アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2022年02月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28          
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
ヨリちゃんさんの画像
ヨリちゃん
プロフィール

広告

posted by fanblog

2019年09月02日

「戦争体験の無い自分に出来るのか?」  戦後世代が受け継ぐ〈語り〉



「戦争体験の無い自分に出来るのか?」  戦後世代が受け継ぐ〈語り〉



        〜yahooニュース 8/15(木) 7:25 配信〜



 




 「ひめゆり平和祈念資料館」職員の尾鍋拓美さん(38)は、モドカシサを抱きながら「説明員」の仕事を熟して居ると云う。
 戦後74年。沖縄戦の体験者は少無く為り、自らの口で経験を伝える「語り部」も数える程しか居なく為った。研修等を重ねたとは云え、尾鍋さんの様な若い世代は、戦禍の記憶を引き継ぐ事が出来るのか。直接の戦争体験者から一体何を託されたのか。沖縄・広島・欧州、夫々の地域で始まって居る継承の試みを追った。(文・写真:当銘寿夫/Yahoo!ニュース 特集編集部)


 戦争を知ら無い自分に出来るのか

 「ひめゆり学徒隊」は沖縄戦の際、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の女子生徒と教師で組織された。負傷兵の看護や遺体埋葬等に従事しながら沖縄本島南部を逃げ回り、教師も含む240人の内136人が死亡した。
 その悲劇を語り継ぐ施設が「ひめゆり平和祈念資料館」だ。那覇市内から車で約30分。修学旅行の生徒や旅行者らが大勢此処を訪れる。

 
        9-4-8.jpg

         沖縄本島南部に在る「ひめゆり平和祈念資料館」

 
 三重県出身の尾鍋さんは「説明員」に為った時のことを好く覚えて居る。2007年、25歳の臨時職員だった。

 「嫌ぁ私は一寸、って躊躇いました。何ですかね……。人と話すのがそんなに好きじゃ無いし、体験が無い自分に戦争体験を伝える事が出来るんだろうか、って。(戦後生まれの先輩が説明員に採用された時も)外側の人間として(そんな事が)本当に出来るの、って。見られる側に行くのは怖いと思いましたね」

 この資料館では1989年の開館後、元学徒隊の女性達が自らの経験を直接、入館者に語って居た。転機は開館から10年後である。
 特別企画を開催しようと、体験者等がアイデアを練って居た。その最中、メンバーの1人が亡く為った。別の1人も体調を崩して活動を休んだ。そこで初めて職員や体験者は「残された時間は長く無い」事を実感したと云う。そして2005年、資料館は初めて元学徒に代わって説明する説明員制度を作り、職員の採用に乗り出した。尾鍋さんはその2人目。説明員歴は13年目に為る。               

 学徒だった女性達もスッカリ高齢だ。体験者が直接語る「戦争体験講話」は2015年に終了し、同時に説明員らに依る「平和講話」が始まった。そこでは、元学徒の女性達が語るビデオは映されるものの、講話の場に当の女性たちは居ない。
 「説明員」としての尾鍋さんにはこの間、色んな事があった。例えば、或る時の「平和講話」では、男子大学生の言葉が突き刺さったと云う。

 「私、その大学生に『重みがありません』って、ハッキリ言われたんです。『映像で話を聞いても体験者の言葉は重みがある。でも、生で聞いても体験の無い人から聞くと重みを感じられ無い』と。実際、そうなんだろうなって」

 尾鍋さんには自負があったから、猶更応えた。どんな自負だったのだろうか。それは2009年頃に築かれたと云う。

 「当時、資料館で活動中だった元学徒の方々と一緒に、戦時中に逃げ回った場所を実際に回って、そこで話を聞いて。大きな経験でした」

 それに参加して居た元学徒の女性達は当時、17人。毎月数人のペースを守り、1日掛けて一緒に過ごす。17人全員の悲劇を追体験した。夫々の場所で映像も撮った。「平和講話」では、元学徒隊の女性はビデオで登場。それを戦後世代の「説明員」が補足する。尾鍋さんが続ける。

 「(体験者本人の話を実体験した場所で聞いて行くと)ヤッパリ年々、その経験が私の自信と云うか、自負に繋がる。『私は全員から話を直接聞いてるんだ』と。説明員として平和講話の内容を作る時も、聞き取り資料を読み返すんですよ。すると、『良かった、聞いてあった』と為る事があります」

 時が過ぎ、あの17人も少しずつ欠け始めた。


 




 「ひめゆり」職員、海外へ

 戦争体験の無い世代に為った時、社会は「体験」をどう伝えて行くのか。その問いは、日本だけのものでは無い。オランダの首都アムステルダム。その運河沿いに博物館「アンネ・フランク・ハウス」はある。第2次世界大戦の時、ユダヤ系ドイツ人の少女、アンネ・フランクは、ナチスの迫害から逃れる為、ここを隠れ家にした。その日々を綴った「アンネの日記」は、今も世界中で読まれて居る。


           9-4-9.jpg

 アムステルダムにある「アンネ・フランク・ハウス」 (c)Anne Frank House/Photographer:Cris Toala Olivares


 ひめゆり平和祈念資料館と違い、この博物館にはナチスの迫害を実体験として語る者は居ない。展示内容を説明するガイドも居ない。年間120万人以上が訪れる同館は、では、どうやって伝えて居るのだろうか。
 広報部のイリス・ハルムさんに依ると、専門スタッフに依る「入門プログラム」を用意して居る。入館者は見学を始める前の30分間、先ず、アンネ・フランクに関する出来事や当時の歴史に付いての説明を受ける。
 「入門プログラムの部門には5人の正職員が居ます。彼等はアンネ・フランクやユダヤ人迫害、第2次世界大戦に付いて詳しい知識を持って居る。プログラムを提供する為の訓練も受けて居ます」5人は30〜35歳と若い。
 
 一般用とは別に、小・中学校向けの教育プログラムも用意されて居り、2018年には1023団体が受講したと云う。教育プログラムには館内の見学だけで無く、子供達が参加するワークショップも組み込まれている。
 2017年には、ひめゆり平和祈念資料館の職員が研修の為ここを訪ねた。その時に応対したのは、教育プログラム部長のヤン・エリック・ダブルマンさん。「事実を伝えるのが目的では無い。『事実の意味とその背景の関連性を伝える』それが最も重要な目的だ」と云う彼の言葉は、今も館内に掲示されて居る。

 「『入館者』に為って初めて分かった」

 実は、ひめゆり平和祈念資料館は早くから海外に職員等を派遣し、どうヤッテ実体験を継承したら好いのかを研究して来た。皮切りは2003年。学徒隊の体験者6人を含む12人が、アウシュビッツ強制収容所だったポーランドの「アウシュビッツ・ビルケナウ博物館」等を視察して居る。同資料館の学芸課長・古賀徳子さんは言う。

 「(元学徒隊の方々は)2003年にヨーロッパに行く迄、体験が無い人に伝える事が出来るのか、半信半疑だったそうです」

 古賀さんも欧州やアジアで様々な施設を視察して来た。その時の立場は「入館者」。特に北アイルランド紛争で知られる英国・北アイルランドの博物館を訪れた際に、体験者の語りだけで無く、訪れた人と出来事の現場を繋ぐ事の大切さに気付いたと云う。
 その博物館「ミュージアム・オブ・フリーデリー」は、血の日曜日事件の起きた場所に立つ。1972年、デモ行進していた僅か27人のカトリック系市民に対し、英国軍が銃撃を行い14人が死亡した事件だ。

 「血の日曜日事件に付いては、事前に読んで知って居た積りでしたが、現場に来ても、全然、その情報が自分の中で繋がら無かったんですよ。だけど、職員の方が『此処とココで撃たれました』と説明して呉れて。『ココで1人、アソコで2人』と。しかも、その方は遺族。自分に取って遠い出来事だったものが、急に繋がった感じがしました。情報や知識として学んで来た事が光景として立ち上がって来た」

 古賀さんが続ける。

 「海外視察の時は、事前に学習して行くんです。でも、見学して居ても全然分から無い事がある。入館者に為ってそれを実感しました。だから、沖縄県外の方が沖縄戦を事前に学習して居ても、実際に現場(資料館)に来たら、全然分から無いと云う事も起こるんだな、と。(体験者の語りだけで無く)初めて訪れた人と現場を繋ぐ。その大切さを感じました」


 




 「語り部」を引き継ぐ〈覚悟〉

 ひめゆり平和祈念資料館では、館長も戦後世代だ。職員を経て2018年4月に就任した普天間朝佳さん(59)。それ迄の館長は、学徒隊の引率教諭や元学徒、ひめゆりの同窓生だったのに、そうした縁も無い。長い勤務歴がありながら、普天間さんはナカナカ入館者の前で、ひめゆりの悲劇を説明出来無かったと云う。

 「ズッと逃げて来たんです。体験者が持つ言葉の重さに怖気づいて居た」

 それでも、体験者で無い者が語る「平和講話」が2015年に始まると、入館者の前に立つ様に為った。平和講話の「説明員」に為った職員から「体験者の方達も『伝える努力』をして居ますよ。自分の体験だけを語るのでは無く(当時の背景や歴史も含めて)入館者にキチンと説明して居るんです」と聞いたからだ。館長に為る前の、アノ出来事を普天間さんはこう振り返る。

 「体験者の方だって伝える努力をして居る訳ですから、戦争を体験して居ない私がそこから逃げていてはいけ無い、と。(元学徒の女性から)館長を引き継ぐ話が出た時も、プレッシャーはありました。戦争体験の無い私に務まるのか、と。でも、職員皆が体験者の思いを確り受け継ごうとして要る。私も平和講話の講師として『伝える活動』に加わって居た事で、館長に為る覚悟が出来た。戦争体験者で無くても、遣れることを遣って行きます」

 残された時間は少なく

 後継者の育成は、原子爆弾を投下された広島市でも進んで居る。被爆者の体験をそのママ語る「伝承者」を育てる取り組みだ。
 応募者は被爆の実相や伝え方の技法を座学で学び、1人の被爆体験者にいわば弟子入りする。マンツーマンで被爆体験の伝授を受け、自身の講話の原稿を作成する。講話実習を積み重ね、体験者からゴーサインが出れば合格だ。その後は「伝承者」として登録され、広島平和記念資料館等で講話に立つ事が出来る。
 伝承者の多くは、原爆投下に至る迄の歴史や当時の日本国内の世相等もベースに講話に臨む。応募から「伝承者」に為るまでには3年もの研修を要すると云う。


            9-4-10.jpg

    広島平和記念資料館には「被爆体験の継承・伝承」のコーナーがある。奥には「被爆体験を受け継ぐ」の文字も見える


 この事業を担当する広島市平和推進課の被爆体験継承担当課長、中川治昭さんはこう話す。

 「1人の方の体験、記憶、考えを引き継ぐには、体験者本人と触れ合う時間が必要です。加えて、広島の被害がどんなものだったかを学ば無いと人前で被爆の実相を語る事に(伝承者として)堪えられませんから」

 事業は2012年度に始まり、これまでに20代を含む131人が「伝承者」に為った。2019年度には新たに61人の応募があったと云う。

 「被爆を体験された方がどの時期までに居なくなってしまうか。推計は難しいですが、『もう直ぐ居なく為ってしまう』と云う時期に継承しようとしても遅いんです。2012年度(と云う事業開始)はギリギリ間に合ったかな、と」

 体験者「若い人には伝える力がある」

 元ひめゆり学徒の仲里正子さん(92)は、今も時折、ひめゆり平和祈念資料館で自身や学友の体験を伝えている。過つての「戦争体験講話」と云う形では無く、短時間での語り。年齢と体力を考慮し、実施は月2回としている。
 仲里さんの体験も又壮絶だ。沖縄で組織的戦闘が終結した1945年6月23日以降も、戦闘終了を知らされず、沖縄本島南部を2カ月も彷徨った。配属されて居た手術室での出来事、負傷しながらの逃避行……。

 「逃げ回って居ただけじゃ無いかと云う思いもあって、ナカナカ(人前で話す事に)踏み出せ無い自分が異端ですけどね。(資料館の開館から約10年後に)講話を始めて、段々分かって来ました。何故(沖縄戦終結後も)8月まで逃げ回って居たか。
 『戦争に勝っている』『正義の戦争だ』と思って居たからなんですよ。その背景は教育なんですよね。本当に軍国少女だった。だから教育は大事なんです。そう云う自分の思いと、亡く為った人達の悔しい思いが繋がるんです。『本当は生きられたのに』と云う人達が亡く為って居ますからね」


 語り部に為る日、仲里さんは決まって手作りの食事を持ち込み、昼休みに職員と一緒に食べる。その席には戦後世代の「説明員」も居る。

 「(高齢なので)『何時まで出来るか分から無い』と云う話はして居ます。でも、若い人達が研修、研究して居ますから。私達は『自分の体験』が中心に為るけど、彼女達には『どう云う時代背景があって、戦後はこう云う風に為って』と云う、戦争を知ら無い今の人達に伝える力を持って居るから。彼女達は(私達の体験を)本当に皆知って居るんですよ。この20年余り、近くで質問して来たり、傍で聞いたりして居るから」

 説明員の尾鍋さんは、こう話した。

 「私の話には、体験者の様な重みは無いかも知れません。それでも『後輩を壕に置いて来た』と云う、余りに辛くて話せ無かった事を、私達は学徒隊の方々と接する中で聞いて居る。体験者が話せ無かった事を、当事者では無い私達だからこそ伝える事が出来ると思って居ます」

 1989年の開館当時、ひめゆり平和祈念資料館には、実体験を語る「証言員」が27人居た。それがこの7月には6人。沖縄本島を逃げ回って居た15〜19歳の少女達は今、90〜94歳に為る。


 当銘寿夫(とうめ・ひさお)記者。琉球新報記者を経て、2019年に独立。Frontline Press所属。

 *この記事へのご感想やご意見、または「Yahoo!ニュース 特集」で今後取り上げて欲しいテーマをお寄せ下さい。


 



 ━[PR]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆スマイルゼミ◆タブレットで学ぶ 【小学生向け通信教育】が誕生!
           ご応募はこちらから
           ↓ ↓ ↓ ↓
https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3571J1+11IBW2+2P76+61JSJ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━[PR]━




 




この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9148282
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。