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2016年03月28日

第53回 玉名館






文●ツルシカズヒコ



「失敬失敬、上がりたまえ」

 取り次ぎに出た年増の女中の後から、紅吉は指の間に巻煙草をはさんで、セルの袴姿でニコニコしながら出て来て、紅吉一流の弾け出るような声で野枝を引っ張り上げた。

 野枝が案内された部屋には綺麗な格好のいい丸髷姿の岩野清子と、この家のあるじの荒木郁子がいた。

 野枝はふたりに会うのは初めてだった。

 郁子は黒くて多い髪の毛を一束ねにして、無造作にグルグル巻きにしていた。

 大きな黒い目を持った、チャーミングな美しい人で、如才ない愛嬌のある声のきれいな人だった。

 清子は口のきき方のしっかりした、さばけた人らしいけれども、郁子とは対象的に非常に冷静な硬い感じのする人だった。

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 野枝が訪れたのは神田区三崎町の玉名館(ぎょくめいかん)という旅館で、荒木一家が経営する旅館だった。

 中尾富枝『「青鞜」の火の娘ーー荒木郁子と九州ゆかりの女たち』(p30~)によれば、女子美術学校を卒業した十六歳の郁子は目白坂上にあった玉名館の支店(別館/下宿屋兼旅館)を任されていたが、一九一〇(明治四十三)年に郁子の父・官太が亡くなり、支店は売りに出し、郁子が三崎町の本店の女将になった。

 郁子の実姉が荒木滋子である。

 滋子の娘は女優・荒木道子、道子の息子が俳優・歌手の荒木一郎である。

『「青鞜」の火の娘ーー荒木郁子と九州ゆかりの女たち』には、『青鞜』研究者の間では“まぼろし”とされていた玉名館の写真が掲載されている。

『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p353~355)によれば、郁子が『青鞜』創刊時から社員として名を連ねているのは保持の紹介だった。

 保持の日本女子大卒業式に出席するために、保持の母が愛媛から上京し玉名館の支店に宿をとり、保持も同宿した。

 保持が若女将と話を交わすと、若女将はなかなかの文学通だった。

 文学談義が弾み、郁子が森田草平の小説『煤煙』のヒロイン・朋子が好きなことを知った保持が「そのモデルは私の友人だ」と言うと、「ぜひ会わせてほしい」となり、保持がらいてうと郁子を引き合わせたのである。

 郁子には南洋でゴム園を経営している年輩のパトロンがいて、玉名館の支店を買ったのはこの男だった。

 しかし、その人物はめったに姿を現さず、郁子は早稲田出の若い文学青年に夢中で、酒がまわると手放しでその青年のことを話して聞かせるようなところがあった。

 玉名館は「古くさい、小さな旅館」だったが、社会運動家の宮崎民蔵(たみぞう)が定宿にしていて、民蔵の弟の宮崎滔天(とうてん)との関係もあり、中国革命の志士が宿泊していたりと、出入りする人間が多士済々だった。


 荒木さんという人は、ものの考え方にとくに新しいもの、進歩的なものを意識的にもっていたわけではなく、むしろ感覚的、情緒的に素早くものをとらえて行動するひとでしたから、なにをしても終りを全うしえない点はありましたが、当時としては因習的ななにものにも縛られず、母親や弟妹をかかえ、家業の責任も一人で背負いながら、その環境のなかで大胆で自由な生き方をした一つの典型的な女性でした。

 お嬢さん育ちの多かった初期の青鞜社員のなかでは、とくに荒木さんは異色の存在で、その書くものも自由奔放、「青鞜」が最初の発禁処分を受けたのは、この人の小説によるものでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p355)


『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p357~358)によれば、その発禁処分になった荒木の小説「手紙」は(『青鞜』一九一二年四月号・二巻四号)、人妻が若い愛人にあてた手紙形式で密会のよろこびを語る官能的なものだった。

 四月十八日の夜十時ごろ、本郷区駒込千駄木林町の物集高見邸の物集和子の部屋(青鞜社の事務所)を巡査が訪れ、発禁を告げたのである。

 これを機に物集和子は青鞜社を離れ、青鞜社事務所は本郷区駒込蓬萊町の万年山勝林寺に移転した。





 堀場清子『青鞜の時代』(p101)によれば、岩野清子は一八八二(明治十五)年に東京に生まれ、小学校教員をしたり新聞社などで働きながら、女子の政治結社への加入や政談集会への参加を禁じた、治安警察法第五条の改正請願運動に尽力した活動家だった。

 岩野泡鳴と同棲する前、清子は失恋から小田原の国府津(こうづ)の海に投身自殺をしたが、漁師に救われた。

 らいてうたち青鞜社の社員が、初めて清子に会ったのは、一九一二(明治四十五)年の四月、田端の「筑波園」だった。

「荒川堤の桜を遠く望みながら」(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p358)、大阪市外の池田から上京した岩野泡鳴、清子と会ったのである。

 らいてうは、清子の大きな丸髷と厚化粧、そして濃いグリーンのマントが印象に残った。

 らいてうたちもマントはよく着たが、みな束髪だった。

 大丸髷とマントの不調和が特に印象的だったと回想している。

 清子は歯切れのよいきれいな声で語り、華やかな笑い声をあたりにふりまいたが、巻煙草をはさんだ細く筋立った指先が、たえず神経質に震えていた。





 郁子が目白で下宿屋をしていたころ知り合いになった、知名の文士たちの話を始めた。

御風さんは、そりゃ神経質な人よ。私なんか行っても、帰りには下駄までそろえて下さるような方だけれど、他に悪く言われたり書かれたりすると、一日中、蒲団を被って寝てしまうのよ、ずいぶん気が小さいでしょう」

 三人は器用な手つきで煙草を吸いながらよく話した。

 中尾富枝『「青鞜」の火の娘』(p)によれば、紅吉は巻き煙草派だったが、荒木は「朝日」の刻みを煙管で吸うのが好きだった。

 野枝はおとなしく聞き手になっていた。

 さっきからしきりに郁子の顔と野枝の顔を見比べ、何か言いたそうだった紅吉が、郁子の話を遮り、高音を発した。

「ご覧なさい、岩野さん。荒木さんと野枝さんとよく似ているじゃありませんか。姉妹のようです。本当に似ています」

「え、そうおっしゃれば似てらっしゃるわね」

「そう? そんなに似ている? うれしいわね、妹がひとり増えたわ」

 郁子がそう言って陽気に笑った。





「荒木さん、あなたは九州だって言いましたね。野枝さんも九州、だから似ているのかなあ」

 紅吉はさぐるような目つきをした。

「荒木さん、九州ですか、どこです?」

「私は東京で生まれたのですけれど、父は熊本の者ですよ。熊本の田舎なのよ。あなたは?」

『「青鞜」の火の娘』によれば、郁子の父・荒木官太は熊本県玉名郡八幡村大字川登、現在の熊本県荒尾市川登の出身である。

「玉名館」の「玉名(ぎょくめい)」は、郁子の父の出身地「玉名(たまな)」にちなんでいるのである。

「私は福岡の田舎ですけれども、かなり前から国を出ていますから。筑後だの長崎だの、あちこち行きました」

「筑後には、銀水村といういうところに私の叔母がいますよ」

「おや、銀水村って三池郡でしょう。私の叔母もあの近所にいますよ。大牟田のひとつ手前の小さな渡瀬(わたぜ)って駅の前に」

「そう、それじゃ、いよいよ姉妹になりましょうね、ホホホホホ」

 郁子は愛想よく誰とでもそんな調子で話した。





 十時を少し過ぎると、清子が目黒までだからと言って帰った。

 野枝もそろそろ帰ろうと思ったが、紅吉が一緒に帰ると言ってなかなか立たせてくれなかった。

「山手線がなくなると困るから、私、帰りますよ」

 幾度か野枝は言った。

 辻があの冷たい部屋で、ポツリと私の帰りを待っているのだろうと思うと、じっと座っている気はなかった。

「本当に泊まっていらっしゃいな。お家の方には明日になって、どんなにだって、私、お詫びしてあげますわ。もう遅いし、それに寒いから泊まっていらした方がいいわ」

 郁子もそう言って勧めた。

 野枝は辻がいつまでもいつまでも寝ずに待っているだろうと思うと、自分だけ寒さをいとって、ここで寝る気にはなれなかった。

 といって、巣鴨橋から染井橋をつなぐあの長い長い煉瓦塀とそれに沿った一本道を考えると、本当にこんな夜半にその道をたったひとりで歩くことはとてもできなかった。

 野枝は家の方に心を引かれながら、とうとう泊まることにした。





 寝る前にお湯に入ろうという郁子の後について、三人で湯殿に行った。

 丸々とはち切れように肥った大きな紅吉の体を、野枝と郁子は驚きの目を見張って眺めた。

 紅吉の前には郁子も野枝も、見るからに貧弱な体だった。

「でも、あなたはまだいい。哥津ちゃんはまだ痩せてますよ」

「でも私とそんなに違いはないわ。哥津ちゃんは背が高いから、よけい痩せて見えるのでしょう」

 と、郁子は本当に好奇な目つきをして紅吉の体をさすり出した。

「いやだっ!」

 お腹の底から飛び出したような声と一緒に、湯槽の中に「どぶん」と凄まじい音がした。

 紅吉も郁子もお腹を抱えて笑いこけた。

 野枝もびっしょり飛沫を浴びながら、目を丸くして笑い出した。





 三人は賑やかにお湯から上がると、郁子はいろいろな化粧品を持ち出した。

 部屋の隅でなにかしきりにやっていた紅吉が、ふたりの前に来て、

「ね、素敵でしょう」

 と、胸をそらしている。

 紅吉は宿泊客用の広袖の貸浴衣を着て、兵児帯を腹の上に巻いて、頭を髪の毛が見えないように手拭で包んで、胸をそらしてそこにどっかりと座った。

「まあ、紅吉のいたずらーー」

 ふたりは笑いながらも感心して見た。

 裸体のときには丸々とした女の肉体だったのが、こうして座るとまるで男になり切っていた。

「まあ、すっかり男になってね、本当の男のようよ」

「そうでしょう。だってね、僕がソフトを被ってマントの襟を立てて、紺足袋に男下駄をはいて、煙草をふかしながら、妹を連れて歩くとね、いろんなことを言って冷やかされるの、本当の男に見えるんでしょうね」

「そりゃそうだわ。その柄ですもの。そんななりをすれば、間違えない方がどうかしてるわ」

「茅ケ崎でみんなで写した写真ね、あれにも紅吉は本当に不良少年って顔をしているわね」

「あれはずいぶんあのとき、怒っていたときだったからよ、ねえ、紅吉」

「ええ、あのときはずいぶん癪に障(さわ)っちゃった、子供がねえ、だからみんなうまく撮れなかったのね」

 郁子は女中を呼んで床をのべるように言いつけた。

「寒いから僕は真ん中に寝ますよ」

 言うやいなや、一番に紅吉は床の中にもぐり込んでしまった。

 野枝は壁の方に、郁子は窓の方に、紅吉を真ん中にして寝た。

 紅吉は真ん中にいながら、少しもじっとしていないので、野枝は壁に押し寄せられて、身動きもできなかった。



荒木郁子(1) ※岩野清子(1) ※岩野清子(2) ※荒木一郎2



★中尾富枝『「青鞜」の火の娘ーー荒木郁子と九州ゆかりの女たち』(熊日出版・2003年6月24日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★堀場清子『青鞜の時代ーー平塚らいてうと新しい女たち』(岩波新書・1988年3月22日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:09| 本文

第52回 阿部次郎





文●ツルシカズヒコ


 一九一二(大正元)年十一月の末。

 その日は夕方から、青鞜社の事務所がある本郷区駒込蓬萊町万年山(まんねんざん)勝林寺で、阿部次郎がダンテの『神曲』の講義をする研究会のある日だった。

 毎月一日発行の『青鞜』の校了は前月の二十五日前後のようだが、この日は『青鞜』十二月号の校了後であろう。

『青鞜』十二月号(二巻十二号)には野枝の「日記より」が掲載された。

 野枝が寺の内玄関の正面にかかった大きな郵便受けから郵便物を取り、選り分けていると、めずらしく自分宛てのハガキがあった。

 特徴のある字から、紅吉からであることがすぐにわかった。


 けふ研究会がすんだらゐらつしやい。

 この間の約束の通りに。

 岩野さんはゐらつしやるらしい。

 晩の御飯は私の家で召あがれ。

 私はあなたの言葉を信じて待つてゐますよ。


(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年1月6日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p20/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p134)

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 岩野泡鳴夫人の清子さんに会いたいという野枝の言葉を、紅吉は覚えていてくれたのだ。

 野枝は紅吉の親切をありがたいと思い、ぜひ行こうと思った。

 万年山勝林寺本堂裏の十畳ほどの座敷が青鞜社の事務所だった。

 野枝は火種をもらって火を起こしたり、卓子(テーブル)を直したり、ボールドの掃除をした。

 この日の研究会に出席するのは、らいてう、哥津、野枝の三人だけだった。

「ずいぶん今日は寒いわね」

 哥津は本当に寒そうに肩をすぼめた。

 日暮れ前の広い座敷の空気がしんしんと三人に迫った。

 らいてうがいつもの静かな調子で言った。

「阿部先生はずいぶん大変ね、大井からですもの。ここまではかなりあるのですものね。それでたった三人くらいじゃお講義していただくのにお気の毒なようね」





 哥津が西崎花世たちが事務所を訪れたときの紅吉のそぶりを、思い出すように笑いながら言った。

「西崎さんのことをよほど気になったらしかったわ。ここにいらっしゃい、いらっしゃいというのがおかしくて、私たまらなかったわ」

 野枝もあのときの紅吉の興奮した言動を思い出し、おかしさがこみ上げてきた。

「でも野枝さんもあの晩は、ずいぶんはしゃいでいたのね。私、あんなに騒ぎやだとは思わなかったわ」

「そう……」

 野枝はきまり悪そうに微笑んだ。

「そりゃそうですともね。まだ若いんですもの。今に騒げなくなるときがじきにくるわ。今、騒いでおかないと。それからね、新年号の執筆をお願いする手紙を書かなければならないから、また来てちょうだいね。また新年号の編集が忙しくなりますよ」

 らいてうが若いふたりの顔を等分に見ながら、気持ちよく調子よく言って、後ろの時計を見た。





 阿部次郎の講義が終わり、三人は外に出た。

 白山までは一緒だった。

 哥津は白山から電車に乗り、らいてうと野枝は曙町まで一緒に行き、そこから野枝は染井まで長い長い通りをひとりで歩いて帰るのだった。

 真向かいから吹きつける寒風に逆らって歩きながら、野枝は紅吉のハガキのことを思っていた。

 この寒い夜に根岸まで行くのはなかなか大変だった。

 電車の不便な駒込の奥からでは、十時より遅くなれば山手線がなくなり、市内電車に乗るしかなくなる。

 そうなれば巣鴨橋で降りて、山手線の掘割に沿った両側の二本の道のどちらかを歩くしかない。

 一本は森に沿った崖っぷちの細い道、もう一本は岩崎の長い長い煉瓦塀に沿った気味の悪い道だ。

 野枝は寒さに堪えながらできるだけ急いで歩いた。

 染井橋を渡り終えると、向こうから飼い犬のジョンが勢いよく駆けて来て、野枝に戯(じゃ)れついた。

 野枝は軽く犬の頭を叩いてやりながら、ジューと音を立てて青い火花を散らしてレールの上を走って行く山手線の電車を見ながら、時間を考えていた。

 ふと、一度家に帰ってから紅吉の家に行ってみる気になった。

 歩いたので体はもう寒くはなかった。

 帰宅して自分たちの部屋に入ると、いつも机の前に座っている辻の姿はなかった。

 正面のスピノザの顔だけが、静かに空虚な部屋をいつものように見下ろしていた。

 野枝は辻が留守だったのでがっかりした。

 あの刺すような冷たい風に逆らいながら、一心に帰ってきた自分の気持ちのやり場がないように立ちつくした。





 隣室から義母・美津に優しい言葉をかけられたので、暖かい部屋に入っていった。

 火鉢に当たりながら、帰りの遅い辻をこのまま待つより、紅吉のところに行った方がよいと決心した。

「寒かろうに……」

 美津の言葉を後ろに、野枝は暗い寒い外へ出た。

 駒込駅の階段を降りるころは寒さに震えていたが、元気がよくはち切れるような、つき出てくるような紅吉の声を思い出しながら、覚えのある根岸のあたりを歩いているころには、たいぶ体が暖かくなってきた。

 根岸には二年あまり住んでいたので、女学校を卒業してからどうしているのかわからない同窓生の家の前などを何軒も通り過ぎながら、いろいろなことを懐かしく思い出していた。

 紅吉の家にようやく着くと、はっとした。

 家の中がひっそりとして、紅吉がいそうなようすがない。

 案内を請い名前を言うと、出て来た女中が早口で言った。

「それならば夕方、お客様と一緒に、神田の三崎町の荒木さんとおっしゃる方のところへお出かけになりました。あなた様がおいでになりましたら、そちらへいらして下さいますようにとおっしゃってございました」

 野枝は紅吉の態度を怒らずにはいられなかった。

 こんな寒い日に、わざわざ呼びつけておいて、自分は勝手に出かけてしまうなんて……。

 神田になんて行くものかと怒りにまかせて足を返したが、帰っても辻はまだ戻ってはいないだろうから、帰る気にもなれなかった。

 寒空をわざわざ染井の奥から出て来たのだから、紅吉にも会って帰りたくなった。

 とうとう電車に乗って三崎町で降りると、尋ねる家はすぐにわかった。


★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 17:24| 本文

第51回 伊香保






文●ツルシカズヒコ



『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p397)によれば、一九一二(大正元)年十月十七日、『青鞜』一周年記念会が鴬谷の「伊香保」で開かれた。

「伊香保」は当時、文人墨客がよく利用する会席料理屋として知られ、常連だった尾竹竹坡の紹介で会場が「伊香保」に決まった。

 らいてう、瀬沼夏葉、生田花世、紅吉、神近市子などが出席した。

 らいてうはこの席で女子英学塾三年に在学中の神近市子と初めて会った。

 七月ごろ神近はらいてうに小説を郵送し、八月には青鞜社の社員になった。

 神近市「手紙の一ツ」という小説は『青鞜』九月号に掲載された。

 らいてうは神近に理知的な頭脳を持った有望な人材として期待していた。

 神近は会に遅れて参加した。

 この日は神近が関係していた日曜学校の秋の運動会だったからである。


 私は終日代々木ノ原で子どもたちと走りまわり、夕方……「伊香保」という店に向かった。

 私はヘトヘトに疲れていたが、将来作家になろうという婦人や、それに好意を持つ既成の女流作家の集団に、はじめて参加を許されたのだと思うと、一日の疲労などは吹き飛んでしまうようだった。

                  
(『神近市子自伝 わが愛わが闘い』_p100~101)

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 神近は創刊号から『青鞜』の愛読者だった。

 女子英学塾の文学好きの友人から『青鞜』創刊を知らされ、麹町区にあった大橋図書館で読み、「元始、女性は太陽であった」という宣言を知った。

 当時、女子英学塾は麹町区一番町にあったので、学校の近くの大橋図書館で読んだのである。

 神近はまず「伊香保」が豪奢な料亭なのに度肝を抜かれた。

 宴会場に入ると、二十人近い女性が思い思いの服装で席につき、正面にらいてうが陣取っていた。

 細かい大島紬にセルの袴をはいたらいてうは、もうかなり酔っているらしく、陶然として盃(さかずき)を手にしていた。

 これにも驚いた神近は、らいてうの第一印象をこう語っている。


 私は長崎時代に、何人かの上級生で知的な美をそなえた人を見かけたが、平塚さんの美しさはその人たちとは異質だった。

 長崎の人たちの美は、ラテン語やヘブライ語を学び幾何や代数を考える努力が生み出したものであり、平塚さんの美は仏教や文学をあさる知性と、半ばは貴族の血が生んだものだろう。

 キラキラと光る眼が、年少のものをからかうようにきらめき、私はまともに平塚さんの顔を見ていられないように思いながら、見ることが楽しくたまらなかった。


(『神近市子自伝 わが愛わが闘い』_p101)




                                       
 らいてうによれば神近は、ほとんどひとりで話し続けたという。


 多弁といっても、いわゆる女のおしゃべりではなく、その情熱と理知をもりこんだ多弁は、彼女の書くものと一致したつよい印象を人に与えずにはおきません。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p398~399)


 らいてうは神近の顔にも強い印象を受けた。


 全体としてかたく引きしまった男性的な感じで、大きな目はたえず涙ぐんでいるような、異様な刺戟的な光をおび、なんとなく不安なような、恐ろしいような、危険性をひそめているようにも見えました。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p399)


『神近市子自伝 わが愛わが闘い』(p104)によれば、文学を志していた神近は『万朝報』の懸賞小説に応募して「平戸島」という短篇が当選し、賞金十円をもらったばかりだったが、孤独だった。

 文学について語れる仲間が周囲に誰もいなかったからだ。

 神近は仲間を求めて青鞜社の社員になった。

 らいてうはじめ青鞜社の社員は、「保守的」な女子英学塾から加入した新人を歓待した。

 先輩たちは次々に神近の盃に酒をついだ。

 いつのまにか、久留米絣にセルの袴、顔が浅黒く太って背の高い紅吉が神近の隣りに割りこんできた。

 神近はひと目で紅吉が好きになり、盃を重ねた。

 運動会の疲労と空腹、初対面の先輩と話す緊張感、共鳴する仲間と語り合える開放感、それらが混じり合い酒が神近の五体にしみわたった。





 神近は酔いつぶれた。

 らいてうもこの日は羽目を外して、日本酒の盃をあけた。


 便所の草履をはいたまま廊下を歩いて座敷まで戻ってくるという失敗をやっております。

 後にも先にも、自分が酔ったと意識したのは、このときが生涯で唯一度のことでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p398)


 酔いつぶれた神近を、らいてうはこう回想している。


 ……やがて神近さんは酔いの苦しさに、ひどく青ざめて倒れてしまいました。

 そのときしきりに「私は悪かった、悪いことをした、このことは決してだれにもいわないでください」とくどくど念を押されたことに対して、「神近さんらしくもないーー」という軽い失望を覚えたのでした。

 その後神近さんは「青鞜」に発表するものに「榊纓(さかき・えい)」というペンネームを使うようになりました。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p399)





 神近は活水女学校の生徒だった長崎時代は厳格な禁酒を守っていたが、上京後は禁酒の戒律を捨てていたので、宗教上の罪の意識に悩んだのではなかった。

 女子英学塾からのペナルティを気にしていたのだ。


 それを公表されると、学校からどんな処罰をうけるかわからなかったので、それが気がかりだったのだろう。

(『神近市子自伝 わが愛わが闘い』_p103)


 酔いつぶれた神近は紅吉ら四、五人と「伊香保」に泊まり、翌日、吉原の弁天池近くの尾竹竹坡邸に立ち寄った。

 神近は長崎県北松浦郡佐々(さっさ)村の漢方医、神近養斎の三女として生まれた。

 三歳のときに父を亡くし、父の医業を継いだ長兄も九歳のときに逝った。

 姉の夫が医業を再興する間、神近家は没落の危機に直面し、神近は尋常小学校を休学して他家に女中奉公に出される辛酸を経験していた。

 らいてうは才能に恵まれながら、なにか煮え切れない不徹底さのある神近にもどかしさを感じていたようだが、職業婦人として経済的な自立を望んでいた神近は、卒業を目前にして女子英学塾と揉めたくなかったのだ。



★『神近市子自伝 わが愛わが闘い』(講談社・1972年3月24日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)





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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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