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2019年12月31日

ポスト安倍に急浮上 河野太郎「河野家3代の悲願」天下取りの可能性は?



 

 ポスト安倍に急浮上 河野太郎「河野家3代の悲願」天下取りの可能性は?


      〜source 文春ムック  文藝春秋オピニオン  2020年の論点100 篠原 文也〜


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 アレは確か、河野太郎氏が小学6年生の時だったと思う。父親の洋平氏に誘われ、当時所有して居た栃木県・那須の那須野牧場を訪ねた。洋平氏の家族も一緒で、長男の太郎氏も居た。夜、敷地内の別荘で次男の二郎君、長女の治子ちゃんも入ってトランプゲームに興じた。
 その際、太郎氏が私のカードの出し方にクレームを付け「篠原の叔父ちゃん、それは・・・」と言い出した。「叔父ちゃんじゃ無いだろう。お兄ちゃんと呼べ」と言い返したのだが、彼の正義感の強さに感心したのを覚えて居る。

 その「太郎ちゃん」が第2次安倍政権で行革等担当相(国家公安委員長)外相、防衛相と要職を重ね、ポスト安倍に急浮上して居る。今回の内閣改造で外相ポストは外れたものの、「(外交と)コインの表裏の関係にある」(河野氏)防衛相と云う重要ポストに横滑りした意味は小さく無い。先に向けて足場を固めた形だ。

 最大の後見人は菅義偉官房長官

 河野氏の最大の後見人に為って居るのが菅義偉官房長官だ。衆院議員当選同期で、選挙区も同じ神奈川と云う事もあり、2人の関係は親密。菅氏には初当選時から「同期からトップが出るとすればこの男以外にいない」との思いがあった様で、自民党が野党に転落した後の2009年の総裁選に河野氏が出馬した際、その背中を押して居る。

 2017年の第3次安倍第3次改造内閣の人事で河野氏を外相に推したのも菅氏だ。今度の防衛相起用も、菅氏の安倍晋三首相への働き掛けによる処が大きい。そこには茂木敏充、加藤勝信、小泉進次郎氏らポスト安倍のライバル達が主要閣僚や新閣僚に起用される中、閣外に去り、無役に為れば「ポスト安倍レースから脱落しかねない」との判断があったと聞いて居る。

 一番の武器はTwitter?

 河野氏にはもう1人、後見役が居る。派閥(麻生派)のボスでもある麻生太郎副総理・財務相だ。麻生氏は元々父親の洋平氏が作ったグループ(大勇会)に属し、洋平氏の薫陶を受けて来ただけに、その息子の太郎氏を育て様との親心が随所に感じられる。
 河野氏の一番の武器はその「発信力」だろう。ツイッターのフォロワーは122万人(2019年12月下旬現在)を超える。「物事を分かり易く世の中に伝える」事をモットーにして居るだけのことはある。行革相時代に見せた「突破力」外相時に発揮した「行動力」も売りだ。約2年間の外相在任中に訪れた国・地域は77(延べ123)に上り、外相としては過去最高だ。

 率直な物言い、毅然と言い放ち、自説を曲げ無い言動は誤解を生み易く、時には物議を醸す。それでも菅氏はその胆力と「約束を守る」態度を高く評価する。菅氏によると、安倍首相もこの点を買って居ると云う。

 菅氏も認める河野太郎の難点とは

 英語力の高さも大きなアドバンテージだ。ジョージタウン大留学を通じて身に付けた語学力は外務省内でも「歴代の首相、外相の中でも1、2を争う」(幹部)との声がもっぱらだ。難点は根回しと気配りが欠けて居る事だ。この点は菅氏も認めて居る。
 防衛省と云う役所は北朝鮮のミサイル発射や災害等への緊急対応が求められる事件官庁の性格を有し「目配り気配り」が欠かせ無い組織だ。防衛相に就任してから外相時代に見せたエキセントリックなトゲトゲしい面がヤヤ薄らぎ、ソフトに為って居る気もするが、防衛相ポストを通じてこの弱点をどう克服するか、河野氏の今後の課題であろう。

 「天下取り」は3代にわたる悲願

 河野家に取って「天下取り」は3代にわたる悲願だ。太郎氏の祖父の一郎氏も父親の洋平氏も後一歩の処で及ば無かった。党人派の実力者だった一郎氏は当時抜群の国民的人気を博して居たが、1964年のポスト池田争いで佐藤栄作氏に破れ翌年急逝する。洋平氏も自民党総裁に為りながら結局首相には為れず仕舞いだった。
 最も首相に近付いたのが総裁時代の1995年夏の参院選直後。「自社さ」政権で首相を務めて居た社会党の村山富市氏から禅譲を持ち掛けられる。村山氏は参院選で社会党が惨敗した事で、スッカリ政権担当意欲を失っていた。

 処が洋平氏はこれを断る。参院選で自民党が振るわ無かった状況下、申し出を受けると党内が持た無いとの判断に加え、選挙中に愛妻(武子夫人)を失った悲しみの中、もう一つ気合が入ら無かったことも影響して居た様に思う。
 同年秋の総裁選で再選に挑もうとするも、出馬断念に追い込まれ、過つての盟友橋本龍太郎氏が総裁の座に就く。以来、チャンスは巡って来ず「総理に為れ無かった唯一の総裁」と云う不名誉なレッテルを貼られてしまう。最もその後谷垣禎一氏が同じ運命を辿った事から「唯一」は消えたが。
 太郎氏が洋平氏に生体肝移植で肝臓を提供した様に、河野家の結び付きの強さはつとに知られて居る。それだけに太郎氏に対する祖父と父が成就出来なかった「天下取り」の期待は大きい。

 「時代が河野太郎を求めるかどうか」

 過つてテレビ番組のキャスターを務めて居た際、太郎氏の追っ掛け取材をした事がある。秘書も連れず、自分でマイクと幟を持ち、駅頭で演説する姿を見て新鮮さを覚えつつ「こんな事をして居て永田町でのしていけるのか」と不安を持った記憶がある。
 本人はズッと総理・総裁への望みを持ち続けて居た様で、最近では次期総裁選への出馬意欲を隠そうとしないが、正直私自身、ここ迄台頭して来るとは思わ無かった。

 後は自身も言うように「その時の時代が河野太郎を求めるかどうか」だ。英国のチャーチルや小泉純一郎元首相が時代を味方につけ登場した様に。全ては時代の気分に懸かって居る。


                  以上













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