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丸八屋
丸八屋です。 ご贔屓にあずかり有難うございます。 新鮮で甘みのある情報をお届けします。
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2008年10月27日
マスダール・シティ
日本は低炭素社会への転換の方法として、自然エネルギーの発電量を増やしたり、新技術を開発することや、次世代自動車に移行していくことなどが目標となっています。

ところがその日本の戦略に最も欠けているのが、バックキャスティングという考え方です。

バックキャスティングとは簡単に言えば、「あるべき姿」を明確にして、それに向かうロードマップを描くことです。
 
目標を決めて、それに向かっていくことは同じなのですが、
その目標をAS-IS(現在)の問題を解決しようとするか、TO-BE(なりたい姿)を描いて、それに向かっていくかの違いです。

日本では2050年にどういう都市が必要なのか、どういう暮らしっぷりになっているのかまだ明確になっていません。

ところがすでに世界では「あるべき都市」が計画され、作られ始めています。

その中でも特筆すべきものの一つが「マスダール・シティ」です。


■ゼロ・カーボン・エミッション・シティ
--------------------------------------

マスダール・シティはUAE(アラブ首長国連邦)に計画され、年初から建設が開始され始めています。

マスダール・シティはゼロ・カーボン・エミッション、つまり、
二酸化炭素排出がゼロとなることを目標として計画されています。

 二酸化炭素の排出をゼロにするために、
 (1)自動車の無い都市
 (2)自然エネルギーを最大限利用
 (3)ごみの完全リサイクル
 (4)廃熱利用
 (5)水の循環利用

などの特徴があります。

マスダール・シティはアブダビの郊外、およそ6.5km2のエリアに 5万人が住む都市として計画されています。

まず自動車の無い都市とするために、人口密度の高い住宅構造とし、どの家からも半径200m以内に公共交通手段の駅を用意しています。

公共交通には電動自動車や長距離移動用のLRT(Light Rail Train)が準備され、道路は実質的に歩行者のものとなるようです。

さらに電動外部からの自動車の乗り入れも禁止し、まちの入り口にビジター用のパーキングが準備されています。
 
砂漠地域の建設ですから、灼熱の大地とどう共生するかと言うことが問題ですが、エネルギー源には潤沢な太陽光発電や風力発電をつかい、都市の郊外のプランテーションで作られるバイオ燃料、太陽熱を集熱して得られるお湯、廃棄ごみの燃焼で得られる熱を再利用し、さらに、地熱ヒートポンプによって、地下の冷気が冷房に使われます。

風の通り道についても考えられており、海からの冷気を取り込み、砂漠からの熱風を遮るように方向や住宅が設計されています。

まさに、地球環境へのストレスを小さくし、持続可能な都市として、私たちが将来目指すべき都市像を作り上げようとしているのです。


■当然、問題点や懸念はある
--------------------------

もちろん、このマスダールシティにはいろいろな問題があります。

都市の開発費は2兆円を超えますが、その金はオイルマネーです。
 
温暖化を助長する石油を汲み取って得られた金で、地球環境と共生する持続可能な都市をつくるということには、大きな矛盾があります。

さらに、計画されていることは都市のハードウェア的な部分だけで、ソフトウェア的なことには目を向けられていません。

ソフトウェア的とは、そこで生活する人のライフスタイルです。

いくら都市がカーボン・ニュートラルでも、中で住む人が海外からの輸入食品や輸入製品を使っていれば、都市の中で二酸化炭素はでていなくても、外での排出を助長していることになります。

また、この都市の隣には、空港が計画されています。

中での交通に最大限の注意を払っているのに、外にエネルギー消費の大きい空港や航空機があることも矛盾を感じます。

 
■それでも要注目のマスダール
----------------------------

しかし、このような問題を考えても、この壮大な実験都市をつくる意義は大きいのではないでしょうか?

日本でこのようなことをしようとしても、場所にも費用にも困るでしょう。

潤沢なお金を使って、世界中の技術を呼び込み、人類の目指すべき姿を 一つの形としてつくり、実験してくれるのです。

「あるべき姿」を描けない日本は、マスダール・シティに学ぶべきことが多い、と考えます。

(以上は「"あーす"を変える 〜エコな暮らしのススメ〜」メルマガ参照による)



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Posted by 丸八屋 at 10:55 | この記事のURL
2008年10月01日
50年前の10月1日
十月。神無月。
青空が澄みわたり、草木が色づく美しい季節。実りの秋。

今日から10月1日。
早いもので、今年も後2ヶ月。

今から50年前の1958年10月1日、NASA〔アメリカ航空宇宙局)が発足。旧ソ連とアメリカを巡る冷戦の産物として誕生した。

マーキュリー計画、ジェミニ計画、アポロ計画、バイキング計画、宇宙ステーションの建設、スペースシャトル、ハッブル宇宙望遠鏡、フリーダム計画など。

世界最大の宇宙開発機構NASAのこれらのプロジェクトは常に世界の宇宙開発をリードしてきた。そして、その成果としてのテクノロジートランスファーは到る所で私たちの日常生活に応用されている。

宇宙開発の副産物としての技術が現代社会を科学技術の側面から支えている訳である。

私の印象に強烈に残っているのは、1969年7月20日、イーグル号の月面着陸。アームストロング船長が残した「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と言う言葉は余りにも有名だ。

宇宙飛行士たちは宇宙で何を観、何を感じたのか。

余談だが、宇宙飛行士たちの心の痕跡に迫った著書、立花隆さんの「宇宙からの帰還」は興味深くて面白い。

NASAは今後どの様な計画を推進するのだろうか。人類は宇宙を何処まで解明できるのだろうか。

満天の星を眺めながら、秋の夜長に宇宙への想いを巡らすのも楽しいと思う。



Posted by 丸八屋 at 12:31 | この記事のURL
2008年09月21日
なでしこ隊が見送った特攻隊
ニュース以外、テレビを殆ど観ない私だが、昨夜偶々観たのが関西テレビ放映の「なでしこ隊が見送った特攻隊」。
複雑で重くて哀しい心境で観たのは私だけではないと拝察する。

特攻隊員とそれを見送る少女隊の交流を背景に、ある特攻隊員、その婚約者、そして少女隊としてその特攻隊員を見送った女性の心の葛藤を、インタビューも交えたドキュメンタリー風のドラマで良質な作品に仕上げていた。

特攻隊員の平均年齢は22歳。少女隊のそれは16歳。
長い歳月が経過した今、特攻隊員の元婚約者だった女性は84歳。少女隊で桜の花を振りながら涙をこらえて出撃を見送った少女だった女性は79歳。様々な事情で出撃できなかった元特攻隊員は85〜86歳。
何れの方々にも重い歳月であった筈である。

薩摩半島の知覧に陸軍の特攻基地があった。
今、基地跡の東隅に慰霊の特攻平和観音堂があり、特攻銅像がたち、さらに勇士の遺品を永久に保存するために、「知覧特攻平和会館」が建立されてる。

平和会館の入館者は一日千人を超えるそうだ。観光気分で入った入館者が、出撃前夜の手紙や日記、遺言や辞世の歌を詠むうちに目頭があつくなり、すすり泣くそうである。

私は未だ、「知覧特攻平和会館」を訪れていない。



Posted by 丸八屋 at 16:38 | この記事のURL
2008年09月18日
子供たちの夏休課題への疑問と提案
子供たちが夏休課題提出を終え、小学生や中学生の親御さんは、子供たちが先生からどの様な評価を貰っているのか、とそろそろ気がかりな頃であると推察する。

夏休み中の課題は、親子で取り組む事を前提としているならば、親の家庭内教育力を試されているようなものだと思う。これをどう受け止めるかは夫々の家庭の価値観である。

しかしながら、私は、小・中学校の先生方が、親子で取り組む事を前提に夏休課題を課すのであれば、課題の目的や意図、狙い、評価の基準、課題提出後のフィードバックを明確にした上で確りと親御さんにも伝えるべきだと考える。

断っておくが、夏休課題のみを採り上げているのであって、それ以外の課題に対してコメントを挟む積りは毛頭無い。

課題の中には、著名な学者の高度な抽象概念のエッセイを読ませ、評論させる問題もある。長文読解や抽象的思考を育む事は大切だが、大人が読んで評論するにも難しいエッセイが果たして中学生の国語の夏休課題に妥当かどうか。国語の先生はどの様な評価をするのか。

もしも、先生方が真剣に提出された課題に目を通し、夫々に評価基準に基いた評価を下し、分析・考察を加えた望ましい指導を子供たち(親御さん宛も含め)に提示するならば膨大な時間を要するであろう。

私の過去の経験を記したい。

私の娘2人が小学4〜5年生の頃だったと思う。夏休の課題に理科の自由課題が出された。ヒントは色々書かれているが、与件と意図、狙い、評価基準などは無い。

それで、私は上の娘に「水を巡る旅」、下の娘に「雲の研究」と言うテーマを与えた。勿論、与件と指導ポイントを設定した。

「水を巡る旅」は、水源地から河口までのフィールドワークである。与件の基に観察・発見・感動した事を撮影やスケッチし、レポートに纏めた上でこれを水の精になった積りで語ると言うものである。

「雲の研究」は撮影やスケッチを伴った毎日の定点観測である。

これらの夏休課題を指導するには、10日程が必要だった。子供と楽しみながらの指導であったから、私も得るものがあったのだが・・・。

二人とも市の理科展の優秀賞を受賞したのだが、その受賞理由も課題の評価に対するコメントも、残念ながら担当の先生からは頂けなかった。

「理科展を観に来れば分かりますよ」と言う意味だろうか。それでは理科展に入賞しなかった子供たちはどうなるのか。

前述した様に、親子で取り組む事を前提に夏休課題を課すのであれば、担当の先生は、課題の目的や意図、狙い、評価の基準、課題提出後のフィードバックを確りと親御さんにも伝えるべきだと私は思うのである。

それらが成されないのならば、果たして夏休の課題は意味があるのだろうか。親の教育力が試されているようなものではないか。

せめて、夏休位は子供たちを自由に解き放してあげても良いのではなかろうか。




Posted by 丸八屋 at 11:32 | この記事のURL
2008年08月25日
無償の精神学ぶ意義語る

産経新聞平成20年8月25日(月)より記事を紹介。


明治23年に和歌山県串本町沖でトルコ軍艦が遭難、乗組員役70人を救った「エルトゥールル号」事件について考えるシンポジウム「トルコ軍艦”エルトゥールル号”遭難事件と日本人」(新しい歴史教科書を作る会主催)が24日、大阪市中央区で開かれた。


***中略***


串本町の田島勝正元町長は、乗組員たちを治療した医師たちが、政府の治療費料精算の通達に対して「治療費は遭難者への”義捐”にあててほしい」と申し出た書面を町内の寺の金庫から見つけ、祖先たちの無償の精神に感動したと言うエピソーゾを披露。


***後略***


エルトゥールル号事件の概要


以前にもこのブログに綴った事がありますが、再度、「エルトゥールル号事件」の概要を以下に示します。



今から118年前、1890年(明治23年)のことです。

 親善のために日本を訪れたオスマン帝国(現在のトルコ)海軍のエルトゥールル号は、帰国の途、1890年(明治23年)9月16日夜半、折からの台風による強風にあおられ、紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突。座礁したエルトゥールル号は機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし、沈没しました。これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする587名が死亡または行方不明になる大惨事となりました。

そして、樫野崎灯台の下に流れ着いた生存者は、数十メートルの断崖を這い登って灯台に遭難を知らせました。灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たりました。この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は、浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、献身的に生存者たちの回復に努めました。この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還することができたのです。

地元大島村(現串本町)の人々がトルコ人の遭難者に温かい対応を行ったこと、これが日本とトルコの友好の始まりとして有名なエピソードになっています。

トルコ記念館はこの出来事を記念し、1974年に遭難現場の側の串本町の大島に建設されました。2階展望台からはエルトゥールル号が座礁した地点を見ることができます。


***********************************************************************


紀伊半島の最南端に位地する串本町大島。私は幾度もこの地を訪れますが、その都度新たな発見や感動があります。


串本町大島の樫野崎灯台などに関しては



http://www.geocities.jp/seoto_kisyuu/index03_ad31.html






Posted by 丸八屋 at 12:29 | この記事のURL
2008年07月05日
可愛い 可愛そう 許してください

産経新聞7月5日朝刊に 「ペット店でもらったけど すごい食欲 飼う自信ない」 の見出しで記事がありました。


以下に新聞の記事を要約します。


ペットショップから譲り受けたブタを公園に捨てたとして、大阪府警曽根崎所は4日、動物愛護保護法違反容疑で男性会社員(29)を書類送検した。


会社員は、以前から通っていたペットショップで売れ残っていたブタ(雄ブタ 体長80cm)をペット用に譲り受けた。そして、自宅まで台車に載せて運ぼうとしたものの、疲れて立ち寄った公園にブタを放置した。


会社員は、


「可愛くて家で飼おうと思ったが、公園で草を食べるのを見ているとすごい食欲で、飼う自信が無くなった」


と供述している。


同署は、ブタの引き取り先を探している。.


***********************************************************


呆れた話です。”犬が○○すればニュースになる”と言う諺がありますが、”ブタが捨てられればニュースになる”です。”ブタも誉めれば木に登る”どころではありません。


新聞を読んでいて、一寸可笑しく、そして哀しくなりました。この青年がブタを台車に載せて運んでいる姿や公園での困惑した表情が浮かんで来ました。映画の1シーンの様です。


動物好きな心優しい青年なのでしょう。でも、行動が短絡的過ぎます。公園に捨てるのだったらペットショップに返せば良かったのに。


それに、家で簡単にブタを飼えると思ったのでしょう。 ブタは可愛いです。でも臭くて餌を沢山食べます。すぐに大きくなります。手に負えなくなります。青年に簡単にブタを譲ったペットショップも短絡的です。ブタを飼うことの困難さを青年に確りと説明したのでしょうか。


この様な事を綴っていると、私の娘が幼い頃を思い出しました。確か、幼稚園に入った頃の事です。


娘と近くの牧場に行きました。「牛を見たことが無い」と言うので、見せてやろうと思い、家族で牧場に出かけたのです。生まれたばかりの子牛が母牛と草を食べていました。娘は言いました。


「可愛いね、牛って、お父さん。でも人間は牛を殺して食べるんだから、牛さん可愛そう」


ある農耕民族、確か、日本人のルーツである農耕民族の人々の話だったと思いますが、文化人類学の雑誌に記事が載っていたと記憶していますので要約して紹介します。


家畜として飼育している牛が年を取り使えなくなった時、屠殺します。屠殺にはその役の持ち回りのルールがあって、役が回ってきた人は大変苦しみ、長い期間祈りを続けます。いよいよ牛との最後の別れです。牛は屠殺される事を感じ涙を流します。屠殺場に集まった人々は牛に感謝を込めて最後の食事をたらふく与えます。


「牛さん、どうか許して下さい、どうか私たちの勝手を許してください」


そう言いながら皆でひれ伏し、地面に頭をこすり付けて牛に詫びます。屠殺はその様な厳粛な儀式の基に行われます。






Posted by 丸八屋 at 13:10 | この記事のURL
2008年07月03日
新聞記事より 「心のあり方」

毎日新聞7月3日朝刊によりますと、


昨日の午後0時15分ごろ、福岡市天神で、14階建ての12回の庇に女性が座っているのが発見されたそうです。


消防署がはしご車を出し、30分後に救出。女性は38歳とのことです。


「みんな心配している」と消防署員。


「私のことなんか誰も心配してない」


やっとの事で女性のベルトを掴み、署員は命綱で女性とつないだそうです。


「あなたが落ちれば私も落ちる」


署員のこのことばに女性は観念したのか、じたばたしなくなり、無事に救出されたそうです。


人騒がせな事件です。女性は寂しかったのでしょう。哀しい事件です。


以前、私のブログに綴った茨城県の北浦中学校教諭小島秀和容疑者も、大阪駅通り魔事件の大山和歌容疑者も、この事件の女性も同じ38歳です。


そういえば、昨日の読売新聞は、「部活の女生徒にわいせつな行為 中学校教諭を懲戒免職」と報じていました。熊本市立中学校のこの男性教諭は35歳です。


30歳代の男女に何が起きているのでしょうか。


今の30歳代は病んでいるのか、狂っているのか? どの様な教育と躾を家庭と学校で受けてきたのか? 何を学んできたのか?と私は再び言いたくなるのです。


再度、読売新聞の記事です。


「想像を絶する残忍な事件、組織の不祥事、人として守るべきマナーの欠落。私たち日本人が本来持っていたはずの素晴らしい倫理観はどこへ行ってしまったのでしょうか」 各界の有識者16人が「日本人の心のあり方」を考える「心を育む総合フォーラム」(座長=山折哲雄・国際日本文化研究センター名誉教授)が、昨年1月にまとめた提言書に基づいていよいよ全国運動を展開することになった。


Posted by 丸八屋 at 16:04 | この記事のURL
2008年07月03日
居酒屋日記 「一冊の本」

重くて哀しい話ですので、書こうかどうかを迷っています。が、書きます。


このような時、ことばがある事、それを使って文章を書く事を、本当は辛く思います。


居酒屋”もみじ”は心優しい人々の集まりの場です。女将さんが一冊の本を私にこっそりと手渡してくれました。


「好かったら、読んでみて」


本の題名は「知覧特別攻撃隊」。サブタイトルとして、写真・遺書・日記・手紙・記録・名簿と記されています。編:村永薫、推薦:鹿児島県図書館協会・鹿児島県学校図書館協議会とあります。


特攻隊の事は従軍体験のある亡父からも聞いていましたので、少しは知っていました。膨大な戦争関連図書を読んでいた父の面影が浮かびますが、敢えて戦争の事は自ら 口にしませんでした。心の傷が深かったのでしょう。息子の私にはそれを知られたくなかったのでしょう。


本の冒頭、はじめに を紹介します。


薩摩半島の知覧に陸軍の特攻基地がありました。


いま基地跡の東隅に、慰霊の特攻平和観音堂があり、特攻銅像がたち、さらに勇士の遺品を永久に保存するために、知覧特攻平和会館が建立されています。そして千三十六柱の御霊のために、千三十六基の石灯篭の建立事業が進められています。


平和会館の入館者は一日千人をこえています。観光気分で入館した皆さんが、出撃前夜の手紙や日記、遺言や辞世の歌を詠むうちに目頭があつくなり、すすり泣く人もあり、可愛相にというこえも聞かれ、そして涙にむせんで館を後にします。平和会館は涙の出る館であり、涙をさそう館です。


基地の近くに住む私は、もう何十回となく足をはこび、そのたびに涙があふれてなりません。(後略)


                                                村永 薫


読んでいると、私も止めなく涙が流れます。一気に最後まで読み切る事ができません。それで、神坂次郎さんの著書・「特攻隊員の命の声が聞こえる」を買って来て交互に読んでいます。


自分の命と引き換えに、祖国を守ろうと敵艦に体当たり突撃をして散って行った二十歳前後の若者たち。戦争と言う絶望的な境涯の中で、命の尊厳を見事に結晶させた特攻隊員の日記や手紙、遺書は重くて哀しいです。心が震えます。


色々綴りたい事がありますが、今日は止めます。


Posted by 丸八屋 at 16:01 | この記事のURL
2008年07月03日
居酒屋日記 「ことばは難しい」

久々に”もみじ”へ。馴染みの居酒屋です。


何時も夕方の5時きっかりに暖簾が出ます。


夜の10時過ぎのことです。暖簾をくぐるなり、


「帰ったわよ、デイビッド、つい先ほど。待っていたのに」と女将さん。


「そう、残念やな、今日来るって聞いてたから」


「どうしたのよ、辞典なんか持って、2冊も。英語の勉強?」


「だって、英和辞典を持ってただろ、デイビッドは何時も。彼とコミュニケーションするには、僕にも必要だと思ってね」


デイビッドとはカナダ生まれの外人さん。40歳位のハンサムボーイです。この辺りでは、一寸した人気者だとか。日本語はかなり上手です。が、一寸したニュアンスを理解するには、英和辞典が必要らしい。何時もペラペラと捲っています。そして、必ず、


「スミマセン、カミ ト エンピツ、オネガイシマス」


デイビッドに尋ねたことがあります。「恋人は英語でLoverだろ?」って。違うそうです。恋人は「Sweet」だと。愛人は「Lover」だそうです。


”もみじ”で彼に2,3回出会っているのですが、てっきり牧師さんだと思っていました。何時も手にしている分厚い書物が聖書に見えたから。何時もそれをペラペラと捲るのは信仰深い牧師さんだと思ったから。それにしても、明るくて愉快な牧師さんだ、綺麗な女性を伴って居酒屋をハシゴとは、と思っていました。


ある時、女将さんに尋ねてみました。


「最近、牧師さんは来てる?」


「・・・・・・・・・」


「あのさあ、何時も、聖書を持っている外人さん、彼のことだよ」


「牧師さん?えっ、牧師さんと思ってたの、あ〜ら可笑しい、ハハハハハ〜。デイビッドよ、彼は、カナダ生まれのエンジニアよ」


その後、デイビッドと仲良しになりました。私を見つけると、大げさなジェスチャーで私を抱擁します。大柄な彼と小柄な私のそれは、”もみじ”のお客さんを楽しませるようです。


カウンターの上に2冊の辞典を置き、その様なことを思い出しながら焼酎を飲んでいると、


「ほう、クラウンですか、三省堂の。それに、旺文社の国語辞典じゃありませんか。懐かしいですなあ、随分使い込んでいますね」


だれかと思ったら、隣の角に座っていた初老のお客さん。見覚えがあります。


「あっ、先日はどうも。小松島のことでは失礼しました」と私。


「どれどれ、ほうほう、結構書き込んでますな、このクラウン。勉強熱心だったのでしょ」


と言いながら、勝手に手に取り眼鏡を上下させながらページを捲っています。


「いやいや、苦手でね、英語は。高校から使っている辞典ですが・・・」


「書き込みが多いわね、こちらにも。女性の名前ばかりだわ。勉強してたの、本当に?遊子(ゆうこ)とか案山子(あんやまこ)とか書いてあるじゃない?流石に今田勇子は無いけど」


と今度は国語辞典を広げた女将さん。


「遊ぶ子って書いて、遊子(ユウシ)って読むんですよ。案山子(あんやまこ)と書いてカガシ」


たわいない話で盛り上がりました。だんだんと酔いが回って来ました。デイビットに会ったら連れの女性のことを聞いてみようと思いました。


「Sweet or Lover ?」 と。ガールフレンドのニュアンスに近い英語ってなにって。



Posted by 丸八屋 at 15:58 | この記事のURL
2008年06月26日
このような凶悪事件に「共感」してどうする?

昨日、ブログに「事件から母親の存在を考える」のタイトルで綴った。秋葉原事件を採り上げたが、それに関連する週刊誌の記事をもう一つ紹介する。


それは週刊朝日7/4の「 酒鬼薔薇からアキバ事件まで 私たちは特別な世代だった 1982年生まれの衝撃 」である。既に読まれた方も多いと多いと思う。


記事の冒頭を紹介する。


”魔の17歳”と呼ばれた世代があった。8年前、「西鉄バスジャック事件」など立て続けに起きた少年事件の犯人と同じ1982(昭和57)年生まれのことである。そして、日本中に衝撃を与えた「酒鬼薔薇事件」も、今回の「アキバ」事件も犯人は皆、同い年だ。「他の世代とは違う」。そう語る同世代人たちの心の底に何があるのか----。


そして、世相の解説コメントを織り交ぜながら、この世代の何人かの男女の声を載せている。週刊朝日がこれらの人物に本当に取材したのか、いつ何処で取材したのかの疑問が残るものの、以下に同世代の声のいくつかを紹介する。(記事の中の世相の解説コメントは省略)


●「秋葉原の事件の犯人が私と同い年と聞いた時、なんだかわかる気がしたんです。82年生まれは”特別”な世代ですから」(関西出身の女性:26)


●私たちは”お試し”世代なんです。苦労はどの世代も一緒と言われるけど、私たちは小さい頃から事あるごとに[格差]に直面してきました。自分の力に振り回されることが多くて、どこかイライラしてた。受験も就職も[運河悪かったわね] [その世代、可哀想にね]で終わって何のフォローもない。色々試されてきたのに、(試した側は)何の責任も取っていない。信用しろと言われてもできないですよ」(上記と同じ関西出身の女性:26)


●「授業に追いつけなくて、塾や家庭教師があたりまえになった。でも、おカネがなくてそうできない家の子たちは落ちこぼれる一方だった。私たちは”実験台”として、試行錯誤の教育を受けてきたんです」(福岡県出身の男性)


●「[ローンはどうする] [あの子の家は大変みたい] なんて大人の事情を聞かされて、純粋な子供ではいられなかった」(福島県出身の女性)


●「ゲームの[スーパーマリオワールド]とか流行ったけれど、買える家と買えない家で大きく差が出て、友人関係にも影響が出ましたね。人のゲームを取り上げる子もいれば、仲間はずれにされる子もいた」(神奈川県出身の男性)


このように、同世代の男女の声が紹介されている。最後にこの記事は次のように結んでいる。


ついていない----加藤容疑者の歪んだ心を占めていたこの感情に「共感」する同世代は、決して少なくないようである。


さて、週刊朝日は一体何を言いたいのか。読者に何を伝えたいのか。世相の分析としては良いだろう。しかし、この記事の中には加藤容疑者の犯行の本質に迫り、その原因を追究しようとする姿勢など全く見当たらない。取材した同世代の男女の声の中にも、勿論それは無い。寧ろ、全て社会が悪いのだ、と言わんばかりの上で「共感」を呼ぼうとしているように私は受け止める。


「共感」と言う情緒的な言葉でこの凶悪な事件を記事にする事に、私はメディアに携わる人間の良識を疑いたくなる。




Posted by 丸八屋 at 16:26 | この記事のURL
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