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座敷わらし





酔っぱらって家に帰ってきた

この日はまだ早い方だった

女がベットから驚いたようにこちらを見ている

「なんだ お化けでも見たような顔して」

と言うと

「また 上がってきたのかと思った」

と言う

誰かが二階の階段を上がって来る音がすると言う

風の音かなんかだろうと取り合わなかった

眠かったのですぐにベットに入り眠ろうとしたその時

誰かが階段を上がってくる音がする

「トン・トン・トン・トン・ぎい・ぎい」上の方の階段はきしむ音がする

そして二階の寝室の前に差し掛かるとギイとまたきしむ音

人が上がってくるのと同じ音がして ドアがカチャと開いた音までした

これは誰かが上がってきたに違いないと思い

護身用にベットの脇に置いてある木刀一振りを持って

「誰だ!」

と飛び起き 階段を下り 玄関を開け 表まで飛び出した

誰もいない

不思議に思ってベットまで戻ると 

女が笑って「でしょう!」

「このことだったのか」

座敷童でもいるのかと言うことになった




ほどなく病院から電話があって 親父が事故で運ばれて来たと言う

驚いてお袋を連れていくと 雨の中道路を渡っていて車に跳ねられたらしい

命に別状はなく足の骨折だけだった






あの座敷童は知らせに来たのか

いい座敷童だった

それ以来その音はしない

不思議の国インド旅行最終章

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インドの旅行は人生観を変えるほどのものでした

紀元前の歴史の確認ができる国

一党独裁の中国と違い民主主義国家であり宗教的信仰心が強い民族

中国に次いで大きな発展をする国

日本は中国よりインドに発展の協力をするべき国だと思います

天竺の国であり日本仏教の発祥の地 印度は西方浄土の国

諸行無常

諸法無我

涅槃寂静

仏の三宝印のすべてを垣間見ることの出来る国

インドの友人は次には四国の八十八か所めぐりを一緒にすることを

約束して帰って行きました

同行二人 南無大師遍照金剛





不思議の国インド旅行その10

移動の途中で4



町の祭りの道端では 何人かが座り込んで向き合っていたり・・・

最初は意味が分からず 近づいてみると

露店の散髪屋さんでした

子供はどこへ行っても集まってきます

日本人が珍しいのか

持ってるもの 小さなビデオカメラや服装

やたら集まってきて取り巻いてきます

特に観光地は危ないです

貧しい国特有の 手を出して頂戴頂戴がはじまります

誰か一人に何かを与えようものなら大変なことになります

蟻が群がるように子供たちがやって来ます

日本人では子供があまりいないし 満ち足りている 反対に大人に興味がありませんが

貧しい国では子供が飢えています

まだ子供だけならいいんですが

飢えた大人までやってきて 

何かを売りつけようとしたり 手が付けられなくなります

ある東南アジアの地域では

親が子供に物乞いをさせて 気を取られている隙に親が盗みにかかるなど

また 子供が群がっていつの間にか携帯やお金が無くなってるなど

あるいは 赤ちゃんをレンタルし合って物乞いをするなど

このようなケースはいくらでもあります

インドではそこまでは酷くはありませんでした

インドでは道を大きなインド象がのっしのっしと歩いていました

これにはさすがに珍しくて 車を止めて

インド象を引き留めて鼻越しにチップを渡しました









不思議の国インド旅行その9

移動の途中で3


インドでは都心でもまだ高層ビルは見られない

ましてや田舎の方に行くと夜になると電気すら来ないところが多いようです

たいていの家庭は自給自足で牛やヤギ畑などを飼っていて 市場に出して外貨を稼いでいるとか

ところが そんな田舎でも携帯電話はかなりの数普及しているらしい

夕方 日が沈む前に道路を銀色の水差しのようなものをぶら下げて歩いているのを見かけます

「あの人たちはどうして暗くなって歩いているのか危ないでは」と聞くと

「あの人たちはトイレタイムです」と言います



どうやら 暗くなると道路の脇で大の用を足すようなのです

早い時間帯は女・子供

インドは性的暴行事件も多く

真っ暗になると女や子供は危ないのです

この前もイギリス人女性が複数のインド人男に犯されたとか

少女が数人にバスの中で犯されて放り出されてなくなったとか

女性に対する蔑視ともいえるような風潮があることが問題になっています

とある町に休憩タイムで立ち寄った時のこと

町はいつもと違いヒンズー教の神様のお祭りでごった返していました

喧騒から少し逃れようと入ったのが仏教寺院

ヒンズー教徒は関係ないので静かに佇んでいました

ほっとして立ち寄ると一人の女の子が勉強していた

ノートを見るとびっしり勉強したあとが書き残されていました

インドにもこのような喧噪のなかでも静かに勉強している子が居たんだと感心した出来事だした







不思議の国インド旅行その8

移動の途中で2



北の方に向かっている時だった日が傾きつつある頃

お日柄だったのかもしれないが あちらこちらでたき火のような火が見えます

ガイドさんに聞いてみると無くなった人を荼毘に臥しているとか

同行の方は道路沿いでそれを見つけて なんと参加したいと言い出しました

職業柄のこともあるので是非と言うことで

ガイドさん無理やり説得して 参加することになりました

見ず知らずの国の宗教も違う日本人の僧侶が亡くなった方に供養のお経を奏上しました

御鈴の代わりに遺族が持っていた銅鑼を代用にしてご供養したのでした

初めどうなることかと思っていましたがインドの人たちも遺族を忌う気持ちが通じたのか

最後は握手して感謝の意を述べていました

「南無阿弥陀仏・・・・・」

不思議の国インド旅行その7

目的地までの移動の途中で1





インドの国での移動はデリーからガヤ ベナレスからデリーの飛行機の移動以外は全て車での移動でした

日本のように道路が整備されていて高速道路が張り巡らされているわけではないです

高速道路のようなところも何か所かありましたが

ほとんどの道路は舗装はされていてもかなり揺れます

車での移動だから寝てられると言うものではない

しかし そのような事情であるがゆえに地元の生活に触れることもできます

移動の途中の出来事はどこからどこの移動の時などと覚えてはないですが

当時はヒンズー教のお祭りの最中であったため

停車する町に着く毎に千手観音のような人形をかたどった祭壇が見られました

ヒンズーの神様の何とか神のお祭りと言うのが年に何回かあるようです

何度となく町に着くたびにお祭りの行列に出会い渋滞に巻き込まれました

町では着飾った人々であふれかえっています

町から離れると田舎の道路が続き

町のはずれでは牛がたむろしていて

牛が糞をすると子供たちが慌てて糞を確保しにきます

牛の糞は彼らの大切な燃料なのです

村の家々の壁には奇妙な模様があります

手形の入ったような模様で これは燃料である牛の糞が規則正しく張り付けてあるのです




ヘルニアか痛風かどっちが痛い

ヘルニアの発作が痛いか それとも痛風の発作が痛いか




痛風は会社の慰安旅行でスペイン村に行った時に発作が起きた

朝 ホテルの和室で目が覚めると

周りを見渡すと女房を含め女ばかりの部屋にいた

どうやら酔っぱらって女性の部屋で寝てしまったらしい

起き上がろうとすると 足首の辺りが捻挫したように痛い

これは誰かが足を踏んづけたんだと 女部屋で寝ていたことの照れ隠しで みんなに言いがかりを付けた

朝食まではそれほど痛くなかったが時間を追うごとに痛みがまし

スペイン村観光では痛さのあまり杖を突いて女房に肩をかりて歩かなければならなかった

この日が旅行に最終日だったから良かったが

次の日は動くこともできないほど痛く 夜は痛みで眠れなかった

なんとか医者に行って診察を受けると「痛風」の診断

これ以上の痛みはないと思った

文字通り 風が吹いても痛い 扇風機の風が当たるのが痛みを増すようだった

薬を処方されて日ごとに痛みは引いて行ったが 過去に3回の発作を経験した

その後食生活に気を付けるようになり80kgを超える体重を20kgのダイエットに成功した

その頃から食事は一日に2回にしている




その後 インドネシアで暮らしている時にヘルニアの発作に襲われた

一人の部屋で誰も助けてくれる人もいなく あるのはバファリンの痛み止めだけという過酷な条件

ヘルニア発作発症の最初の3日間は痛みで食事も取れなかった

ヘルニアの痛さは背中に槍を刺されてグリグリやられているような痛み 半端じゃない

痛みで夜眠むれない 7日間ほとんど眠った記憶がない

なんとか動けるようになったのは2週間ほど経ってからだったが

痛みはあり ちょっとした格好をすると再発する

当初の痛みほどじゃないが痛い 声が出ないほど痛い

ほぼ一か月は苦しんだ




この時は右側のヘルニアだったが それから2年後左側にもヘルニアの発作が・・・

またか と思ったが今度は左手の掌を半分以上切断する重傷で入院中の病院のベッドの上

当初の痛みは変わらなかったが 日本の医者が就いていた

手の怪我にも影響すると言うことで麻薬の一種かステロイド系の点滴を打ってくれた

すると嘘のように痛みが消えた

ただし 神経を圧迫しているので左足に力が入らず

当時はびっこを引いて歩いていた

医者にMRIを撮るように言われ

専門医で診てもらうとヘルニアが完全に神経を圧迫して押しつぶすようになっていた

医者からは手術を勧められたが断った

医者はとても驚いていたが 以前自然に治ったのを経験しているので痛みさえなければなんでもなかった

この二つの痛み少し状態は違うが




圧倒的にヘルニアの痛みの方が強い もうあの痛さは二度と経験したくない痛さだ

今でも左の方はヘルニアの後遺症か坐骨神経痛となって残っている

不思議の国インド旅行その6

釈迦4大聖地 初転法輪の地サルナート



初転法輪(しょてんぽうりん)とは 釈迦が初めて自ら得た悟りを人びとに説いたことを言います

釈迦はブッダガヤの菩提樹下で悟りを開いた「降魔成道」の後 サールナートで5人の修行仲間(五比丘)に初めて自ら得た悟りすなわち法を説きました

このサルナートの地において仏法と言う法輪が初めて回り始めたのです

釈迦は当初 自ら得た悟りは言葉にして理解をするには難しいと感じ 衆生に悟りを説いても理解されないだろうと法を説くことをためらったとされています

沈黙する釈尊を梵天をはじめとする数々の如来や菩薩が説得し 梵天らの懇願を受け入れたのが「梵天勧請」です

梵天勧請を受けた釈迦はサルナートの地において初転法輪を行い その後 クシナガラで入滅するまで八万四千の法を説いたと言います

今の時代のように記録する紙や鉛筆もなく ましてや録音するテープさえない状態で これらの説法を口伝により経典として 数々の弟子たちが残していったのでした





サルナートの遺跡の前に座り 同行の方のお説を聞きながら

2600年近くの昔 ここで釈迦はどのような気持ちで どのような背景の中で法を説いたのかという思いを馳せめぐらせました

2600年というと日本の起源がおよそそれぐらいではないかということを聞いたことがあります

ここインドではメンテナンスをしない国柄だという話に触れましだが

広大なインドの大地では文明の転生輪廻を垣間見ることができます

日本では島国であるがゆえに建造物などは傷めばそれを直しつつ使用し 古くなり直せなくなれば壊して新しく建て直します

日本の文明は日本という島国において継承されつつ進化してきました

しかし このインドでは文明の栄枯盛衰は一つの文明が終わればそのまま捨て去られ 新しい場所に新たな文明が起きてくる というもので過去の文明は風化しつつそのまま残っているのです





まさに諸法無我がここにあります

諸法無我


諸々の法  それぞれの文明 そしてその根幹である法 すなわち教えや風習そして建造物などの空間でさえ

我ならず  本当は無に帰するものだ


そして 不思議の国インドでは文明をも無に帰するほどの巨大なる「空」があるのです

「空」とは「無」ではなく 何かの存在を許すことの出来る空間であり 場所なのです






ある日の船釣り

会社を経営していた頃




よく 接待と称して得意先のお客さん達とある島の周りに船を出して釣りを楽しんでいた

梅雨時の今頃は「いさぎ」が良く釣れていた

夏を過ぎると「鯵」や「鯖」

秋から冬にかけては「ツバス」「ハマチ」から「鰤」への出世魚

そして 春には1mを超える「鯛」まで釣った





その中で特に印象に残っているのが

会社の従業員と行った慰安の釣りだった

季節は梅雨時を過ぎたころぐらいで その日は「いさぎ」か「鯵」狙いで船を走らせていた

いつもの釣りポイントに着くと始めに「鯵」が2〜3尾釣れたぐらいで 風が邪魔をして船が流されて釣りにならない

せっかく来たし しょうがないから風のない島影で雑魚でも釣るかと移動した

半分はあきらめムードで竿を垂らしていた



すると 何か90度の方向にざわめくように海が盛り上がっているのが見えた

波のように盛り上がっているそれが段々こちらに近づいてきた

まさに船に当たるその瞬間に ふっとそのざわめきが船底に潜った??!!

なんだ??!!

魚探を確認してみると海面から底まで真っ赤に魚影が写っていた

なんと 「鯖」の大群だった!

こんな大群は見たことがない

みんなに号令をかけて「釣るぞ!」

それからと言うもの まるで「カツヲの一本釣り」ならぬ「鯖のオートメーション釣り」

竿を挙げるたびに40cmを超える「鯖」が3本、4本と上がってくる

最初は魚の新鮮さを保つために 鯖折をして血抜きをしていたが

もはやそれどころではない

わずか15分足らずで80Lのデカいクーラーと10人いた従業員のそれぞれのクーラーが「鯖」で満タンになってしまった



通常は昼過ぎか3時までの納竿だが

この日は11時に帰路に就いた

「鯖」を知り合いに分けて配るのに大変な思いをしたが

この「鯖」をあげた人からはいまだにあの「鯖」は旨かったと思い出話に花が咲く

不思議の国インド旅行その5

聖なる河ガンジス川

テレビCMでモニター大絶賛☆




インドの旅も終盤となり同行の方のお腹の調子は絶不調となりつつ9日目を迎えました

水はペットボトルで摂取するなど 気を付けていたが食べ物はどうしようもない インドには香辛料の強いものしかないのです

日ごろ刺激物に食べ慣れていない人には辛いかもしれません

特に水以外油で揚ものも気を付けた方がいい

油が古くなったものを使用している可能性が高いのです

この日は早朝夜が明ける前にホテルを出発し 聖なるガンジス川の夜明けと沐浴の見学に出かけました

まだ 夜が明けていないと言うのにガンジス川へとつづく道は沐浴する人たちと観光客でもうすでに混雑し始めています

途中の細い路地には野良犬や野良牛がいたる所に共生している 野良犬はまだしも野良牛とはどうやって食べてるのかと首をかしげてしまいます

ガンジス川の川岸では沢山のヒンズー教徒方々が沐浴をはじめていて 茶色の川水の中に頭から沈み体を洗いながら口もすすいでいます

インドの人は余程腸内細菌が発達しているのか 日本人が綺麗過ぎるのか 我々があれをやるとお腹が絶不調どころの騒ぎではなくなることは想像に難くない


この川岸にはいくつもの伽藍堂のような建物が見られますそこには年老いた方々が死に逝く順番を待っているとか

ここで亡くなった方は荼毘に臥されガンジス川に流すそうです


まさに涅槃寂静の世界を垣間見たような気がしました


インドは仏教こそ盛んではないが仏教の神髄たる仏の三宝印の一つである




涅槃寂静



涅槃 人の生きるための煩悩の火を吹き消した状態

寂静 この世からあの世へ移行する状態


肌で感じる不思議の国です


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