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2019年05月04日

保守派の私が原発に反対してきた理由




 




 【管理人より】


 自らを保守派と自任する中島岳志氏(北大准教授)のレポートを一読し、私は深い感銘を受けました。保守とか革新とか・・・私達は何かと色付けして人を区分し、理解した様な感覚で居ます。確かにそれも一つのものの見方ではあるのでしょうが、55年体制も終わり東西冷戦も終わり・・・既にベルリンの壁も無く為ってしまったのです。
 従来のママの〈保守だ革新・リベラルだ等の〉区分で現在の状況を区分することには何等の価値も分別も認められ無いのは周知の事。何回かに渉って中島岳志氏のブログをご紹介したいと存じます。お付き合い下さい・・・





「マガジン9」「カフェ・ハチャムの挑戦」 2011-03-30up


 中島岳志氏の「希望は商店街! 札幌・カフェ・ハチャムの挑戦」 第5回 より引用します



    5-4-1.jpg

                   中島岳志氏


 保守派の私が原発に反対して来た理由



 




 世界は普遍的に「想定外」なもの



 真の保守主義とは・・・


 福島第一原発の問題が起こってから、何人かのメディア関係者の方から原発に付いての取材を受けました。それは、私がこれ迄に原発に対して批判的なコメントを行なって来たからです。しかし、一方で私は保守派を自認して居ます。保守思想に基づいて物事を考え自分が保守の立場に立って居る事を公言して居ます。この立場と原発反対の言論が、世の中では奇妙なものに映るようです。


 保守主義者は、理性や知性の限界に謙虚に向き合う


 メディアの皆さんは一様に「何故中島さんは、保守派なのに原発を批判して来たのですか?」と質問されます。「原発批判は左派の占有物」と云う発想からなのか、保守派に原発を批判する人が極めて少ないからなのか、私の姿勢は不可解なものに見える様です。
 しかし、私としては「保守思想を重視するが故に原発には批判的」なのです。保守主義者として思考すると、どうしても原発に懐疑的に為らざるを得無いと云うのが私の立場です。

 保守思想は「理性万能主義に対する懐疑」からスタートします。人間はこれ迄もこれからも、永遠に不完全な存在であり、その人間の理性には決定的な限界があります。どれ程人間が努力しても永遠に理想社会の構築は難しく、世界の理想的なクライマックス等出現し無いと云う諦念(ていねん)を保守主義者は共有します。

 *諦念(ていねん) ・・・道理を悟って迷わ無い心、又は諦めの気持ち


 保守派が疑って居るのは設計主義的な合理主義


 保守主義者は、理性や知性の限界に謙虚に向き合い人間の能力に対する過信を諌(いさ)めます。だから保守派は人間の理性を超えた存在に対する関心を抱きます。神の様な絶対者、そして歴史的に構成されて来た伝統や慣習・良識を。保守派は、多くの人間が蓄積して来た社会的経験知を重視し漸進的(ざんしんてき)な改革を志向します。
 革命の様な極端な変化を志向する背景には、必ず人間の理性・知性に対する驕(おご)り・傲慢(ごうまん)が潜んで居る為、保守派はその様な立場を賢明に避けようとします。

 保守派が疑って居るのは、設計主義的な合理主義です。一部の人間の合理的な知性によって、完成された社会を設計する事が出来ると云う発想を根源的に疑います。人間が不完全な存在である以上、人間によって構成される社会は永遠に不完全で、人間の作り出すものにも絶対的な限界が存在します。
 その為、真の保守主義者は科学技術に対する妄信に冷水を掛け様とします。人間が設計するものは普遍的に不完全です。人間の技術と想定には絶対的な限界が存在する為「100%壊れ無い」ものなど存在しようがありません。その様なものは神の領域にのみ存在し得るものです。人間は絶対者ではありません。科学技術の領域で「絶対」を語ることは、人間を絶対者と取り違える危険な思考です。


 




 人間は不完全なものであるから・・・絶対は存在しない


 世界は想定外のもので満ち溢れて居ます。全てを理知的に把握し制御すること等出来ません。世界は普遍的に想定外の存在です。だからこそ人間は、この世界に夢を持って生きる事が出来ます。全てが想定された世界で、果たして人間は喜びを持って生きる事が出来るでしょうか。全てが理知的に把握され、完全な存在にのみ囲まれて生きること等出来るでしょうか。間違い無く、不可能です。
 人間が人間である以上、その様な社会に投げ込まれると精神の変調を来すでしょう。全てが理解され、あらゆる事象が予め規定されて居る世界では、生きることの意味は究極的に剥奪されます。人間はそんな世界に耐える事が出来ません。私達は「想定外」内存在だからこそ、希望を持って生きる事が出来るのです。少なくとも保守思想に依拠する人間は、その様な世界観を共有します。


 




 「安全な原発」等は有り得無い


 サテ、原発です。原発を作るのは勿論人間です。その為あらゆる原発は、未来永劫に不完全な存在です。全ての原発は「想定外」内存在です。だから今回の様な事故は必ず起こります。普遍的に起こり得ます。人間が完全でない以上、完全な原発等存在しようがありません。
 しかし、この様な認識に立つと、有りとアラユル科学技術に対する不信が生まれて来ます。この不信にのみ立脚すると、全ての技術は停止され世界は滞ります。 重要なのは、事故や故障が起こることを前提に、その利便性とリスクを天秤に掛けて利用する英知とバランス感覚です。

 例えば、自動車は普遍的に事故を起こし続けます。日本だけでも年間約5000人の命が失われ、多数の負傷者が出続けて居ます。又、幾ら技術革新が続いても、飛行機事故は無く為りません。飛行機に乗ることは、常に墜落事故のリスクを背負う事に為ります。しかし、私達は自動車や飛行機を放棄しません。それは、リスクの存在を前提として、そのリスクよりも利便性の方が上回ると云う認識を共有して居るからです。
 原発も、同様の前提の下で考える必要があります。原発のリスクと利便性を天秤に掛けた時、どの様な判断をするべきかを考える必要があります。


 




 利便性とリスクを天秤に掛けて利用する・・・英知とバランス感覚が必要
 

 自動車も飛行機も、確かにリスクのある存在です。しかし、原発のリスクはそれらを遥かに上回ります。一旦事故が起こると、事故の規模にもよりますが、相当程度の国土が汚染され人間が中長期間にわたって住むことが出来無く為ります。
 又、周囲はかなり広範囲にわたって放射能の危険に晒され続け水や食品に影響が出続けます。長い年月を掛けて構成されて来た歴史的景観・人間の営み・農地の土壌、そう云ったものを一気に放棄し無ければなら無い事態が生じてしまいます。直接的な被害だけで無く、その不安や精神的圧迫感等も考慮すると、そのリスクは余りにも大き過ぎると云うのが実情でしょう。少なくとも原発事故は、この国土を手間隙掛けて整備し守って来た無名の先祖に対する冒涜であり歴史を無礙(むげ)にする暴挙です。


 




 原発利用のリスクは余りにも大き過ぎる暴挙 


 「安全な原発には賛成」と云う専門家が居ますが、その様な前提は人間が人間である以上は成り立ちません。原発は事故が起こることを前提に考え無ければ為りません。その時に、私はリスクの高過ぎる原発には批判的に為らざるを得ません。人間の不完全性を冷徹に見詰める保守思想に依拠(いきょ)する以上、原発と云う存在には真っ向から反対するのが保守主義者の務めだと思って居ます。
 もう一度繰り前します。私は保守主義者なのに原発に反対なのではありません。私は保守主義者であるが故に原発に反対なのです。

 保守派は好い加減「アンチ左翼」と云う思考法から脱却する必要があります。「左派の市民派が原発に反対だから、現実主義的な保守は原発に賛成」何て云う稚拙(ちせつ)な思考法を共有する限り、日本における「保守の不在」は継続します。ソロソロ日本の保守派は左派への逆説的なパラサイトから脱却して、冷静な思考を取り戻すべきです。

 今こそ保守派は、原発に根源的な批判を向けるべきです。


 中島岳志 (なかじま たけし) 1975年生まれ 北海道大学准教授

 専門は、南アジア地域研究、近代政治思想史。著書に『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書ラクレ)『中村屋のボース─インド独立戦争と近代日本のアジア主義』(白水社)『パール判事─東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)西部邁との対談『保守問答』(講談社) 姜尚中との対談『日本 根拠地からの問い』(毎日新聞社)など多数。
 「ビッグイシュー」のサポーターであり「週刊金曜日」の編集委員を務める等、思想を超えて幅広い論者やメディアとの交流を行なっている。近著『朝日平吾の鬱屈』(双書Zero)


 以上


 





 【管理人のひとこと】


 保守的だから安倍は嫌いだ。革新・リベラルだから立民や国民が好い・・・と云う様な色分けは今後は不要に為ります。何故なら、今更、右も左も存在しません。有るのは、経済的な貧富の差と社会的な経済的断層なのです。
 多くの国民は、今回の天皇の譲位や改元に基本的に同調して居ますし、戦争は嫌だけど自衛隊を認めたいしその存在に期待しても居ます。憲法改正も、戦争に為ら無いのであれば認めるし、もし現実の政治に何かが不足し何かを改正するのなら致し方無い・・・と言う程度の含みは持って居る筈です。どうしても、色分けせずには説明出来ない問題が存在するのなら致し方無いですが、多くの人には理解は得られ無いでしよう。

 実際の日本の政治家や政党は殆どが保守です。極端に自由で過酷な競争社会の超資本主義を嫌い、或る意味社会共同体を守ろうとするリベラルな意思を含む保守なのです。詰まり、理論に武装され暴力で革命を起こそうとする者に反対する意味では保守なのです。
 理論と言っても、某御用経済学者や橋下氏の発言等は、理論では無く屁理屈であり奇をてらう〈大衆迎合に長けた〉アジ演説に等しいもので何の値打ちも無い。次には、橋下氏の屁理屈を分析します。



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 次回は「橋下徹の言論テクニックを解剖する」


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