プリキュア20年分の歴史で最強の敵をぶん殴る話
乱暴なまとめ方である。
ちなみに視聴者はプリキュア20年分の記憶で殴られる。
長く深くシリーズを追っている人ほど、1度目の視聴時は呆然とするはずだ。
あれは人間が処理できる情報量ではない。
映画は70分だがストーリーを追っていくとどうしても通常シリーズの色んな名場面が呼び出される。
その20年分の記憶もこの映画のコンテンツと言っていいだろう。
ある意味でネタバレがめちゃくちゃ難しい作品である。
真にネタバレするには20周年分全シリーズ見てから、劇場へ行こう!
現代は配信とかの視聴環境が整ってるしな!
一番の見どころはプリキュアの魅力
早速の重要ネタバレだが、舞台は最強の存在であるシュプリームが作った世界。
強さという価値観しか持っていないシュプリームと、シュプリームが作り出したプーカがプリキュアの魅力を知っていくことが物語の重要な要素である。
オールスター映画と言えばたくさんのプリキュアが登場して各々の魅力を発揮するのが見せ場になるわけだが、
この映画、プリキュアの魅力の見せ方が非常に玄人向けでうまい。
それをどれだけ読み解けるかがこの映画の醍醐味ともいえる。
まず現行シリーズの主役ソラ・ハレワタールことキュアスカイの魅力。
和実ゆいと夏海まなつとのフィジカルエリートチームでドタバタのアクションを見せてくれるのだが、この躍動感は間違いなく魅力の一つだ。
ヒーローガールスカイパンチの前傾姿勢から感じる勢いと真っ直ぐさ。
何回も繰り返し見ていて心に残るのはこの印象だろうなと感じる。
多分5年後とかに見たら何てことないアクションシーンにキュアスカイを感じて泣けてくること請け合いだ。
この躍動感とは対極にあるメンタルの硬さと脆さ、これもキュアスカイの魅力である。
今回はゆいとまなつが先輩としてサポート役に回ったが、普段はソラの硬さをましろたちが支えている。
ヒーローを支える一般人というのがひろプリのエモさの核なのだなあと思う。
次に現行シリーズメインヒロイン、虹ヶ丘ましろことキュアプリズム。
人当たりの良さや優しさを取り上げられがちだが、本編でもちらほら出てきている彼女の「強さ」がよく表れていた。
冒頭、ローラと合ったときの会話で「私も人探ししてるんだ!」と話題をねじ込んだあたりにコミュニケーション力の強さと相手のペースに巻き込まれない肝の強さを感じる。
なんせ相手があの人魚のローラなのだ。しっちゃかめっちゃかに振り回されてローラのペースで話が転がるのが普通のキャラクターであろう。
ましろはローラをおだてて船代わりにすることに成功している。ましろのペースなのだ。
もう一つ、クライマックスの最終決戦時。「数が多ければ強いんだろ!」というシュプリームに「そういうことじゃないよ〜」と緩めのツッコミを入れるあたり。
ソラさんなんかは真面目なツラでシュプリームと対峙したりしている最終決戦の場面だ。そこに日常を持ち込める胆力は只者ではない。
私がひそかに「日常力」と呼んでいる強さがある。ましろ最強説なのだ。
夏海まなつことキュアサマー。
アニメーションと声の演技に魅力が詰まっていた。
最初の戦闘で地面をガリガリ蹴りまわしてかけるところの躍動感などトロピカル~ジュ!プリキュアっぽさの極みだった。
同じ躍動感と言ってもキュアスカイのそれが青い空のさわやかさと切なさを持ってるのに対して、キュアサマーのそれは常夏の底抜けの明るさがある。
プリキュアの思い出をそれぞれ振り返るシーンでも「あえ?」みたいな抜けた声を出していてキャラが立っていた。
そしてまなつと言えば「まず最初に名前を聞く」ことが徹底された特徴である。
ソラとあった時にこのまなつの行動が発動せず違和感を持っていたのだが、それさえも「一度シュプリームに敗れて世界は再構築されていた」(つまり、まなつとソラは一度出会っており、初対面ではなかった)ことの伏線になっている。
描写しないことで真夏の魅力を描く、職人芸がそこにはあった。
和実ゆいことキュアプレシャス。
異世界でもどこでも、うまそうに何か食える。食べるということの喜びを体現しているのはプリミティブな魅力があると気づかされる。
フィジカルチームがいつも何か食べてたのはゆいがチームにいたからだろう。
ごはんは笑顔の権化。デパプリのイズムを体現している存在だ。
花寺のどかことキュアグレース。
終盤にプーカの手を握るシーンにこれでもかと集約されている。
プーカの手は望まない力の象徴。その手に触れることは軽々しいものでない。
それでもそこに手を伸ばして包み込むのが花寺のどかの優しさであり強さである、という話はコロナ禍が広がる世界情勢の中、1年間見てきた我々だからよくわかる。
そもそもプーカはシュプリームの世界から退場寸前の最も弱い存在である。
そのプーカに理由なく手を差し伸べるのはのどかに置いて他にいないのだ。
そろそろ気付いてきているであろうが、魅力の描写の圧縮率がすごい。
そもそもヒープリがどのようなプリキュアで〜〜というところを語らないと魅力が伝わり切らない。
春野はるかことキュアフローラ。
中ボスっぽい敵を一人で撃退したのはキュアフローラしかいなかった。
1人。
このプリキュアイズムのアンチテーゼにもなりかねないモチーフをこなせるのはキュアフローラ、というかプリンセスプリキュアしかいない。
夢を追う希望も絶望も乗り越えるお覚悟を持ったプリンセス。
シリーズを深く理解している人が作っていることがわかる展開だった。
野乃はなことキュアエールは復活してくるプリキュアのポジションだが、これもHUGっと!プリキュアのことを理解している画だった。
すこし離れたところからプーカを応援しているのだが、この距離感がHUGっと!プリキュアだ。
応援という行為のもつ本質的な距離感、だからこそにじみ出るその切実さみたいなのが感じられた。
まほプリを代表して花海ことはことキュアフェリーチェ。
「キュアップ・ラパパ! みんなが大切な人に出会えますように!」というセリフがあるのだが。
これを聞いた瞬間魔法つかいプリキュア49話が襲ってきて問答無用に死ぬ。
俺たちプリキュアおじさんはこの魔法が効くことを知っている。
この辺になると「一言でシリーズの本質を突く」みたいな職人芸が極まってくる。
もっとも圧縮率が高そうなのが星空みゆきことキュアハッピーだ。
「気合いだー!」という発声は1年通して何度も何度も聞いた声だが、スマイルプリキュア!における一筋縄ではいかないウルトラハッピーを表している。
スマイルプリキュア! はただ明るいだけのシリーズではない。
最後、スプラッシュスターのファンとしてものすごくうれしいシーンがあった。
プリキュアのみならず歴代の色んなキャラクターが出てくるのだが、
満と薫が出てきたのは、ハピチャの世界のプリキュアたちと同じ画面だったのだ。
もうこれは公式からの18年越しの回答である。報われたぜ! サンキュー!!!
シンプルに映画を楽しもう
20年モノのプリキュアオタクなので、映画に描かれていないことまでいろいろと思い出してしまう。
そういうふうに作っている映画だから仕方ないとはいえ「これ、他の人も同じように楽しめてるのかな?」と不安になるといえばなる。
前提知識を排除してこの映画を表すとすると、「プリキュアってなんかスゲーな」だろう。
なんかスゲーと思わせる画面と設定でいっぱいだ。
キラキラしたキャラクターデザインと躍動感のあるアクション。
宇宙最強の存在とかいうシュプリームを向こうに回して叩かれても叩かれてもぶつかってくるわけのわからない強さ。
断片的にしか描かれないが妙に共感できる等身大の心情。
小さい子にもわかるエンタメの強度の高さを持ちながら、なんか知らんけど大人も見に来て楽しんでいるらしいこと。
この「なんかスゲー」はおそらく、ふたりはプリキュアを初めて見た時に感じたあの感情に近いのではないか?
つまるところ、シンシリーズみたいなアプローチでつくられた映画なのかもしれない、、、と思うのだ。
Fとは?
F = ふたり
キュアシュプリームとキュアプーカがふたりでここから始めようといったラストシーンから考えて、これが正解だと感じる。
・・・実は自分のTLや一緒に見た人の意見で後から気付いたことだ。
正直言って、プリキュアと自分の記憶(暴発気味にあふれる)に翻弄されて、シュプリームとプーカのことは理解しきれていないのが本音だ。
2回映画を見たがまだシュプリームもプーカもしてんの真ん中には置けていない。
それだけ見どころの多い映画なのだと思ってもらえると嬉しい。
至極どうでもいい話だが、シュプリームの作った世界のクソゲー感にはキュアぱずの残渣を感じた。
ひょっとしたらそのような要素もあの世界には紛れ込んでいたのだろうか。。。
オールドファンは複数回見よう
歴代No.1の興行収入となるなど、映画は大ヒットしているようだ。
それもそのはずで、複数回見に行く動機づけのためのキャンペーンや特典がいっぱいだ。
そういったサービスとは別に、内容としても一回で咀嚼しきれるものではない。
オールドファンは複数回見に行って自分のプリキュアの思い出と向き合ってみよう。