2013年09月16日
その生徒の全体像を教師はどこまで把握できるか?
ノボルだったかマモルだったか高校時代にそういう名前の若い男性教諭がいて、
その教師は、現代文の担当だったらしいが、私は生徒だった時分、三年次に彼の演習を受講していた。
私は創価学会とは縁もゆかりもない都立高校の出身なのだが、三年次の夏の終わり頃には、既に私の進学先(この大学も創価学会とは全く関係ない)も決まっていた。
しかし、その若い男性教諭は、高校在学時代の私を相当な引きこもりだと勘違いしていたようだ。
ある時、私はその演習で、現在のソーシャルゲーム時代を予見する論文を書いた。
私は当時から全くゲームで遊ばなくなっていたが、しかし、十年前の当時において、既にそうした未来を予見することは可能だったのだ。
しかし、この若い男性教諭には、そうした時代を既に予見している生徒が甚だ異様に映ったらしく、私の論とは見当違いの私個人への当てつけを言い始めた。
今ではソーシャルゲームというシステムが世間一般に敷衍しているものの、
十年前の当時においては、若者たちがインターネット上の空間でゲームをするというのは、それだけで異様だった。
そうした論を書いた私でさえ、当時からネットゲームで人々が交流するのは変だと思っていた。
しかし、それなら何故、お前はそんな未来を論文に書いたのだ? と反論する人もいるだろうし、ノボル?(マモル?)も当時の生徒だった私に対し、そう詰問したかったのかも知れない。
端的にこれは高校教師の側に読解力がない一例で、
私は当時から既にゲームなんか全くしなかったが、世の中の趨勢を眺めている以上は、バーチャルな世界で人々がゲームをし交流するというのは、歴史の必然的な流れになるに違いないと判断していた。
私自身は本や映画にしか興味がなくても、世の中の流れとしてはこうなるだろうという判断を敢えて、論に書いたのである。
ところが、ノボル?(マモル?)は私の論を勘違いして、彼の目の前にいる生徒がそういうバーチャルな世界から足を洗えなくなっている廃人だと誤解したのである。
この時には、既に、私は現役で大学に合格していた(この進路は創価学会とは関係ない)し、18歳にして様々な政治活動にも顔を出すようになっていた。
しかし、教師である彼は、その論を書いた私の主張を十全に把握せずに、代わりに、学校ではいつも塞ぎ込んだまま古典に没頭している私が、実は、バーチャルな世界にハマっている廃人であるかのように曲解した。
高校在学時代後半で私が欠かさなかったのは、ゲームよりもケータイで女子生徒に電話をかけることの方だった。
これは言うまでもなく、2002年に発刊された『月刊石原慎太郎』で編集主幹・福田和也氏が戦後の知識人を揶揄して、「女に手を出す気力もない奴等」と書いていたことに端を発している。
私はそういう知識人にだけはなりたくないと思い、急に女漁りを始めたのである。
高校三年次の時点で、不世出の哲学者・詩人の古賀学故と私の交流は既に始まっていたし、大学に合格すると同時に、私は政治運動への関心をますます深めていった(私の目的は、政治家になることではなく、あくまで政治運動だった)。
高校内部での部活動や人間関係は既に私の関心の外にあったわけである。だから、なるべく私は学校では口を訊かなかった。
抑々、一年次で少林寺系の道場に通っていた頃から、私の関心は既に学校の外の活動に向けられていたのだから。
但し、当時の私はまだ十代。携帯電話も持っていたわけで、21世紀に特有の若者同士の不思議な連帯感や仲間意識も当然ながら、共有していた。
私がケータイを解約したままになるのは、22歳を過ぎた辺りからだったので、この時までは若者同士の不思議な連帯感から未だに脚を洗えずにいた。
思い出したら、後でまた書きます。
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