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2020年01月17日

絶対に選挙に落ちない男・中村喜四郎が、再び注目される理由




 絶対に選挙に落ちない男・中村喜四郎が、再び注目される理由

        〜ダイヤモンド・オンライン 麻木久仁子 1/17(金) 6:01配信〜


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             中村喜四郎衆議院議員 Photo JIJI

 最近チラチラと見掛ける 「中村喜四郎」とは

 「中村喜四郎」と云う名を聞いて何を思い浮かべるだろうか。最早微(かす)かな記憶・・・「何か汚職で捕まった人じゃ無かったかしら」若い人達なら思い出す記憶も無く「だれ?」と云うだろう。その「キシロー」の名を最近何故か、チラチラと見掛けるのである、それも思い掛け無い処で。「エ?このキシローさんは、あのキシローさん?」
 
 中村喜四郎氏は1949年生まれ。大学卒業後に田中角栄事務所に入り秘書と為り、27歳の時に旧衆院茨城3区で初当選。メキメキと頭角を表し、その後1987年に田中派が分裂すると経世会(竹下派)の結成に参加、翌年には若くして派閥の事務局長、更には40歳の若さで初入閣し、戦後生まれ初の閣僚と為った。
 その後は42歳で建設大臣。実力は勿論、その男前な風貌も相まって名実共に建設族のプリンスと謳われた。「小沢の次」「何れは総理も夢では無い」とメディアからも持て囃(はや)された人物である。が、その転落は呆気無かった。

 1994年、突如、ゼネコン汚職疑惑が持ち上がり斡旋収賄容疑で逮捕される。政治の腐敗が度々騒がれ、政治改革を世論が厳しく求めていた時代、中村氏の疑惑は大きなニュースと為り連日報じられて大騒ぎだったことを思い出す。
 中村氏は自民党を離党したものの議員辞職はせず、検察の取り調べにも黙秘し、最高裁まで約10年に渉って裁判闘争を続けながらも刑が確定する迄選挙に出続け、しかも当選し続けた。その態度は「フテブテしい」とテレビの視聴者や新聞雑誌の読者の目には映ったし、その様な刑事被告人に投票し続ける有権者は一体どんな柵(しがら)があっての事なのかと「旧弊に縛られた古い悪しき日本の選挙」の典型の様にも見えて居た。

 が、戦い虚(むな)しく最高裁で上告棄却、実刑判決が確定し黒羽刑務所で刑に服することに為る。勿論国会議員としての議席は遂に剥奪された。政治家としては一巻の終わり、だろうと思われた。それ以降は全国ニュースで中村喜四郎の名を目にすることは無く為って行き、アレだけ大騒ぎして居た世間もその名を忘れて行ったのである・・・

 アノ事件後、驚きの人生 無敗で14期目

 時は流れ・・・2018年5月、新潟知事選挙は立憲民主党や共産党が呉越同舟で手を組み、前社民党県議の女性候補を応援すると云う、野党共闘が成立した戦いだったが、その戦い振りを報じる記事の中に意外な名があった。「中村喜四郎」何度も応援に入り、ドブ板選挙を展開して居ると云う。
 中村氏と云えば田中角栄の最後の弟子とも言われ新潟に縁(ゆか)もあるが。何と野党側に立ち、地元の有力者にも大いに働き掛け、保守層の切り崩しに力を発揮したと云うのだ。残念ながら候補は惜敗したが、手応えのある戦いに迄持ち込む事が出来たと云う。

 更にその約1年後、2019年8月、今度はその姿を埼玉知事選挙に現した。しかも立憲の枝野代表、国民民主の玉木代表等と並んで街宣車の上に立ったのである。シャツの袖を捲り上げ熱弁を振るうその姿は、70歳とは思え無い程精悍。与党対野党の事実上一騎打ちと為った選挙で野党候補の当選に力を尽くしたのだ。
 「懐かしい!未だ居たのか!」しかし、本書『無敗の男 中村喜四郎 全告白』で改めて、アノ事件後、中村氏がどうして居たのかを辿ると、ソコには驚きの人生があった。未だ居たのか、何て云ってしまったら大変に失礼!だったのだ!

 実は中村氏は、刑期を終えた後にも選挙に無所属で出馬し見事当選。その後も勝利を重ね、何と現在14期目の無敗の男だったのだ!しかも毎回圧勝だ。
 建設族のプリンスとは昔の話、既に完全無所属で、何等利権を誘導する事も中央とのパイプを誇る事も無い中村氏が、これ程までに選挙に強いのは何故なのか。この本では、今まで沈黙を守って来た中村氏が語る。そこに見えて来るのは過つてマスメディアが描いた人物像とは全く違う姿であった。

 日本中が敵に為っても 簡単には離れ無い強い後援会

 中村喜四郎氏の後援会は「喜友会」と云う。が、この組織は他の一般的な政治家の後援会とは全く違うのだ。普通は地域のボスや大物・地元企業の経営者等に協力を求め、そこからピラミッド型の組織を作り、イザ選挙と為れば票の取りまとめや選挙活動のアレコレを上意下達で動かして行く。
 だが喜友会はそうした地元の名士や企業には全く頼ら無い。組織の基盤は「町内会」毎に細分化した10人から50人と云った小さな単位でありそれが何百と在る。夫々が地域に溶け込んで居り、縦の繋がりも横の繋がりも無く、従ってピラミッド型に上から指示が降りて来たり動員が掛かったりすることも無い。「鉄の結束より竹の様なしなやかさ」を特徴とする組織作りだ。

 「ピラミッド型だと、一番上の人が死んだり辞めたりしたら一瞬で組織が崩れチヤウ。一番上の人の気が変わっただけで、大人数が相手陣営にヒックリ返っチヤウ」

 だから「俺は何百、何千票持ってるぞ」と云う人物よりも「うちは家族3人だけど一票入れるね」と云う細かい細かい、けれど強い支持を呉れる人々を束ねて行くと云う。だからコソ、例え刑事被告人と為り、日本中が敵に為っても簡単には離れない強い後援会なのだと。とは家、そんな組織は一体どう遣って作るのだろうか。

 これが、気の遠く為る様な作業なのである。土日は朝の7時半から夕方6時迄、街頭演説活動を行うのだが、2週間(土日2回計4日)で選挙区の全市町を回る。それも決まった時間と同じルートで回る。有権者に取って、何時も同じ時間に月に2回、中村喜四郎の「肉声」を聞く事に為る。テープは使わ無い肉声である。これを初当選から40年、一度も休まずに続けて居ると云うのだ。

 「マルで、天台宗の僧侶が真言を唱えながら千日間も山中を歩き続ける『千日回峰行』の様な過酷な活動である」
 
 そして国政報告会。月に1〜2回、50人から100人規模で国会見学ツアーを行う。タップリと政策に付いて演説したら、後はカラオケ大会等で盛り上げる。余興の司会も自分で遣る。合間に有権者の声を細かく細かく聞く。
 イヨイヨ選挙戦とも為れば、一日に何と20箇所も!自らオートバイに跨って各地を周り、声を枯らして演説し、夜は1000人単位で集まる個人個演説会で全員と握手するのだ!選挙戦では各候補が「街頭演説予定」を告知するが、20箇所ナンて見た事が無い。正に選挙の鬼である。しかし、選挙に強い事コソが、孤高を保つ源泉である。政治家は何を言おうが「落ちたら只の人」だからだ。

 「絶対に選挙に落ちない男」は これからどんな「鍵」を握るのか

 サテ、本書ではこうした中村氏の選挙戦のエピソードは勿論、彼を此処まで支えて来た母や兄との尋常為らざる絆の強さや、検察との戦いの裏側、そしてアノ「斡旋収賄事件」の陰にどんな政治的駆け引きがあったのか、或は地元茨城のドン・山口武平氏との長年に渉る暗闘、ナドナド、兎に角面白い話が満載である。

 だが、こうして熱い人生を駆け抜けて居る中村氏は、しかしながら選挙区外では沈黙し、目立って政局に絡む事も無かった。その中村氏が、動き始めたのである。前述した様な知事選への関与のみ為らず、過つての宿敵小沢一郎との和解、小泉純一郎との再会、そして参院選では野党共闘の候補者を応援して回る等、活発にその姿を見せ始めている。

 逮捕後は自民党との関係に配慮しつつ、その後は公明党とも良い関係を築いて来たが、2015年の安保法案では棄権、2017年の共謀罪の採決では反対票を投じた。
 そして今、無所属に為った旧民進党議員と会派を組みつつ、自分の息子が立候補して居る茨城県議選では、ライバル共産党の候補に必勝の為書きを送る。保守政治家で有りながら、党派に縛られ無いアクロバティックな行動をも厭わ無い。何処へ向かおうとして居るのだろう。ここへ来て変わろうとする中村喜四郎。実に興味深いのである。

 利権か政策論か。自由か公正か。そうした政治を巡る「2択」の谷間にコボレ落ちてしまう「義理と人情」を体現して居る様にも見える。そしてそれは、実はとても大切な要素であり、この国の政治の局面を動かす要素であると思う。
 一方で、では中村喜四郎と云う政治家は、結局何をしたいのか、その政治目標は今までは鮮明には見えて来なかった。そうまでして選挙に勝つのは何をする為なのか。長い沈黙が続いた。がその沈黙が破られたからには、明確なビジョンが現れて来るだろう。

 「絶対に選挙に落ちない男」はこれからどんな「鍵」を握るのか、握り得るのか。本書を読んで居るとその「ドラマ」に期待したく為るのだ。


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              HONZ 麻木久仁子氏    以上









【非関連報道】  「昭恵夫人」は責任回避の呼称か 気に為る男女の呼び分け

      〜47NEWS 江刺昭子 1/17(金) 10:42配信〜

 
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     「桜を見る会」で招待客と記念写真に納まる安倍首相と昭恵夫人 2019年4月

 間も無く通常国会が召集されるが、国会における議員の呼称が気に為る。議長や委員長が発言者を指名する時、男女を問わず「君」付けで呼んで居るからだ。1890年の第1回帝国議会以来だそうだが、女性の政治参加を一切認め無かった時代の慣習をそのママ踏襲して居て好いのだろうか。
 接尾語としての「君」は、同輩や目下の人に使用する事が多い。明治時代には書生言葉でもあったことから主に男性に対して使われる。しかし現代の一般社会では、男女の別無く「さん」付けで呼び合うのが普通である。

 国会で初めて男女共に「さん」を用いたのは、1993年に女性初の衆議院議長に為った土井たか子さんだった。目が覚める思いだった。「尊敬の念を持って呼んで居る」と土井さんは語って居る。2018年には、衆院予算委員会で女性初の委員長に為った野田聖子さんが「さん」付けで指名して注目された。だが、ドチラも後が続か無い。
 地方議会でも見直しの動きがあり、男性は「君」女性は「さん」と使い分けたり、男女共「議員」と呼ぶ所もあるが、ナカナカ広がら無い様だ。男女共同参画を進める上で、又議会と一般社会の垣根を低くする為にも、呼称から議会改革を進めて欲しい。

 メディアが用いる呼称も影響が大きい。議員の様な社会的地位のある人に付いては、新聞は「さん」では無く主に「氏」を用いて居る様だ。そうすると、土井たか子氏、野田聖子氏にする事に為る。
 ソモソモ「氏」と「さん」の区別は何が基準なのだろう。敬意を込める場合に「氏」を用いるのであれば、それ以外の人は敬意を払われて居ない事に為る。男性は「氏」女性は「さん」と、新聞は長い間性別で呼称を使い分けて来たが、現在は男女共「さん」が主流に為った。しかし、今も訃報欄等で使い分けして居る記事もあって抵抗を感じる。

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             シンポジウムで意見を述べる伊藤詩織さん

 最近の例では、ジャーナリストの伊藤詩織さんが性暴力を受けたとして元TBS記者山口敬之さんを告訴し、東京地裁で勝訴した事を伝える記事。伊藤「さん」山口「氏」と繰り返し書いてあり、悪い事をしたと認定された山口さんに敬意が払われて居る様で不快だった。
 少し前までメディアに頻出して居た「福原愛ちゃん」「石川遼君」にも違和感があった。大人に伍してアスリートとして堂々と活躍して居るのに、年齢が低いから「ちゃん」「君」呼ばわりは無いだろうと。近年は若くても、男女共ホボ「さん」に統一された様だ。

 もう一つ、気に為る呼称は「夫人」である。社長夫人、教授夫人、夫人同伴等と使われ、夫の付属物と云うニュアンスが強い。メディアでは流石に殆ど使われ無く為ったが、1990年代迄は「サッチャー夫人」「アウンサン・スーチー夫人」女子テニス選手の「ビリー・ジーン・キング夫人」等と云う表現が罷り通って居た。
 彼女達は誰かの妻としてでは無く、自身の活躍や業績によって報道対象に為って居るにも関わらずである。しかし調べてみると、偉人伝の定番「キュリー夫人伝」は今でも多くの出版社から発行されて居り「マリ・キュリー伝」として居るのは数点に過ぎ無い。

 戦前は、社会的地位の有る男性の妻が公的な団体のトップに為るケースが多かった。「〇〇男爵夫人」「〇〇知事夫人」等と呼ばれ、愛国婦人会等の官製団体のトップとして戦争協力をリードした。
 しかし、この種の夫人達は、本人の実力でその地位を得た訳では無い。だから戦後はそれを逆用し「為りたくて為った訳では無い」と戦争責任から逃げた。

 近年、メディアを賑わして居るのは「昭恵夫人」である。森友問題や「桜を見る会」等、歴代総理夫人の中で動向が突出して居る。公務員のスタッフを身の廻りに置き、総理夫人の肩書きで講演したり、様々な団体の役職を務めたりして来た。ナノに都合が悪く為ると、公人では無く私人だと云って夫の後ろに隠れてしまう。
 夫の付属物では無く、自立した社会人と云う自覚が有るのなら、立場に伴う責任を取って貰いたい。その第一歩として、何はともあれ「桜を見る会」の「昭恵夫人枠」招待客の名簿を公表するべきではないか。「夫人」と呼ばれる事で、戦前の「夫人」達と同様、逃げ切ってしまう事等、有っては為ら無い。


        1-17-18.jpg

             女性史研究者・江刺昭子氏  以上









 【管理人のひとこと】

 ウーン・・・男女の氏名の後に使う「尊称」とは、とてもデリケートの様で、それによって使う人の相手に対する見方・価値観まで透けて見えそうである。例えば、この文章においても写真説明には「ジャーナリストの伊藤詩織さん」「女性史研究者・江刺昭子氏」と何気に使ってしまっている。
 伊藤詩織さんに「氏」とは何と無く似合わ無く「女性史研究者・江刺昭子氏」と自然に使ってしまって居た。これはそのママ相手に対する感情まで含まれて居ると批判されそうだ。同じく管理人が何度と使う「安倍晋三氏」とは、一国の総理とも首相とも使い難い「蔑称・べっしょう」の意味で用いて居るのもお気付きだろう。

 私はサラリーマンの時、同僚や後輩には極力「さん」付けで使う様に心掛けて居た。それが好かったのか悪かったのかは知ら無いが、それ程親しく無い相手に「君」付けで呼ぶ事に何と無く抵抗があり、自然に「さん」と呼んで居た。
 最近は年功序列が崩れ呼び方にも苦慮するだろうが、私は30歳以前に「主任」として本社・大阪から東京へ転勤と為り同じ年齢の社員が数人居た。その中の一人が私を「〇〇氏」と最後まで呼んだ。彼とはその後・・・今も連絡を取り合うポン友の付き合いの腐れ縁があるのだが・・・同年齢の私に「主任」と呼びたく無く苦慮して使ったのだと思う。氏等と呼ばれても何と無く似合わ無かったが「〇〇氏さ、この後一杯やる?」と何度も誘われて居る間に「彼の癖」だと素直に「〇〇さん、好いよ!」と返事する毎日だった。
 「さん」は尊敬もあり親し気感もあり決して悪く無い万能な尊称だと思う。でも・・・色々な感情を含んだ尊称が存在して「これは尊称か蔑称か・・・」と迷わせるのも一つの興味には為る。一つの呼び方に杓子定規に定型するのは何と無く味気無い思いもするものだから。







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