ごはんは笑顔じゃない人も・・・
冒頭ナルシストルーの現状に触れられた。
自分にあう食べ物があまりなく好き嫌いも激しくて極端な猫舌らしい。
良く生きてこれたな。。。
「あう食べ物があまりない」とぼかされているがアレルギーっぽい。
これを受けて「ごはんは笑顔じゃなかったのかな」とつぶやくゆい。
映画デパプリの公開を経たからこそ向き合えた強敵だっただろう。
恨みとの向き合い方、大人からのアドバイス
ナルシストルーの話があり、あまねの心中は穏やかではない。
あの野郎のうのうと生きてやがって一発ぶん殴ってやる! という自分の気持ちに苦しんでいたのだ。
あまねは清く正しい。そうあろうとする心にがんじがらめになっているようだ。
そこにアドバイスをくれたのはマリちゃんだった。
「誰かを恨む気持ちは誰もが自然に持っている。大事なのはその感情に流されないこと。流されればあなたの大切なものを傷つけてしまうかもしれない」
大事なことをこんなにわかりやすく、優しく伝えられるとは。これは練りに練られた名言だ。
シリーズで似た問答がなされたのはムーンライトが憎しみの連鎖を断ち切る話だろうか。
あの時のブロッサムのセリフは「誰かが歯を食いしばって耐えなければいけないんです」だったように思う。
プリキュアにしてはヒロイズムに寄ったマッチョなセリフだったと思っている。
そのころからシリーズを重ね、よりプリキュアらしい形で恨みという感情にうまく向き合うことができるようになっているのを感じる。
ひとつは恨みの気持ちと向き合うあまねを一人にしていないことだ。「誰もが自然に持っている」という導入からもうかがえるように、アドバイスするマリちゃんにも何か恨みをいだく経験があったのだろうと想像できる。苦しい思いをシェアする。非常にデパプリらしい。
もう一つは、明確にあまねのためのアドバイスになっているところだ。「本当に大切なものを傷つけてしまうかもしれない」に現れている。恨みに流された行動は総合的に見てあまねのためにならない。大切なものが意味するものは多くありそうだ。あまねの信条のことでもあるだろうし、兄などあまねの周囲にいる人たちのことでもあるだろう。
プリキュアの役割、マリちゃんの役割
私は非常に高く評価している上記マリちゃんのアドバイスだが、人によっては受け取り方に戸惑ってもいるようだ。
仲間の悩みを救うのはプリキュアであってほしかった。大人がプリキュアの役割を奪っているのではないか? と。
なるほど一理ある意見だと思い、これをきっかけに考えたところ面白い気付きがあった。
マリちゃんはプリキュアの役割を一部シェアしているのではないか?
1話で戦う力を失ったクックファイターという設定。
徹底的に好感度を損ねないキャラクターづくり。
主要キャラクターとのA、Bパート共に保っている絶妙な距離感。
プリキュアの役割を担うにあたって十分すぎる素地がある。
さらに予想込みで言うと、
デパプリはプリキュアの役割をいろんなキャラクターにシェアする試みをしてるんじゃないだろうか?
そもそもプリキュアというシリーズ自体が重たすぎるヒーローの役割を適度に分担するもの、と再定義できるんじゃないか、、、等々どこまでも考えは進むのだが、これについてはシリーズが進んでからまたまとめたいと思っている。
自分のプリキュア視聴歴の中でも屈指の気付きだった。
ハロウィンかわいい
ややこしい話はさておきカワイイ絵がいっぱいある回だった。
天使あまねもかわいかったし、悪魔あまねもかわいい。
ファンアートも多く上がっていた。(ふたご先生の絵をファンアート?という疑問はあるが…)
おはようございます
— 上北ふたご (@kamikitafutago) October 22, 2022
『デリシャスパーティ♡プリキュア』33話
「清く正しく!あまねとハロウィンパーティ」#デパプリ #precure #Halloween pic.twitter.com/uQE1AUQBCe
あと、SNSではしゃいだコメントをするセクレトルーさんがあざとかった。
この人の素はどっちなんだろう? かわいいほうが素な気がする。
パンプキンパイを開けた後、シャッター音が聞こえてるってことは、つまりらんちゃんがキュアスタにアップして、そのちゅるりんのキュアスタにセクさんがコメントしてるってことか。
— え。 (@esu11n) October 23, 2022
つまりセクレトルーさんもちゅるりんのキュアスタチェックしてるんだな。#デパプリ #precure pic.twitter.com/LVlK28HUVq
深いテーマもあるが、やはりごはんは笑顔。楽しい話がデリシャスパーティ♡プリキュアの魅力である。
来週は恒例の野球回。Pの趣味でキャラクターの守備位置にこだわったらしいぞ!
女児にそんなもん分かるか!!
仮面ライダーギーツ 8話:誰もが予想した赤いきつねと緑のたぬきコラボ
誰もが予想できたCM、からの予想外のたぬき退場だった。
謎多きデザイアグランプリに翻弄される景和は視聴者目線の主人公だと思っていたが無念のドクターストップ退場だった。
今回のデザイアグランプリもギーツが活躍。ゲームのルール、というかシステムに精通していることで有利に立ち回れているようだ。
これがプレイヤー内での有利さにとどまっているのか、運営を出し抜くようなレベルなのかはまだわからない。
が、後者ぐらいのスケール感のあるヒーローだ。
ブーストドライバーが一礼して去っていくぐらいなので、英寿の方が先輩かもしれない。
景和の退場、ラスボス撃破、、、かと思いきや今節は続く。
いったい何が語られるのか?
暴太郎戦隊ドンブラザーズ34話:見どころは「からし」「鈴木浩文」「などと申しており」
ドンブラザーズはエンタメ性の暴力だ。
話の筋を説明するのはあきらめ、見どころだけを語ろう。
タロウもソノイもファンも待ち望んだおでん。
からしの涙でタロウ成分が排出されタロウ味のソノイはソノイに戻る。
国葬までやったタロウとソノイの因縁がおでんのからしで元に戻る衝撃。
確かにタロウのパワーアップとかシリーズの山はあったけど???
今回描きたいドラマはタロウとソノイではなかっただけだ。
思い切った取捨選択がドンブラザーズのエンタメ濃度を支えている。
いや、それにしてもカラシで元に戻るってのは…。
今回の焦点は雉野と犬塚だ。
そして雉野役の鈴木浩文さんの熱演がすさまじかった。
冒頭のドヤ顔で小市民っぷりを発揮する天才的な表情。
みほちゃんを失った後の犬塚を呼び出したやり取りの緊張感と感情の爆発。
警察に捕まった犬塚を見送る最高に悪役な顔。
サスペンス映画のヴィランと言われても十分に通用する怪演だった。(ただ、この人ヒーローなんだよなあ…)
今日の話を見て、鈴木浩文さんの演技力から雉野というキャラクターが作られたのではないか?
そう思わされるぐらいであった。
そして、カラシと鈴木の衝撃で気付くのが遅れたのだが、みほちゃんが夏美に切り替わる演出の見事さを最後に語りたい。
描かれたシーンは「などと申しており」と犬塚が言い、みほちゃんの反応を伺うという短いものである。
これの何がすごいのかを考えてみた。
まずその短さだ。
からしの項目にも書いたように、ドンブラザーズのエンタメ濃度は濃い。つまり1要素に使える時間は短い。
みほちゃんは夏美か? を確認するのに2人が台詞のやり取りをする時間すら惜しいのだ。
そんな中使ったセリフは9文字。犬塚の口元とみほちゃんの表情の2カットのみ。
これでみほちゃん=夏美と確信させるのに十分な情報を表現する。
達人の演出と言わざるを得ない。
次に暴太郎戦隊という番組コンセプト上との整合だ。
暴太郎戦隊とは何なんなのか理解できている人類はまだいないだろうが、要素の一端として「アバター」があることはわかっている。
登場人物の役割は代替可能であったり、仲間同士でもその正体を知らなかったり、電脳空間のような世界観で物語は紡がれている。
そんな世界観で人物を特定する「パスワード」の役割を二人だけが知る口癖が果たしたというのが今回の演出である。
共通の思い出をきっかけにする演出はそれほど珍しくないが、世界観をつかって「パスワード」の意味合いを補強してお出ししてきたのは見事。
気付いた時にはうならされた。
最後に、2つ目と重複するが、高度に情報化された世界で「口癖」などというアナログなものが人物特定のキーになるエモさである。
人間には情報化できない特別なものが合ってほしいという情緒的なものがあるだろう。
そういう気持ちを上手く掬いとった文学的なエモさのある演出になっていると思うのだ。
かつて同じ感想を抱いたのは「ゴールデンスランバー」を読了したときである。
私の感想では、あれは情報化された社会が主人公を追い詰めるが、情報化できない何かが人と人を繋ぎ主人公を助けていく話だ。
その「情報化できない何か」に癖と思い出があり、今回の「などと申しており」と役割が重なる。
長編小説の大オチにも耐えうる文学的演出。それが「などと申しており」だ。
来週は頭に「暴」と書いたロボが大暴れするらしい。
暴〇団という言い方をされなくなって久しいが、世が世なら反社集団じゃないか?