2020年04月27日
「緊急事態延長」で迫る「経済停止」が招く大問題
「緊急事態延長」で迫る「経済停止」が招く大問題
〜東洋経済オンライン 日沖 健☟ 4/27(月) 5:25配信〜
何故「コロナ長期化」への備えが必要なのでしょうか?
〜コロナ禍の影響から緊急事態宣言が4月7日に出されて、連休最終日の5月6日迄外出自粛等の対応が続きます。国民の多くは、此処で感染拡大を抑え込んで連休明けに緊急事態宣言が解除され、早期に普段の生活を取り戻せるものと期待し我慢を続けて居ます。
一方「本当に連休迄にケリが着くのか」「緊急事態宣言が延長され、再延長され、延々とコノ状態が続くのではないか」と云う不安も過ります。どう為るのか予断を許しませんが、最悪を想定するのが危機管理の基本。短期で決着すると云う好ましいシナリオだけで無く、長期戦に為ると云う苦渋のシナリオも想定して置く必要が有ります。今回は、何故長期戦への備えが必要なのか、そこではどう云う対策が求められるのかを考えてみましょう〜
「コロナの短期決戦」を目指す安倍首相
今年1月16日に国内で最初の感染者が確認されてから今日迄、政府は様々な対策を講じて来ました。その基本姿勢は「短期決戦」です。安倍首相は2月26日に「コノ1・2週間が感染拡大防止に極めて重要」とし、その後も繰り返し「この1・2週間が正念場」と短期決戦への協力を呼び掛けて来ました。そして「経済をV字回復させる」(3月17日)と急回復を目指しました。
しかし、コロナとの戦いは決着せず、3ヵ月が経ち緊急事態宣言・その全国拡大へと追い込まれました。現在は「この緊急事態を1ヵ月で脱出する」事を目指して居ます。
日本では、法律を変え無い限り、都市封鎖等更に厳しい措置を取る事は出来ません。緊急事態宣言は、政府が持って居るカードを出し切った形。最終兵器を目にした国民の心には「流石に此れで大丈夫でしょ」と云う期待と「これでダメなら一体どう為るんだ」と云う不安が交錯して居ます。
今後を占うのは困難ですが、有効なワクチンや治療薬の開発には、通常2〜3年、今回可成り急いでも1年掛かると云われます。又、早期に感染抑制に成功したとしても、北海道等で一旦収まった感染拡大が再加速して居る状況を見ると、安易に警戒を緩める訳にはいきません。短期で戦いが決着する可能性は低いと覚悟した方が好いでしょう。
京都大学・山中伸弥教授は、自身のホームページで「新型コロナウイルスへの対策は長いマラソンです。都市部で市中感染が広がり、暫くは全力疾走に近い努力が必要です。又、その後の持久走への準備も大切です」と述べて居ます。又、ハーバード大学に依ると2022年迄ソーシャル・ディスタンシングを続ける必要が有るとの事です。私達は、短期で終息させる為に努力すると共に、長期戦を覚悟しその為の対策を講じる必要が有るのです。
「経済対策」は感染対策と同じ位重要
では、新型コロナウイルス対策の長期戦の為には何が必要に為るのか。先ず「感染対策」に付いては、感染者数の増大に備えて、検査体制や治療体制を拡充する必要があります。特に、高齢者が多い一方、病院・医師が不足する地方での体制整備がカギに為ります。
只、同時に大切なのが「経済対策」です。軍事学で「短期戦は戦術で決する、長期戦は兵站(へいたん)で決する」と云われる通り、長期に渡って戦い続けるには、必要物資を安定的に届ける体制と経済力が欠かせません。
現在政府は、連休中に感染拡大を抑え込む事を目標に、経済への悪影響に目を瞑って国民に外出自粛や接触8割減を、企業に休業や在宅勤務を要請して居ます。しかし、この目標を達成出来ず、更に1年、いえ半年でも現在の対策を続けたら日本は一体どう為るでしょうか。
既にGDP成長率はマイナスに転じて居り、4〜6月は前期比▲25%(ゴールドマンサックスの試算)と壊滅状態に為ると懸念されます。経済停止の状態が更に数ヵ月続いたら確実に倒産ラッシュが起こります。
今は真っ先にリストラの標的にされたパート・派遣等非正規労働者の窮状が問題に為って居ますが、企業が無く為れば正社員も安泰では有りません。数百万人の失業者が街に溢れ自殺者の増加も考えられます。
1か月とかの短期間なら、多くの国民が給付金等国からの支援で何とか生活を維持出来ます。しかし、財政状態が逼迫した日本では、追加で給付金を支給するのは1〜2回が精一杯。給付金を頼りに長期間生きて行くのは不可能です。
これは企業への休業協力金でも同様です。倒産・失業、そして経済的な死を防ぐには、企業は事業活動を再開し、国民はソコで働いて稼ぐしか無いのです。今は短期戦の真っ最中なので、経済の事を口にすると「感染と戦う大事な時に余計な事を言うな!」「自粛に応じ無い非国民!」とバッシングされます。
しかし、経済無視は、短期戦では正解ですが長期戦では不正解です。長期戦では、感染対策と経済対策を両輪で推進する必要があります。
長期戦で求められる「経済対策」
長期戦での「経済対策」には何が必要か。先ず、経済活動を「原則自粛」から「原則自由」に方針転換します。現在、都道府県単位で対策が進められて居ますが、市町村単位に細分化しキメ細かく対応に差を付けます。
例えば東京都でも、都内全域一律に活動自粛するのでは無く、感染拡大が続く港区・渋谷区等では今迄以上に活動を厳しく制限する・・・原則禁止。一方、感染リスクが小さい福生市・あきる野市・三宅島等では自由・・・原則自由に活動して貰います。この方針転換を受けて、企業は事業所が所在する地域毎の活動計画を作り、原則自由地域では事業活動を推進します。又、原則禁止地域から原則自由地域への事業活動の移管を進めます。
「今工場を稼働させてモノを作っても売れ残るだけ」と云うなら、マスクの生産を始めたシャープの様に、既存製品に拘らず、社会の維持・発展に貢献出来る製品を知恵を絞って探しましょう。更に、非接触型ビジネス等感染リスクに影響され無い新事業の創造が期待されます。
働く側も、感染リスクが小さい者から働き始めます。新型コロナウイルスは、60歳以上の高齢層で重篤化・死亡のリスクが高く、若年層では比較的症状が軽微に落ち着く傾向があります。原則自由地域に住む現役世代には、高齢者や原則禁止地域の住人の分迄懸命に働いて貰います。
国には、長期戦の方針を明確に打ち出すと共に、企業・国民の前向きな経済活動を融資・補助金等で支援する事が期待されます。又、国に依るビジネス・人材のマッチングも効果的です。
例えば、今回の危機で飲食業やホテル業では従業員が余って居る一方、農業では、収穫作業を担って居た技能実習生が帰国し深刻な人手不足に陥って居ます。国が広域的にマッチングをすれば、事業継続と失業抑制が実現し一石二鳥です。
「長期戦への備え」は待った無し
歴史を振り返ると、一ノ谷の戦い・桶狭間の戦い・日本海海戦等、日本人が絶賛する戦いは何れも短期決戦。逆に長期戦は、壬申の乱・応仁の乱・太平洋戦争等、グダグダと迷走する冴え無い戦いばかりです。伝統的に日本人は、短期決戦を好み長期戦は苦手な様です。
太平洋戦争で東条英機首相は、真珠湾攻撃でアメリカの戦意を喪失させて短期間で講和する積りでした。しかし短期戦が決着せず、ズルズルと長期の消耗戦に為り、長期戦への備えが無かった日本は、経済力・国力の差でアメリカに敗れました。
太平洋戦争以来の危機と云われる新型コロナウイルス。太平洋戦争の過ちを繰り返さ無い様、今コソ長期戦への備えを推進する事が必要です。
※編集部注 本記事は2020年4月25日に執筆したものです。
日沖 健 経営コンサルタント 1965年 愛知県生まれ 1988年 慶應義塾大学商学部卒業 1988年 日本石油(現・JXTG)に入社 大阪支店・社長室・財務部・シンガポール現地法人IR室に勤務 1998年 Arthur D. Little School of Management修了 MBA with Distinction 2002年 日沖コンサルティング事務所を開業
産業能率大学総合研究所・兼任講師 中小企業診断士(中小企業診断協会・会員)中小企業基盤整備機構・アドバイザー 日本経営分析学会・会員 日本経営診断学会・会員
以上
コロナショックで 世間が騒ぐ以上の「社会的危機」が到来して居た!
〜現代ビジネス 大原 浩☟ 4/27(月) 8:01配信〜
コロナ危機で広まる「相互不信」の恐ろしさ!
〜新型肺炎の脅威が世界に広がる中で、相互不信が広まって居る事は否定出来無い事実である。何しろ、自分身の周りの他人だけでは無く友人・知人家族でさえ危険なウイルスを保有して居る可能性があるのだ。味も素っ気も無い話だが、生物学に於いてキスやセックスは「体液の交換」と定義付けられる。
詰り「感染症を持って居るかも知れない貴方と接触して体液を受け入れても好いですよ」と云う重大な意思表示なのだ。別に堅苦しい説教をする積りは無いが、今回の新型ウイルスはAIDS以上に世界中の人々の性行動を変えるかも知れ無い。勿論男女間だけでは無く、握手やハグ等の習慣に影響を与える事は十分考えられる。
勿論、どの様な人々も偏見無く受け入れる姿勢は立派だが、相手がどの様な人物で有るかを見極め無いで「見境無く」付き合えば、某国首相夫人の様にメディアを常に賑わすだけでは無い。場合に依っては命の危険に晒されるリスクが有る事を肌身で感じた人々が多い筈だ。ソコで、その様な環境下でもお互いに信頼し助け合う事が出来る人々をどの様に見付け、関係を維持して行くべきかに付いて考えたい〜
「囚人のジレンマ」
人間同士の信頼関係に関する科学的研究の中で最も有名なものは、ゲーム理論に於けるゲームの1つである囚人のジレンマだ。1950年にプリンストン大学教授で数学者のアルバート・タッカーが考案したものである。ランド研究所のメリル・フラッドとメルビン・ドレシャーの行った実験を基に、ゲームの状況を囚人の黙秘や自白に例えた為、この様な名が着いて居る。
ゲーム理論研究が盛んに為った背景には、1950年の朝鮮戦争勃発(この時マッカーサーは「限定的」核の使用を提言したが米国政府に却下されて居る)に依って始まった冷戦が、1962年のキューバ危機に依って緊張が極限迄高まった事が挙げられる。
相手の信頼度と裏切りの可能性を分析し「核のボタンを押すべきか、辞めるべきか」を判断すると云う重大決断の為の研究ニーズが飛躍的に高まったのだ。残念ながら核戦争の様な「一発勝負」では、多数の有能な研究者の努力にも関わらず正解と云うものは見付かって無いが、この研究が無駄で有った訳では無い。
「仲間を裏切る」と云うのは危険な行為
囚人のジレンマと云うゲームを大胆に簡略化すれば次の様に為る。
1. 強盗団の一味が捕まって 一人一人別々に取り調べを受ける
2. 強盗団の一味が誰も口を割ら無ければ 物証が乏しいので嫌疑不十分で釈放される
3. 誰かが情報を提供して仲間を裏切ったら 裏切った人間は司法取引で刑期が5分の1に為る
4. 裏切られた仲間達は 20年の懲役と為る
勿論、実際には仲間を裏切ったら、釈放された後報復を請け負った殺し屋に撃たれる・・・等色々な要素が有るが、ここでは考慮に入れ無い。この場合も、核戦争ボタンの時と同じ様に、1回限りを考えると正解は無い。しかし、この強盗団が何時もチームを組んで(或いは1つの組織の中の一部として活動して)居たとしたら答えが見えて来る。
次も同じメンバーで仕事を組んだり、1つの組織の中での評判を維持し無ければ為ら無い時には「仲間を裏切る」と云うのは危険な行為である。前述の様に報復されると云うだけでは無く、次に条件の良い仕事が回って来なくて損をすると云う事である。
勿論、犯罪を奨励して居る訳では無く、ビジネスを含む社会のどの様な人間関係にも囚人のジレンマの考え方は当て嵌るのだ。繰り返しゲームを行えば「誰が裏切り者か」が分かって来る。その為には長い時間を掛けた人間関係が重要なのだ。
評判・ブランドは「繰り返し」に依って形成される/span>
投資の神様ウオーレン・バフェットが、100年以上の歴史と伝統がある(例えばコカ・コーラやアメックス等)企業に好んで投資をする事は有名だ。企業(会社)は「法人」と呼ばれるが、正しく人の集団で有りその企業に所属する人々が運営・維持して居る。
特に、鉄鋼・鉄道・化学・造船等の重厚長大産業からITやサービス等のビジネスへと移行して居る現代では、会社が持つ資産よりも人材の質或いは企業を形作る社風の方が遥かに重要に為って来る。
先ず、大恐慌や第2次世界大戦、更にはリーマンショック等の数多くの危機を乗り越えて来た伝統有る企業が、今回の新型肺炎ショックを乗り越える事が出来る可能性は高い。更に、長年に渉って投資家に対して誠実で有った企業は、粉飾決算等で誤魔化す可能性も少ない。
バフェットは投資を好く結婚に例えるが、今日出会った人と一目惚れで結婚するよりも、長年の付き合いが有り周囲の評判が高い人と結婚した方が「確率的(例外が有る事は認める)」に幸せな結構生活を送る事が出来るのは間違い無い。その点では2019年3月2日の記事「恋愛結婚は見合い結婚より幸福か? 行動経済学的視点で考えてみた」の内容も意味を持つと思う。
信用される迄最低10年
バフェットの師匠であるベンジャミン・グレアムが過去10年間のデータを徹底分析してから投資を行った事は、3月29日の記事「バフェットの師匠が教える『粉飾決算の見分け方』」で述べた通りだが、人間の集団である法人(会社)を信じる事が出来るかどうかと云う尺度に「10年」と云う期間を使った事は興味深い。
又、世の中に数有るブランドも、高い評価を得る迄には10年は掛かって居る筈である。「消費者の要望に誠実に応えて呉れる」或いは「消費者を裏切ら無い」と云う信頼が数年程度ではナカナカ生まれ無いのは経験的に明らかだ。
ブランド確立に少なくとも10年は必要だし、老舗の店舗やブランドは江戸時代や場合に依っては鎌倉時代の創業の歴史を誇って居る。ちなみに、西暦578年に聖徳太子の命を受けて、百済から招かれた3人内の一人で有る金剛重光が初代の金剛組(寺社等の建築業)は、色々な曲折を経ながらも現在迄1400年以上の歴史を受け継いで居る。
詰り、ブランドと云う「信頼」は幾ら資金や労力を投入しても短時間で獲得する事は出来ず、長期間誠実に振る舞わ無ければ獲得出来無いのだ。同じ様に人間も、長い間付き合ってみなければ信頼と云う「ブランド」が成立し無いと云う事である。.
世間で騒ぐ以上の「社会的危機」が到来して居る
「人間は10年付き合ってみないと分から無い」と云う言葉は、私が若い頃にも屡々聞いた事がある。その頃の10年と云うのは「中学3年+高校3年+大学4年」だから途方も無い長さに思えたが、現在では「10年等アッと云う間だ」と感じる事が屡々有る。
又、学生時代と云うのは、社会的利害関係が少なく「本当の友情」を育む事が出来る。しかし、その友情が「綺麗事で済まない社会」の中で脆くも崩れ去る事が多い事実も否定出来無い。結局、私の経験から言えば、社会の中で揉まれて初めて「友情の確かさ」が確認出来ると思う。だから、若者はその点で少々ハンディキャップが有るかも知れないが、こればかりは致し方ない。
現在は、世間で騒ぐ以上の「社会的危機」が到来して居る様に感じられる。勿論、資産を保全する事も大事だが「本当の社会的危機」に於いて財産は余り役に立た無い。戦後の食糧難の時代に、多額の現金や貴重な骨とう品を持参して都会の人々が頭を下げてもナカナカ農家から米を分けて貰え無かった事を思い起こさ無ければ為ら無い。
数々の苦難の歴史を乗り越えて来たユダヤ人や客家・華僑が、集団としての結束を重視し「裏切り者」に厳しい制裁を加えるのも「危機に於いては『信頼出来る人間』が最大の財産」であり、信頼出来る人々の集団に属する事に依って生き残りを図るべき」であるからだ。
だから、世界中でグローバリズムの幻影が消え去り「自国民優先」は当たり前の事に為る。更には、企業や地域社会に於いても信頼出来る組織に属して居なければ厳しい状況に直面する。そして個人単位では「危機に於いて信頼出来る人々の顔」を思い浮かべるのと同時に「危機に於いて自分を信頼して呉れるで有ろう」人の顔も思い浮かべ無ければ為ら無い。個人の間の「信頼」は基本的には相互関係だからだ。
金(きん)も不動産もそれ自身が働いて何かをして呉れる訳では無い。ピーター・ドラッカーは「工場も店舗もそれ自身が利益を生む訳では無い。利益を生む事が出来るのは、それ等を活用する事が出来る人間だけだ」と述べて居る。同じ様に、金・預金・不動産等の資産が危機に対応して呉れる訳では無い。
人間だけが危機に対応出来るのであり「危機に於いて信頼出来る関係」程重要なものは無いのだ。
大原 浩 国際投資アナリスト 株式会社大原創研代表取締役・GINZAXグローバル経済・投資研究会代表 同志社大学法学部を卒業後 上田短資(上田ハーロー)に入社 外国為替・インターバンク資金取引等を担当 フランス国営・クレディ・リヨネ銀行入行 金融先物・デリバティブ・オプション等先端金融商品を扱う 大原創研を設立して独立 『証券新報』の顧問を約7年半に渉り務める 2018年 財務省OBの有地浩氏と人間経済科学研究所を立ち上げる 著書に『韓国企業はなぜ中国から夜逃げするのか』(講談社)『銀座の投資家が「日本は大丈夫」と断言する理由』(PHP研究所)他多数
以上
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