2024年07月15日
■あいこ編 むかしここで 写真 写したね
商店街の
長いアーケードを歩きます
「むかし、ここで
写真 写したね」
カメラ屋の
インスタントカメラで
写してもらったな
「あ、ギターがある
なんか弾いて」
「ありゃ、ギター−じゃ無くて
ウッドベースやで
弦は6本あるけど‥」
「ちょっと大き過ぎるやろ
脚立 持って来るか?」
「写真 写してあげる
かまえて」
「でも、いつもピント
外れているからなァ」
「大丈夫、30枚ぐらい写したら
1枚ぐらいは いいのあるよ」
そういう問題ではありません
集中力と 技術です。
■あいこ編 山車を企画・制作・運営 しました
■若い時から アルバイト アルバイト アルバイト
16歳か17歳ぐらいですかね 大人に混じってバイトに専念
小学生の頃
病気の母の助けをするため
幼い子供が
新聞配達をして
家計を助ける と言う
歌が出て来て
日本国中
新聞配達をする
子供が すごくふえました。
僕もその一人 です
新聞少年になりました
お金とかではなく
人気の歌だけで
そのアルバイトを
始めました。
それからは
土曜日 日曜日 祝日
休みになると
同級生と一緒に
アルバイトに 励みました
ゴルフのキャディ
工場の定期修理の清掃
下水管の清掃作業の 補助
学校が終ると
同級生と自転車で
出かけました。
10代の子供にしては
バイト料も
かなり良かったので
勉強なんか
ほとんでやってません
お金もうけに
努力しました。
写真も
その時のものです
下水管の中にもぐり
ジェットのホースで
管の中を洗うのですが
よごれて 暑いし
水圧で息ができない事も
たびたび
でも
同年代の友達よりも
何倍か バイト料金を
もらえたので
帰りに同級生と
「たくさんもらえたね
回転寿司でも
食べて帰ろうか」
そのくせ
家には1銭も 入れませんでした
全部 自分の小遣いにしていました
いま思うと
悪い 息子でしたネ。
■あいこ編 妻になった時のお参り
金比羅 様へ お参りに
僕の兄と 3人で。
あいこは 小さい頃から
何度となく
この長い 石段を登っています。
「お父さん
まだ半分あるけど
大丈夫?」
新妻になったとたん
ま〜ちゃんから
お父さんに呼ぶ名が
変りました。
「お前こそ
大きなミルクタンク
ぶら下げて
大丈夫か?」
なんでも
オチで返さないと
落ち着かない
お笑い芸人の 宿命です
「‥‥
生まれた時から
スケベ〜だったの」
しかし でっかい
細いのに でっかい
そんな事は
どうでもいいですが(笑)
奥の院まで
あと少し
天気もすごく良くて
快晴
讃岐冨士も
見えたかな?
あまり覚えていませんが
「お父さん
これからも
宜しくお願い致します」
「こちらこそ
お願い致します」
その後
島々がうかぶ
景色の良い レストランで
兄に
食事を
ごちそうになりました。
■60歳までにやっておけば良かったこと アンケート
この年になるまで
やっておけば 良かったな‥
高齢者の方々の
思いかも解りませんが
人それぞれ
後悔(?)あるのですかね
まぁ、長く人生を
生きてこられただけでも
僕は幸せだと
思っていますが。
1位 健康面
腹八分目 大食い 大酒をしないで
野菜中心の 粗食に重点を置く
歩いたり 身体を動かしたりの
運動
2位
人間関係
地域のボランティアの活動参加
仕事以外の 特技を持つ
3位 お金
中でも 貯金
どれだけ楽しい日々が送られるか
ぜいたくは しないまでも
金欠病は
精神的にも
害を及ぼします。