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丸八屋
丸八屋です。 ご贔屓にあずかり有難うございます。 新鮮で甘みのある情報をお届けします。
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2008年04月29日
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Posted by 丸八屋 at 16:12 | この記事のURL
2008年04月29日
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Posted by 丸八屋 at 16:09 | この記事のURL
2008年04月29日
いっちんクラブ

堺自然ふれあいの森は、豊かな自然環境の残された17.2haの里山において、「森の学校」をテーマに、遊び・農・学習・食・散策など、人と里山との新しい関わり方を模索する場を目指している堺市の公園です。


いっちんクラブとは・・・


いっちんクラブは、「堺自然ふれあいの森」の管理運営に協力し、里山環境の保全や「森の学校」の実現に向けて取り組んでいます。また、公園の運営会議に参加し、公園運営の方策の設定に協働の主体として積極的に取り組んでいます。


※ 「いっちん」とは、シリブカガシ(樫の木)の堺市南区周辺の俗称です。


活動内容 


調査・研究・・・・・「学びながらデータを集積する」を目標に森の動植物の調査・研究を行い、森の整備計画に生かしています。また、来園者を対象とした観察会も行っています。[主な活動日:火曜日 (月2回)]


農作業体験・・・・農村風景の再現を目指し、田畑の管理や堆肥作りを行っています。また、来園者を対象とした田植えや収穫体験などを通して、自然とのつながりを感じてもらう活動をしています。[主な活動日:毎週木曜日]


クラフト教室・・・「自然クラフト教室」などの、主に自然工作のイベントを企画・実施しています。[主な活動日:第1日曜日]


樹林管理・・・・・整備計画に基づき、散策路や広場の整備を行っています。主に、立ち枯れた樹木の処理や適度な間伐などを行っています。[主な活動日:火曜日(月2回)]


環境学習・・・・・自然とふれあい、理解を深める学習活動をしています。来園者を対象とした「森の学習」などの解説活動など環境教育活動を行っています。[主な活動日:第3土曜日]


広 報・・・・・・・会員同士の情報交流を目指し、広報誌「あらかいしひろば」を発行しています。活動の様子やイベント報告など、四季の自然写真を織り込んで掲載しています。


全体活動・・・・毎月最終土曜日に、全員が一同に集まり、森の整備や農作業などの普段できない大人数での取り組みを行っています。会員相互の親睦を深め、会の目的を再確認する場にもなっています。


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お問合せ先


堺自然ふれあいの森(森の館)  〒590−0124 大阪府堺市南区畑1740番地


電話  072−290−0800   FAX  072−290−0811


ホームページ  http://www.sakai-fureainomori.jp


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Posted by 丸八屋 at 14:14 | この記事のURL
2008年04月26日
八軒家の今昔〜熊野街道のはじまリ〜

所用があり、大阪・天満橋に出かけた。


事を済ませ、街なかを散策しているうちに目に留まったのが永田屋昆布本店。


店頭にスタンドが設けられ、そこに並べられているものがある。手にとってみると、「八軒家の今昔〜熊野街道のはじまり〜」と題した小冊子だった。


永田屋の主人が自費制作し、無料で配布しているとのことである。主人からその経緯を直接伺いたかったが、店員さんとの短い会話の後、小冊子をいただくことにした。


因みに、店頭のすぐ右側に、大阪市顕彰史跡としての八軒家船着場石碑があリ、「八軒家船着場の跡」と刻まれている。


小冊子の中から一部を抜粋し、紹介する。


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このあたりは、上町台地の先端で、縄文時代は台地より東側は生駒山麓まで「河内潟」と呼ばれた内海で、「チヌの海」と呼ばれた大阪湾とは上町台地の先端でつながり、潮の流れが速く、ここから「浪速」の呼び名が生まれたといわれる。


弥生時代には海退と淀川と大和川の堆積で「河内潟」は「河内湖」から「河内平野」になり、仁徳天皇が淀川と大和川の合流地を改修しこのあたりは「難波掘江」と呼ばれた。古代の国際交流の港「難波津」の発祥地である。


飛鳥、奈良時代には国際交易も盛んで「難波堀江」の両岸には寺や貴族の荘が集まり、倉が建ち並び、また外国使節のための客館「難波館」の施設があった。行基がかけた「難波ノ橋」もこの辺りにあった。


平安時代には「渡辺ノ津」と呼ばれ、紀州熊野詣での上陸地であった。


豊臣時代には天神橋・天満橋がかけられた。


江戸時代には「八軒家」と呼ばれ、淀川を上がり下りの三十石船の発着場で賑わった場所である。


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この小冊子には、安藤広重の「八軒家船着場の図」や「淀川三十石船の図」、歌川國員の「八軒家夕景」や「天満ばし風景」など、当時の様子が描かれたヴィジュアル資料もふんだんに盛り込まれている。


小冊子は店の宣伝も兼ねているのだろう。それにしても、コンパクトながら内容が濃く、上手に纏められている。自分が帰属する地域社会の誇りを伝えたいという永田屋の主人の情熱が伝わって来る。



ともすれば、私たちは自己が属する地域社会にどっぷりと浸かることで、その様を客観視出来ず、自然遺産や歴史遺産、文化遺産を忘れがちになる。この小冊子は、私にその様なことを教えてくれたのだと思っている。





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Posted by 丸八屋 at 04:41 | この記事のURL
2008年04月23日
柏餅

柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽(ちまき)食べ食べ 兄さんが
はかってくれた 背の丈(たけ)
きのうくらべりゃ 何のこと
やっと羽織の 紐(ひも)のたけ


近年、童謡や唱歌が音楽の教科書に採用されなくなリました。海野厚作詞・中山晋平作曲のこの「背比べ」も昭和28年から小学校3・4年生の教科書に掲載されていたのですが、平成3年を最後に姿を消してしまいました。


この曲は、私が幼い頃、両親と一緒に縁側でよく口遊んだものです。縁側から見えるのは山ばかりでした。新緑が初夏の光線に美しく映える故郷の長閑な山村風景でした。母親が作ってくれた粽(ちまき)を食べ、父親が準備した菖蒲湯に浸かり、家族で端午の節句を祝ったものです。 


端午の節句は、五節句の一つで5月5日(こどもの日)。菖蒲の節句、重五(ちょうご)ともいいます。粽(ちまき)や柏餅(かしわもち)を食べ、菖蒲湯に浸かる端午の節句は、もともと田植えをする女性のための厄除け行事だったといわれます。江戸時代に菖蒲が尚武(武道を重んじること)に通じることから武家の間に広まって、いつしか男子向けの行事になり、鯉のぼりを掲げて背比べをする風習も加わったようです。


ある団体の活動で、こどもの日に「柏餅を作って子どもたちに食べさせてあげたい」ということになりました。今から5月5日までに準備をすれば上手く行きそうです。しかし、会員の中には柏餅の作り方や柏餅を包む葉のことを知らない方が結構大勢いらっしゃるのです。それで、先ずは柏餅を包む葉、サルトリイバラを探しに野山に出かけることになりました。今週の週末になりそうです。久々に自然の中で美味い空気が吸えそうです。


柏餅は平たく丸めた上新粉の餅を二つに折り、間に餡(あん)をはさんでカシワまたはサルトリイバラなどの葉で包みます。カシワの葉は、新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、子孫繁栄(家計が途切れない)という縁起を担いだものとされています。四国地方などの関西圏以南では、カシワの葉が自生していないなどの理由により、手に入りにくいため、サルトリイバラの葉で作ることが多いです。


私の母親が作ってくれた柏餅はサルトリイバラの葉でした。


「落し蓋ってどんな豚?」 笑い話にもならないような話を耳にする昨今です。況しては、柏餅を知らない方がいるのも不思議なことではないでしょう。


晴れの日の食事、褻(け)の日の食事も関係無くなってしまった現代日本の飽食社会。その片方で素朴な伝統食が忘れ去られて行くのでしょう。日本の食文化の危うさを思わずにはいられません。





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Posted by 丸八屋 at 19:19 | この記事のURL
2008年04月21日
吉野裕子さん


4月20日(日曜日) 産経新聞 朝刊より



吉野裕子さん(よしの・ひろこ=民俗学者)   18日、心不全のため死去、91歳。自宅は奈良市大宮町3の5の5の202。葬儀・告別式は行われず、後日お別れ会を開く。日取りは未定。喪主はおい、赤池成義(あかいけ・しげよし)氏。


50歳から民俗学の道に入り、古代中国から入ってきた哲学「陰陽五行」の思想に基いて日本の祭りや信仰、習俗を探り、新しい視点を示した。「陰陽五行思想から見た日本の祭り」、「陰陽五行と日本の民俗」、「古代日本の女性天皇」など多くの著書を著し、十数年前からは奈良市に移り住み、研究・執筆活動を続けていた。



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50歳から独学で研究を始め、タブーを破る新説を次々と打ち出した民俗学者、吉野裕子さん。



吉野裕子さんは、東京都出身。女子学習院、津田塾大学を卒業後、英語の教師を経て主婦をしていたが、50歳のとき、習っていた日本舞踊の扇に関心を持ち、独学で研究を開始。



最初の著作「扇」(1970年)で「日本の祭事に使われる扇は男の性を象徴している」、「蛇」(1979年)では「日本民族は縄文時代から蛇を祖先神として信仰している」と大胆な説を唱え、在野の民俗学者として注目を集めた。



1977年、「陰陽五行思想から見た日本の祭り」により、筑波大学(東京教育大学)文学博士号取得。



蛇信仰と並んで、古代中国の哲学、陰陽五行の考え方をもとに研究を進めた。



1995年に東京から奈良市へ転居。



生前、 「素人の晩学だったからこそ、学界の既成概念にとらわれなかった」と話していた。



昨年1月から「吉野裕子全集」(人文書院)が発行され、最終の12巻の発行を今年6月に控えていた。 著書多数。全集全10巻がある。



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過日、ブログに丸木スマさんと小松茂美さんのことを書いた。今回は吉野裕子さん。



何れの方も、晩い歳から創作や研究を開始され、夫々の道を究められた方である。



好きなことが出来るのは幸せである。しかし、それを究めることは生易しいものではない。



三名の方の生き方に感銘すると共に、大切なことを教わった気がする。



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Posted by 丸八屋 at 17:40 | この記事のURL
2008年04月19日
グッド・ラック!

「YS-11 世界を翔けた日本の翼」(中村浩美:著 祥伝社新書)を読み終えた。


思い出したのがある人物。偶然にその人と行きつけのスナックで会って意気投合し、杯を重ねたのだった。三年ほど前の桜が満開の頃のことである。


その人物は、パイロットの制服に身をめ、サングラス姿でやって来た。航空カバンも携えている。○○○エアラインズのパイロットだと名乗る。


似非パイロットであることは誰もが看破しただろうが、彼のジェット機に関する薀蓄は天下一品。高度で専門的な勉強をしていると察した。飛行機好きの私はついつい調子に乗って意気投合した次第である。客の殆どが彼に胡散臭そうな視線を投げかけるのを、何故か可哀相に思い、今夜は付き合ってやろうと決めたことにも由る。一夜だけでもパイロットにしてあげたかった。


酒が美味いと思った。窓越しに見る夜桜が綺麗だった。


1週間後に又そのスナックに顔を出した。似非パイロットとの再会を仄かに期待して・・・。しかし、彼は来ずじまいだった。酒が不味かった。2週間後にも彼の姿はなかった。


馴染み客の話では、最近、誰も彼の姿を見掛けていないとのこと。どこかを低迷飛行しながら制服姿で得意の薀蓄を語っているのだろうか。それとも不時着したのだろうか。


遠くから彼の声が聞こえる様な気がした。「こちらHAL777便。ニューヨークに向け順調に飛行中」


私は空を見上げながらで叫んでいた。「似非パイロット野郎にグッド・ラック!」


桜の季節、ジェット機の音が響いて来ると思い出すのが彼のことである。





Posted by 丸八屋 at 20:35 | この記事のURL
2008年04月19日
春の鳥

明治の作家、国木田独歩。37歳で没した彼の人生は、一文字で表すならば「窮」であると田山花袋は述べています。



独歩の人生に興味が尽きません。多くの短編作品を残していますが、私が好きなのは「春の鳥」です。



これは、独歩が教師として過ごした大分県の城下町での出来事を素材としています。



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晩秋の頃、独歩は城跡で少年と巡り合います。少年との交流で分かったのは、彼が六蔵と言う名で、歳は11〜12歳、白痴だと言うことでした。



六蔵は数の観念に欠けていて、三つまでしか数えられません。しかし、鳥には異常な関心を示します。鳥さえ見れば目の色を変えて騒ぐのです。けれども、何を見ても「カラス」と言います。いくら名前を教えても覚えません。高い木の天辺で百舌鳥が鳴いているのを見ると、六蔵は口をあんぐりあけて、じっと眺めています。そして百舌鳥の飛び立って行くあとを茫然と見送リます。六蔵には、空を自由に飛ぶ鳥がよほど不思議に思われたのでしょう。



ある日、城跡を訪れた独歩は、何者かが優しい声で歌っているのを耳にします。それは六蔵でした。天主台の石垣の角に、六蔵が馬乗りにまたがって、両足をふらふら動かしながら、目を遠く放って歌っているのでした。
空の色、日の光、古い城跡、そして少年、まるで絵です。少年は天使です。この時、独歩には、六蔵が白痴とはどうしても見えませんでした。白痴と天使、なんという哀れな対照でしょう。独歩はこの時、白痴ながらも少年はやはり自然の子であると、つくづく感じたのです。



翌年の春になりました。三月の末の事です。朝から六蔵の姿が見えません。日暮れになっても帰って来ません。独歩は非常に心配しました。そこで、城跡を捜すのが良いだろうと、小道を登って城跡に達しました。天主台の上に出て、石垣の端から下を覘いて行くうちに、最も高い角の真下に六蔵が落ちているのを発見しました。墜落して死んでいたのです。



独歩は、六蔵が鳥のように空を翔け回るつもりで石垣の角から身を躍らせたものと思いました。鳥が六蔵の目の前に来て、木の枝から枝へと自在に飛んで見せたら、六蔵はきっと、自分もその様にできると考えたに違いないと思ったのです。



亡骸を葬った翌々日、独歩は一人で天主台に登りました。そして六蔵のことを思いました。色々な人生の不思議さを思わずにはいられませんでした。人類と他の動物との相違。人類と自然との関係。生命と死などいう問題が、年若い独歩の心に深い哀しみを起こしました。



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人は何故、空を翔けたいのでしょうか?鳥になりたいと思うのでしょうか?


YS−11ターボプロップジェット旅客機や似非パイロットのことを書きましたが、もう一つ春の季節に想うのは国木田独歩の「春の鳥」。ロマンと深い哀しみに満ちたこの短編作品を今でも忘れる事ができません。


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Posted by 丸八屋 at 20:32 | この記事のURL
2008年04月18日
YS−11 世界を翔けた日本の翼

市立の図書館を利用する事が多い。借りていた図書の返却時期があっという間に迫ってくる。館員の方から連絡をいただき、慌てて返却に行く次第である。



誰もがそうであるかと思うのだが、図書館に行った時には無意識に自分の関心分野がある書架に足が向いている。専門家でも理工系の出身でもないのに、何故か私の場合は航空機関連が多い。



数冊の図書を返却した後に借りたのは、またまた航空機関連の図書。その内の一冊が「YS−11 世界を翔けた日本の翼」。



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日本が戦後初めて開発したターボプロップ旅客機YS-11。



日本の空から姿を消してしまった。写真を見ているとあの懐かしいダート・サウンドが何処からともなく響いてくる。



時代の流れの中で、退役せざるを得なくなったものの、まだまだ活躍できるのに、と思ってしまう。テクノロジーの進化は驚くほど速い。あらゆる世界がデジタル化されつつある。



その最たるものが航空機であろう。アナログ時代の古いYS-11(とは言っても飛行機は高度なテクノロジーとメカニズムの集合体である)に郷愁を覚えるのは私1人のみだろうか。



YS-11が開発され、初飛行したのは、日本が戦後の惨禍から立ち直り、高度成長期を迎えようとする時代であった。当時の多くの日本人はYS-11に自己を投影し、希望と勇気を貰ったことだと思う。あの甲高いロールスロイス製のダートエンジン音は、忘れ難い響きとして人々の心の中に刻み込まれている筈である。



その様な想いで「YS-11 世界を翔けた日本の翼」を読み終えた。著者は航空評論家・科学ジャーナリストの中村浩美氏。YS-11に関する図書は数多く出版されているが、この書物が読み易い。



青春時代の私を飛行機の世界に誘い、ワクワクさせてくれ、そして勇気と感動を与えてくれたYS-11。海外の空で未だ元気に活躍していると聞く。



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Posted by 丸八屋 at 15:58 | この記事のURL
2008年04月18日
小松茂美さん

4月17日(木曜日) 読売新聞夕刊 「明日へ」 書を囲む より抜粋



王者の風格に魅せられ  小松茂美さん 



小松茂美さん(83)は10年ほど前から後白河法皇の研究に専念している。激動の平安末期を生きた「人間としての後白河が面白くなった」のが大きな理由。もちろん「王者の風格が備わる筆跡も魅力」だという。



66年にわたる法王の生涯を1日刻みで再現する「目録」をほぼ完成した。活字にして約1000ページの分量で、膨大な公卿日記から細大もらさず法王の記録を拾った。



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中卒の国鉄マンからたたき上げ、日本の書の研究で第一人者になった立志伝中の人である。山口県・柳井中学を出て旧国鉄に就職。広島鉄道局勤務の時代に被爆した。原爆症のさなかに見た「平家納経」の美にあこがれ、研究者を目指して上京。東京国立博物館に勤める幸運を得て、書の研究に没頭してきた。



文学博士、日本学士院賞受賞と業績を積み、54歳のとき「平家納経の研究」で朝日賞を受賞。その後も学歴のないハンデを負けん気で乗り越えて、書を国文学や歴史とリンクさせる研究をブルドーザーのように進め、古写本の断簡1万2000点を体系化した「古筆学大成」(全30巻、講談社)をまとめあげた。



ところが、11年前、心筋梗塞で倒れた。平均睡眠時間4時間、半世紀にわたる夜型生活がたたったという。以後は入院、通院を繰り返し、ここ数年は雑文、講演の類は一切お断り、生活も昼型に切り替えた。



そんななかで2年前に出した「天皇の書」(文春新書)は大著が多い小松さんにしては珍しい啓蒙普及の本だった。「天皇の名を上げるなら、伏見、花園、後陽成、それに後醍醐天皇・・・・ですかね」



自身もなかなかの能書。ある小説家から現代の三筆の1人に挙げられたことも。「歴代の名筆を眺めていると眼底にその像が残る。手書きでたくさんの資料を写すうち、その書法が自然に身に付いた。書は季節に関係なく、昔は365日の関心事。今も人間錬成の場だと思います。



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小松 茂美(こまつ しげみ、男性、1925年- )は、古筆学研究者。



山口県岩国市生まれ。1942年、山口県立柳井中学校卒業。働きながら、古文書に関心を抱き、1961年、独学で「後撰和歌集」を書き上げ、東洋大学から文学博士号取得、1966年、「平安朝伝来の白氏文集三跡の研究」で日本学士院賞、1979年、「平家納経の研究」で朝日賞受賞。古筆学研究所を設立、主宰。センチュリー文化財団理事・同ミュージアム館長。古筆学、絵巻物研究と編纂において厖大な著作、研究を成し遂げ、著作集全33巻があり、学歴のない碩学として知られる。 (ウィイキぺディアより)



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Posted by 丸八屋 at 11:24 | この記事のURL
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