しかし、これは、避けられないところでしょうか。
正月とかでも営業しているところが多いね。
休めるなら休んだほうが社会のためにもなると思います。
私は、介護の仕事をしてましたが、
介護は盆正月関係無いですから
正月も仕事をしましたが、
別に正月休んでも問題無いのに
休みにすると損をするみたいな気持ちになるのか
ちょっとでも儲けようとするのか
サービスとかの名目で店を開ける。
それが慣習になると無理してでも
休みを返上して仕事をするようになり、
そうして結局無理をしてしまう。
結局それに振り回されるのは社員、
しかも末端の社員。
そして名ばかりの上司、店長。
盆正月店を開けるようになったのは
たぶんコンビニが出始めた頃ではなかったでしょうか。
それ以前は、正月なんかはシーンとして
街も静かでした。今では、もう
以前のようには戻れないでしょうね。
時代を逆行することはできないですね。
でも、違う解釈で
休みを取り入れてもいいと思うのですが。
昔を同じには出来ない。しかし、
休みは増やすことはできると思う。
社員もよい正月を過ごして欲しいために
あえて正月を休みますと告知すれば、
お店をよく理解している客なら分かってくれるはずです。
しかし、それすらもできないほど、
おそらく日本は過剰の渦に
飲み込まれてしまっているのだと思うのです。
「かつては、不便さこそが「普通」だった」と、
フリーライターさんが言ってます。
便利であることは、その裏でその分、
負荷がかかっている。
遅い時間にでも配達してるということは、
その時間まで配達している人がいるのです。
24時間開いている店は、
深夜にも働いている人がいるのです。
過剰なサービスを普通を感じては
おかしいと思わないといけないですね。
過剰は異常です。
時間がかかるのなら、頭を使って、
その時間を別の事に使えるような
有効な方法を考えるべきだと思います。
なぜ、そう言えるのでしょうか。
みな、答えを直ぐに求めすぎています。
〇✕とか、語句や単語の暗記物、
知識量を競う番組が多く、
賢い人は、そういった量的な知識量に
長けていると刷り込んでいる。
じっくりと時間をかけて考えて解くことを
軽視したり鈍間のように捉えられてしまっています。
質的な問題はあまり人気がないようです。
時間がかかり、哲学的で曖昧であったりするとに
起因してますが、今のテンポに合わないため
メディアも取り上げない。しかし、
本質的で権力者にとっては
結構痛いところをついている事なので
あえて興味を抱かせないように真逆の行為を
強いているようにも見えます。
あまりにもクイズ番組が多いのも頷けますね。
超権力者は何を企んでいるのでしょうか。
末端の私達には知る由もありません。しかし、
彼らは、彼らの脅威になるような存在はつくらないはずです。
従順で、それでいて知的な存在、
それを上手に育成しているように見えます。
単純に考えて自分が権力者ならそうします。
話は戻りますが、本来的には
客にしても店員にしても対等だと思うのです。
客は品物を受け取った代わりに代金を店員に支払い、
店員はお金を受け取った代わりに品物を渡す。
品物とお金の価値は同じであるはずです。
しかし、お金は特別なものという
何か偏った考えがあると
それをもっている者の方が偉いと
勘違いするのでしょうか。
では、金とお金ではどちらが偉いのでしょうか。
さあ、いつの間にか私たちは、
仲違いをしているようです。
私たちはどちらにも属しているはずです。
店員の側に立つ場合と客の側に立つ場合と。
なのに互いを痛めつけている。そして、
イライラしストレスを感じています。
問題をお互いの事として捉えている。
しかし、本当の問題はそこではないと思うのです。
誰が私達を互いにイライラさせてるように仕向けたのか。
互いにイライラさせ問題をその点に移動させ、
本来の問題に目を向けさせなくしている。
今回は、ある記事を読んで
ふと思ったことを書き留めておきました。
この問題は常に自分の頭にあって、それは、
絵を描いている時でも写真を撮っているときでも、
勉強している時はもちろん、
街を歩いている時なんかはよくおもい起こされます。
ですので、別の機会でもこの話題に触れ、
書き留めることがあるでしょう。
その時にまた、お話します。
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