2020年01月20日
ものすごく不安になる時、私は、写真を撮るのです。それは、何かを繋ぎとめるためなのでしょうか。切り離すためでしょうか。
皆さんは、どんな時に写真を撮るのでしょうか。
やはり、何か特別な時でしょうか。
見慣れない風景とか、絶景と呼ばれる風景とか、
めったに起こらない場面に遭遇した時でしょうか。
つまり、日常的でない風景なんでしょうね。
特別な場所とか、人に会った時とかね。
でなければ、普通は写真を撮らないってことなんですよね。
見慣れた風景は別に撮る必要なもない。
いつも通る道、日々の生活の場では、目新しいものはありません。
だから、実際、見ているようで実は見ていないことが多いです。
意識すらしない見ている風景に、あえて意識する。
日常の見慣れた風景なのに、あえて切り取ると、
意外と、見慣れているのに見ていないことに気が付くのです。
一度見たものは、二回目視界に入っても、見ていないのです。
いつまでも意識し過ぎてしまうと次に進まない、
単に生きていく上において余分なだけです。だから省く。
世の中のスピードが速くなればなるほど
そこから零れ落ちていく情報は置いてきぼりになる。
そして何時か忘れ去られていく。或いは意識から外される。
日常見慣れた風景は、その対象でしょう。
立ち止まれば、「ハッと」する風景は、実は日常の生活では
よく見られることなのにも関わらず、そこに関心が向かない。
「はやくはやく」と急かされて、大切なものが置いてきぼり。
でも、気が付いて取り戻そうとしても、もう、そこには無い。
テンポは洗脳だと思います。(個人的な意見です)
タンタンタンタン・・・・
速いテンポに誘導され、馴らされ、自分の身体が
付いていけないのに、そのテンポで生活している。
気が付くと、心臓がバクバクして、
目まいがして、イライラして、
それ、どこまで続くのでしょうか。気が付くと
摩耗して、動かなくなり、ゴミとして廃棄される。
上にいても下にいても、結局、使うか使われるかの
違いで、部品には変わりはない。
皆がそれに気が付いて、
時には、立ち止まって目の前の風景をじっくり眺めてみると
いいなと思う。それが、ゆるされる社会って
そんな社会なら
もうちょっと生きてみようかなと思う。
私は、よく
立ち止まって、写真を撮ります。
立ち止まらなくては、写真は撮れませんから。
次回から、私の「写真集」の紹介をしていきたいと思っています。
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