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2019年04月09日

「中国なんか興味ない」人達にこそ伝えたい・・・元上海総領事



 

 【管理人より】


 古来以来、我が国が歴史的に文化を学び政治を模倣(もほう)して来たのがお隣の国の中国。私達が使う漢字は元より、哲学や学問においても論語を初め数多くのものを取り入れて来た。
 近代に為って中国は、最後の王朝である「清朝」が政治的に末期を迎え、西欧列強の餌食に為り骨の髄までシャブリ尽され、更に日本の侵略を受けます。
 日本の敗戦で、戦後直ぐから国共(国民党と共産党)内戦を経て、毛沢東による共産党政権が樹立されました。当時は、人口こそ世界最大でしたが、国内は疲弊し産業は崩壊した「病んだゾウ」そのもので、文化的にも遅れた国だと言われて居た。しかし、共産党一党独裁の強権の荒療治の下、色々な内紛を経てケ小平が指導し、言論を統制したまま経済発展へと方向を転換しました。
 経済の方向性として、資本主義の自由競争に近い政策を執り、国営企業と並び私企業も大きな発展を見せて居る。今では、日本を抜きGDP世界2位と為り既に日本の2倍以上と為っている。行く行くはアメリカを抜くだろうと言われている。その様な中国ですが、日本との関係はナカナカ微妙なバランスの上に立って居ます。

 中国は、人口約14億人と広大な領土を持つ多民族国家であり、共産党の一党独裁以外では政治的に安定した国家運営は困難だと自認し、一党独裁を何時までも固守して居ます。国内には固有な文化を持つ少数民族も多数皆族も混合して居り、複雑な内政問題も抱えて居ます。
 現在は人口増加も一服し、ヤガテは少子高齢化や人口減少へと向かうでしょうが、我が国としてはアメリカ一辺倒の外交を続けるだけでは済まされ無い環境にある。アメリカに並び、隣の超大国の中国とも真摯な外交を続け、共存共栄の道を歩むしか無いのです。そこで今回「元上海総領事が語る・対中外交の死活的な問題」を取り上げたいと存じます。




 





「中国なんか興味ない」人達にこそ伝えたい


 元上海総領事が語る対中外交の〈死活的な問題〉



 ハフポスト日本版 4/8(月) 13:03配信  より引用します




        4-9-2.jpg        

           外務省の片山和之研修所長



 およそ35年に及ぶ外交人生の殆どを「対中国外交」に捧げて来た人が居る。外務省・片山和之さんは、2019年1月まで上海領事館の総領事を務めた。1980年代から5度に渡る中国勤務を経験し、中国社会を定点的に観測してきた外交官だ。現在は外務省研修所の所長として後進の育成に当たっている。
  国益に関わる交渉にも従事する外交官。経済成長を続けた中国と、停滞に喘(あえ)いだ日本の間で、両国のパワーバランスに変化はあったのか。更に、片山さんは若い世代の日本人に中国に興味を持って欲しいと呼び掛けている。その理由は何か。外務省を訪れ話を聞いた。




 「中国なんか興味無い」人達にこそ伝えたい・・・





 



 同期がペラペラで・・・偶然選んだ中国語



 外務省内の中国の専門家集団「チャイナ・スクール」で過ごして来た片山さんだが、1983年に入省した際は、専門とする言語に中国語を選んでいなかった。英語が堪能な同期を目の当たりにし「今更英語をやっても目立た無いだろう」と、大学時代授業で取っていたフランス語を選んだ。しかし、そのフランス語にも強力なライバルが居た。

 
 『入省する前に同期と遊びに行く機会があって。その時に色々話をしたら、小さい頃にフランスで育った同期も居て、フランス語も結構上手な人が居るなと。チョット思案をして、人事課に志望変更出来ますか?って問い合わせて、中国語に志望を変えました』


 巡り合わせでチャイナ・スクールに足を踏み入れたが「専門性を持つ対象には申し分無い」と使命感を持っていた。
 語学留学を終え、最初に大使館へ赴任したのは1987年の北京だった。当時の中国は海外へ市場を開放し、積極的に貿易や投資を受け入れる「改革開放」の真っ最中。バブル景気でこの世の春を謳歌していた日本との違いは大きかった。/span>




 





 『日中の経済格差が圧倒的でした。中国人に取ってみると、先ずお金とコネを使って固定電話を引くことが非常に大事な目標でしたし、外国人がホテルのレストランで一寸した食事を食べると、彼等の平均月収位を使ってしまう様な、そう云う時代でもありました。
 政府で云えば、政府開発援助やODA、それに円借款だったり無償資金協力だったり技術協力だったり。企業で云えば貿易技術援助だとか、或いは、現地に投資をするとかで、〈垂直〉(=日本が上で中国が下)の関係だったと言えます。そう云う意味では色々な意味で、日本側から上から目線で中国に協力するみたいな。ヤッパリそう云う視点が昔は強かった』


 その中国が1990年代から激変する。当時のリーダー・トウ小平の指示で市場開放が加速し、中国は「世界の工場」として急速な経済発展を遂げる様に為る。2010年代に入ると、人件費も徐々に上昇し生産拠点としての魅力が減った中国は、経済成長が徐々に鈍化して行く。しかし、その中にあっても人々の生活レベルは目まぐるしく変わって行ったと云う。


 『所謂〈後発国の優位性〉があります。日本の様に既存のシステムを作り上げてしまうと、ナカナカ変え難い。中国の場合は、イキナリその時点での最新のシステムを入れられます。
 例えば携帯電話。固定電話すら殆ど無かった時代から、スマホの市場は13億台を超える世界最大の市場に為った。一気に前に行ってしまったんです。高速道路にしろ地下鉄網にしろ高速鉄道にしろ、アッと云う間にここ10年から20年でもう日本の何倍にも為ると云う、チョット驚異的なスピードです』



 





  4-9-3.jpg

              在上海日本国総領事館


 積極的に海外に目を向けて欲しいと呼び掛ける


 気付けば「上から目線」で資金援助をしていた筈の中国は日本を抜き去り、世界2位の経済大国に。今やアメリカの「一極支配」に戦いを挑む存在にまで成長した。その中国を相手に渡り合う外交官。日本の交渉力は過去と比べて落ち込んでいないのだろうか。「日中のパワーバランスはどの程度変化したのか」を聞いてみた。


 『垂直の関係だったのが、水平の関係に移行しつつあると云うか、かなりの部分で移行していると思います。只、外交をやる上で、垂直から水平に為ったから、日本に取って遣り難く為ったと云うのはチョット次元が違うのかなと思いますね。
 昔日本は、多い時には円借款で年間2000億円位供与していた時代がありました。けれども、そう云う時代は日本の云う事を全て中国が聞き、今は全て聞か無いかと云う単純な関係では無いですよね。今水平的な関係に為ったからと云って、彼等が威丈高に為って高圧的な交渉をしてるかと云うと、それはそう云う事でも無いと思います。
 彼等も日本とパートナーを組む時に、日本の技術だったりノウハウだったり、未だ組みたい理由があるからやって居る訳です。まさに、お互いに利益を生み出しながら交渉する訳です。経済関係の変化が日本に取って遣り難く為ったかやり易く為ったと云うことは無いと思います』



  4-9-4.jpg

             中国製の地下鉄車両 2016年



 一方で、気に為る事もあると云う。


 




 『只、日本の存在が中国に取って相対的に小さく為って居ると云う、客観的な事実はあると思うんです。例えば、過つては政府要人だったりが日本からのお客さんにショッチュウ会って呉れました。それが、日本だけが特別視される様な時代では無く為ったと云う事です。
 日本外務省に取っての上海総領事の地位は上がってると思います。明らかに。ヤッパリ中国が重要に為り、上海が重要に為ってますから。だけれども、上海に70位各国の総領事館がありますが、その中で日本総領事の地位が昔に比べて上がってるかと云うと、逆に下がってると思うんですよね』


 片山さんの言葉からは、中国政府の中で日本が占める重要度が下がりつつあることを感じ取れる。その中で、中国にとって日本が「一目置かれる国」に為る事は死活的に重要だと云う。


 『中国から見て〈この問題はアメリカと相談すれば好いんだ〉〈この問題はヨーロッパと相談すればもう決まりだ〉とか〈もう日本には後で通知すれば好い〉と思われる様な国に為って好いのでしょうか。
 日本の技術を取り入れ無きゃいけないとか、日本の企業とパートナー組ま無きゃいけないとか、そう云う風に思わせる様な日本であり続け無きゃいけないと思いますし、それは広い意味で安全保障の一部分を構成すると思います』


 隣国から見ても、徐々に日本の存在感が低下しつつある現実。片山さんは「内向き」と言われ続けた日本の若い世代にマインドを切り替える事が重要だと呼び掛ける。


 『日本は、国土は多様で文化は豊か。食べ物も美味しいし安全です。日本社会の成功物語の裏と云うか(内向きなのは)或る意味では仕方無いと思う面もあります。只、日本は少子高齢化に向かっていますから、殆どの産業も日本国内だけを対象にして居たのでは、もうジリ貧が明確な訳ですよね。そうすると、ドンドン外に向けて出て行か無きゃいけないと思います』


 




 とは言え、留学等で中国へ行くのは簡単に出来る決断では無い。日本人へのマイナスイメージを持っている中国人も少なく無い。更に、2019年の2月には、中国と関係の深い大手商社の社員が拘束されていた事が明らかに為った。


 『中国が好きか、嫌いかと云うのは個人の問題ですから、色々な考え方があって好いと思います。只、多くの人のコンセンサス(共通認識)として、アノ国は日本に取ってヤッパリ重要な国です。中国にはこう云う強み、こう云う弱みがあって、今後の日中関係って云うのはどう云う風に構築して行ったら好いのか、と云うのを夫々の分野で考えて貰う必要があると思います。
(商社社員拘束に付いては)具体的に承知する立場ではありません。只、残念ながら国としての価値体系は共有していない部分があります。日本に比べて、情報保護だとか個人の人権だとか、自由等の面で制限や制約があります。写真を撮ってはいけない場所や、制限区域等は日本社会以上に注意をして置かなければいけません』


 それでも、海外に出て他国の文化に触れる意識を持ち続けて欲しいと、片山さんは願っている。参考にして欲しいと名前を挙げたのは、長州藩士として倒幕運動の一翼を担った高杉晋作だ。


             4-9-6.jpg

             高杉晋作と禁門の変(蛤御門の変)


 『明治維新の直前に高杉晋作が訪れたのが上海です。そこで、表面的には繁栄して居ても、地元の中国人が召使として苦役させられてるシーンを見て〈日本がウカウカしてると、眼前に展開されているシーンは明日の日本だ〉と云う強烈な危機感を持ったんだと思うんです。
 当時の若い日本人の志と云うか、危機感が明治以降の急速な日本の近代化に繋がったんだと思います。日本人はもう少し感度を高くして、中国のダイナミックな変化を見詰めて、自らを変える1つの鏡として見て欲しい。今の中国の現実と云うものを虚心坦懐に見た上で、日本に取ってやるべきことは何なのか、と云う事を考えて行く必要があると思います』

 以上


 




 
 参照として「高杉晋作の上海」の記事です・・・


 高杉、哀れを感じ、国防意識に目覚める

「午後、高杉は幕吏に従って上陸すると、オランダ領事館を訪れ、遣使等が二階で副領事クルースと挨拶を交わしている間、階下で同館勤務の清国人と筆談を試みた。高杉は非常に好奇心が旺盛であり、寸暇を惜しむかの様に上海の書店の位置、清国の傑人(林則徐、陳化成)等の評判、英米仏露のうちで最強の国は何処か、と云った質問をすると、ロシアが一番強いと云った即答を得た。
 又高杉は、外国人に使役されている清国人の下層労働者の姿を目の当たりに見て哀れを感じ、これは清国に限ったことでは無く、状況次第では日本でも在り得ることと痛感し、外国に隙を与えず防備に努めねば為らぬ、と国防意識に目覚める」

 高杉は清国を見つめた・・・

「高杉に取って上海は初めての外国であった訳であるが、僅か約二カ月間の外国生活であったとは言え、得る処も大きかった筈である。血の毛の多い高杉にと伝手有益であったのは、長崎滞在中にアメリカ人宣教師から聞いていた清国の内乱(長髪賊の乱)が上海到着後俄かに現実味を帯びて来、戦闘の場に臨むことはついぞ出来なかったせよ、外国の内乱を真に見聞出来たことである。
 先ず彼の心魂を震わせたものは5月7日(6・4)の朝に、上海の北方に位置する宝鎮にまで迫った太平軍を駆逐する為の砲声であり、同月14日(6・11)には賊徒を迎撃する為に楽隊を先頭に前線に赴かんとする英仏の討伐軍の姿を目の当たりにしその行動に注目した。
 彼は天に轟く砲声、内乱に苦しむ清国と列強の勢威を見て、他人事では無く、祖国日本もやがて内憂外患に悩むかも知れぬ将来像を心に描くと、気が塞いだかも知れぬのである。上海は繁華の港町の印象を与えてはいるが、更に一歩踏み込んで観察すると、表面上の賑わいとは裏腹にそれが見掛け倒しであることを知る。港が繁盛している感じを与えるのは、外国の商船や商会が多いからである・・・略・・・」

 以上


 





 【管理人のひとこと】


 中国とはナカナカ持って理解不明な国である・・・別に、アメリカやイギリス・ロシア等の欧米の国々の方を好く理解していると言うのでは無く、韓国に北朝鮮に次いで同じ東南アジアの近隣国の中国で在るが故の判り難さなのだ。相互に相手を誤解しながら永い歴史を担って来た感が強いのだ。
 その中の殆どが、日本から見ると海外にある彼の地に渡り、侵略や無意味な侵入を繰り返した歴史でもある。朝鮮・百済の国を助けようとした戦から始まり、秀吉の朝鮮征伐から日清・日露戦争に朝鮮併合から満州事変・日中戦争へと続いた。

 そこで、古来よりの中国と日本の関係を知りたいと考え、何回かに渉って評論家の石平氏のレポートを参照しようと思います。

 先ずは、私達は「論語=儒教」と誤解してると指摘する石平氏のリポートを次に取り上げます。



 



 






 

 
 



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