2020年03月30日
新型コロナウイルス危機は人類史に何をもたらす? 2人の知の巨人の言葉を考察
新型コロナウイルス危機は 人類史に何をもたらす?
2人の知の巨人の言葉を考察
〜リアルサウンド 3/30(月) 19:12配信〜
『文庫 銃・病原菌・鉄(上)』と『21 Lessons 21 世紀の人類のための21 の思考』
新型コロナウイルスが依然として猛威を振るい、日本も含めた世界各国で社会不安が広がっている現在、世界の「知識人」達の発言に大きな関心が集まって居る。その中でも、取り分け注目を集めて居るのが、日本でも多くの読者を持つ2人の「知の巨人」の言葉だ。
そのタイトルのインパクトも関係して居るのか、今再び書店で手に取る人が増えて居ると云う大著『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎』(草思社)で知られるジャレド・ダイアモンドと、人類の歴史をマクロ的な視点で読み解いた『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社)が世界的なベストセラーとなったユヴァル・ノア・ハラリだ。
ジャレド・ダイアモンド氏
現在の世界に広がる富とパワーの「地域格差」を生み出したものとは何なのか。1万3000年に渉る人類史のダイナミズムに隠された壮大な謎を、進化生物学・生物地理学・文化人類学・言語学等広範な最新知見を駆使して解き明かした『銃・病原菌・鉄』でピューリッツァ賞を受賞。
その後も『文面崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの』(草思社)『昨日までの世界 文明の源流と人類の未来』(日本経済新聞出版社)そして昨年10月に、ペリー来航で開国を迫られた日本等、危機を突破した7つの国の事例から、これからの人類の有り方を解く『危機と人類』(日本経済新聞社)を出版したジャレド・ダイアモンドは、『日経ビジネス』2020年3月30日号に掲載された記事の中で「今こそ、次のウイルスの事を考えよう」と主張する。
新型コロナウイルスの問題が依然として収束しない中、何故今、次の新型ウイルスに付いて考えなくては為ら無いのか。その理由に付いてダイアモンドは「2003年に重症急性呼吸器症候群・SARSが流行した時、我々は次なる感染症の大流行に付いて考える事を怠った」としながら「その結果、避けられた筈の今回の感染拡大を許してしまった」と自説を展開。
詰り、今回の新型コロナウイルス・COVID-19は、SARS同様、中国を起点とする感染症で有り、それとホボ同じ経路で広がった事は元より、人間以外の哺乳類を感染源とする事も共通して居るにも関わらず、その最初の感染場所で有ると目される中国の野生動物市場が、依然として完全閉鎖されて居ない事をダイアモンドは問題視するのだ。
中国は、今回の新型コロナの流行を受けて、野生動物市場の閉鎖に踏み切ったが、それは飽く迄も食用目的の取引であり、伝統医療目的の売買は、未だ為されているのでは無いか。これを完全に閉鎖しない限り「世界に広がる新興感染症はSARSやCOVID-19が最後と為ら無い事を、確信を以て予言する。中国だけで無く世界の全ての国・地域に於いて、野生動物が食用やその他の目的で幅広く利用され続ける限り、新たな感染症が発生する事は間違い無いだろう」とダイアモンドは警鐘を鳴らして居るのだ。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏
一方『サピエンス全史』で人類の「過去」を『ホモ・デウス』で人類の「未来」を描いた後、昨年11月に出版された『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(河出書房新社)では、人類の「現在」に付いて考察したユヴァル・ノア・ハラリは、3月15日付のアメリカ「TIME」誌に「人類はコロナウイルスと如何に闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を」と題する文章を寄稿。その全訳が3月24日、Web河出に掲載され多くの注目を集めて居る。
そこでハラリは、より実際的な提言を披露する。先ず、今回の新型コロナウイルスの大流行をグローバル化の所為にするのは間違いであり「長期の孤立主義政権は経済の崩壊に繋がるだけで、真の感染症対策には為ら無い」「感染症の大流行への本当の対抗手段は、分離では無く協力なのだ」と述べるのだ。
その裏付けとしてハラリは、黒死病(ペスト)や天然痘等過去の例を挙げながら、グローバルな交通ネットワークが無い時代に於いても感染症が広がって行った事を指摘。「21世紀に感染症で亡く為る人の割合は、石器時代以降のどの時期と比べても小さい」としながら、病原体に対して人間が持つ最善の防衛手段は「隔離では無く情報」で有る事を断言する。
更に、それ等の感染症の歴史が示すものとしてハラリは「国境の恒久的な閉鎖に依って自分を守るのは不可能であること」「真の安全確保は、信頼の於ける化学的情報の共有と、グローバルな団結に依って達成される」事を挙げ「今日、人類が深刻な危機に直面して居るのは、新型コロナウイルスの所為ばかりでは無く、人間同士の信頼の欠如の所為でもある」事を指摘。
「信頼とグローバルな団結抜きでは、新型コロナウイルスの大流行は止められ無い」としながら「アラユル危機は好機でもある」「目下の大流行が、グローバルな不和に依ってもたらせれた深刻な危機に人類が気付く助けに為る事を願いたい」と綴って居るのだった。
更にもう一つ、ハラリは3月20日付のイギリス「FINANCIAL TIMES」誌に「the world after coronavirus・コロナウイルス後の世界」と題する文章を寄稿。その全訳が3月28日、「クーリエ・ジャポン」に掲載された。
「現在、人類は世界的な危機に直面して居る」と云う一文から始まるこの文章で、ハラリは今回の危機の結果として生じる「長期的な影響」も考慮すべきであると指摘して居る。曰く、この非常時に我々は「全体主義的な監視社会を選ぶのか、それとも個々の市民のエンパワメントを選ぶのか」「国家主義者として世界から孤立するのか、それともグローバルな連帯を執るのか」と云う2つの重大な選択を迫られて居るのだと云う。
ハラリが懸念するのは、今回の緊急事態が、バイオメトリクス技術を用いた新しい監視システムに合法性を与えてしまう事だ。何故為らば「プライバシー」か「健康」かと云う二者択一を迫られた場合、大抵の人は健康を取るから。しかし、ハラリはこの二者択一がソモソモ間違っており「プライバシー」と「健康」は両立可能であるしそうすべきであると主張する。
そこで重要に為って来るのが「市民のエンパワメント」である。ハラリは、新型コロナウイルスの地域的な大流行の阻止に成功した韓国・台湾・シンガポールを例に挙げながら「集中監視システムと厳罰の組み合わせが、有益な方針に人々を従わせる唯一の方法では無い。市民が科学的事実を告知され、そうした事実を伝える当局に信頼を寄せた時「ビッグ・ブラザー」が肩越しに目を光らせ無くとも、彼等は然るべき対応を執る様に為る」と述べながら、その為にも我々は「これから先の日々、根拠の無い陰謀論や利己的な政治家よりも、科学的なデータや医療の専門家を信頼する事を選択しなくては為ら無い」と提言するのだった。
奇しくも「人類史」と云う膨大な歴史の中から、今を生きるヒントを取り出そうとして来た2人の「知の巨人」が、今回の危機に際して緊急寄稿した3つの文章。彼ラと同じく「新型コロナウイルス危機」と云う世界的な危機を目の前にした我々は、それ等の言葉から何を学び取るべきなのだろうか。この機会に、夫々の著作を手に取りながら、考えてみるのも好いかも知れない。
ライター 麦倉正樹 以上
年末企画 麦倉正樹の 「2018年 年間ベストドラマTOP10」
多様性を巡る問題と脱構築の動き
麦倉正樹 年間ベスト
リアルサウンド映画部のレギュラー執筆陣が、年末迄日替わりで発表する2018年の年間ベスト企画。映画・国内ドラマ・海外ドラマ・アニメの4つのカテゴリーに分け、国内ドラマの場合は地上波及び配信で発表された作品から10タイトルを選出。第6回の選者は、無類のドラマフリークであるライターの麦倉正樹(編集部)
@『透明なゆりかご』(NHK)
2『女子的生活』(NHK)
B『アンナチュラル』(TBS)
4『dele』(テレビ朝日)
5『おっさんずラブ』(テレビ朝日)
6『中学聖日記』(TBS)
F『僕らは奇跡でできている』(カンテレ/フジテレビ)
8『隣の家族は青く見える』(フジテレビ)
9『anone』(日本テレビ)
I『獣になれない私たち』(日本テレビ)
赤〇 管理人も観て面白かったもの 青〇 観てしまったが大してお勧めできないもの
透明なゆりかご DVD-BOX
振り返ってみると、2018年は多様性と脱構築を意識したドラマが数多く見受けられた一年だったように思う。多様性とは、自分とは異なる価値観をもった他者を受け入れること。脱構築とは、既存のドラマ構造を超えて、新しい物語を描き出して行く事である。
その両者が複雑に入り混じりながら、作り手たちのあいだでさまざまな試行錯誤が行われたのが、2018年のテレビドラマ界だったのではないだろうか。
トランスジェンダーを主人公とした『女子的生活』は勿論、流行語大賞にノミネートされるほど注目を集めた『おっさんずラブ』あるいは『隣の家族は青く見える』に登場したゲイカップルや『中学聖日記』に登場したバイセクシャル。それらは何れも「LGBTをテーマとしたドラマ」と言うより、寧ろそれ等の人々をドラマ内に配置する事によって、その他の登場人物達の反応や戸惑いを視聴者と同目線で描き出し、それを彼/彼女たちがどう乗り越えていくのか? という点に主眼が置かれたドラマだった。
そのことは、多様性とは社会の問題である以前に、個々人の寛容性の問題なのだという当たり前の事実を、改めて視聴者に理解させてくれたように思う。
そのなかでも『女子的生活』は、全4話と短いドラマながら、志尊淳と町田啓太の好演もあって、最終的には、まるで青春物語のように爽やかな余韻を残す、実に忘れがたい作品となった。
1位に選出した『透明なゆりかご』も、そんな多様性と無関係ではない。町の産科医のもとにやってくる人々が、それぞれに抱えている事情。それは時に、容赦ない現実を我々の前に突き付ける。けれども、それを既存の価値観で測るのではなく、看護師見習いの女子高生と云う、未だ何者でも無いフラットな視線で描くことによって、本作は同系のドラマである『コウノドリ』(TBS系)とは又違う、爽やかな感動を視聴者にもたらして居た様に思う。本作が初主演と為る清原果耶の瑞々しい演技も光っていた。
これ迄と少しだけ視点をずらすことによって、物事の新たな側面に光を当てること。法医学という決して目新しくはない題材を、リアルで能動的な女性目線で描き出すことによって秀逸な現代性を獲得していた『アンナチュラル』も、そんな視点の新しさを感じるドラマだった。毎回抜群のタイミングで流れる米津玄師の「Lemon」の記憶共々、こちらも忘れがたい一本だ。
多様性をめぐる問題は、ステレオタイプには陥らない新しい感性をもったドラマを・・・という脱構築の動きとも関連しているのだろう。とりわけ、名前と実績のある脚本家たちにとっては。その筆頭が、北川悦吏子の『半分、青い。』(NHK)になるのだろうけど、野島伸司の『高嶺の花』(日本テレビ)同様、個人的には余り成功していたようには思えなかった。
「結局、何の話を見せられたのだろう?」そんな素朴な疑問が、最後に残ってしまったから。坂元裕二の『anone』野木亜紀子の『獣になれない私たち』にも、同じような脱構築の意識を強く感じた。この2つ関しては、役者陣の好演もあって、心奪われるシーンも数多くあったが、矢張り全体としては、何か釈然としないもどかしさが残ってしまった。
無論、両者とも実に見応えのあるドラマではあったけれど、もし仮にそれが成立しているのならば、脚本よりも先ずは役者の好演を称賛すべきではないだろうか。
その一方で『dele』や『中学聖日記』は、作劇の構造によって脱構築するというよりも、むしろ役者の魅力を十全に活かしながら、丁寧な演出とカメラワークによって既存の枠組みを打破しようする作り手たちの野心が感じられ、個人的には、むしろこれらのドラマのほうに好感を持った。
そして、主題歌や小ネタの数々が若干のノイズとなっているのが少し気に為ったけれど、主演の高橋一生を初め、個々の役者の魅力と、多様性に関する明確なメッセージ性が胸に響いた『僕らは奇跡でできている』は、もっと多くの人に観られてしかるべきドラマだったと思い、最後に加えさせてもらった。
ちなみに、海外ドラマに目を向けると、『13の理由』『ナルコス』など人気作品の新シーズンが、いずれも期待値を超えるものではなかったの対し『オザークへようこそ』S2と『マーベラス・ミセス・メイゼル』S2は、何れも期待を上回る秀逸なシーズンだったように思う。そして、忘れてはならないのは、やはりドナルド・グローヴァーの『アトランタ』だ。毎回約30分程度の短いスケッチでありながら、既存の枠組みには決して収まらないその先鋭性に、とにかく衝撃を受けた。真の“脱構築”とは、こういうものなのかもしれない。とりわけ、S2E6「テディ・パーキンス」は、今年最も衝撃を受けたエピソードだったので、気になる方は是非チェックして頂きたい。
以上
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