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2016年06月24日

第260回 東京監獄・面会人控所(六)






文●ツルシカズヒコ



 やがて村木が帰って来た。

「どうでした和田さんは?」

「ええ、元気でニコニコしてましたよ。これからゆっくり勉強するんだなんて言ってました」

 少し話すと、村木は今夜また会うことを約束して、先に帰った。

 野枝のポケットの時計は、もう四時近くを指していた。

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 三十分ばかり前から、入口を出たり入ったりしているふたりの男がいた。

 ふたりとも揃いも揃つて、薄い髯がボヤボヤ生え、眼の細い、見るからに成り上がりの小商人らしい狡猾な顔をしていた。

 反っ歯と四角な口を持った三十前後の男ふたりが、村木と入れ違いに野枝のそばに腰を下ろすや否や、傍若無人な態度で話し出した。

「ねえ君、この地所や建物も大変だが、ここの一日の経費だけだって大したものだろうなあ。それがみんな、吾々の税金にかかって来るんだぜ。泥棒や放火を養っといてやるなんて、実際、馬鹿げてらね。こんなのが全国にいくつあるかしれないが、みんな合わすと大変な額だぜ」

「仕方がないやね、安寧秩序を保ってもらうために払う税金だあね。これがなきゃ、吾々、安心して生きていけないんだもの。しかし、本当になんだねえ、世の中に悪いやつがいなくって、こんなものもなくなれば、いろんな方面の負担もたいぶ違ってくるね」

「違うともさ。ところが、悪いやつってものは、だんだん増えてくるんで困るね。ここに入るやつときた日にゃ、ここに入ってる間はこうして国家の経済に影響を与えるしさ、出ればまた物騒なことをして人を苦しめるしーー実際、人間のカスだね。改心するなんてやつは、めったにないようだな」
 
 その横風(おうふう)な人を小馬鹿にしたような態度と、場所をわきまへぬか、あるいは侮視した、不謹慎な話がたちまちに野枝を激怒させた。

 野枝は危うくその男たちの面皮を、はいでやろうと思って向き直ろうとした。

 しかし、ちょうどその斜め向こうに腰をかけていた爺さんの顔を見たときに、爺さんはいかにも皮肉な眼をして、じっとその不謹慎なおしゃべりをしている男たちの顔を見据えていた。

 野枝と爺さんの強い意地張った眼に出遇うと、ふたりの男はあわてて顔を見合った。

 そして急に、チグハグな気持ちをブツつけ合うような間の抜けた他の話を始めた。





 野枝は定められた順番よりはずっと遅れて、五時近くになって呼ばれた。

 例の老看守は野枝が廊下に上がるのを待って言った。

「これから共犯者申し合わせて面会に来ることは、ならんぞ」

 どんな場合にでもまだ野枝は、そんな乱暴な言葉で扱われたことはなかった。

 そして「共犯者」という耳ざわりな言葉が野枝を怒らせた。

 看守は尋常な答えを野枝に待ち受けていた。

 しかし、彼女は黙ってなんにも答えずにすまして、看守より先に歩き出した。

「わかったか、共犯者一緒に来ると、会わせないぞ。会わせても遅くなったりするから、そっちの損だ」

 しかし、野枝はなおすまして歩いて行った。

 廊下をすぐ折れ曲がって突き当たったところに、三尺くらいの引き手のついた戸がズラリと並んで、一二三と番号が書いてあった。

「七十二番は一号の前ーー」という指図通りに、その扉の前に立った。

 彼女はポケットから小さな手帳を引き出した。

 それは今、大杉と会って、話し洩らしてはならない用件を書いておいたものだった。

 彼女が静かにその手帳を繰っているうちに、二号では年老いた母親がその息子に会っていた。

 話し声は筒抜けに野枝の耳に聞こえた。

 息子はしきりに母親に詫びて、留守中のことをいろいろ指図していた。

 やがてその話が終わるか終わらないうちに、隔ての戸の閉められる音がした。

 しかし、息子はなお言い残したことを母親に通じさせようとして、大声でしゃべっていた。

 母親も二言三言、返事をした。

 と、荒々しい看守の声がその話を遮った。

 耳の遠い老母はしおしおしながら、その戸を押して出て来た。





 入れ違いに野枝が呼び込まれた。

 そこは三尺四方の薄暗い箱だった。

 その正面の仕切りの向こうに、網を張った郵便局の窓口のようなものがあって戸が閉めてあった。

 その窓口と野枝の入っている箱の間の狭い通路に、部長がひとり立っていた。

「何番?」

「七十二番」

「名前は? あ、なんだ大杉? へえ、大杉さんが、珍らしいな。いつから来てる?」

 部長は意外だという顔をしながら、心持ち親しみを見せながら聞いた。

「一昨日からでしょう? たぶん」

「なんで来たんです?」

「よく知りません。公務執行妨害とかいう話ですけれど」

「え、ひとり? 他には誰? 久板、和田、知らないな。へえ、大杉さんが来てるとは知らなかった」
 
 部長はしきりに首をかしげていた。

「まだ来ないな、ちょっと出て下さい、今すぐですから」

 野枝はまた外へ出た。

 しかしすぐ向こうの方に足音がして、大杉の咳をする声がした。

「よろしい」

 という許しが出て、再び入っていくと部長はすぐその窓口を開けた。





 大杉の眼がギロリと暗い中で光ったと思うと、笑い顔がヌッと前に突き出された。

「寒くはありませんか?」

 野枝は何から話していいかわらずに、つかぬ口のきき方をした。

「いや寒くはない。どうしたい、うちには誰かいるかい?」

「ええ」

「早く用事を話さないと時間がありませんよ」

 部長はペンを握りしめながら催促した。

 野枝は二、三日間のことをすっかり、それから相談すべきことをすっかり、何もかも果たそうとして急いで手帳の覚え書を見ながら話した。

 大杉は腕組みをして黙って頷きながら聞いていた。

 用事を話してしまうと、野枝は急にこれから何を話そうかというような、ポカンとした気持ちになった。

 いろいろ話したいことがある。

 けれど、どういうことを話したらいいか? 

 時間がないんじゃないか? 

 そう思うとたちまちヂリヂリしてくるのだった。

 やがて、ちょっとどうでもいい話が続いたのを見て取ると、部長はすぐ窓のそばのハンドルに手をかけた。

「もう別に話すことはありませんか、なければもう閉めますよ」

「じゃまたね」

「ああ」

 大杉の笑顔はすぐ隠された。

「未決のうちは毎日会えますよ、また明日いらっしゃい」

 部長は役目をすますと、いっそうくつろいだ調子で野枝に言った。

 しかし、野枝はその言葉を後ろに戸の外に出た。





 あの冷たい寒い部屋に半日待っての面会としては、あんまり馬鹿馬鹿しかった。

 それに、どこへ行っても誰の前ででも、思うままにむしろ傲慢すぎると見えるほどに自分を振る舞う大杉が、窮屈らしく拘束されているのを見ては、野枝はなんとなく情けないような、憤(いきどお)ろしいような気持ちがしてならなかった。

 しかし、看守に怒鳴られて無理に引き離されて悄々(しおしお)と出て行った老母を思い出すと、まだ手加減をして扱ってもらっただけ、いいとしなければならなかった。

 控所まで来ると野枝は急いで石階を降りた。

 部屋の中にはまだ、五、六人の人々が寒そうに肩をすぼめて話していた。

 外は小暗くなっていた。

 野枝は同志の男たちの手にお守りをされながら待っている、乳呑みの子供のことが焼きつくように思い出されるのだった。

「ああ、遅くなったーー」

 門を出て小走りに歩き出した野枝の頭の中には、子供の姿と一緒に宅までの長い長い道順が焦(じ)れったく繰り広げられるのだった。

 それと同時に、待たされた半日の時間が忌々しく惜まれるのであった。



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 22:01 | TrackBack(0) | 本文

第259回 東京監獄・面会人控所(五)






文●ツルシカズヒコ



 遠くの方で子供の泣き声がする。

 と思ふうちに、火のつくやうな激しい泣き声がだん/\に近づいて来る。

 皆んなが一斉にはつとしたやうな顔をして廊下の方を向いてゐた。

 と其の扉口に眼に一杯涙をためて、半泣きになつた惨めなかみさんの姿が出て来た。

 その背中では汚ないねんねこは下の方にふみぬいて上半身を反らせた子供が、真赤になつて、手足をもがいて泣き狂ふてゐた。

「やだあ! やだあ! 父ちゃん!」

 子供はありつたけの声をふりしぼつて泣き叫んだ。

 龍子の胸は思はず何かにブツかつたやうにズシンとした。

 知らず知らず涙が浮かんできた。


(「監獄挿話 面会人控所」/『改造』1919年9月号・第1巻第6号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)

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「お父ちゃんわね、門のところで待ってるんだよ。ね、およし、およし、さあ、泣くんじゃないよ。叱られるよね、ね」

 母親は汚ない下駄の上に足を乗せながら、しきりになだめようとした。

 しかし、とうていその声が子供の耳に入るとは思えなかった。

 控所の中は子供の泣き狂ふ声で一杯になった。

 入口に近くいた二、三人の女連は耐へかねたように顔をおおった。

 さすがに呑気な親方も暗然とした顔をして、子供の顔と母親のオドオドした顔を見比べているばかりだった。

「まあまあ、可哀そうに! お父さんの顔が見えたんですか?」

 入口に近くに立っていた年増の女が、踏み抜いたねんねこに手をかけながら言った。

「ええ、ちょっと見えましたもんですから。それにこの子が普段から親爺っ子なものですから」

 母親はとうとう耐へ耐へた涙を、ポロポロこぼしながら言った。

 背中の子はなおも父親を呼びながら、反り返って暴れるので、とても具合いよくねんねこを直して着せるわけにはゆかなかった。

 子供は泣き続けながら、とうとう門のそばまで出て行った。
 
 門に近づくにしたがって激しくあばれ出して、母親の足をよろけさせるばかりだった。





「ああ泣かれちゃ、お母さんがたまらないわねえ。可哀そうに」

「お母さんもたまらないだらうけど、それよりは、中にいる親爺がどんなだか知れない。あの泣き声が耳についちゃ、やり切れやしない」

 村木はその親爺の顔でもさがすように、奥の方を覗きながら言った。

「いったい、ここに子供を連れて来るって法はありませんよ」

 あばたの爺さんが、さも苦々しいことだというような顔をして言った。

「本当にねえ、なまじっか顔を見せちゃ、父親にも子供にも、どっちにも罪ですわ。私はもう決してこんなところに子供を連れて来るものじゃないと思いますよ」

 勝気らしい眼に一杯涙をためて立っていた、かみさんが相槌を打った。

「なあに、もう一時間も早けりゃ、あの子供はようく眠ってたんでさあ。時間が後れたばかりに、あいにくとこんなことになったんですよ」

 今までひと言も口をきかなかった、隅にいる木綿の紋付羽織に前掛けをしめた五十二、三の男が突然口を出した。

「いやもう、この中に入ってるやつは、本当に親不孝、子不孝、女房泣かせでさあ」

 すぐに爺さんは声を落としてそう言ったまま黙ってしまった。





 その中にも奥から一人二人ずつ帰って来た。

 やがてまた、先刻の老看守が代わりの人々を呼び込んで行った。

「おや、今、五十四番の人が行きましたな、私は五十三番だけれど、どうしたんだらう? 順番通りと違うんですか」

 村木の側にいた男はあわてて立ち上がりながら、誰にともなく云った。

「順番通りじゃありませんよ。ずいぶん後先きになりますよ。私は朝からでまだ呼ばれませんもの」

 二度目にも呼ばれなかった男は不平そうに言った。

「へえ、それはまた長すぎますね、どういうものだろう?」

「どうもすっかり待ちくたびれましたよ。なあに、こう暇が入るのなら、また出直して来てもいいんですけれど、今まで待って帰るのも馬鹿馬鹿しいしねえ」

 だんだんに控所にいる人数が減っていくにつれて、万遍なくみんなが口をきき出した。

 やがて村木も呼ばれて入っていった。





 村木が行って少したつと、四十五、六の男性的な粗野なものごしをした赤ら顔の、一見筋の悪い口入屋の嬶(かかあ)といった風の女が妙な苦笑を浮べながら石階を降りて、小さな自分の包みを取りに隅の方の腰掛のそばに行った。

「お会いになりましたか?」

 その包みの番をしていた赤ん坊を抱いた細君が、少しくくみ声の物和らかな調子で聞いた。

「ええ、面会所で喧嘩なんです、馬鹿馬鹿しいったら、あれやしない。もうなんにも、かまうもんか!」

 吐き出すような乱暴な口調でそう言うと、日和下駄の歯をタタキにきしませながら、後ろも振り向かずに荒々しく出て行った。

「あのおかみさんは偉いのね、よくあれだけ思い切って言えたわね、私、驚いちゃった」

 面会から戻った女連の誰かが言った。

「おかみさんって、あの赤ら顔のですか?」

 紋付の男が口を出した。

「ええ、さようですの。ずいぶん長いこと言い合ってましたね。よく看守さんもまた、あんなに長くそのままにしといたものね」

「どうしたんです?」

「あの御亭主さんが、窃盗でなんでも七年の宣告を受けたんですって。それが控訴したら、あのおかみさんが証人に呼ばれて何か言ったことが悪かったんで、十三年になったんですって。だもんだから、亭主が怒って、わざとそういうふうに、誰かと腹を合せてしたんだろうって言ってるんですよ」

「へえ、窃盗で十三年、そんな長いのがあるんですかなあ」

「なんでも前科が五犯とか六犯とかなんですって。で、あのおかみさんと一緒になって、まだ一年半とかしか経たないんですって。それじゃ、気心を疑うのも無理もありませんわね」


★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:53 | TrackBack(0) | 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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