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2016年03月31日

第62回 女子英学塾






文●ツルシカズヒコ




「青鞜社第一回公開講演会」の翌日、『東京朝日新聞』は「新しき女の会 所謂(いはゆる)醒めたる女連が演壇上で吐いた気焔」という見出しで、こう報じた。


 当代の新婦人を以て自任する青鞜社の才媛連は五色の酒を飲んだり雑誌を発行する位では未だ未だ醒め方が足りぬと云ふので……神田の青年会館で公開演説を遣(や)ることになつた

▲定刻以前から変な服装(なり)をして態(わざ)と新しがつた女学生や

之から醒めに掛つて第二のノラで行(ゆ)かうと云つた風の新夫人連が続々として詰め掛けたが

此数日来憲政擁護や閥族打破の演説会で武骨な学生の姿のみ見慣れた者には

一種変な対照であつた

▲最初白雨と称する肥つた女教員然の人が開会の辞を述べ

次には伊藤野枝と云ふ十七八の娘さんがお若いにしては紅い顔もせず

「日本の女には孤独と云ふことが解らなかつた様に思はれます」と云つた調子で此頃の感想と云ふものを述べたが

内容は如何にも女らしい空零貧弱なものでコンナのが所謂新しい女かと思うと誠に情無い感じがした

▲生田長江氏の「新しき女を論ず」は内容もあり筋も通り近頃痛快な演説であつたが……

岩野泡鳴氏の「男のする要求」は氏一流の刹那的哲理の閃きはあるとしても動(やや)もすると脱線せんとして得意の離婚説の所になると

聴衆席にいた自称救世主の宮崎虎之助氏が奮然として演壇に駆け上り

泡鳴氏に掴(つか)みかかつて「君の離婚の説明をせよ」と怒鳴り立て

生田長江氏が中に入つて漸く鎮撫(ちんぶ)する大騒ぎを遣(や)つた


(『東京朝日新聞』1913年2月16日・5面)

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 野枝はどんなことを話したのだろうか。

 野枝は『青鞜』一九一三年四月号に「この頃の感想」を寄稿しているが、『定本 伊藤野枝全集 第二巻』解題によれば、「この頃の感想」は野枝が講演会で話した内容に手を入れたもののようだ。

 野枝は「この頃の感想」の終わりをこう結んでいる。


 犠牲という言葉程賎しむべき言葉はない。

 親が子の犠牲になる、子が親の犠牲になる。

 友情の為の犠牲、恩人への犠牲、これほど馬鹿々々しい事はない。

 ……希望もあり充分に信頼するに足る自己を持った者が……他人の為に、下らない道徳や習俗に迷わされてすべて投げ出すと云う事などは実に馬鹿な事だ。


(「この頃の感想」/『青鞜』1913年4月号・3巻4号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p27)


『青鞜』一九一三年三月号の「編輯室より」は、講演会についてこう記述している。


□早くから世間で色んな間違つた噂を立てられてゐた本社の第一回公開講演会は去る二月十五日の土曜日に青年会館で開かれました。

 本社創立の際、春秋二季に講演会を開いて先生方の御講話などを乞ふといふやうに規定してはありましたが、今日まで其運びに至らなかつたのでした。

 社員の白雨氏は開会の辞にかへて本社の精神と事業と、将来の目的を述べ、あはせて来る四月七日から開始する青鞜社研究会のことを発表しました。

 新進音楽家の沢田柳吉氏の来られるのが遅かつたので、とうとうプログラムは変更して、社員中の最年少者の伊藤野枝氏が幼稚な、けれど真面目な自己の感想をこの頃の感想といふ題の下で話しました。

 次に阿部次郎氏の「或る女の話」といふ題で御話のある筈の処を当日御風気のため、御出席頂きながら、御話を伺ふことの出来なかつたのは大変残念なことでした。

□それでプログラムは又変更して、生田長江氏の「新しき女を論ず」、次に澤田氏等の音楽がありました。

 同氏は渡欧間際の御忙しい中を特に御都合の上御出下さつたのでした。

 次に馬場孤蝶氏の「婦人の為めに」最後に社員岩野清子氏の「思想上の独立と経済上の独立」(両者共附録参照)があつて、らいてう氏のいつもながらの低声な閉会の挨拶に一千の群衆が会場を出たのは午後五時半頃でした。

□同人等はこの会に対する世評の如何はしばらくおき、始めにかういふ一の催しをしたことによつて、今迄知らなかった経験を得たことと聴講された多数の婦人の中の一人でも、二人でも真に女を思ひ自己を思ふ人に何かの暗示を与へ今迄気づかずにゐたところのことを考へさせることが出来たことで満足して居ります。


(「編輯室より」/『青鞜』1913年3月号・3巻3号_p115)


 プログラムの「いの一番」は沢田柳吉のピアノ演奏だったのだが、沢田の到着が遅れ、野枝が先頭バッターとして登壇したのであろうか。





 大杉は泡鳴と宮崎の乱闘について、こう書いている。


 演説の半ばに、傍聴席から一人の紳士が飛び出して、いきなり演壇の上に登つて行つて、『君はたび/\細君を取りかへるさうだな』と云ふやうなことを怒鳴り立てた。

 そして泡鳴と取ツ組み合つて、とう/\演壇から押し落とされた、傍聴席では拍手喝采止まない。

 此の紳士は、実はメシヤ仏陀事、宮崎某と云ふ神様だ。

 泡鳴氏は半獣主義の獣だ。

 そして傍聴人は多分人間だ。

 僕は何んだかむしやうに面白くなつて了つた。


(「青鞜社講演会」/『近代思想』1913年3月号・第1巻第6号_p12/日本図書センター『大杉栄全集 第14巻』_p)


 大杉は『近代思想』三月号に掲載した「青鞜社講演会」では、野枝について触れていないが、後にそのときの野枝の印象をこう記している。


 ……曽つてS社の講演会で、丁度校友会ででもやるように莞爾(にこ)々々しながら原稿を朗読した。

 まだ本当に女学生女学生してゐた彼女……。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p554/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p)






 山川(青山)菊栄は岩野清子について、こう書いている。


 ……岩野清子さんは大丸まげにうすおなんどの裾もよう、しっちんの丸帯という、御婚礼のおよばれに来たような盛装で熱弁をふるいました。

 その姿は昔の男女同権論者の型だそうで、岩野清子にはよく似あっていました。


(山川菊栄『おんな二代の記』_p197)


 らいてうを野次りに来た聴衆もいたが、あまりにあっさりした閉会の挨拶に期待が外れたようだ。


 蚊の鳴くような声でいつの間にしゃべって終(しま)ったのか三分間も演壇に立って口をモガモガさしたばかりで聴衆は呆気にとられ……。

(『国民新聞』1913年2月17日/堀場清子『青鞜の時代』_p158から孫引き引用)


 今日はよく来てくれて有難う御座いますと至って簡単な人を喰うたもので皆失望していた。

(『都新聞』1913年2月○日/堀場清子『青鞜の時代』_p158から孫引き引用)





 山川菊栄『おんな二代の記』(p198)によれば、「青鞜社第一回公開講演会」を聴講に行った女子英学塾在学生から、こんな話を聞かされたという。

 新聞が講演会のようすを派手に報じた翌日、二月十七日、女子英学塾の教室でのできごとである。

 河合道子(日本基督教女子青年会会長)先生が、青鞜社の講演に行った者はないかと問い、聴講に行った在校生が手を挙げると、河合は青くなって震え出し、いきなり教壇の上にひざまずいて祈った。

「おお神さま、哀れなかの女を悪魔のいざないから救わせたまえ」

 女子英学塾三年に在籍していた神近はこの講演会の聴講には行かなかったが、青鞜社との関わりによって、校長の津田梅子からペナルティを課された。

『神近市子自伝 わが愛わが闘い』(p105~115)によれば、卒業直前の卒業アルバムの写真撮影もすんだころだったという。

 神近はミス津田(津田梅子)に呼び出された。


「あなたが青鞜という“新しい女”の同人にはいっているという噂を聞きますが、ほんとうですか?」

 ミス津田は校長室に私を呼びつけ、眉を曇らせていった。

「はい、はいっています」

「ああ、やっぱり……。ほんとうだったのね」

「…………」

「あのグループは婦人の道徳を乱し、社会の秩序を乱します。はいっているのが真実なら、当分、東京を離れてもらいます。そうでなければ卒業させられないと、きのうの職員会議で決定しました」

 あまり突然のことで、私は返答に困った。


(『神近市子自伝 わが愛わが闘い』_p105~106)


 ミス津田は卒業と引き換えに、弘前の県立高女(青森県立弘前高等女学校)に赴任することを条件として突きつけた。

 神近は東京で就職するつもりで、履歴書まで提出していたので当惑した。

 東京を離れるなら、せめて長崎の活水女学校に行きたかったが、神近はこの条件をのみ青鞜社から退いた。





 一九一三(大正二)年四月初旬、神近は同級生などおおぜいに見送られ、上野駅から弘前に出発した。

 らいてう、紅吉も見送りに来た。

 東京から追放されたとはいえ、神近は異郷の地での教員生活をそれなりに楽しんでいたが、事件が起きたのは一学期の終業式後だった。

 弘前高女校長の自宅に呼び出された神近の前に現れた校長は、六月に発売されたばかりの本を手にしていた。

 赤本作家として一部で名の通っていた樋口麗陽が書いた『新しい女の裏面』という本だった。

 赤本とは、『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p400)によれば、「下等な読物」である。

 この本に『青鞜』一周年記念号に掲載した写真「南郷の朝」が無断転載されていて、説明文に「神近市子」の名前があった。

 木村政子を神近市子と誤記したのである。

 写真は人違いであり暴露記事も間違っていると神近は主張したが、かつて『青鞜』の同人だった者を県立の女学校に雇っておくわけにはいかないという、校長の決定は覆らない。

 神近は一学期限りで退職し、浅虫で一週間ほどのびのびと泳いでから東京に帰ってきた。




★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★山川菊栄『おんな二代の記』(岩波文庫・2014年7月16日)

★堀場清子『青鞜の時代ーー平塚らいてうと新しい女たち』(岩波新書・1988年3月22日)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第14巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『神近市子自伝 わが愛わが闘い』(講談社・1972年3月24日)

★樋口麗陽『新しい女の裏面』(○○○・1913年○月○日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 22:06| 本文

第61回 青鞜社講演会






文●ツルシカズヒコ



「玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか」

 立憲政友会党員の尾崎行雄が、桂太郎首相弾劾演説を行なったのは、一九一三(大正二)年二月五日だった。

 前年暮れに成立した第三次桂内閣への批判は「閥族打破・憲政擁護」のスローガンの下、一大国民運動として盛り上がり、二月十日には数万人の民衆が帝国議会議事堂を包囲して野党を激励した。

 議会停会に憤激した民衆は警察署や交番、御用新聞の国民新聞社などを襲撃した。

 桂内閣が発足からわずか五十三日で総辞職に追いこまれたのは、二月二十日だった。

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 神田区美土代(みとしろ)町の東京基督教青年会館で「青鞜社第一回公開講演会」が開催されたのは、いわゆる大正政変の渦中、二月十五日、土曜日だった。

 午後十二時半〜五時、会費二十銭。

『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』によれば、講演会にはらいてうら青鞜社の社員はあまり乗り気ではなく、生田長江が張り切っていたため、らいてうらが動かされた旨の記述がある。

 女子の政治結社への加入、および政治演説会に参加しまたは発起人たることを禁止する治安警察法第五条に抵触する可能性があったので、らいてうらがこの講演会を開催するには勇気を要しただろうと、岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』(p122)は指摘している。

 荒波力『知の巨人 評伝 生田長江』(p139)によれば、「赤煉瓦のキリスト教青年会館は、神田区美土代町三丁目三番地(現・千代田区神田美土代町七番地)にあり、現在は住友不動産神田ビルが建っている。このビルの正面右側の敷地内に、跡地であることを示す小さな『YMCA会館記念碑』がある」。

 さて当日は、千人の聴衆が集まり大盛況だった。

『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p443)によれば、野次馬気分の男の聴衆ばかりが集まることを懸念して「男子の方は必ず婦人を同伴せらるる事」と予告で断っておいたが、三分の二は男だった。

 聴衆の中には、大杉栄、前年に女子英学塾を卒業した青山菊栄がいた。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』(p103)によれば、福田英子(ひでこ)、石川三四郎、堺為子、辻潤らもいた。

『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p445)によれば、福田英子は石川三四郎、坂本真琴(のちに青鞜社に入社)と一緒に二階の座席にいた。

 堀場清子『青鞜の時代』(p159)によれば、女子英学塾の生徒も二十人くらい来ていたが、神近は来ていない。

 青山菊栄は当日の様子をこう記している。


 私も二、三の友達といっしょにいってみましたが、会場はなかなかの大入りで、六、七分通りは男の学生か文学青年というところ。

 女もそうでしたろう。

 新聞によく出る「新しい女」への同感と好奇心、当代著名の進歩的な文士の出演、とくに、妻子をすてて新しい愛人と同棲し、ゴシップの筆頭になっていた岩野夫妻への興味も相当あった様子。


(山川菊栄『女二代の記ーーわたしの半自叙伝』/山川菊栄『おんな二代の記』_p197)





『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p443)、堀場清子『青鞜の時代』(p158)によれば、講演会は保持白雨(研子・よしこ)「本社の精神とその事業及び将来の目的」で始まり、以下のプログラムで進行した。

 ●伊藤野枝「最近の感想」

 ●生田長江「新しい女を論ず」

 ●岩野泡鳴「男のする要求」

 ここでひと息入れて澤田柳吉(さわだ・りゅうきち)のピアノ演奏があった。

 ●馬場孤蝶「婦人のために」
 
 ●岩野清子「思想上の独立と経済上の独立」

 ●平塚らいてう「閉会の辞」

 保持が先陣を切って演説したのは「弥次の飛ぶのを覚悟しなければならない、声の出ないらいてうをこんな時起たせてはいけない」と、保持自ら買って出たからである(堀場清子『青鞜の時代』p156)。





『読売新聞』『東京朝日新聞』などマスコミが翌日の紙面で報じた。

『読売新聞』は「丸髷で紅い気焔 新しい女の演説会 予言者と泡鳴の格闘」という見出しで、会場の雰囲気をこんなふうに伝えている。


 静かに会場の把手(ハンドル)を押すと、嬌(なま)めかしい匂ひが颯(さつ)と迸(ほとばし)る、生田長江氏が演壇に立って、標題通り「新しい女」を論じてゐる最中であつた。

 諸嬢星(しよぢようほし)の如きその後ろには保持白雨嬢が肉つきの好い体格をゆつたり椅子に凭(よ)せかけている。

 左側にはストーブを中心にしてらいてう、紅吉、郁子の諸嬢が差し控へてゐる、

 会が会だけに聴衆の半ばは女性、ことに廂髪(ひさしがみ)が主で、あとは丸髷(まるまげ)が二つ、島田(しまだ)が二つ、桃割(ももわ)れが一つあるばかり……。


(『読売新聞』1913年2月16日・3面)





 以下、『読売新聞』の記事に沿って、生田長江から岩野清子までの講演の進行を追ってみたい。

 長江は「新しき女」をこう定義した。

「独断かは知りませんが、新しき女とは古き思想古き生活に満足することのできぬ人、したがって婦人として従来の地位に満足せず、男と同等の、あるいはそれに近い権利を求めてい人」

 荒波力『知の巨人 評伝 生田長江』は、こう記している。


 長江は、尾崎行雄の不敬問題から入り、社会問題に触れ、言論の自由を束縛するのに暴力をもってする現状を憂いた後、本題に入った。

「独断かは知りませんが、新しき女とは古き思想、古き生活に満足することの出来ぬ人、従って婦人として従来の地位に満足せず、男と同等の、或はそれに近い権利を求めてい人」と定義した後、女性には女性の特色があり、その特色を生かして初めて意味のあるものになるのではないか、という趣旨の演説をしている。

 演説の途中、会場から「や、そうだ」の掛け声が上がった。


(荒波力『知の巨人 評伝 生田長江』_p140)


 長江に続いて岩野泡鳴が登壇したが、この泡鳴の講演中にハプニングが起きた。

 予言者の宮崎虎之助が壇上に跳び上がり、顎髭に満身の激怒を含ませ居丈高に怒鳴った。

「岩野くん、君はたびたび妻を代えたそうだが、その理由を説明してもらいたい」

 短気な泡鳴も黙ってはいない。

「黙れ! 馬鹿」

 そのままふたりは鶏(にわとり)の蹴合(けあい)のように、むんづと組み合った。

 霊を絶叫する予言者と肉を主張する半獣主義者の取っ組み合いは、現今の思想界を象徴しているような奇観を呈した。

 聴衆は各自に声援するやら、野次るやら、混乱喧騒を極め、さながら閥族打破の会合のようだった。

 宮崎が壇上から突き落とされ、ようやく椅子に復すと、泡鳴はやや声を震わせながら、さらに獣性野蛮性の発揮を説いた。

「無自覚な女を妻として同じ家庭の中に住まっていることができないから離縁した、いわば私はノラを男で行なったのだ」





 澤田柳吉のピアノ演奏の後に登壇した馬場孤蝶は、従来の慣習を一掃した自覚を促した。

「現在、女が男に圧倒されているのは組織された力が組織されぬ力に打ち克っているのだ」

 そして、

「今の時勢からは言えば、避妊もまたやむを得ぬ」

 と孤蝶が言うと、再び宮崎が、

「馬鹿ッ」

 と叫び立ち上がろうとしたが、そのまま腰を下ろした。

 孤蝶は再三、こう繰り返して降壇した。

「私一個人の考えを述べたばかりで青鞜社には関係がない」





 最後に登壇したのは岩野清子だった。

 小紋縮緬(こもんちりめん)の着物に繻珍(しゅちん)の丸帯、大きい髷(まげ)を聳立(しょうりつ)させていた。

 聴衆から盛んに拍手が起きた。

 岩野はまず婦人の思想の変遷を語り、明治三十七、八年ごろに新聞記者をしていたころの体験を述べた。

 女が政談演説を聴くことが出来ぬという、保安条例第五条(『読売新聞』では「保安条例第五条」と記されているが「警察保護法第五条」の誤記であろう)の削除を議会に提出したとき、いわゆる貴婦人たちに相談すると「いずれ良人(おっと)と相談しました上で」と答え、さらに「相談しましたが許されませんでした」という例を挙げ、声を大にして訴えた。

「いったい、男に相談しなければ何事もできないとは情けないことです」

 最後にこう結んで壇を降りた。

「思想の上で自覚しても経済上の独立がなければ思想の自由を失い、不快な家庭に理解のない夫と住まなければならない。私が今度、女優になったのも、もちろん芸術のためには相違ありませんが、いちは夫の力を借りないでも生活してゆかれるためです」

 きわめて理路整然、流暢な講演だった。

 らいてうの微かな聲の閉会の辞につれて聴衆の散ずる頃は、もう黄昏になっていた。




東京基督教青年会館2



★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』(七曜社・1963年1月5日)

★荒波力『知の巨人 評伝 生田長江』(白水社・2013年2月10日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★堀場清子『青鞜の時代ーー平塚らいてうと新しい女たち』(岩波新書・1988年3月22日)

★山川菊栄『女二代の記ーーわたしの半自叙伝』(日本評論新社・1956年5月30日)

★山川菊栄『おんな二代の記』(岩波文庫・2014年7月16日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 19:56| 本文

第60回 相対会






文●ツルシカズヒコ



 この発禁になった『青鞜』一九一三年二月号で野枝が月刊『相対』創刊号を紹介している。


 今度かう云ふ雑誌を紹介致します。

 小さい雑誌ですが極めて真面目なものでかう云ふ種類の雑誌は他にはないさうです。

 本誌は小倉清三郎氏が単独でおやりになつて居ります。

 材料も非常に沢山集めてあるさうです。

 私共はかう云ふ真面目な小雑誌の一つ生まれる方が下だらない文芸雑誌の十生まれるよりはたのもしく思ひます。

 内容

 主たたる問題 性的経験と対人信仰

 …………


(「寄贈雑誌」/『青鞜』一九一三年二月号・第三巻第二号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p22)

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「寄贈雑誌」解題(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p454)によれば、『相対』は小倉清三郎が主宰した性問題研究会である相対会の会報で、一九一三(大正二)年一月に創刊、一九四四(昭和一九)年まで続いた。

 当時、相対会には三百人あまりの会員がいて、らいてう、紅吉、野枝、辻、大杉栄らがよく小倉の家に出入りしていた。

 辻と小倉は神田区錦町の国民英学会の同級生だった。

『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』によれば、小倉は『青鞜』の唯一の男性寄稿者だった。

「野枝子の動揺に現はれた女性的特徴」(『青鞜』四巻一号)は、野枝が書いた私小説「動揺」を性問題研究の立場から批評した長文の研究論文だった。

 小倉はその後も「性的生活と婦人問題」(『青鞜』四巻十一号)など、『青鞜』に何度か寄稿をしている。


 会員は……毎月一回会合して、自分の体験を反省して語りあい、あるいは文書にして報告したりして、それを研究の資料とするのでした。

 わたくしたちは小倉さんと裸体クラブをつくる話をよくしたものです。

 人間はハダカで暮らせば過剰な性的刺戟がなくなるだろうなどといって、裸体生活を礼讃する小倉さんでしたが、裸体クラブの計画は終に実現しませんでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p544)





「雑音(二十四)」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)によれば、このころの野枝は「一番苦しい、そして一番私と云ふものを試された時代」であった。

 卒業、帰郷、出奔、婚約破棄ーー。

 父や叔父や叔母、習俗に生きるしかなく義理のためなら死も辞さない人たちの、その観念を踏みにじらなければ野枝の道は開けなかった。

 血を絞るような争いのはてに、ついに第二の出奔となった。

 家族や肉親から憎悪と憤怒の目で見張られながら、悲しみと苦しみに踠(もが)き、自分の生活に一条の光を見出そうとした。

 野枝を救うのはいつも夫だった。

 野枝が肉親のすべてを捨てたときに、夫の母と妹は野枝を快く受け容れてくれた。

 野枝は夫の母と妹にできうるかぎりの真実を尽くそうとした。

 しかし、夫を通じてのみの関係だけでは、お互いの理解がすみずみまで透ることもないのも事実だった。

 ともすれば、野枝は小さく肩をすぼめて片隅に涙を拭かねばならぬ日があった。

 野枝たちふたりの恋愛が成り立った日から夫は失職した。

 それからの窮迫は言外だった。

 しかし、あくまで息子を信じた母は黙って堪えた。

 けれどもいよいよひしひし迫ってくるとき、ともすると、引き締めた心に弛みが出くるようになった。

 重しが緩むと、日ごろの不平がすべての支えを押しのけて洪水のように押し寄せてくるのであった。

 そのたびに辛い思いをするのが野枝だった。

 失職の原因がふたりの恋愛であるということが、野枝を苦しめた。

 露骨な感情を持って言い罵られたりするたびに、ただ涙を呑んだ。

 そんなとき、ただ一心に夫の愛に頼ろうとした。

 けれどもどうかすると、野枝だけがひとり突き放され、夫の深い理解が彼女の心の隅々まで透らない。

 それは骨肉という一種、不思議な力がそうさせるときだった。

「私は本当にひとりきりだ!」





 骨肉に牽(ひ)かれた夫の背中を見つめるとき、そのときが野枝にとって一番暗い、恐ろしいときであった。

 そして野枝は自分が突き放してきた故郷の人たちを想った。

 野枝は自分のために、あらゆる苦痛を受けている父と母を想った。

 暗い家を想った。

 野枝の胸は痛くなる。

 自分の道を信じて進むことによって、無智なだけの両親に暗い心配をさせているという苦痛は、野枝の心の隙間にいつも入り込んでいて、野枝を深く責めさいなんだ。

 そのたびに、野枝は自分の生活をもっと意義のあるものにせねばと奮起した。

 そうしてようやく自分を慰めた。

 辻は野枝と辻の家族との悲しい心のいき違いに黙し、理不尽な言い募りにも口を挟むことをしなかった。

 そういうとき、野枝は辻にもの足りなさを感じた。

 辻は家族の前で妻をかばうという態度を決して見せなかった。

 野枝は辻の心の置き場所がずっと深いところにあるのは理解しているが、彼から放たれた自分はただひとりきりの頼りない身の上であるということが、かぎりなく恐ろしくなることがあった。

 女同士の微細な感情のこじれ合いーーそういうことも男には理解のできないことのひとつだった。

 あるとき、野枝は岩野清子にそういう苦痛の一端を漏らして同情を買おうとした。

 野枝はそれが醜い行為であることは承知しているが、当時の野枝はその苦痛をひとりで持ちこたえるにはあまりに幼稚であった。

 野枝のその行為は辻の激しい不快を買った。

 けれども、野枝はそのときの岩野の心からの同情をいつまでも忘れられなかった。



★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 14:09| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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