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プロフィール

評論家
36歳・独身、親元実家暮らし、第一子で長男、現住所は東京都内。 35歳の時に痛感したのは、自分の宿業(カルマ)=宿命というテーマ。 私は既に以前までの生き方や生活を変えているのに、周囲の私に対する印象は変わっていない。 私は既に何人かの女性たちとオフパコしている(中出しも経験済み)のに、周囲には未だに童貞だと勘違いされている。 子供の頃は据え置き型ゲームの熱心なプレイヤーでしたが、それはもう15年以上前に辞めていて、今は自宅に一機もゲーム機を持っていないのに、周りの同世代からは未だにゲーマーだと誤解されている。 また、18歳〜20代前半までは確かにひきこもり系ニートでしたが、今は外で働ているのに、未だにニートではないかと周りは疑っている。 真面目にやっているのに、誤解しかされていない。これが私の宿業(カルマ)=宿命です!\(^w^)/
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2013年12月07日
人生は短い! 効果的な時間管理の探究は、「削ること」!\(^0^)/




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 前回紹介した『80対20の法則』に因んで、折角なので、この法則についてもう少し説明します。

「80対20の法則」とは、全ての産業における百パーセントの活動の内、成功の鍵を握るのはその内の20パーセントだけだと主張する成功モデルで、

 それなら、その活動の内、実質的な成果には余り反映されていない80パーセントの活動を占める時間と予算に、成果の大きい20パーセントの活動を投入しよう。

 そして、これまでの80パーセントの活動とそのまま入れ替える形で、その20パーセントの活動に傾注した後に、

 さらに成果が大きいと思われる20パーセントの活動があるとしたら、今度はその20パーセントの活動も、それまでの80パーセントの活動と置き換えよう。

 そういう思考法だったと思います。

 人生というのは、短いです(^ー^)v

 人間の可能性は無限かも知れませんが、人生というのは有限です。

 私たちには限られた一生を歩むことしか出来ません。

 今回は、哲学者セネカの岩波文庫も含め、既に前回の記事でも一度は紹介したことがある「時間管理」関連の書籍をラインナップしてみましたが、

 私が考える限りでは、効果的な時間管理を企てた時に、手帖やスケジュール帳に細かく書き込むよりも、この三冊の文献が意図するものをジックリと吟味して、

 自分の人生にとっては不要だと思われるもの、邪魔だと思われるものを可能な限り、削ったり、遮断したりする方が圧倒的に効果的だと思われるわけです。

 19歳で大学を中退した後に、「お前は何をやっているんだ〜?」という批判は再三、受けましたが、

 その時点で、「正典主義」という独自の思想の萌芽が既に表れていたわけで、私の場合は、漫画やゲーム等々のサブカルチャーを自分の実生活から削ってしまえば、後はほとんど人生にとって有益な事ばかりだったのです。

 勿論、会社の経営者として成果主義で今後の計画を立てる場合は、経営者自身の好き嫌いに関わらず、統計上、数字に反映されたプログラムを実行する必要に迫られるわけですが、

 この場合も、「80対20の法則」の考え方を土台にして統計結果を把握し、プログラムを組むという姿勢は根本的に変わりません。

 私は大嫌いですが、近年のアイドルバブルとかソーシャルゲームの隆盛も、それはそれなりに成果主義の反映、経営陣にとっての「80対20の法則」が根底に据えられているわけです。

 だから、小説を書きたいならエンターテインメントを書け! 映画を撮りたいなら3Dを撮れ! 等々と声高に主張する人たちがいるのも、

 そこには成果主義や時代の流れに反映された「80対20の法則」が根底に控えているからなんですよ。

 純文学志向の私でさえ、コレはきちんと把握している事実です!v(^ー^)v

 しかし、世の中が自分に要求してくる事柄と、自分自身が自分の人生に求めている「満足」というのには自ずから違いがあります。

 社会を生きるという事はその兼ね合いの中で揉まれるという事ですが、

 自分の人生が元々有限である(=「人生は短い」)という事実に遭遇した時に、本当の自分の目的とは何か? その目的に沿って、人生を生きる時に、不要なもの、実生活上から削ったり、遮断したりしなくてはいけないモノは何か?

 それを再三、吟味し、考察した上で、自分の人生にとって有意義な活動、有益な活動に一極集中する、コレが私の考える「生きる」という事なのです。

 削ることが必要なら、「結婚しなくてはいけない」とか、「子供がいなくてはいけない」、「家庭を持つ必要がある」という強迫観念はその維持の為に働く事も含めて、全て、捨てるべきなのですよ\(^0^)/





















Posted by 評論家 at 14:26 | この記事のURL
2013年12月06日
「お前が優先しないことをやれ!」と命令するタイプ2の意図!\(^0^)/




 前回に引き続き、女性がイロイロ味見したいのはセックスではなくて、「食」なのだという論点から、話を進めていきます(今回の記事は敬語です)。

 学問の領域でも世界各地の食文化の研究において、その権威となった人を見ると、圧倒的に女性の学者や研究者が多い事には驚き呆れます。

 歴史を鑑みれば、スポーツだって育児だって料理だって、それぞれの専門領域でコアな研究はずっとされていますから、子供を育てるにしろ、料理をつくるにせよ、野球やサッカーに挑戦するにせよ、その分野の専門書を何十冊も読めば、ナポレオン・ヒルの成功哲学や現代小説を読む以上に遥かに面白い体験が出来るわけですが、

 やはり、イタリア・ルネサンスの西欧文化を起因とする「食文化の歴史」に焦点を当てると、その分野において海外の著名な学者というのは、ほとんどが女性です。

 これだけでも、男の学者が満足できる研究領域と、女の学者が多大の犠牲を払って没頭したい研究分野というのは全く異なることが分かるわけですが、

 セックスや性の研究にしても、女性の学者が取り組む場合は、娼婦の歴史を取り扱う場合ですら、そこに昔からの女性への偏見や差別意識について論究した「人権」の話題になっている事がほとんどです。

 しかし、学問の世界というのは基本的に自分が研究したいことを研究するわけですから、それでも良いわけです。

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 前回の記事でも何度か紹介しているこの本ですが、やはり、専門的な仕事とか専門的な研究というのは、その分野における第一人者がやっているわけで、仕事や研究におけるその「専門」とやらは何かというと、この本に従えば、80対20の法則における「80の領域」に相当するわけです。

 他の人たちにとっては「20の領域」だったとしても、本人がその専門分野で飯を食っているとしたら、その人自身にとってはその分野こそが「80の領域」と考えられるわけです。

 学問や仕事に留まらない。

 これは趣味や嗜好だって同じです。

 例えば、前回の記事で、食べ物の好き嫌いが激しかった私は、ファミレスなどに入店しても「イロイロ味見したい」とは思わないと書きましたが、

 これがお菓子やスイーツではなく、酒のつまみ、肉や魚の缶詰だったとしたらどうでしょう?

 私はウィスキーを飲みながら、つまみを味わうのが好きなので、映画を鑑賞している最中に、肉や魚の缶詰を食べることが良くあるのです。

 私の血液型はO型なので、肉や魚を食べても太らない。

 おまけに肉や魚は大好物です(お刺身も良く食べます)。

 これは、本人の嗜好にとって、まさに「80の領域」です、何故なら、好物であるばかりか、それを食べても私の血液型なら太らないからです。

 高校時代の修学旅行で日光(?)に行った思い出があるのですが、その時、タイプ2の香取勇進君は、自由行動の最中、稲荷の社の前で、

「お前はこういう事(稲荷・神仏)にも興味を持たないとダメだぞぉ〜」みたいなことを言ったのです。

 彼のその発言に対して、私は、「うちは創価学会だから、こんな稲荷や大仏には拝まなくても良いし、詳しくなる必要もない!」と返したわけです。

 すると、どんな言葉だったか忘れましたが、アンチ創価の香取勇進君(日本大学写真学部出身)は、その私の返事に対し、物凄い侮蔑と嘲笑の入り混じった台詞を吐いたと思います。

 コレも、実際には、「80対20の法則」の話をしているのと変わりません。

 日蓮御書を拝読すれば分かりますが、創価学会員の私にとっては(あるいは他の創価学会員にとっても)、創価学会の会員であるからには、創価学会こそが世界最高の宗教であり、他の神仏に拝む必要は全くないわけです(現に、創価学会員の私は元旦に初詣にすら行きません。教会で結婚式を開くのも反対です)。

 勿論、興味関心のない人は勉強しなくても良い。

 これは、創価学会の信仰こそが他の宗教に比べて、私にとっては「80の領域」だからです。

 他の宗教は同じ日蓮系だとしても、「20の領域」に過ぎません。

 ところが、香取勇進君だけに限らず、世の中のタイプ2の男というのは、

「お前が優先しないことをやれ!」等々と、良く命令してくるわけです。

 つまり、本人にとって「20の領域」にしか過ぎない事柄を、「80の領域」だと考えて行動しろ!

 皆の考え方にお前も合わせろ!

 タイプ2の男たちは往々にして、タイプ4に対し、そういう命令をしてきます。

 この記事の冒頭で述べたように、

 専門書を読み理論的に課題設定に取り組めば、野球やサッカーに限らず、どんなスポーツだって面白いわけですが(育児や料理だってそれは同じです)、

 不思議と、今の私は、スポーツといえば、パワーリフティングやベンチプレスしか思い浮かびません。

 何故なら、コレも考え方は「80対20の法則」と同じで、

 他のスポーツが「20の領域」だと判断するのに比べて、

 私自身にとっては、パワーリフティングやベンチプレスこそが「80の領域」に該当するスポーツなのだと考えるからです。

 これは音楽を聴く時だって、私は邦楽ロックを聴く場合、ほとんど矢沢永吉の楽曲しか聴きませんが、永ちゃんの曲だって、リスナーの私にとってはまさに「80の領域」に該当するわけですよ。

 コレに長渕剛や坂本龍一を加えれば、それ以外の邦楽アーティストは「20の領域」に過ぎません。

 こんな事ばかり考えながら生活を続けていると、他ならぬ自分自身が、

 鰯の頭を齧ってばかりいる猫のような気分になりますが、確かに気持ちはそれと同じです。

 白黒映画を観るとか、漫画は一切読まずに小説だけを読むとか、コレは私にとって、クラシック映画や小説、ノンフィクションや専門書こそが、80対20の法則における「80の領域」に該当する媒体だからなのです(^0^)v





















Posted by 評論家 at 14:47 | この記事のURL

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