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2018年07月12日

日本は「平和民族」だった・・・その2

    

 ・渡来人がもたらした戦争=弥生時代

 戦争と云う現象は、穀物生産と云う生産構造が必然的にもたらすものでは無くて観念の伝播によって起こると云う事が日本歴史を見ると解かります。

 渡来人が約3千年前に列島に戦争の観念を持って遣って来て、同時に稲作、金属器、武器、などを伝えました。この時から日本に戦争が始まったことが考古学でハッキリと見えて来ます。
 環濠集落、武器、墳墓の様子、などなどから戦争があったことが判っています。この時代が日本の歴史では戦国時代に次いで戦争の多かった時だと判っています。しかしながら弥生時代に戦争を知ったからと云っても、それが世界標準のレベルに追いついたとは言えません。
 弥生以前の長い平和な歴史を反映して、それ以後の日本歴史は全てユーラシア大陸と比べると戦争の熾烈さに違いがある事が判ります。 日本は歴史全体を通じて比較的平和であったことを以下で説明します。

  

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 2 日本の対外戦争

 @侵略されたことは只一回

 海外から日本列島が侵略されたことは、蒙古襲来ただ一度だけです。(1274年)この来襲は、日本は一方的に侵略を受けたもので、戦う以外に選択の余地は無かったことと普通には考えられています。しかし最近の研究でフビライ汗の国書は、通商を求めて来たものであって、服属を求めたものでは無かったことが明らかに為って来ました。

 注 フビライ汗の国書

 国書の中に「武力は使いたく無いものだ」という文言があって、それを脅迫と受け取って戦争を選んだのは北条時宗の早とちりだと云うのです。この国書を読んで翻訳・解説をしたのが「元」と戦争中だった南宋から来た禅宗僧であった為、故意に誤訳をして日本と「元」を戦わせることを考えた可能性があると云う説です。
 また文章が対等な相手に対して敬意を表する「不宣白」と言う言葉で締めく繰られていたことからも、敵意の籠ったもので無かったことが解って来ました。(NHKその時歴史が動いたより)とすると日本は外交を慎重に行なえば、あの時も戦争を回避できたかもしれない。詰まり日本は侵略されることの無い国である事が、完全に証明されたことになります。
 この一回の例外を除けば、日本海と云う天然の城壁に守られて侵略されたことが無く、それに備えての城郭と云うものは、日本では殆ど作られたことがありませんでした。しかし, 侵略される恐れを感じたことは、白村江の敗戦(663年)の後に一度だけあります。

 注 白村江敗戦後の日本

 侵略される恐れを感じたことは白村江の敗戦(663年)の後に一度だけあります。唐、新羅連合軍に攻められた百済からの要請で、百済救援の為に2万7千人の兵を派遣しましたが、大敗を喫し百済が滅亡した時です。
 この敗戦で日本は初めて外国から侵略されるのではないかという恐れを感じました。それに備えて山城・水城の建築を試みましたが実際には侵略はありませんでした。

 その山城や水城の城跡を考古学的に調査してみると到底実用に耐えられる様なものでは無く、コケオドシに近かったことが最近解って来て、築城した人々の真剣さが疑われています。当時の日本人の恐れは余り真剣なものでは無かったようです。
 しかし律令体制を導入し防人制度を作ったのは、外圧に対抗する為のもので明治の文明開化に似ていました。

  

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 A侵略したことは3回のみ

 一方海外を侵略した事は、古代の半島出兵・秀吉の朝鮮征伐・明治以後の戦争の3回ですが、全て敗戦に終わっています。

 一回目 古代の半島出兵

 3世紀頃、朝鮮に鉄資源を求めて頻繁に出兵していますが、一方本土側に築城の形跡が無い処から、朝鮮から侵略される恐れの方は感じなかった様子が伺われます。
 7世紀頃の派兵は百済の応援の為で、傭兵的性格が強く侵略や略奪目的より権益確保の意味の政治的色彩の強いものでした。百済応援の目的は朝鮮の資源(鉄など)の確保が主だった様子です。白村江の敗戦(663年)をもって以後海外派兵は行なわれ無くなりました。

 二回目 秀吉の朝鮮征伐

 これも決定的敗北に終わり、今では秀吉高齢化による狂気の沙汰と考えられています。私は戦国時代の興奮の続きであり、ルソン、シャム等への海外進出などと歴史的背景は一連のものがあると考えています。この敗北が次の江戸時代の鎖国に繋がる転機を作った点が重要だと思います。

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 三回目 明治以後の戦争

 明治以後の戦争も一方的な侵略であって、侵略される恐れは全く無いにも関わらず遮二無二戦争を始めたものでした。詰まり自衛戦争ではありませんでした。 何の為の戦争かという目的も無いもので、日本歴史上最大最悪の暴挙、愚挙、恥辱でした。そして大敗北となり、歴史始まって以来始めて外国に占領されることとなりました。

 三回の侵略戦争のまとめ

 以上の3回の侵略に共通するのは、全て戦争をしなければなら無い理由が全く無く、自衛とはとても言えない一方的侵略であったこと、及び全て大敗北で終わったことです。

 つづく

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