
自分の夢をあきらめて
違う世界に 変って行ってしまう
なんか もったいないような
気がしました。
僕は好きで
お笑いの世界に 入り
3年間の弟子修行をしました。
あいこの アパートに
ころがり込んで
生活させて頂いていましたが
状況は 兄と妹の関係
寝る時も あいこがベット
僕は ベットの下で少し離れて おやすみです。
あいこ自身に 好きな人が
他にできて 「別れて」 という
そんな事もあるかも
その時の 配慮もあり
僕は僕で
まだ 夢が始まったばかり‥
そんな思いも あったので
でも、彼女らしいふるまいで
朝早く起きて
弁当を作ってくれて
包み布をほどくと
弁当箱の下に
「頑張って下さい」のメモと
1000円札1枚
入れてくれてありました。
■アポロホール
3年間の弟子修行が終わり
師匠と同じ
プロダクショに入り
漫才デビュー
松竹系の
新花月という劇場に
出させて頂く事になりました。
画像の右側は
大阪で今もなお
活躍中の 立山センターさん
ミヤコ蝶々先生の門下の
立山オーバー君と
立山センター・オーバー名で
上方では
誰もが知る
しゃべくり漫才の
大御所として
君臨しています
第16回 NHK新人漫才コンテスト
優秀賞も受賞しています
僕の会社でも
ギャラを安くしてもらい
何度か来て頂きました
その節は ありがとう。
このアポロホール
芸人さんの 勉強会とか
寄席など
お笑い系のステージも多く
若き ツービートさん
(ビートたけし ビートきよしさん)
のステージも
見させて頂きました。
かなり古い話で
申し訳ありません(笑)
僕の所属していた事務所も
有名な方々が お見えになり
今は松竹芸能に移られました
海原はるか・かなた兄さんを
中心に
事務所の若手中心の
漫才&コントなんかも
企画されましたね。
吉本興業さん中心の
勉強会 「笑の会」も
開かれ
阪神・巨人兄さんも
よくステージに
上がられていたことを
記憶しています
漫才ブームが来る
すこし前の
お話です。