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2016年03月29日
第57回 東洋のロダン
文●ツルシカズヒコ
一九一二(大正元)年十二月二十七日、忘年会の翌々日、らいてうから野枝に葉書が届いた。
昨夜はあんなに遅く一人で帰すのを大変可愛想に思ひました。
別に風もひかずに無事にお宅につきましたか。
お宅の方には幾らでも、何だつたら、責任をもつてお詫びしますよ、昨夜は全く酔つちやつたんです。
岩野さんの帰るのも勝ちやんのかへるのも知らないのですからね、併し今日は其反動で極めて沈んで居ります。
そして何でも出来さうに頭がはつきりして居ります。
今朝荒木氏宅へ引き上げ只今帰宅の処、明日当たり都合がよければ来て下さい。
色々な事で疲れてゐるでせうけれど。
(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年1月31日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p64~65/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p158)
野枝はすぐにらいてうの書斎に行ってみた。
忘年会の夜、「鴻之巣」に残ったみんなはそこに泊まり、翌朝、荒木の玉名館に引き上げたという。
その日、野枝はらいてうの書斎で一日過ごした。
年が押し迫って、雑誌の発送をすませてからは、別に用事もないので、野枝は家の狭い部屋で終日、読書をして過ごした。
野枝は暮れから新年にかけて部屋に入りっきりで過ごしたので、青鞜の人たちの誰がどうしたというようなことも忘れがちだった。
そのころ、野枝と辻は窮迫のどん底にいた。
ペン先一本さえ買えないことがあったくらいなので、正月の年始に出かけようにも着替えるものさえなかった。
辻潤「ふもれすく」(『辻潤全集 第一巻』)によれば「無産者の教師が学校をやめたらスグト食(く)へなくなる」ので「とりあへず手近な翻訳から始めて、暗中模索的に文学によつて飯を食ふ方法を講じようとしてみた」(p388~389)辻は、陸軍参謀本部の英語関係の書類を翻訳したり、ロンブローゾ『天才論』の英訳本の翻訳に取りかかった。
『天才論』の翻訳は前年六月に取りかかり三か月半余りで訳し終わり、秋ごろ出版予定だったが佐藤政次郎に紹介された本屋がつぶれ、その後出版社がなかなか見つからなかった。
一九一三(大正二)年一月七日の朝、紅吉から野枝にハガキが届いた。
大森町森ヶ崎の富士川旅館に宿泊しているらいてうから紅吉に手紙が届き、それには野枝に万年山の事務所に行ってもらい、郵便物に目を通してほしいとのことづてが書いてあったという。
野枝はすぐに家を出て万年山に行き、郵便物を調べ、送られて来た新年の雑誌の中から目ぼしいものを抜き出し、それを抱えて夕方ごろ帰宅した。
すると、また紅吉からハガキが届いていた。
新年会について相談したいので、八日に紅吉の家に来てほしいとの文面だった。
野枝が翌日の八日、紅吉の家に着いたのはかれこれ日が暮れた六時か七時ころだった。
二階には神近さんと哥津ちやんと紅吉がゐた。
紅吉のお父様の越堂氏が客とお酒を飲んでお出になつた。
紹介されて、それが彫刻家の朝倉文夫氏だと分つた。
私達もそのお酒の座に一緒に連りながら色々なお話をした。
神近氏には前に、研究会で一緒になつた限(き)りであつた。
一座は賑やかに、種々な話をした。
(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年1月31日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p66~67/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p159)
「東洋のロダン」とも称される彫刻家、朝倉は高村光太郎と並ぶ日本美術界の重鎮への道を歩み始めていた。
実兄の渡辺長男(おさお)も彫刻家で、軍神広瀬中佐像は長男が制作、下部台座の杉野兵曹長の像は朝倉が制作した。
「富本憲吉と一枝の家族の政治学(2)」によれば、谷中天王寺に住んでいた朝倉は尾竹越堂と近所付き合いをしていたが、一九一三(大正二)年秋の第七回文展に越堂の父親の倉松をモデルにした《尾竹翁》を出品することになり、当時、朝倉はしばしば越堂宅を訪れていたようだ。
朝倉は後に、おそらくこの日のことだと思われる、回想を記している。
ある日、越堂さんから招かれて『きょうは“新し い女”に酌をしてもらおう』ということで、紅吉、市子、 野枝の三女史が青鞜社の出版事務をしているのをつかまえて、越堂老が『青鞜社の事務は青鞜社でやれ、せっかく客を招いたからもてなせ』と大喝したもので、大いにご馳走になったのだが、越堂さんは『芸者の酌などというものはつまらんもので、 “新しい女”のお酌で飲む酒は天下一品』だとひどくごきげんだった。
おそらく、この人たちのお酌で飲んだ人はあまりいないだろう。
(朝倉文夫「私の履歴書」/『日本経済新聞』1958年12月連載/『私の履歴書 文化人6』_p34~35)
「どうも、家の一枝を連れて歩きますと、実に堂々としておりますな。たいがいの男は、これを見上げていきますので、それだけでも鼻が高いように思われますよ、ハハハハ」
盃を手にしながら越堂が巨(おお)きな体を揺すって笑った。
「伊藤さんはおいくつです?」
越堂は、野枝を見ながら言った。
「私ですか」
野枝が答えかねていると横合いから、
「野枝さんは本当に老けて見られるのね、本当に当てた人はめったにないわ」
と哥津が笑った。
「私が当ててみましょうか」
朝倉も笑いながら、
「さあ、おいくつですかね。十九ですか、二十ですかね。一にはおなりにならないでしょう」
「当たりました。朝倉さんは偉いんですね。やはり血色やなんかで当てるのですか」
紅吉が頓狂な声で朝倉の方に向いたので、みんな声を合わせて笑った。
シンガポールやボルネオの視察に出かけたことのある、朝倉の南洋の話がみんなの興味を引いた。
話題はそれからそれへと飛び、刺青の話になった。
「刺青なんて、一般には嫌われていますけれど、芸術的な画でも彫ればちょっとようござんすね」
と誰やらが言い出した。
「そうですね、しかし人間はかなり倦きっぽいものですから、倦きなければいいけれど、取り替えるわけにはゆきませんからね」
朝倉に考え深くそう言われてみると、なるほどそうかもしれない。
「けれども、私はこう思いますわ。本当に自分の一生忘れることのできないような人があれば、その人の名を彫るということは大変にいいように思います」
神近のこの説に一番賛成したのは越堂だった。
家の娘たちもこれから夫を選ぶ際は、そのくらいの真実な心意気が欲しいなどと、越堂がくどい調子でなんべんも繰り返して、紅吉を嫌がらせた。
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
★『辻潤全集 第一巻』(五月書房・1982年4月15日)
★『私の履歴書 文化人6』(日本経済新聞社・1983年12月2日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第56回 軍神
文●ツルシカズヒコ
紅吉は頑固に黙ってしまった。
荒木の軽いお調子にもなかなか乗ってはこなかった。
しまいにはぐったりして、野枝の膝を枕にして寝てしまった。
哥津はとうとう帰り支度を始めた。
岩野も先が遠いからと仕度を始めた。
野枝の膝には紅吉がいたので、野枝はらいてうと一緒に帰ることにして、哥津と岩野は先に座を立った。
西村は蒼い顔をいよいよ蒼くして、背を壁にもたして荒木と話をしていた。
とうとう哥津とは言葉もろくに交わさなかった。
野枝は哥津の優しい心遣いを西村に伝えたかったが、そうしたところでどうにかなるものでもないので、そのままにした。
しばらく横になっていたらいてうが起き上がり周りを見回しながら、
「岩野さんは?」
「哥津ちゃんと岩野さんはもうお帰りになりましたよ」
「そう」
らいてうは煙草に火を移しながら、荒木の顔を見た。
四人はまた話を始めた。
荒木もらいてうも西村も、まだ酔いはすっかり醒めてはいなかった。
荒木は歌を歌い出したりした。
野枝は義歯を取った荒木の顔の変わったさまに見入りながら、時間のことが気になり出した。
「もう遅いから、今夜はこれから私の家に来てお泊まりなさいな、みんないらっしゃいよ」
荒木はそういって、野枝の家に電報を打つことを勧めた。
野枝はどうしても電車のなくならないうちに帰りたかった。
「じゃあ、早い方がいいから、お帰んなさい。紅吉は私の膝にとりましょう」
野枝がぐっすり寝込んでいる紅吉の重い頭を持ち上げて、荒木の膝に移して立ち上がろうとした瞬間、紅吉が仰向いたまま嘔吐を始めた。
正気を失った紅吉はまるで死人のようだ。
みんなこの日に飲んだお酒の量を考えた。
荒木が素早く立ち上がり、手を叩いて、手拭やお湯や雑巾などを頼んだ。
「帰るのなら私たちにかまわず、早くお帰りなさい。もう電車ではちと危ないから俥(くるま)の方がいいでしょう」
らいてうがそこにいた主人に俥をあつらえさせ、野枝と一緒に下に降りながら、
「気をつけてお行きなさいね。家で何か言ってきたら、私が責任を持ってお詫び申し上げますからね」
優しくいたわる調子はもう酔いが醒めていた。
俥が来て野枝が乗ってしまうまで、らいてうは門口に立っていた。
すっぽり幌を被せて門口を離れるとき、
「さようなら、気をつけて」
というらいてうの言葉が追っかけて来た。
俥は夜更けの町を音もなく走り出した。
万世橋に出たときにはもう往来する電車も途絶えて、アーク燈がさびしく光り、静かにその光を浴びて軍神の銅像が立っていた。
野枝はそのとき初めてあのいつも雑沓する須田町に、こんな静寂のときがあることを知った。
昌平橋を渡って松住町(まつずみちょう)の角を曲がるころに赤電車が一台、本郷の方から来た。
俥に揺られながら、野枝はいろいろなことを考えた。
哥津と紅吉の不快さを思い遣ると同時に、そういうふたりの前で大ぴらに自分のそばに西村を引き寄せて、頓着なしに自由に自分を振る舞っていたらいてう。
普通の女にはちょっと真似のできないことではないだろうか。
らいてうは自分たちよりずっと偉(おお)きなものを持っているに違いないと、野枝は思った。
悧巧な哥津は、もう体よく西村との関係を打ち切ってしまうだろうが、可哀そうなのは紅吉だ。
紅吉は先月から新年号の表紙に立派なものを描き、自分で彫るのだと早くから準備をしていたが、なかなか出来上がらなかった。
野枝は三、四日前にその催促のために、紅吉の家まで出かけて行ったときのことを思い浮かべた。
紅吉は二階で臥(ふせ)っていた。
中耳炎で氷嚢を当て、冷やしているという騒ぎだった。
それでも紅吉はすばらしい表紙について話したが、すぐに疲れたような顔をした。
野枝がすぐに帰ろうとすると、紅吉は今日はいつまでもいてくれるようにと懇願するので、野枝はそのまま紅吉の枕元に座った。
「茅ケ崎のこと知っている?」
「今日はその話はおよしなさいね。また今度うかがうわ」
「いやだ、今日聞いてくれなくっちゃ、私は話したいんだから、ね、聞いてくれるでしょう」
「少しは平塚さんから聞いて知ってるわ」
「嘘! 嘘! ああ、あの人のいうことなんか信用しちゃ駄目だ。あの人は自分のいいようにしか言いやしない。あなたはそれを信用しているの、駄目だ駄目だ」
「私は知らないんですもの仕方がないわ。まさか平塚さんがそんなにご自分に都合のいいことばっかり、おっしゃりはしないでしょう?」
「いいえ、あなたは知らないんです! きっとあの人は嘘をついたにちがいない。あの人は大人ですよ、私たちのように子供じゃないんだから、あなたは騙された。あなたの聞いたことはきっと嘘だ」
紅吉は激して目にいっぱい涙をためて滅茶苦茶に泣き声をたてた。
野枝は紅吉があまりにひとり決めで傲慢なので腹が立ち、面倒くさくなって黙った。
紅吉も黙っていっぱい涙をためて、枕元に座っている私の顔を眺めた。
野枝は紅吉のその顔を見ていると可哀そうになって、話を聞いてやる気持ちになった。
紅吉はらいてうと奥村の最初の出会い、奥村が南湖院に泊まった雷鳴の夜のこと、翌日のこと、そのまた翌日のことを興奮して夢中になって語り続け、涙をボロボロこぼした。
野枝も引き入れられるように胸に迫ってくるものを感じたが、らいてうや保持からも話を聞いている野枝にとっては、はたしてどれがどうなのかはわからない。
野枝は夜更けた町を走る俥の上で、らいてうと紅吉と西村と哥津との関係を考え続けていた。
――哥津ちゃんはさらりとすべてを捨ててしまえるだろうが、だんだんに進んで行く西村さんと平塚さんの関係を、紅吉がどう見るのだろうか。
平塚さんは静かな調子で笑いを含んで鷹揚に、紅吉のいかなるところもひっくるめて抱こうとしている。
紅吉は平塚さんの冷淡さに不平を持っているが、平塚さんに対する愛を放棄する勇気もないのだ――。
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』によれば、らいてうにとって西村は奥村が姿を消した後に「わたくしの心の隙間へ、一人の青年がすべりこんで来ました」(p411)という存在だった。
西村は自分が奥村を南湖院に連れて行ったために、騒ぎのもとを作ったことを詫びる手紙をらいてうに書いた。
そんなことがきっかけで、ふたりの個人的なつき合いが始まった。
「お姉さま」という呼びかけ調の手紙が、おりおり西村かららいてうに届いたという。
西村陽吉は東雲堂書店の経営者である西村家に養子に入っていて、西村家の美しい娘さんと許嫁の関係にあったので、西村と哥津の関係は「野枝さんなどが想像するようなものではなく、ごく淡いものであったに違いありません」(p412)とらいてうは見ている。
下町の地理に明るい西村に案内されて、らいてうにとっては珍しい場所をふたりで歩いたという。
いっしょに浅草を歩いていて、ふと気紛れをおこし、「太陽閣」という温泉料理の大衆娯楽場(?)で、あまり上等の趣味でない場所をのぞいたこともありました。
いっしょに歩くとき、たまに手をつなぐぐらいのことはあっても、それ以上にこちらの気持ちに踏みこんでくるようなことのない平静な節度のある人でした。
(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p412)
※万世橋駅前
★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第55回 メイゾン鴻之巣
文●ツルシカズヒコ
一九一二(大正元)年十二月二十五日、クリスマスのこの日は『青鞜』新年号の校正の最後の日だった。
帰りにどこかで忘年会をしようと、らいてうが言い出した。
文祥堂の校正室にはらいてう、紅吉、哥津、野枝、岩野清子、西村陽吉がいた。
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』によれば、京橋区新栄町にあった東雲堂が発行する出版物は、築地にある文祥堂で刷っていた。
らいてうの記憶では校正室は二階の明るい畳の部屋だった。
六人は日暮れごろに文祥堂を出て、八丁堀を抜けて小網町のメイゾン鴻之巣へ行くことになった。
らいてうと西村のことは、らいてうの身辺に終始、目を光らせている紅吉が感づかないわけにはいかなかった。
紅吉は昼間からイライラしていて、マントのポケットからウイスキーの瓶を出しては呷(あお)っていた。
紅吉は青い陰のある不快な顔をしながら歩いていた。
哥津も沈んだ顔をしながら前屈みに野枝と一緒にみんなから遅れて歩いた。
茅場町のあたりに来たとき、先を歩いていたらいてうが野枝たちを待っていて、荒木と中野に電報を打って呼ぼうと言った。
野枝と哥津は鎧橋を渡ると、鴻之巣に入る人たちと別れて、明るい通りを郵便局を探しながら歩いた。
「西村さんはなぜ来たのでしょうね」
哥津がふとそんなことを野枝に言った。
「岩野さんが不快に思ってなさるでしょうね。一緒になんか来なきゃいいのに」
ちょうどそのとき、岩野泡鳴と東雲堂との間で版権のことかなにかで、揉めていた。
清子は東雲堂の不当な処置について始終、憤慨していたので、野枝は忘年会の席でその話が出たらマズイと思っていた。
哥津もそのことを気遣っているのである。
ふたりはようやく郵便局を探し出して、電報を打って小網町の方に戻って来た。
この日は昼間から、哥津も紅吉も不快感に襲われているのは野枝にもわかっていた。
神経衰弱気味だという哥津の横顔が沈んでさびしかった。
鎧橋の停留所で哥津は、このまま帰ると言い出した。
「今夜はなんだがつまらないから、平塚さんにそう言ってちょうだいな」
「じゃ、私も一緒に帰るわ、そんなにおもしろいこともないから」
「あなたはいらっしゃいよ、みんな待っていてよ」
「じゃ、あなたもいらっしゃいよ、帰るんなら一度行ってからだっていいじゃありませんか。ね、一緒に行きましょうよ、いらっしゃいよ」
野枝は無理やりに哥津の手を引っ張って鴻之巣に入った。
みんなは往来に向いた方の二階にいた。
「哥津ちゃん、いやに沈んでいるじゃありませんか、どうしたの?」
らいてうも清子も浮かない顔をしている哥津を気にして聞いた。
「いいえ、何でもないのよ」
哥津は申し訳ばかり微笑むと、暗い顔に戻り、窓に腰かけてカーテンをいじったりしている。
紅吉は哥津と向かい合わせに、らいてうと清子に挟まれて座っている。
料理が運ばれ、みんなにいくぶんお酒がまわってくると、場は少し賑やかになった。
一時間ほどして、荒木が晴れやか笑顔をかしげて入って来た。
ようやく人並みにおしゃべりを始めたらいてうが嬉しそうに笑った。
紅吉も荒木の顔を見ると元気になった。
紅吉は青い顔をして神経の尖った目を落ち着きなく一座に漂しながら、自棄(やけ)に盃を重ねていたが、ウイスキーが飲みたいと、ポケットのもなくなったのか、ウエイトレスに注文して荒木の隣りに座を移した。
「荒木さん、忘年会だから本当に年忘れするほどお飲みなさい、私も飲むわ」
ほろ酔い加減になってきたらしいらいてうも、ようやく普段の姿を崩し、荒木に盃をすすめた。
紅吉が泣き出しそうな顔をして眼にだけは強く力を入れて、ジッとらいてうを見つめていた。
野枝は紅吉が可哀そうになり、立ち上がって窓の外の物干台に出た。
熱(ほて)った頬に冷たい冬の夜気があたって、なんとも言えない好い心持ちでそこに佇んだ。
哥津もやってきた。
「好い気持ちね」
ふたりはそう言って、星の空を見上げた。
「紅吉が可哀そうで仕方がないわ。平塚さん、もう少しどうにかしてやってくれるといいのにね」
哥津はそう言って部屋の中を見下ろして、
「私もう帰りたいわ」
としみじみ言った。
「帰りましょうか、ふたりで」
「ええ」
哥津と野枝が座敷に戻ると、清子が横になっていた。
すっかり酔ったらいてうが、清子を起こそうとした。
「起きなさいよ、岩野さん、どうしたんです」
「どうもしないけれど、酔ったんですよ。平塚さん、送って下さいよ、私の家まで」
「あなたのお家、目黒まで? 私の帰りにまた送って下さる?」
「だってそんなことしていれば、夜が明けてしまうじゃありませんか。お泊まんなさいな、いっそ私の家にいらっしゃいよ」
「あなたのお家のどこにおいて下さるの?」
「私の三畳の部屋を明け渡すわ」
「そうですか、それで岩野、平塚と軒燈を出すんですか」
「ええ、ええ、そうですよ」
野枝は思わず笑った。
清子が泡鳴とまだ夫婦関係ではなかったころ、遠藤、岩野と軒燈にふたりの姓を出していたという話をしたことがあり、らいてうはそれを言ったのだ。
「平塚さん、本当に仲よしになりましょうよ、私の家にいらっしゃいな。お手を出してごらんなさい」
清子の指から、らいてうの指に無造作に細い綺麗な指環が移された。
普段が普段だけに、ふたりして子供のような無邪気な可愛い対話をするのを、野枝は不思議な心持ちで眺めた。
★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第54回 西村陽吉
文●ツルシカズヒコ
一九一二(大正元)年十二月、『青鞜』新年号の編集作業が佳境になったころ、野枝は一日おきくらいにらいてうの円窓の部屋に通っていた。
しばらく、野枝は紅吉とは遭遇しなかった。
行くたびに哥津ちゃんと会った。
野枝は少しずつ青鞜社の仲間に交じっても、落ちついて対応できる余裕を持てるようになってきた。
野枝にとってそれまで自分の周りには見出すことができなかった、自由で束縛のないその人たちの生活に、最初は驚きとまどったが、じょじょに引き込まれていくのが自分でもわかった。
初めのころは野枝はたいていみんなの話を聞いている側だった。
野枝には何を読んでも、みんなの仲間に入ってそれを批評する力はなかった。
読んだものや書いたものをみんなで自由に批評したりするのを、野枝はうらやましいと思いながら聞いていた。
野枝にとって、哥津ちゃんはただわけもなく好きなところのある人だった。
らいてうと哥津にはさまれて話をしているとき、それは野枝にとって本当に気持ちのいいときだった。
そのころ「哥津ちゃんの江戸趣味」と「哥津ちゃんのロマンス」が、みんなの口に少しずつ上ってきた。
ロマンスの相手は東雲堂の若主人、西村陽吉だった。
ふたりはどこかで落ち会っては、向島など下町を歩きまわった。
ふたりとも子供の時分の懐かしい思い出の多くを浅草あたりに持っているので、歩きながらその思い出を話し合ったりして喜んでいたらしい。
野枝たちはふたりの関係の進展を熱心に見守っていた。
しかし、語り合う思い出もおおかた語りつくし、歩きまわる場所も新しく探さなくてはならなくなるころ、ふたりの関係は淡いものになってしまった。
それはふたりが悧巧で用心深い性格だからということもあるが、他の理由もなくはないと、野枝は思った。
らいてうも初めはやはり微笑みながらふたりを見守っていたが、何事も究極まで突き詰めて考えないと満足できないらいてうは、ふたりの煮え切らない態度が焦れったくなってきたらしかった。
実際、野枝にもふたりの関係が真剣なのか遊戯なのよくかわからない、不思議な関係に思えた。
「哥津ちゃんも西村さんも、ふたりとも悧巧であんまり周囲が見えすぎるから駄目なのね」
らいてうが、しょうがないというような笑顔をして野枝に言った。
「ふたりとも石橋を叩いて渡る人だからね、真剣にはなれないわ」
そんなことも言った。
「哥津ちゃんはなかなか話さないのね。でもやはり黙っちゃいられないと見えて、あっちこっち歩いて来て、あとであすこはいいわねっていうようなことを言うから、西村さんと行ったんでしょうと言うと、ええなんて笑っているのですものね。でも本気なのかなんだか私にはわからないわ。でも中野さんには話すのね。中野さんが私のところへ相談に来たのよ」
青鞜社の発起人である中野初と木内錠子、そして哥津も仏英和高等女学校で学んでいたので、中野と哥津は親しかった。
「そう、中野さんが何を?」
「哥津ちゃんのことをね、もしふたりが承知ならお仲人をしようっての」
「まあ」
「中野さんはかなり世話好きだし、それにそういうふうに実際的に頭の働く人だから、本気になって私のところに相談に来たわけなの」
「へえ、そしてどうしました」
「東雲堂には娘さんがいるんですって。西村さんは養子だから、その娘さんは西村さんのお嫁さんになる人じゃないかって心配して、私に聞きにきたのよ。私もそれはわからないって言ったけど、中野さんは大真面目で来たのよ」
「そうなんですか、だけどずいぶん親切な方なんですね」
「ええ、まったくそういうことは真面目になる人よ」
野枝は哥津と西村に自分にはない、都会に育った人が持つ細やかな自制心のようなものを感じ取った。
ふたりは自分のこと、相手のこと、周囲のことが隅々まで見えすぎて、あるところまでは進みながら、それより先に歩き出すことができないのである。
文祥堂で『青鞜』新年号の校正をしているときだった。
校正紙が出るまでの待ち時間に、野枝と哥津は晩秋の静かな昼下がり、築地本願寺のあたりを歩きながらしみじみと語り合った。
「私には勇気がないのよ。扉の前まで行ってそれに突き当たると、それを自分の手で開けて先に進み入るだけのね。私には駄目よ」
「だけど、それであなたは満足していられて?」
「いいえ、そりゃ私にも、一度は通らなければならない道だということもわかるの。だけどね、やはり臆病なのね。さびしいけれど諦めるより他に仕方がないわ」
「弱いことじゃないの。扉というものは本当にぶつかれば、ひとりでに開くくらいのものだわ。あなたはあまりに考えすぎるのじゃなくって。もっと真剣におなんなさい」
「これで私かなり真剣なのよ。あなたたちにはずいぶん煮え切らないように見えるでしょうね、自分でもわかるわ。だけど、これが私の性格なんだから、私、一生なににぶつかっても諦めてしまう方かもしれないわ」
「あなたの気持ちがわからないこともないけど、でもなんだか物足らないわねえ」
そのころ、哥津と西村の仲はすっかり冷めてしまっていた。
野枝は哥津ちゃんのなにもかも諦めたような顔を見ながら、なぜか涙ぐんだ。
哥津と西村は少しも無理のないように、なだらかに少しずつ方向を違えて遠ざかっていった。
本当にどこまでも悧巧な人たちだった。
都会人だった。
しかし、野枝はふたりの関係がはかなく終わったのは、ただそれだけの理由ではないとも思った。
哥津ちゃんとの仲が思うようにいってなかった西村は、その悩ましい気持ちをどこかに漏らさずにはいられなかった。
そして、西村は人の悪い悪戯好きのらいてうにあるとき、冷やかし半分で哥津のことを聞かれて、素直に話してしまった。
そして幾度も幾度もらいてうに愚痴を並べているうちに、西村はらいてうにある感情を持つようになり、だんだんらいてうに向かって動き出した。
野枝もふたりの間である交渉が始まっていると思われるようなことを、らいてう本人の口から聞いたとき、野枝の頭はすっかり混乱してしまった。
西村さんもどうかしていると思うが、特に敬愛するらいてうの気持ちが、野枝には理解不能だった。
らいてうは野枝にも哥津ちゃんにも、十分な理解と同情を持って接してくれている。
哥津ちゃんと西村のことについても、よき理解者であるようにしか見えない。
哥津ちゃんにはお母さんがいないが、そういう家庭の事情までらいてうは真面目に心配していた。
「そんな平塚さんなのに……なぜ? 平塚さんは本気で西村さんを相手にしているのかしら、それとも冗談なのかしら?」
野枝は毎日のようにそれを考えた。
ーー平塚さんが西村さんのことを本当に好きになったのなら、それは実に致し方のないことだ。しかし、あれだけの優れた理智を持った平塚さんが、哥津ちゃんと西村さんの関係を壊してまで、西村さんに愛を持っているとはどうしても思えない。
曙町の平塚さんの部屋を訪ねたとき、哥津ちゃんが西村さんに書いた手紙が平塚さんの手元にあることを知った。
私は西村さんに憤りを覚えずにはいられなかった。
そしてそのとき、私は平塚さんの態度が人の悪い遊戯的なものであることがはっきりわかった。
私は哥津ちゃんの態度にも不満はあるが、哥津ちゃんは西村さんのことを真実思っていることはいつでもはっきりしていた。
平塚さんの気まぐれは仕方のないことだとしても、西村さんの態度はまったく腹立たしい。
平塚さんはふたりを見守っているうちに、あまりに煮え切らないので一種の遊戯的衝動に駆られて、西村さんをからかい始めたらしい。
聡明な西村さんがそれに気がつかないはずはないのに、そして哥津ちゃんとのことがまだ片づいてもいないのに、本当に腹立たしいーー。
※平塚らいてう1 ※平塚らいてう2
※西村陽吉2 ※西村陽吉3
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index