いきなり「ブランド」と言う分野を語れ、と言われても。
エルメス、ヴィトンなど19世紀に誕生したブランドを調べると、「皇帝」と言った支配者階級に行き着く。
馬具工房からスタートしたエルメスの顧客には、ナポレオン3世がいたし、鞄職人が創始者のヴィトン社の顧客にはロシア皇帝がいた。
詰まり、ブランド品は為政者が使用する日常品であったと言う事ができる。
換言すれば、「ブランド品を売る会社は為政者を顧客として選んだ」となる。
これに似た事が、我が国の戦国時代(ここでは室町時代後半ー安土桃山時代)にも。
この事は「元々商人であった利休は顧客として天下人を選んだ」と言う事を示しているのかも知れない。
考えて見れば、客に一杯の茶を飲ませると言う行為の為だけに、広大な庭園と小さく質素な茶室を造り、内部をミニマルに設え、日常とは違う(一見すると意味のない)ルールを作る。
そして招かれた客を満足させる。
この非日常の演出方法は現代美術家のそれに似ている。
20世紀の現代美術家たち(デュシャン、ロスコ、ニューマンら)も日常とは違うルールや価値観を世間に提示して、自分たちのルールを押し通した人たちなのだから。
エルメスやヴィトンの鞄は高価格にも拘らず、非日常的な TPO (詰まり「ここ一番」)の為に持っている人は多い。
流石に茶道具は非日常過ぎて誰もが持っている訳ではない(実は、所謂「資産家」にはそれらを、こっそり所有している人もいる)。
因みに、同じ陶芸作家が作ったものでも、アートマーケットでは、抹茶茶碗は単なる飯碗の5倍以上の価格設定になっている。
歴史・伝統と言った付加価値は、そんな形で生き続けていくのだろう。
矢原 繫長・美術エッセイスト
愛媛新聞 四季録から
芸術の価値は分かり辛い。
多くの人々が自由な生活を送る現代の価値観とは?。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image