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2019年12月03日

中曽根政権の5年間で日本経済は失われた



 




 中曽根政権の5年間で日本経済は失われた


       〜ニューズウィーク日本版 冷泉彰彦 12/3(火) 17:38配信〜


      12-3-27.jpg

 首相在任中の1987年10月13日に、フォード元大統領を首相官邸に迎えた中曽根氏 Shunsuke Akatsuka-REUTERS


       12-4-6.jpg 冷泉彰彦氏

 製造業中心の日本が 産業構造を転換するべきタイミングだった それに失敗した「失われた5年間」

 中曽根康弘氏の訃報に接して、同氏への評価、そして1982〜87年に掛けて続いた中曽根政権への評価が出て来て居ます。多いのは「自主防衛・改憲・核武装」を本音として望みながら実際には軽武装を貫きながら西側同盟にコミットしたと云う二重性を抱えた「親米保守」の典型と云うものです。

 トランプ大統領の中曽根氏へのお悔やみ動画 

 その一方で、この1980年代と云うのは、1980年の第二次石油危機を乗り越えた日本経済が急速に成長した時期で、同時にバブルの膨張から崩壊に至る激動の少し前だった事から、日本経済に取っては「良き時代」だとか、平成以降の小粒な政治家と比べると中曽根氏は「大物」だったと云う様な「懐古趣味」の印象論も多い様です。
 ですが、私はこの中曽根政権の5年間は、日本が「モノ作りから脱製造業、ポスト製造業へ」「ナショナルからグローバルへ」と産業構造を転換すべきタイミングでありながら、その転換に失敗した「失われた5年間」だったと見て居ます。

 象徴的な事例を2つ挙げたいと思います。1つは、1982年に起きたIBMスパイ事件です。
 当時の日本のコンピューター産業は、半導体の設計製造技術等ハードウエアの面では、可なりの競争力を誇って居ました。只、ソフトに関しては、アメリカに追い付く事が出来ず、日立や東芝等も「IBM互換機」を戦略の中心に据えて居ました。因みに、これは個人用の後のパソコンでは無く、法人用のメインフレームに関する話です。

 詰まり米IBMの作るOSが走る様に、又IBMで走るプログラムが動く様に設計しツツ、IBMよりも廉価で高性能なマシンを販売する・・・これが日本勢の戦略でした。そこで、米IBMは日本勢に互換機が作れ無い様に、今で言うOS機能をファームウエアに取り込む様な事をして互換機が作れ無い様にしたのです。日本勢は、当然これに対抗して情報収集をして居たのですが、その活動がFBIによるタチの悪い「囮捜査」に引っ掛かって被害に遭ったと云う事件です。

 この事件がどうして象徴的なのかと云うと、この後、日本勢はメインフレームに関する独自OSの開発に向かえば良かったのですが、アメリカに汚い手を使われても互換機に拘ったばかりか、ソフト軽視の風潮を続けたのでした。
 又この時期は、個人のホビー用コンピューターしてのパソコンの黎明期で、MSXとか日電の6000、後に8000等成功して居たマシンもあるのですが、結局は大戦略として「ソフトしか遣ら無い」と云うビル・ゲイツ「独自OSと独自マシンに拘る」と云うスティーブ・ジョブズ、そして日本から順次CPUのノウハウを奪って行ったインテルが覇権を拡大して行く事に為るのです。







 「プラザ合意」の機会は活かせず

 詰まりアメリカと競争して試行錯誤しツツ順調に進化して居た日本のITが、総合的に負け始めて行く端緒がこのスパイ事件であり、そして中曽根政権の5年間にジワジワと方向性の誤り・時間の空費が進行し、1990年代の大敗北に繋がって行くのだと思います。

 もう1つは、1985年のプラザ合意です。先進5カ国の蔵相会議がニューヨーク五番街の「プラザホテル」で行われ、各国が協調する形でドル安誘導が為された結果、急速な円高が進んだ事件です。
 日本の経済史的には、輸出に不利な円高を強制されたとか、円高不況対策がバブルを招いたと言われる事が多いのですが違うと思います。円高は、当時の日本経済の短期的な実力からすれば不可避でした。又、バブル崩壊と1990年代以降の低迷は、バブル膨張に原因があるのではナく、深層において日本が競争力を喪失して行った「結果」と見るのが正当です。

 その上で、このプラザ合意を振り返って見ると、先ず折角の円高を日本経済は活用する事に失敗しました。先進国の企業を買収しても、当時の欧米世論に嫌われてヤル気が無く為ったり、買った会社の精査や徹底した経営改革が出来ずに損をしたり、惨めな結果も多くありました。
 又、円高パワーを使って、中長期を目指した投資を行う事も足りませんでした。もっと言えば、円高は日本経済が世界へ打って出て自らも国際化する貴重なチャンスであった筈ですが、それを生かす事は出来ませんでした。

 スパイ事件から迷走するITの戦略を立て直すのでも無く、NTT等の民営化で売り出した金で、情報通信産業の先端へと躍り出る為の投資が十分にされる訳でも無く、貴重なチャンスを空費して行ったのです。

 この2つの事件を考えて見るだけで、この1980年代中期に日本経済がいかに迷走して居たかが良く判ります。生前の中曽根康弘氏は、哲学とか大局観と云う事を良く口にして居ました。ですが、この1982〜87年の日本経済において、哲学や大局観が少しでも在ったなら、その後の酷い経済の低迷と云うのは起き無かったか、少なくとももう少し衰退をスローダウンする事は出来たのでは無いかと考えます。


          12-4-7.jpg

         冷泉彰彦 在米作家・ジャーナリスト  以上



















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