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2018年07月13日

日本は「平和民族」だった その5

 
 日本は「平和民族」だった その5
     

 明治維新は必要なかった 1

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 第二章 明治維新の野蛮さ

 1、 明治維新は必要なかった 

 はじめに

 前章では江戸時代までの日本は、意外に平和民族だったことを説明しました。この章では「江戸時代まで平和民族だった日本人が何故明治以後に突然戦争時代に突入したのか?」と云う事を考えます。

  

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 江戸時代250年の平和な眠りを黒船によって覚まされて、強制的に「世界史のゲーム」に参加させられることになった「明治維新」にこの疑問の鍵があると考えます。
 明治維新によって世界史の流れに合流した日本は、西洋の戦争ゲームのルールをいち早く学習(模倣)して、以後50年間の戦争時代に突入しました。(1894年日清戦争から1945年敗戦までの50年間)そして瞬く間に大国に為りましたが、結局は太平洋戦争の敗北によって軍事大国化は挫折し、今は本来の平和な日本に戻っています。
 これを長いスパンで見て見ますと、江戸幕府解説以来現在までの400年間の平和な日本の期間に50年間の例外的な戦争時代が挟まれた格好です。

 この近代日本の50(〜80)年間を異常な期間とみて、その異常が何故起こったのかを考えてみると、その原因は明治維新に有るに違いないと考えられます。
 そこで「あの様な不本意な戦争をしない様な日本史は考えられなかったか?」と云う観点で明治維新を見直して見たいと思います。つまり「維新をしなかったら、日本は江戸時代の平和を続けることが出来たのでは無いか?」と云う歴史のイフを考えて見ます。
 勿論世界が一つに為る動きの中で日本だけが流れに抗して鎖国を続けることは不可能でした。この時日本が世界から孤立したままで過ごす事は実際上不可能な事でしたから、開国・近代化・文明開化は不可避でした。

 それを前提とした上で「維新の大変革をしなくとも、日本の近代化は可能だったに違いない」と云う問題提起をします。その第一歩として、幕府を倒して薩長政権が権力を握ると云う政権交代は必要なかったことを先ず説明します。これが本項の「明治維新は必要なかった」の意味です。
 次の項以降では、明治維新の成果を、大政奉還・倒幕・中央集権化(廃藩置県・徴兵制)の三つの要素にあると考えて、それらが日本近代の戦争時代の原因を作ったと云う意味で「有害な変革であった」と云う歴史の見直しを提案したいと思います。
 これら三つの維新の行き過ぎさえ行なわ無ければ日本は異常な軍国主義に為る事は無かったと云う意味です。

  以上をまとめると「明治維新で野蛮になった日本」と為ります。それは明治維新そのものが野蛮な権力闘争に過ぎなかったと云う側面も加えて、全体として「明治維新の野蛮さ」とまとめました。この様な仮説は今の日本の常識ではナカナカ理解され難いものなので、自ずと説明がクドク為って読み辛い文章と為ってしまったことをご容赦下さい。

  

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 (1)明治維新の総括

 黒船の来航(1853年)によって西洋の軍事力に目を覚まされ、日本全国が騒然となり幕末の混乱が始まります。この混乱は大政奉還によって収拾されるかに見えましたが、その時権力欲に目がくらんだ薩長土肥の四藩によって強引に倒幕を目的とした戊辰戦争が起こされます。
 この強引な戦争で権力奪取に成功した明治政府は、西洋に見習って中央集権国家(国民国家)の建設を目指して、廃藩置県(1871年)徴兵制度(1873年布告)等を強行します。結局極めて少数の明治の元勲と言われる人達に権力が集中されましたので、それまで権力欲で動いていた四藩の武士達は維新の最終段階のドンデン返しで何の利益も受け取れない結果となります。
 彼等は期待を裏切られたことが解って反乱を起こしますが全て抑えられて、新政府主導の国民国家が完成します。 (佐賀の乱・萩の乱・西南戦争)

 以上黒船に始まって、中央集権国家建設に至る二十年間の維新の動乱を「倒幕=政権交代(クーデター)」と見てこの政権交代が「必要無かったこと」を先ずこの項で説明します。

(2)明治維新は必要なかった (政権交代は必要なかった)

 黒船が来航して開国を迫られて、幕府が取った処置は極めて妥当なものでした。これに対して、攘夷を叫んだ人達の方が寧ろ異常でした。
 だからそのまま幕府に外交を任せていた方がもっと真面な日本に為ったに違い無い、と云うのが私がここで主張しようとしていることです。逆に言えば、明治維新と云うのは黒船ショックで国内が騒然としたのに便乗して、権力奪取を図った薩長のクーデターに過ぎ無いと云う見方です。

  

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 幕府の外交能力は高かったので「倒幕は必要なかった」

 そもそも幕府の黒船対応外交は今から考えればナカナカの交渉をしたようで、後日「不平等条約」と問題視されたのではありますが、当時としては最善の条約が締結できたと言われています。西洋文明への対応の面でも、蛮書調所などの学校を作ったり製鉄業を始めたり、様々な面で幕府は充分努力をし成果も挙げていました。
 島津斉彬(薩摩)の近代産業導入も可なり成功していましたから、日本全体として近代化への適応能力は高かったのです。文明開化は幕末に既に相当進んでいたと言えます。「旧体制(幕府)ではこの世界的難局に対応出来ない」等と云う事は実際は何も有りません。

 勿論幕府制度が硬直化していて、新しい時代に対応出来ないような現象は彼方此方に見られました。勝海舟もそのことを指摘して、坂本竜馬や西郷隆盛を感服させたことも事実ですが、勝海舟自身が異例の出世をしたことをみても体制は相当な柔軟性も持っていました。他にも優秀な人材が幕府から輩出しています。
 幕府としては、日本国防衛の為に、大名を動員出来る体制を何とか早く作る必要がありました。西洋の外圧に刺激されて起こった国内の混乱を収拾する為にも何らかの改革は不可避でした。鎖国をして250年間外国に煩わされたことの無かった日本が、開国して世界の国々と付き合いを持つ為には、従来の制度のままでは遣って行けない事が多く大きな制度改革が必要だったことは頷けます。
 しかし徳川慶喜と西周の時代感覚を以ってすれば、幕府官僚制の硬直化を改善する変革は可能だったと思います。また大名達は既に幕政に発言権を持ち始めていましたが、これをもう少し進めれば充分新事態に対応できる体制を作ることは出来たと考えられます。

  

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 注1 市井三郎著「思想から見た明治維新」の感想(明治維新の哲学)

 攘夷の感情  「鎖国を継続したい」と云うのは、今までの生活を変えたく無いと云う保守的感情で、無理も無いものではありますがあくまでも感情論に過ぎません。それが「攘夷論」として暴発するのですが、それは赤ん坊が駄々をこねている様なものに過ぎません。
 この攘夷と云う排外感情は、西洋の外圧を受けた全ての国で起こった一般的な感情で日本特有のものではありません。この排外感情が押さえようが無くなって爆発した最も悲惨な例が中国で、この感情の為に以後100年の混乱の時期を持つことと為ってしまいました。

 日本では感情的攘夷論で始まった反幕勢力は、反幕感情の方を残して攘夷感情の方を変化させます。段々攘夷感情は方便として利用するだけになり、結局は開国論に完全に転向して倒幕戦争をすることになります。倒幕派が何時までも攘夷を叫んでいなかったのが、日本を中国の様な混乱におとしいれなかったと云う意味で良いことでした。
 しかし「倒幕派は何の為に倒幕戦争をしたのか?」と云う観点から見ると、最初の「攘夷」のスローガンを裏切った、理念も何も無い無茶苦茶な戦争だった事となります。

 開国以外の選択は無かった

 開国して世界の一員に為るというのは、当時のどうしようも無い世界の趨勢だったのであり、実はそれ以外の道はあり得ませんでした。普通には「鎖国維持という政策」と「開国という政策」の対立と考えられていますが、開国以外の道は無かったのですから政策の対立では有り得ませんでした。
 感情的に攘夷を叫んでいた若者が、攘夷を理由にして幕府を倒して政権を取ったら、実は攘夷は不可能と分かり時代の流れに沿って文明開化に一生懸命に為った、と云うのが維新の全体像です。 結局支離滅裂な動きだったと言えます。

  

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 明治の元勲の自己矛盾

 勤皇の志士達、即ち明治維新の元勲達が「日本を開国する為に幕府を倒した」と言う事が出来るのであれば、維新は彼らの功績と云う事が出来ます。しかし実際には、開国を政策としたのは幕府の方なのであり、それに反対したのが明治の元勲だったのです。だから日本を開国し近代化する為に維新を起こした、とは決して言えません。彼等は開国を進めた幕府を倒すことに大義を主張出来る筈がありません。
 もし反幕の志士が攘夷のスローガンを掲げて倒幕に成功して明治政府に為って鎖国を続けた、と云うのであれば理念の為の革命と云う事が出来ますが、実際は全く奇妙なことにその正反対のこと・政策を取ったのです。

 こう云う風に見ると、私には幕末の志士たちはオッチョコチョイとしか見えません。しかしこの大義の無い権力奪取が、明治時代以後の政治を暴力的かつ大義の無いものにしてしまったのですから、オッチョコチョイというだけで済ます訳にもいきません。明治の元勲たちは、自分の若い頃の攘夷からの転向をどの様に内心で処理したのでしょうか?「若気の至りだった!」と苦笑いで済ませたのでしょうか?

 こう云う維新の矛盾を我々はもっと重視すべきと思いますが、明治政府はこの矛盾を誤魔化すことに懸命に為った結果、我々現代人も騙され続けて居る様です。明治維新は現在も様々な形で小説化、ドラマ化されていますが、明治の元勲のこの様な矛盾と裏切りを描くことは決してありません。
 今の処この矛盾に切り込んだ作家は殆どいません。(会津戦争についての官軍批判が出始めているのが例外です。)しかしこれこそ日本近代の出発点に関わる矛盾なのですから、もっと真剣に考えるべきではないでしょうか?

  

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 明治政府の公式見解の苦しさ

 個人としての転向は何とか自分で処理出来たとしても、明治政府として「何故幕府を倒す必要があったのか?」「何故会津と戦争をする必要があったのか?」を公式に説明する事には苦労したに違いないと思います。日本を近代化する為に幕府を倒す必要があった等と言える道理が無いからです。彼等が幕府を倒した理由は「開国反対」「攘夷」だったのですから。
 それ故内心は、自分達の政権の正当性に後ろめたさを感じており、その屈折した感情が日本を必要の無い対外侵略に向かわせたという局面もあったと思えます。

 しかし近代化は必要だった

 念の為に付け加えますが、私の主張「明治維新は必要なかった」とイウのは、日本の近代化全体を否定しているのでも江戸時代の様な生活を続けていた方が良かったとイウ意味でもありません。私は日本の現在の姿を基本的に肯定しています。 
 しかしこの様な豊かな日本にする為に、維新と云う政権交代は必要無かったのではないか?と云う問題提起です。

 つづく

  

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