寝起きが悪く、いつも以上に苛々するので、ここで、私自身の方針をもう一度、おさらいしておきます。
要は、こういうことです。
私自身の個人的な「80対20の法則」とは、アナログ系の知的なアート映画や古映画、純文学、クラシック、オペラ、ジャズ、ギャングスタラップ(洋楽のロックは省く)だけに的を絞って学習するというもので、
この学習上の信条を、私は自ら、「前時代優越主義」と命名したのです(^ー^)
3D映画やアニメ、ゲーム、等々のサブカルチャーが、その学習上の信条に含まれることは一切、ないのです(あれば、削るわけです)。
この考え方こそが、私にとっての「80対20の法則」であり、純文学作家として、私なりに「ポスト春樹」の地位を目指す方法論だったわけです(デビューしていないのに、そこまで書いて良いのか?)
つまり、自分の学習したい分野にだけ、資財を投じ、家の中にコレクションしておけば良い。
他のものは全て、綺麗に掃除して、無駄なことは一切やらない(何せ、「80対20の法則」ですから)。
19歳で大学を中退した時に、まず、考えていたことはこれだったんです。
テレビを観ないとか、日本の芸能界に興味ない、というのも、全部、自分なりの「80対20の法則」において、無駄を削ろうという意志があるからです(^^)
それでも、まだ、若いですから、仲間との連帯意識は強く、大学中退後も、高校時代の友人とは何度か、会っているわけです。
何故、そんなことをしたのかというと、それは、前回の記事で述べた「情報価値」と「利的価値(利益価値)」です。
まあ、一緒に仕事をするとか、映画を撮るという話題になれば、それは、「利的価値(利益価値)」としての友情なわけですが、
根本的には、仲間との連帯意識やネットワークが、情報を共有する上でメリットになるという考えから、私は、大学を辞めた後も、かなりの頻度で、高校時代の友人に頼っているところがありました。
インターネットの掲示板にたくさん書き込みしてしまうのも、誰かの称賛を求めているというよりも、少しでも多くの情報を得たいという思い込みから、書き込みを行っているケースがほとんどです。
つまり、人と人とつながりを考える上で、私は常に、「情報価値」優位で、相手と接するようにしていたわけです(^^)
これは、事実をそのまま書いているので、信用して下さい。
本音を言えば、「情報価値」優位で、相手と接するわけですから、飲み会でも、ディスカッションのような対話をしたいわけです(^ー^)
相手を貶すとか、相手をやっつけるということではなく、真の情報の共有や、建設的な意見交換として、皆の「情報価値」を共有する。そこに、飲み会の意義があると考えるから、20歳以前の私は、本を読んでいる間も、酒を飲んで、日頃から「酔い」に強くしていたわけです(酔拳と同じです)。
まあ、その考えは後で間違っていると悟りましたから、今は、酒も飲まず、煙草もやらない日々を送っていますが(汗)
若い時の私のバカなところは、人と接する時に、「情報価値」優先で物を考えているので、きっと、目の前にいる相手もそうだろうと勝手に思い込んで、
自分しか知らないことまで、その相手に喋り過ぎてしまうということがあるわけです。
今回の記事で取り上げた、2D映画、小説、洋楽(ロックを省く)を生活の中心に据え、漫画やアニメ、3Dは省くというモチーフは、まさに、私なりの「80対20の法則」による学習法だったわけですが、
これを高校時代の友人たちに向かって喋り散らしていると、「アンダーソン」というHNの五期生の香取くんがそうだったように、
「俺たちがそれをやろうぜ!」という気を起こす連中も出て来るわけです(困)。
実際に、彼と全く会わなくなってから、映画の関心にしろ、純文学への興味にしろ、何故か、その相手は、私と全く同じ分野を勉強し、同じような作品に出会い、同じようなことをしたいと望んでいるようにも見受けられるわけです。
これは、私の真似っこなのか、と、首を傾げて、疑いたくなるような瞬間すらあるのですが、しかし、彼と対話をしていない以上、知らない間に、二人とも、同じ分野を学び、同じ作品に出会っていた、と考える方がしっくり来るわけです。
スラヴォイ・ジジェクのジャック・ラカン解釈とは違い、私は、皆が揃って欲しがるものは、それほど良いものだと思いません。
何かで一番を目指すという時に、皆が皆、揃いも揃って、同じ分野の一番を目指しているのであれば、私は早々に、そこから手を引きます。
出来る限り、皆が狙っていない椅子が欲しい。
考えられる限り、皆がいない分野、皆がいない場所、皆が気付かない空席を狙う。それが、私の考えです。
私が、19歳で大学を辞めた時は、政治も、小説も、文学も、一般的に、若者が最も関心を示さない分野という風に言われていましたから、その分、空席も多かったと思われていた筈です。
だからこそ、私は、自らの「80対20の法則」を考えることが出来、それを今も実践していこうとしているのですが、私が願いたいのは、そうした分野の勉強を重ね、そうした生活の傾向性を維持していくことを狙うのは、出来る限り、私一人であれば良かったのになぁ、ということなんです(^^)
いわば、自分と全く同じ生活をしようとしている相手は、「情報価値」や「利的価値(利益価値)」を共有しない限り、ほとんど、敵同然なわけですね。
賢い人たちは、どうか、私の真似だけはしないようにして頂きたいものです(−−; ……(苦笑)。
追記。
一つ気付いたことがあるのですが、ネットの世界では、相手を叩くことが何よりも優先されるのかな?
情報の共有なんて、誰も考えていないのだろうか?
合理的に、正しいとすら思える意見でも、相手を叩く為なら、敢えて、否定しても構わないというのは、どういうわけなんでしょうか?
叩かれている相手よりも、叩いている人間の方にこそ、問題があるとは言えないのでしょうか?
私は、一つの意見を示しているだけであって、相手を叩くことを目的に、人を貶したり、中傷したりするのは趣味にできませんね。