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2021年04月06日

日本政府の無為無策で「親日国ミャンマー」が中国陣営に着く可能性




 日本政府の無為無策で「親日国ミャンマー」が中国陣営に着く可能性


4-6-2.png『週刊現代』 近藤 大介 4/6(火) 6:02配信




 日本が誇る「太いパイプ」とは

 
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             4-6-1 写真 現代ビジネス

 次々に布石を打つ中国に対し無為無策の日本・・・国軍によるクーデターから既に2ヵ月を超え、混迷を深めるミャンマー情勢を見ていると、マサに隔靴掻痒(かっかそうよう)の感がある。
 「日本はアメリカやEUよりも、ミャンマー国軍に対して太いパイプを持っている」
 これ迄国際社会で日本はこう自任して来た。また、そう見られて来た。それなのに肝心な時に、国軍を説得出来ずに居る、手を打てずに居る。日本はこの2ヵ月と云うもの @発砲など暴力行為の即時停止 Aアウン・サン・スー・チー国家顧問らの即時釈放 B民主化への速やかな移行の「3点セット」を唱えるばかりだ。 日本が誇って来た、これ迄のミャンマー国軍との「パイプ作り」は一体何だったのだろう?   

 「パイプ作り」の一端を示そう。今や無辜(むこ)の市民に対して発砲する40万国軍のトップとして極悪非道の代名詞に為っているミン・アウン・フライン国軍総司令官を、日本政府は、一昨年2019年10月8日から13日迄6日間日本に招待して居る。  
 訪日二日目に当たる10月9日の夕刻には、外務省に招いて茂木敏充外務大臣が会談を行っている。当時、日本外務省が発表した会談の概要は、以下の通りだ。  

 1 冒頭 茂木大臣から「日本は引き続きミャンマーの民主的な国造りを全面的に支援して行く。和平プロセスに付いては笹川政府代表と共に最大限後押しする。ラカイン州情勢に付いては国連の協力の下、避難民帰還の為の環境整備を目に見える形で早急に進展させること。人権侵害疑惑に対し適切な措置を取ることが重要と考える。ミャンマー国軍の協力を期待したい」旨述べました。

 2 続いて少数民族との和平に付き、茂木大臣から「ミャンマー北東部におけるカチン独立軍・KIA等との恒久的な停戦及び避難民の帰還・再定住の実現を期待する。日本財団等との連携によるミャンマー南東部地域の復興・開発支援が順調に進展している。今後もミャンマー国軍の最大限の協力を得たい」旨述べました。
 これに対しミン・アウン・フライン国軍司令官から日本の支援に謝意が示された上で「和平及び国内避難民問題の解決の為、笹川政府代表と協力して居る。我々は恒久的和平の実現を望んでいる」との反応がありました。  

 3 またラカイン州情勢に付き茂木大臣から「日本はラカイン州の状況改善の為、ミャンマー自身の取組を最大限後押しする立場である」旨述べた上で人権侵害疑惑について「独立調査団による調査の進展が重要であり、ミャンマー政府及び国軍として独立調査団の勧告を受け適切な措置を速やかに取ることが不可欠である」と促しました。
 これに対しミン・アウン・フライン国軍司令官から日本の理解と支援に対する謝意が示された上で避難民帰還に付き「ミャンマー国軍・政府共にミャンマー国内の居住実績がある者に付いては、審査の上受け入れる用意がある。帰還後の生活向上にも取り組む」旨述べました。
人権侵害疑惑については「独立調査団の調査に全面的に協力している。人権侵害が明らかに為れば、法に基づき責任者に措置を取る」との反応がありました。  

 4 双方は北朝鮮情勢に付いても意見交換し、北朝鮮の完全な非核化に向けて連携することを確認しました。又、茂木大臣から拉致問題の早期解決に向けた理解と協力を求め支持を得ました。  

 ・・・以上である。外務省が発表した報道資料には、茂木外相がフライン総司令官と親密に握手したり会談したりしている3枚の写真も添えられて居る。

 旧日本軍との「深い因縁」


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                Wikipedia 4-6-3

 フライン総司令官は、翌10日の夕刻には防衛省へ赴き、当時の河野太郎防衛大臣とも会談している。防衛省関係者が明かす。

 「河野防衛大臣は、外務大臣時代の同年7月31日にミャンマーを訪問しアウン・サン・スー・チー国家顧問らと会談した話等をして和やかな雰囲気でした。二人は、自衛隊とミャンマー国軍との交流を促進して行くことで一致しました。この時、日本はフライン総司令官の要望を二つ受け入れました。
 一つは、日本の防衛大学校がミャンマー国軍のエリート軍人達を研修生として受け入れたことです。今回の国軍クーデターの後も、フライン総司令官が送り込んだ国軍エリート達は日本に残って居ます。もう一つは、フライン総司令官のたっての希望で『ミャンマー国軍の父』と言われる鈴木敬司元陸軍少将(1897年〜1967年)の墓参を実現したことです。
 フライン総司令官は、鈴木元少将の墓がある静岡迄赴き『こんにち我が国軍があるのは貴方のお陰です』と言って、感慨深げに手を合わせました」  

 この防衛関係者が述べて居る様に、ミャンマー国軍と旧日本軍とは深い因縁がある。・・・以下の記述は、主に根本敬著『物語 ビルマの歴史』(中公新書2014年)による・・・

 ・・・1937年に開戦した日中戦争が長期化する中、日本は「援蒋ルート」(中国の後背地に位置するイギリス植民地下のビルマから、重慶臨時政府の蒋介石軍を支援するルート)を断つことが日本の勝利を導くと考えた。そこで1940年6月から10月迄、陸軍参謀本部の鈴木大佐が「読売新聞記者・南益代(みなみ・ますよ)」と云う変名を用いてビルマに潜入。鈴木大佐が目を付けたのがアウン・サン・スー・チー国家顧問の父親であるアウン・サン氏(後の将軍1915年〜1947年)だった。
 同年11月12日、アウン・サン氏は密かに羽田飛行場に降り立った。そして日本でひと月以上に渉って鈴木大佐らと策を練った。
 
 鈴木大佐はその後、参謀本部が「学生あがり風のみすぼらしい様相」だとしてアウンサンに関心を示さ無い中を執拗に説き伏せ、海軍と共同で1941年2月1日に南機関と云う大本営直属のビルマ謀略機関を設置することに成功し自ら機関長に就任した。
 南機関の目的は、ビルマに於けるナショナリスト達の反英闘争を日本軍が支援し親日政権を樹立させ、重慶に繋がる援蒋ルートを閉鎖する事に在った。南機関はアウンサンを一度ビルマに送り返し、彼の取り計らいで計30人のビルマ人青年を同年3月から4ヵ月間にわたって密出国させた。
 その上で海軍が1939年2月以来占領していた海南島の三亜に集め、通常2年掛けて行う軍事訓練を3ヵ月程の短期で施した。彼等にしてみれば、英国による植民地支配体制を倒す念願の武器と軍が手に入る段階に至った訳である。
 非常に厳しい軍事訓練を耐え抜いた彼等は祖国への進軍の時を待った。彼等は後にビルマで「30人の志士」と呼ばれる事に為る。(前掲書187〜188ページ)  

 1941年12月8日、日本の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が開戦すると、鈴木大佐は「30人の志士」を中心に「ビルマ独立義勇軍」BIを結成。アウンサン氏をリーダー格の少将に据えた。翌1942年1月22日には、東條英機首相が帝国議会の施政演説で「ビルマを独立させる」旨の宣言をした。そして日本軍は、32万人もの大部隊をビルマに派遣しイギリス軍を駆逐して行ったのである。  
 同年6月、日本軍がビルマ全土を掌握し鈴木少将は帰国した。その際、ビルマ独立義勇軍は「ビルマ独立軍の親であり、そして恩人でもあるボウ・モウヂョウのことを、我々は常に思い出し決して忘れません・・・」と書いた感謝状を鈴木大佐に贈っている。  
 太平洋戦争開戦40周年に当たる1981年には、ミャンマー政府は国家最高の栄誉である「アウンサン旗勲章」を、故・鈴木少将に授与し節子夫人が受け取っている。フライン軍総司令官は2019年10月、そうした縁でワザワザ静岡まで足を運んで鈴木少将の墓を参ったのである。

 ミャンマー国民が日本に期待する理由


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                 4-6-4 Gettyimages

 もう少し両国の関係史を簡述すると、1945年8月に日本が敗戦し、ミャンマー戦線で19万人もの戦死者を出した。1947年1月にアウン・サン氏率いる代表団が訪英し1年以内の独立を確約させた。 だが同年7月、初代大統領のポジションが確実視されて居たアウン・サン氏が、国内の権力闘争に巻き込まれて暗殺されてしまう。
 この時、スー・チー氏は2歳に為ったばかりで父親の記憶は無い。結局、ミャンマーは1948年1月4日に独立を果たした。
 
 一方の日本は、敗戦後の極端な食糧不足をミャンマーからのコメ買い付けによって凌(しの)いだ。1949年に7万トン、翌1950年は17万トンを輸入。この時、暗躍したのも鈴木元少将らだった。これこそ「ミャンマー国軍とのパイプを生かした」結果である。  
 また、戦後日本のアジア外交は「賠償外交」とほぼイコールだったが、最初に経済協力(賠償)協定を結んだのが1955年のミャンマーだった。しかも、ミャンマーが比較的低額(10年間で2億ドル規模の生産物無償供与及び5000万ドルの経済協力)で妥結して呉れたお陰で、日本はそれを「前例」として、フィリピン・インドネシア・・・と続く賠償外交を乗り切る事が出来た。

 ちなみにこのミャンマーとの賠償交渉でも役に立ったのは「ミャンマー国軍とのパイプ」だった。その後、1962年にミャンマーで軍事クーデターが起こったが、日本はミャンマーとの親密な関係を維持した。戦後賠償が終わった1966年からも12年に渉って経済技術協力を続け、1968年からは円借款も始めている。
 1976年には東京で第1回ビルマ援助国会議を開いている。1988年までの対ミャンマーODA・政府開発援助は計5,117億円に上った。1988年にミャンマーで、2度目の軍事クーデターが起こってからも、ミャンマーを「西の北朝鮮」の様に扱った米欧と異なり、日本はミャンマーとの関係を維持。5分の1規模に減らしたものの、無償資金協力も続けた。

 そして2011年にミャンマーが民政移管すると、2013年5月に安倍晋三前首相がミャンマーを訪問し、5,000億円もの対日債務を帳消しにしたのである。そこからミャンマーを「最後のフロンティア」と呼んで、最大都市ヤンゴンの郊外に日系企業の工業団地である「ティラワ経済特区」を開発して行った。  
 2016年に事実上のスー・チー政権が発足すると、日本はミャンマーとの蜜月関係を加速させた。スー・チー氏自身、1985年から1986年に京都大学に留学する等、日本との縁が深かった。過去10年でも、2013年4月・2016年11月・2018年10月と3度も来日し、安倍首相等との親交を深めて居る。
 
 今年年初の段階で「ティラワ経済特区」では94社もの工場が稼働し、ヤンゴン日本商工会議所には433社が加盟、約4000人の日本人がミャンマーに駐在して居た。全日空は毎日ミャンマーとの定期便を飛ばして居た。そんな中で、2月1日に3度目の軍事クーデターが勃発したのである。
 同日に軟禁されたスー・チー国家顧問率いるNLD・国民民主同盟はもとより、5700万ミャンマー国民も歴史的に縁が深い日本に大いに期待した。

 菅政権の恐ろしい程の「慎重姿勢」
 
 2019年度の日本外務省「海外における対日世論調査」によれば、ミャンマー人の日本への期待感は傑出している。

「ミャンマーに取って現在重要なパートナーはどの国か?」との質問に対して
 1)日本82% 2)中国67% 3)韓国54%
「今後重要なパートナーはどの国か?」と云う質問に対して 
 1)日本81% 2)中国49% 3)韓国49%
「最も信頼出来る国はどの国か?」と云う質問に対しては 
 1)日本61% 2)中国9% 3)韓国9%

 他にも質問は続くが、ミャンマー人の日本への信頼感と期待感は他国を圧倒しているのである。これは、前述のような日本とミャンマーの歴史的な深い関係から来ているが、日本がミャンマー人の理想とする民主国家に映ると云う事も大きい。  
 その為、今回のクーデターが起こってからも、ミャンマー人は日本に対して大いに期待した。何せクーデターを起こしたミャンマー国軍には、米欧よりも日本の方が遥かに「太いパイプ」があるのだ。だが菅義偉政権はこの2ヵ月余りと云うもの、前述の「3点セット」(暴力停止・拘束者解放・民主回復)を唱えるばかりで、恐ろしい程に「慎重姿勢」を貫いた。最新の4月2日の茂木外務大臣の会見での記者との遣り取りは、以下の通りだ。  

 記者 ミャンマーの国連大使が弊社(日経新聞)のインタビューで、民政が回復する迄の間、日本はミャンマーへの投資を中断するべきだと云う事を話したのですけれども、この受け止めをお伺いしたいのと、もう一点、政府として対ミャンマーのODAを全面的に停止すると云う考えはないのかと云う事を教えてください。
 
 茂木外務大臣 国際社会の度重なる呼び掛けにも関わらず、ミャンマー国軍・警察による市民に対する実力行使によりまして、3月27日には、これ迄最多の死者を数えるなどミャンマーで多数の死傷者が発生している状況を我が国は強く非難します。
 また、現状を深刻に受け止めております。日本は、これ迄国軍に対して、暴力の即時停止、アウン・サン・スー・チー国家最高顧問を含む拘束された関係者の解放、民主的政治体制の早期回復の3点を強く求めて来て居りまして、事態の推移そして又関係国の対応・・・こう云ったものも注視をしながら、どう云った対応が効果的か、好く考えて行きたいと思っております。  
 様々な形での働き掛けであったりとか、遣り取りは続けて行く必要がある、そう云った中で事態の沈静化を図り、そして民主主義体制の早期回復・・・これを実現して行きたいと思っております「大切なものは目に見え無い」『星の王子さま』の一節です。

 最早スッカり決まり文句と為った「どう云った対応が効果的か、好く考えたい」日本政府が「好く考えている」内に、2ヵ月が経過し500人を超える死者が出てしまったのだ。約3万2,000人(2019年12月現在)の在日ミャンマー人達は、その間に何度も会見や要請を行い最早爆発寸前である。  
 加えて言うなら、茂木外務大臣の最後の『星の王子様』の一節は全くもって意味不明だ。大切なものを目に見える様にして国際社会の圧力を強めて行くのも大切な外交ではないのか?そもそも毎日、少なからぬ市民の血が流されている中で、童話の一節を比喩に取って記者を煙に巻くと云うのは不穏当ではないか。

 米・中・露が蠢く中で


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               4-6-5 Gettyimages

 ちなみに、菅首相が今月16日に訪問する同盟国のアメリカは、3月29日にUSTR・米通商代表部が「ミャンマーとの貿易・投資枠組み協定・TIFAに基づく全ての取り組みを即時停止する」と発表した。翌30日には、米国務省が「ミャンマーに駐在する政府職員らに出国命令を出した」と発表した。この様に、アメリカのメッセージは明確である。  
 一方、アメリカとは逆の立場を取るのがロシアだ。3月26日、ロシアのアレクサンドル・フォミン国防次官が、首都ネピトーでフライン総司令官と会談し国軍への協力を約束した。フォミン国防次官は、翌27日にネピトーで挙行された国軍の日の記念式典にも参列している。  
 中国も又動きを加速させている。王毅国務委員兼外相は、3月31日から4月2日までシンガポールのビビアン・バラクリシュナン外相・マレーシアのビシャムディン・フセイン外相・インドネシアのルノト・マルスディ外相・フィリピンのテオドロ・ロクシン外相を福建省のアモイに招いてミャンマー問題を話し合った。
 ASEANは今月、ミャンマー問題を話し合う首脳会議の開催を模索して居て、中国はこの重要会議に向けて影響力を行使しようと云う事だ。王毅外相は、3月7日の会見でも、

 1) 国軍とNLDとの対話による解決 
 2) ASEANによる内政不干渉を原則とした解決 
 3) 「中緬運命共同体」(習近平主席がミャンマーを訪問した2020年1月に、スー・チー国家顧問と締結した新たな両国関係)の維持の3点を強調した。  

 中国のミャンマーへの主な関心は 1)中緬国境 2)中緬パイプライン 3)中緬貿易の3点である。
 
 1) 中緬国境は、1,620kmと云うミャンマー最長の国境を有して、私は中国側から国境地帯を回ったことがあるが、国境を挟んだ両国の経済格差は圧倒的である。中国側の雲南省では25もの少数民族が暮らして居て、ミャンマー側の混乱や難民は中国側の混乱に直結する。
 実際、国境の都市・瑞麗では先週3月30日、ミャンマー人達からコロナウイルスが発覚したとして30万都市を一週間封鎖した。
 
 2) 中緬パイプラインは、2009年12月、習近平副主席(当時)がミャンマーを訪問した際、同国のチャウピュー港から雲南省瑞麗迄総工費25.4億ドルを懸けて793kmの天然ガス用パイプラインと、770kmの石油用パイプラインを引くプロジェクトを正式決定した。翌年から工事を始め、天然ガス用は2013年7月に、石油用は2017年3月に開通した。  
 これによって中国は、アメリカ軍に支配されたマラッカ海峡を経ずに、中東からのエネルギーを直接、中国に供給する事が可能に為った。他にもロシアやカザフスタンとのパイプラインがあるが、矢張り中緬パイプラインが中国に取っての生命線で、今回のミャンマー国内の混乱によってこのパイプラインが切断されることを何より恐れている。  

 3) 中緬貿易は、中国からミャンマーへの投資や貿易は拡大の一途を辿っている。2019年のミャンマーの貿易状況を見ると、輸出では中国36.5%・タイ21.8%・日本6.6%、輸入では中国31.4%・シンガポール15.0%・タイ11.1%と、中国が最大の貿易相手国と為っている。
 要は中国は、北朝鮮・ベトナム・ラオス・ミャンマーと云う国境を接した「同志4ヵ国」においてアメリカを超える影響力を行使し続けたいのである。  

 まとめると、現在のミャンマーを巡る関係主要国・地域の態度を簡単に言い表すなら「出るロシア・中国」と「引くアメリカ・EU」、そして「待つ日本・インド」である。過つて同じイギリスの植民地だった「兄貴分」のインドも、ミャンマーへの影響力拡大を虎視眈々と狙っている。将来的にミャンマーは、中国と台頭するインドとの角逐(かくちく)の場と化すだろう。それは北東アジアで、朝鮮半島が日本と中国との角逐の場に為って来た様を髣髴させる。  

 最後に言って置きたいのは、この先、日本迄もが「引く方」に回れば、ミャンマーは完全に「強権国家陣営」に着いてしまうと云う事だ。そう為れば、米中新冷戦において、アジアで「強権国家>民主国家」の構造がより一層進んでしまう事に為る。日本が「星の王子様」を遣っている間に事態はドンドン進んでいるのだ。
 来週末のワシントンでの日米首脳会談で、日本が明確なメッセージを出せ無かったなら、日緬関係に尽力した日本の先人達の苦労を無に帰し、かつ米中新冷戦で中国側を有利に立たせてしまうだろう。日本が「国軍とのパイプ」を世界に示す絶好のチャンス到来である。


 文章 『週刊現代』特別編集委員 近藤 大介


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   DAISUKE KONDO 4-6-6 現代ビジネス レギュラー作家 Photo: Kiyoshi Mori

 プロフィール 1965年生まれ 埼玉県出身 東京大学卒業 国際情報学修士 講談社『週刊現代』特別編集委員 明治大学国際日本学部講師(東アジア国際関係論) 2009年から2012年まで、講談社(北京)文化有限公司副社長 近著に『アジア燃ゆ』(MdN新書)『中国人は日本の何に魅かれているのか』(秀和システム)『ファーウェイと米中5G戦争』(講談社+α新書)など 
          近藤 大介(『週刊現代』特別編集委員)
















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