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2016年03月25日
ボクシング 亀田三兄弟の次男・大毅。実はボクシングが大嫌いだった。 (しくじり先生)
しくじり先生に、元プロボクサー・亀田大毅(かめだ だいき)さんが講師として登場しました。それについて書きます。
亀田三兄弟は、ボクシング界で史上初となる「三兄弟世界チャンピオン」を目指す兄弟として、2000年代に注目を集めていた。
今回の講師である亀田大毅のしくじりは、「調子に乗りすぎて国民に嫌われた」ということである。
幼少期は空手をやっていた大毅。11歳からはボクシングを始めた。
父の指導のもと、兄・興毅(こうき)や弟・和毅(ともき)と共にトレーニングをしていた。
しかし、三兄弟の中で大毅は落ちこぼれになってしまった。
兄や弟が一日で身につけられることが大毅は1週間かかったり、砂浜ランニングで自分だけついていけなかったり・・・
父からは『なんでお前だけできないんだ』と言われ、自分の才能の無さを思い知らされる毎日。
「兄に追いつけ、弟に抜かれるな」という、次男特有のプレッシャーに苦しめられる。
ボクシングが大嫌いになり、もう辞めたいと思っていたのだが・・・
「父と兄弟の夢を潰したくない」
その想いがあったため、なんとか踏みとどまっていた。
17歳でプロテストに合格した大毅。
兄の興毅はすでにプロボクサーとして活躍していたため、「亀田興毅の弟」として注目されていた。
『兄のプロデビュー戦は1ラウンド44秒でKO勝利。さて、弟は?』
そんな風に注目され、追い込まれた大毅は、「どうにでもなれ」と開き直った。そして、
「プロデビュー戦で、兄のKO記録を超える」ことを宣言した。
そして大毅のプロデビュー戦の結果は・・・
1ラウンド23秒でKO勝利。周囲からベタ褒めされた。
「亀田興毅の弟」という扱いだったのが、「亀田大毅」個人として扱われるようになった。
しかしこれにより、大毅は調子に乗り始めてしまう。
ビッグマウス発言、ド派手なファッションなど、目立つ行動が増えた。
デビュー戦から10連勝した大毅。当時世界チャンピオンだった内藤大助に挑戦する権利を得た。
試合をすることが決まると、試合前からビッグマウスで内藤に対する暴言を吐いていた。
そして試合。チャンピオンは強かった。
ラウンドが進むにつれて追い込まれていく大毅。
どうにもならなくなった大毅は、「内藤を持ち上げて投げる」という、反則行為をしてしまう。
そして試合は大毅の負け。
試合後、反則行為やビッグマウスなどの影響で、世間から大バッシングを受けることになる。
後日おこなわれた謝罪会見で、大毅は何もしゃべることができなかった。そして体調不良のため2分ほどで退席。
病院で「うつ状態」だと診断された。
その後もマスコミが家に殺到したり、過去の発言もさかのぼってバッシングされた。
さらには仲の良かったスタッフにさえも、手のひら返しでバッシングされたという。
これらの騒動の結果、1年間のプロボクシングのライセンス停止という処分を受けることになった。
大毅は内藤の自宅に直接謝罪に行った。
そこで内藤はこんなことを言っていたという。
『大毅くんのおかげで俺も注目してもらえた。またスパーリングでもしよう』
器の大きい対応である。
大阪での潜伏生活を経て、ボクサーとして復帰することになった大毅。まずは復帰会見をすることになった。
しかし、毛皮のコートを着て復帰会見に現れた大毅を見て、世間は『こいつ反省してないな』と感じた。
なぜ毛皮のコートを着て行ったのか?
それには理由があった。
同時期に相撲の朝青龍もバッシングを受けていたのだが、その朝青龍が毛皮のコートを着ているのを見て、『俺も毛皮を着よう』と思ったという。
大毅は朝青龍が好きらしい。
世間から大きく嫌われてしまった大毅。
世界チャンピオンになって世間を見返したいという気持ちがわいてきた。
また、「三兄弟世界チャンピオン」という父と兄弟の夢を現実にするため、トレーニングに打ち込んだ。
その結果、2010年。WBA世界フライ級王座を獲得。
そして2013年。三兄弟同時世界チャンピオンとなり、ギネス記録として認定された。
大毅はボクシングをやめようと思った。
ただ、最後に観客が熱狂するような試合をしたいと思い、メキシコで練習に打ち込んだ。
そこで大毅は、生まれて初めてボクシングを好きになれた。
好きになって練習に打ち込んだら、グングン成長した。
そして大きな試合が決まりかけた矢先に、事件が起こる。
日を追うごとに視界が狭くなっていく左目。最初は疲れているだけだと思っていたが、一向に回復しないため、日本に帰国し検査。網膜剥離と診断される。
手術をし、ある程度は回復したため、試合に挑むことになった。
しかし、試合直前の控え室にて、「右目も見えなくなるかもしれない」という恐怖に襲われた。
生まれて初めて試合を怖いと感じた。
試合後、引退を決意した大毅。
父は言った。
『全然ダメだったお前が、世界チャンピオンにまでなった。ようがんばったな』
本当の強さとは、弱い自分を受け入れること。
あなたの夢は、家族など他の誰かの夢でもある。
調子に乗って虚勢を張らずに、地道に努力することが大切である。
三兄弟の中では落ちこぼれだったと言っていますが、兄と弟が天才だったため、比較すると落ちこぼれに見えるということかもしれません。
世界チャンピオンにまでなったわけですから、ただの凡人ってことはないでしょう。
父と兄弟の夢のために、大嫌いなボクシングをやり続けた大毅さん。
なかなかできることではないと思います。
「誰かのために」
そんな状況でこそ、人は大きな力を発揮できるということかもしれません。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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亀田三兄弟の次男・大毅
亀田三兄弟は、ボクシング界で史上初となる「三兄弟世界チャンピオン」を目指す兄弟として、2000年代に注目を集めていた。
今回の講師である亀田大毅のしくじりは、「調子に乗りすぎて国民に嫌われた」ということである。
三兄弟の落ちこぼれ
幼少期は空手をやっていた大毅。11歳からはボクシングを始めた。
父の指導のもと、兄・興毅(こうき)や弟・和毅(ともき)と共にトレーニングをしていた。
しかし、三兄弟の中で大毅は落ちこぼれになってしまった。
兄や弟が一日で身につけられることが大毅は1週間かかったり、砂浜ランニングで自分だけついていけなかったり・・・
父からは『なんでお前だけできないんだ』と言われ、自分の才能の無さを思い知らされる毎日。
「兄に追いつけ、弟に抜かれるな」という、次男特有のプレッシャーに苦しめられる。
ボクシングが大嫌いになり、もう辞めたいと思っていたのだが・・・
「父と兄弟の夢を潰したくない」
その想いがあったため、なんとか踏みとどまっていた。
プロデビュー戦
17歳でプロテストに合格した大毅。
兄の興毅はすでにプロボクサーとして活躍していたため、「亀田興毅の弟」として注目されていた。
『兄のプロデビュー戦は1ラウンド44秒でKO勝利。さて、弟は?』
そんな風に注目され、追い込まれた大毅は、「どうにでもなれ」と開き直った。そして、
「プロデビュー戦で、兄のKO記録を超える」ことを宣言した。
そして大毅のプロデビュー戦の結果は・・・
1ラウンド23秒でKO勝利。周囲からベタ褒めされた。
「亀田興毅の弟」という扱いだったのが、「亀田大毅」個人として扱われるようになった。
しかしこれにより、大毅は調子に乗り始めてしまう。
ビッグマウス発言、ド派手なファッションなど、目立つ行動が増えた。
亀田大毅 vs 内藤大助
デビュー戦から10連勝した大毅。当時世界チャンピオンだった内藤大助に挑戦する権利を得た。
試合をすることが決まると、試合前からビッグマウスで内藤に対する暴言を吐いていた。
そして試合。チャンピオンは強かった。
ラウンドが進むにつれて追い込まれていく大毅。
どうにもならなくなった大毅は、「内藤を持ち上げて投げる」という、反則行為をしてしまう。
そして試合は大毅の負け。
試合後、反則行為やビッグマウスなどの影響で、世間から大バッシングを受けることになる。
謝罪会見
後日おこなわれた謝罪会見で、大毅は何もしゃべることができなかった。そして体調不良のため2分ほどで退席。
病院で「うつ状態」だと診断された。
その後もマスコミが家に殺到したり、過去の発言もさかのぼってバッシングされた。
さらには仲の良かったスタッフにさえも、手のひら返しでバッシングされたという。
これらの騒動の結果、1年間のプロボクシングのライセンス停止という処分を受けることになった。
内藤に直接謝罪
大毅は内藤の自宅に直接謝罪に行った。
そこで内藤はこんなことを言っていたという。
『大毅くんのおかげで俺も注目してもらえた。またスパーリングでもしよう』
器の大きい対応である。
復帰会見
大阪での潜伏生活を経て、ボクサーとして復帰することになった大毅。まずは復帰会見をすることになった。
しかし、毛皮のコートを着て復帰会見に現れた大毅を見て、世間は『こいつ反省してないな』と感じた。
なぜ毛皮のコートを着て行ったのか?
それには理由があった。
同時期に相撲の朝青龍もバッシングを受けていたのだが、その朝青龍が毛皮のコートを着ているのを見て、『俺も毛皮を着よう』と思ったという。
大毅は朝青龍が好きらしい。
世界チャンピオンを目指して
世間から大きく嫌われてしまった大毅。
世界チャンピオンになって世間を見返したいという気持ちがわいてきた。
また、「三兄弟世界チャンピオン」という父と兄弟の夢を現実にするため、トレーニングに打ち込んだ。
その結果、2010年。WBA世界フライ級王座を獲得。
そして2013年。三兄弟同時世界チャンピオンとなり、ギネス記録として認定された。
夢を叶えた、その後
大毅はボクシングをやめようと思った。
ただ、最後に観客が熱狂するような試合をしたいと思い、メキシコで練習に打ち込んだ。
そこで大毅は、生まれて初めてボクシングを好きになれた。
好きになって練習に打ち込んだら、グングン成長した。
そして大きな試合が決まりかけた矢先に、事件が起こる。
左目の網膜剥離(もうまくはくり)
日を追うごとに視界が狭くなっていく左目。最初は疲れているだけだと思っていたが、一向に回復しないため、日本に帰国し検査。網膜剥離と診断される。
手術をし、ある程度は回復したため、試合に挑むことになった。
しかし、試合直前の控え室にて、「右目も見えなくなるかもしれない」という恐怖に襲われた。
生まれて初めて試合を怖いと感じた。
引退を決意
試合後、引退を決意した大毅。
父は言った。
『全然ダメだったお前が、世界チャンピオンにまでなった。ようがんばったな』
大毅の想い
本当の強さとは、弱い自分を受け入れること。
あなたの夢は、家族など他の誰かの夢でもある。
調子に乗って虚勢を張らずに、地道に努力することが大切である。
まとめ
三兄弟の中では落ちこぼれだったと言っていますが、兄と弟が天才だったため、比較すると落ちこぼれに見えるということかもしれません。
世界チャンピオンにまでなったわけですから、ただの凡人ってことはないでしょう。
父と兄弟の夢のために、大嫌いなボクシングをやり続けた大毅さん。
なかなかできることではないと思います。
「誰かのために」
そんな状況でこそ、人は大きな力を発揮できるということかもしれません。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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2016年02月17日
ギャンブル依存症。元力士・貴闘力のしくじり (しくじり先生)
しくじり先生に元力士・貴闘力(たかとうりき)さんが講師として登場しました。それについて書きます。
貴闘力が力士だった頃、世間は相撲ブームだった。
若乃花、貴乃花の人気が大きかったようで、TV放送の視聴率が40%を超えることもあったという。
その流れに乗り、貴闘力も活躍していた。
彼は相撲が好きだった。しかし、その相撲と同じくらい好きなものがあった。
それはギャンブルである。
競輪、競馬、競艇、カジノ・・・。様々なギャンブルをやり、つぎ込んだお金は5億円にものぼるという。
彼のしくじりは、「ギャンブルにハマって相撲人生を台無しにしてしまったこと」である。
貴闘力がまだ若手力士だったある日、先輩に『競馬の馬券を買ってきてくれ』と頼まれた。
馬券売り場に行き、先輩に頼まれた馬券と、ついでに自分の分の馬券も買った。
すると、自分用に買った馬券が当たり、5千円が40万円になった。
「楽してお金を得られる」という経験をしてしまった彼は、ギャンブルにのめり込んでいく・・・
相撲の巡業でオーストラリアに行ったときのこと。
すでにギャンブル依存症となっていた貴闘力は、カジノで1300万円をつぎ込み、負ける。
そして、一緒に巡業に来ていた仲間たちからお金をかき集めて、再びカジノで勝負するが、1200万円も負けてしまう。
この時点で2500万円の損失。このままでは引き下がれない。
しかし、当然ながら仲間たちはもうお金を貸してくれない。
貴闘力は、若手力士が持っていた5万円を無理やり借りた。
若手力士が母親にお土産を買うために持ってきていたお金だったのだが・・・
ギャンブルのこととなると阿修羅のように豹変する貴闘力の前では、そんな話は通じない。
『お土産なんかあとで買ってやる』と言い、その5万円をカジノに突っ込んだ。
そして・・・
その5万円が8000万円になった。
2500万円の損失を差し引いて、結果的に5500万円の勝ちということになった。
貴闘力は、元横綱・大鵬の娘と結婚したため、大鵬が義理の父ということになる。
大鵬は、貴闘力がギャンブルにのめり込みすぎて借金を抱えていることを心配し、ギャンブルをやめてくれと頼んだ。
そして大鵬は銀行からお金を借り、貴闘力の借金を返済した。
それをきっかけに、貴闘力はギャンブルをやめた。
しかし、不眠、幻視、異常な発汗、手の震えなど、禁断症状が出始める。
結局、やめていたのは1年ほどで、またギャンブルを始めてしまう。
貴闘力は35歳で相撲の現役を引退した。
引退を期に、ギャンブルでつくった借金を清算した。
しかしその後、野球賭博(違法)に手を出し、日本相撲協会を解雇されてしまう。
ギャンブルが原因で家族や相撲ファンを裏切り、迷惑をかけてしまった貴闘力。離婚をして家族もバラバラになっていまった。
しかし、離婚後も大鵬は貴闘力の事を心配し、時々電話をかけていたという。
そんな大鵬が亡くなったとき、貴闘力は葬儀に行けなかった。
葬儀には相撲関係者などがたくさん来るため、相撲協会を解雇されている貴闘力は行きづらかったようだ。
相撲に関わることができない貴闘力は、焼肉屋を始めた。
その店が、自分のように人生に失敗した人の受け皿になれたら、という思いもあるようだ。
焼肉屋を始めて1年ほど経ったころ。
従業員の給料になるはずのお金を使って、ギャンブルをしてしまった。
そのギャンブルでお金を失い、給料が支払えなくなってしまった。
銀行や知人に土下座してお金を工面して、一応なんとかなったようだが・・・。
この一件で大きく反省し、それ以来ギャンブルはしていないという。
貴闘力は現在、1日16時間働いている。
無理やり忙しくして時間をなくし、なおかつ、お金を持たないようにしている。
そうやって、ギャンブルができない状況にしているようだ。
店を経営するということは、他の従業員の人生を預かっているということ。
責任を持って生きなければならないということを痛感したようだ。
貴闘力は語る。
『ギャンブル依存症の人には、お金を貸さないのが優しさ』
『借金や、生活を壊してまでやるのはダメ』
『負けても笑える金額にすべき』
ギャンブル依存症の人は結構たくさんいるようです。
今回の放送によると、536万人いるとのことでした。
主婦の人が結構多いらしいです。
ギャンブル自体がダメというより、借金をしてまでのめり込むから人生がおかしくなっていくのではないかという気がします。
お金というのは良くも悪くも大きな力があるものです。
うまく付き合わないと、大変なことになります。
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貴闘力のしくじりとは?
貴闘力が力士だった頃、世間は相撲ブームだった。
若乃花、貴乃花の人気が大きかったようで、TV放送の視聴率が40%を超えることもあったという。
その流れに乗り、貴闘力も活躍していた。
彼は相撲が好きだった。しかし、その相撲と同じくらい好きなものがあった。
それはギャンブルである。
競輪、競馬、競艇、カジノ・・・。様々なギャンブルをやり、つぎ込んだお金は5億円にものぼるという。
彼のしくじりは、「ギャンブルにハマって相撲人生を台無しにしてしまったこと」である。
ギャンブルを始めたきっかけ
貴闘力がまだ若手力士だったある日、先輩に『競馬の馬券を買ってきてくれ』と頼まれた。
馬券売り場に行き、先輩に頼まれた馬券と、ついでに自分の分の馬券も買った。
すると、自分用に買った馬券が当たり、5千円が40万円になった。
「楽してお金を得られる」という経験をしてしまった彼は、ギャンブルにのめり込んでいく・・・
オーストラリアのカジノで5500万円勝ち
相撲の巡業でオーストラリアに行ったときのこと。
すでにギャンブル依存症となっていた貴闘力は、カジノで1300万円をつぎ込み、負ける。
そして、一緒に巡業に来ていた仲間たちからお金をかき集めて、再びカジノで勝負するが、1200万円も負けてしまう。
この時点で2500万円の損失。このままでは引き下がれない。
しかし、当然ながら仲間たちはもうお金を貸してくれない。
貴闘力は、若手力士が持っていた5万円を無理やり借りた。
若手力士が母親にお土産を買うために持ってきていたお金だったのだが・・・
ギャンブルのこととなると阿修羅のように豹変する貴闘力の前では、そんな話は通じない。
『お土産なんかあとで買ってやる』と言い、その5万円をカジノに突っ込んだ。
そして・・・
その5万円が8000万円になった。
2500万円の損失を差し引いて、結果的に5500万円の勝ちということになった。
ギャンブルをやめる・その1
貴闘力は、元横綱・大鵬の娘と結婚したため、大鵬が義理の父ということになる。
大鵬は、貴闘力がギャンブルにのめり込みすぎて借金を抱えていることを心配し、ギャンブルをやめてくれと頼んだ。
そして大鵬は銀行からお金を借り、貴闘力の借金を返済した。
それをきっかけに、貴闘力はギャンブルをやめた。
しかし、不眠、幻視、異常な発汗、手の震えなど、禁断症状が出始める。
結局、やめていたのは1年ほどで、またギャンブルを始めてしまう。
ギャンブルをやめる・その2
貴闘力は35歳で相撲の現役を引退した。
引退を期に、ギャンブルでつくった借金を清算した。
しかしその後、野球賭博(違法)に手を出し、日本相撲協会を解雇されてしまう。
義理の父・大鵬
ギャンブルが原因で家族や相撲ファンを裏切り、迷惑をかけてしまった貴闘力。離婚をして家族もバラバラになっていまった。
しかし、離婚後も大鵬は貴闘力の事を心配し、時々電話をかけていたという。
そんな大鵬が亡くなったとき、貴闘力は葬儀に行けなかった。
葬儀には相撲関係者などがたくさん来るため、相撲協会を解雇されている貴闘力は行きづらかったようだ。
再起の一歩・焼肉屋
相撲に関わることができない貴闘力は、焼肉屋を始めた。
その店が、自分のように人生に失敗した人の受け皿になれたら、という思いもあるようだ。
焼肉屋を始めて1年ほど経ったころ。
従業員の給料になるはずのお金を使って、ギャンブルをしてしまった。
そのギャンブルでお金を失い、給料が支払えなくなってしまった。
銀行や知人に土下座してお金を工面して、一応なんとかなったようだが・・・。
この一件で大きく反省し、それ以来ギャンブルはしていないという。
現在の貴闘力
貴闘力は現在、1日16時間働いている。
無理やり忙しくして時間をなくし、なおかつ、お金を持たないようにしている。
そうやって、ギャンブルができない状況にしているようだ。
店を経営するということは、他の従業員の人生を預かっているということ。
責任を持って生きなければならないということを痛感したようだ。
貴闘力は語る。
『ギャンブル依存症の人には、お金を貸さないのが優しさ』
『借金や、生活を壊してまでやるのはダメ』
『負けても笑える金額にすべき』
まとめ
ギャンブル依存症の人は結構たくさんいるようです。
今回の放送によると、536万人いるとのことでした。
主婦の人が結構多いらしいです。
ギャンブル自体がダメというより、借金をしてまでのめり込むから人生がおかしくなっていくのではないかという気がします。
お金というのは良くも悪くも大きな力があるものです。
うまく付き合わないと、大変なことになります。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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2016年02月11日
無気力人間・見栄晴 (しくじり先生)
しくじり先生に見栄晴さんが講師として登場しました。それについて書きます。
現在49歳の見栄晴。
彼は、人生で一度も夢や希望を持ったことがないという。
しかし、生まれた時から完全な無気力人間だったわけではない。
子どものころからの色々な経験が、彼を無気力人間へと変貌させたのである。
彼は子どものころ劇団に所属し、子役として芸能活動をしていた。
そのころは、簡単ではあるがセリフのある役をもらったりしていた。
普通の少年が子役俳優として認められる
↓
自分に自信を持つ
↓
やる気が出る
という流れに乗っており、無気力ではなかった。
ところが、ある子役俳優と出会い、流れが変わる。
坂上忍である。
坂上は子役俳優としての格が違った。主役級の役柄をこなす彼を見て、見栄晴は、『がんばっても勝てないな』と思った。
やる気が出た途端に、やる気を削がれた。
そして、『本気を出していないから、負けてもいい』などと言い訳するようになった。
ある時、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」という番組の、見栄晴役オーディションがあった。
見栄晴は当初、そのオーディションには参加していなかったが、番組プロデューサーが彼を見て、『見栄晴人形に似ている』と感じたことにより、彼を最終審査に呼んだ。
そして最終審査。彼ともう1人の候補者がじゃんけんをして、勝った見栄晴がオーディションに合格した。
見栄晴はこのことから、『結局世の中は、運だ』と思った。
努力してがんばった人より、運が強い人が勝利する。
この現実を目の当たりにし、努力してがんばることを鼻で笑うようになった。
オーディションに合格した見栄晴を、萩本欽一(通称・大将)がプロデュースし、見栄晴は一躍人気者になった。しかし、
大将の指示通りにやる
↓
笑いがとれる
↓
人気者になる
↓
指示待ち人間になる
という構図が出来上がり、自分ひとりでは何もできないようになってしまう。
そして番組を2年で卒業。そのとき、高校を卒業する年でもあった。
大将に、『大学に行って、一生付き合える友達を見つけたらどうか?』と言われて、大学受験をすることにした見栄晴。
4つの大学の試験を受けたという。
・受験1校目
1教科目の試験を受けた時点でダメだと判断し、すぐに帰宅。
・受験2校目
受験会場に行き、他の受験者を見て、『勝てない』と判断し、1教科も受けずに帰宅。
このような状況にもかかわらず、合格発表は見に行ったという。
自分は運が良いから、何かの間違いで合格するかも、と考えたらしい。
当然、合格はしていない。
・受験3校目、4校目
日本史で受験するために勉強していたが、試験問題が筆記試験だったため、マークシート方式の化学で試験を受けることにした。マークシートには自信があったらしい。
そして、合格したという。
やはり運は良いということか。
大学に入学したものの、学びたいことがあるわけでもなく、授業を受けずに毎日パチンコに行っていたという。
大将に『行け』と言われたから行っただけ、という感覚だったらしい。
結局、1年半で自主退学。
その後、週5でバイトをし、ギャンブルに明け暮れるという生活を送っていた。
ギャンブルに明け暮れ、気づくと200万円の借金を抱えていた。
それに気づいた母親が、全額返済してくれたという。
しかしギャンブルはやめられず、数年後、500万円の借金を抱えることになる。
それが母にバレた時、金属バットで尻を叩かれたらしい。
なんだかんだ色々あったが、2007年に結婚し、子どもが生まれた見栄晴。
子どもを育てていく中で、『無気力はダメだ』と気づいた。そして、
『これからはお世話になった人へ恩返しをしたい』
『自分のためではなく、誰かのために』
と考えるようになった。
「運が良い」というのは、良いことのように思えます。
しかし、運が良いことに甘えて努力をせずにいると、人間はどんどんダメになっていくということでしょうか。
昇るのには努力と時間が必要ですが、堕落するのは簡単です。
気持ちを引き締めていきましょう。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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無気力人間・見栄晴
現在49歳の見栄晴。
彼は、人生で一度も夢や希望を持ったことがないという。
しかし、生まれた時から完全な無気力人間だったわけではない。
子どものころからの色々な経験が、彼を無気力人間へと変貌させたのである。
子役時代
彼は子どものころ劇団に所属し、子役として芸能活動をしていた。
そのころは、簡単ではあるがセリフのある役をもらったりしていた。
普通の少年が子役俳優として認められる
↓
自分に自信を持つ
↓
やる気が出る
という流れに乗っており、無気力ではなかった。
ところが、ある子役俳優と出会い、流れが変わる。
坂上忍である。
坂上は子役俳優としての格が違った。主役級の役柄をこなす彼を見て、見栄晴は、『がんばっても勝てないな』と思った。
やる気が出た途端に、やる気を削がれた。
そして、『本気を出していないから、負けてもいい』などと言い訳するようになった。
欽どこ オーディションにて
ある時、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」という番組の、見栄晴役オーディションがあった。
見栄晴は当初、そのオーディションには参加していなかったが、番組プロデューサーが彼を見て、『見栄晴人形に似ている』と感じたことにより、彼を最終審査に呼んだ。
そして最終審査。彼ともう1人の候補者がじゃんけんをして、勝った見栄晴がオーディションに合格した。
見栄晴はこのことから、『結局世の中は、運だ』と思った。
努力してがんばった人より、運が強い人が勝利する。
この現実を目の当たりにし、努力してがんばることを鼻で笑うようになった。
大将・萩本欽一
オーディションに合格した見栄晴を、萩本欽一(通称・大将)がプロデュースし、見栄晴は一躍人気者になった。しかし、
大将の指示通りにやる
↓
笑いがとれる
↓
人気者になる
↓
指示待ち人間になる
という構図が出来上がり、自分ひとりでは何もできないようになってしまう。
そして番組を2年で卒業。そのとき、高校を卒業する年でもあった。
大学受験
大将に、『大学に行って、一生付き合える友達を見つけたらどうか?』と言われて、大学受験をすることにした見栄晴。
4つの大学の試験を受けたという。
・受験1校目
1教科目の試験を受けた時点でダメだと判断し、すぐに帰宅。
・受験2校目
受験会場に行き、他の受験者を見て、『勝てない』と判断し、1教科も受けずに帰宅。
このような状況にもかかわらず、合格発表は見に行ったという。
自分は運が良いから、何かの間違いで合格するかも、と考えたらしい。
当然、合格はしていない。
・受験3校目、4校目
日本史で受験するために勉強していたが、試験問題が筆記試験だったため、マークシート方式の化学で試験を受けることにした。マークシートには自信があったらしい。
そして、合格したという。
やはり運は良いということか。
大学に入学したものの・・・
大学に入学したものの、学びたいことがあるわけでもなく、授業を受けずに毎日パチンコに行っていたという。
大将に『行け』と言われたから行っただけ、という感覚だったらしい。
結局、1年半で自主退学。
その後、週5でバイトをし、ギャンブルに明け暮れるという生活を送っていた。
ギャンブルで借金700万
ギャンブルに明け暮れ、気づくと200万円の借金を抱えていた。
それに気づいた母親が、全額返済してくれたという。
しかしギャンブルはやめられず、数年後、500万円の借金を抱えることになる。
それが母にバレた時、金属バットで尻を叩かれたらしい。
子どもを育てて気づいたこと
なんだかんだ色々あったが、2007年に結婚し、子どもが生まれた見栄晴。
子どもを育てていく中で、『無気力はダメだ』と気づいた。そして、
『これからはお世話になった人へ恩返しをしたい』
『自分のためではなく、誰かのために』
と考えるようになった。
まとめ
「運が良い」というのは、良いことのように思えます。
しかし、運が良いことに甘えて努力をせずにいると、人間はどんどんダメになっていくということでしょうか。
昇るのには努力と時間が必要ですが、堕落するのは簡単です。
気持ちを引き締めていきましょう。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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