2012年05月18日
うつけの采配
うつけの采配
中路 啓太 (著)
出版社:中央公論新社
「うつけの采配」と言うタイトルを見て、織田信長の話かなと思いました。織田信長は子供の頃は“織田のうつけ”と言うことで大抵の小説ではそのような設定になっています。
オビには“家康の野望を阻んだ男”なんだか変ですね。更に読むと「名将の血筋に生まれたがゆえに背負った百二十万石、これが「毛利両川」最後の一人・吉川広家の戦だ」とあります。
この場合 名将とは毛利元就のことです。毛利両川と言うと、毛利元就の子供で小早川家へ養子に入った小早川隆景と吉川(きっかわ)家へ養子に入った吉川元春ですね。小早川は隆景の後を豊臣秀吉の甥の小早川秀秋が養子に入り毛利から離れます。吉川は元春の死後に息子の広家が家督を継いでいます。
小早川も吉川も川がつくので、毛利の両川(りょうせん)と言われていたようです。
吉川広家の話は読んだことがなかったので興味を持ちました。私が聞いていたのは、関が原の戦いの時に西軍として戦をせず、動かなかったので毛利はその後、持っていた領地6ヶ国かわ2ヶ国に減らされてしまったので、毛利内では肩身の狭い思いをしたということだけです。見事に徳川家康に嵌められた人と言う印象しかありませんでした。
それが、実は家康の野望を阻んだ・・・。うつけではなく優れた戦略家だったの?
そんな疑問から購入しました。
話は朝鮮の役かわ始まります。このときはまだ小早川隆景が健在で劣等感の中で鬱々と戦をしているようです。それが隆景の死後毛利の重鎮として毛利の軍を任されるようになるのですから自分は出来の悪い男だと劣等感の渦中にいる男にはつらい話です。
しかし、己を知り、責任のある立場に立たされると人は成長するものです。本人に自覚がなくても、人は頼りになる男と見るようになります。そんな広家に対するのは安国寺恵瓊です。毛利家の使者なのにどちらかと言うと秀吉に加担していた男です。本能寺の変の時に秀吉に恩をうり僧でありながら大名になってしまった男です。
彼は石田三成と近しく、徳川家康を追い落とし毛利輝元の天下にしようと画策します。毛利家ないの主導権争い、そして三成派と家康派などが入り乱れた中でどのように吉川広家が考え、行動したのか?この戦国時代を扱った小説の多くと同じように関が原で徳川家康が勝った。その結果から物事を考えて書いているので家康の野望を阻んだということになるのでしょうね。話としてはとても面白く、劣等感のある、自分から“うつけものゆえ”と言うくらい鬱屈した主人公も中々のものです。