学者でも評論家でもジャーナリストでもありません。
ただ、人生を半世紀以上生き、
幾つかの教育機関で学び、
幾つかの職種と職場を渡り歩き、
多種多様な人との出会い、
異国での生活、などを体験してきました。
多分、私以上に多様な経験、
大変な体験をされてきた人はいるでしょう。
そうであれば、なおのこと、
今の日本の過剰労働に異常さを
感じていることでしょう。
私は、上記でも言ったように
知識人ではありません。
だから、ここでもっともらしいことを述べたとしても
何の効力も無いことは十分に承知しています。
だから、まあ、勝手なことも言えるのでしょうが。
しかし、今起こっている出来事には
何かしらの理由、意図があるわけで、
それはみんなも薄々わかっているのかもしれません。
しかし、この異常さは異常です。
ただ、傍観しているならSF映画でも見ている感覚ですが、
私は、ここに存在しています。
このままでは、大切な友人知人、
生活しているこの街、この国、この社会が
おかしくなってしまう。
しかし、私に何ができるのか。
たいした発言もできないし、
発信力のある知識人でもない。
活動家でもない。
一歩前にでるだけでも大変な決意と
勇気が無ければ踏み出せない、
そんな存在です。
でも、それが出来るように日々努力しています。
今できることを精一杯やってみる。
そう決意し、その一つとしてこのブログを書いています。
ただ、偉そうに大それた事などできませんし、
そんなつもりは毛頭ないです。
私の経験の中で、
こうしてじっくりと芸術や社会の問題について
考える時間が多少なりとも与えられている今、
「考える」時間が与えられている事に
まずは感謝しています。
いろいろな方の支援でこうして心身とも
落ち着いた状態で活動できることに感謝しています。
そして、そうした状態だからこそ、
今の日本の社会の労働の過剰さに
違和感を感じられるのです。
渦中にいるとその状態が理解できません。
自身がそのテンポで生活しているからです。
道をそれ草原をのんびり歩くと
道中の過剰さが見える事でしょう。
しかし、もし、それを知らないで
道を走り続けている人がいるとしたら、
そしてその人が死にそうになっているとしたら、
異常さに気付く何かを伝えたいと思いました。
しかし、それは、単に上から目線での
戯言に過ぎず走っている彼らから見ると
私の方こそ異常な状態に見えるのでしょうね。
難しい問題です。
社会が複雑化し、職種や環境、ライフスタイルで
細かい層に分けられ、
それぞれが相いれない意識が根付いてしまっています。
だから、それぞれが、それぞれがしていることに
異常さを感じ、互いを非難している。
過剰さの賛否がよく問題にされます。
どちら側かに付けば、相対する側が非難の対象になります。
その時の自分の社会的状況で
或いは経済的状況で、
或いは精神的状況で自身の賛否も揺れ動く場合もあります。
しかし、もし、問題の本質に迫った時、
賛否とか善悪とかを越えた、
進むべき道が見えるのではないでしょうか。
今書いていてそう思う次第です。
つまり、こうです。
過剰さに賛否はそもそも無く、
それらすら、上で操っている強力な権力者がいる。
おそらく、彼らは地球の自然、
自然現象まで操っているんじゃぁないでしょうか。
故意に地震や台風をおこしたり、
経済をかく乱したり、戦争を起こさせたり、
地球の運命の運転を彼ら権力者が操作している。
安全運転するのも暴走するのも自由。
今はどんな状態なんでしょうか。
末端の私には知る由もないですね。きっと。
しかし、身近で起きている出来事から、
何かおかしい、誰かに操られているんじゃないか、
そんな風に思えてくるようになりました。
それは、おそらく自身の体験からにも
起因するでしょう。
いろいろな事実からそれを想起することも可能です。
例えば、仲間内で喧嘩をさせておけば、
本来起こしている第三者の行為は見えなくなるし、
気にも留めなくなる。彼らが喧嘩している間に
権力者である第三者は本来の目的を遂行する。
バレそうになると話題をすり替える。
別の誰かに責任を転嫁し尻尾切りをする。
当事者間で内部崩壊させ、問題をずらす。
常套手段が横行されているのを誰でも
幾つか目の当たりにしたのではないでしょうか。
黒幕は絶対に見えない。
殆ど誰もその存在を知らない。
だから、そもそも存在の有無まで賛否両論あり、
それすら煙に巻いている状態です。
私達が正面切って立ち向かった処で勝てるわけもないです。
私達にできることは、
私達が生き延びる術を自身が身に着け
生き延びることしかないのだと思うのです。
それには、彼らが何をしているのか、
何を企んでいるのかを少しでも知ることではないでしょうか。
知れば回避できます。
多くの人が情報を共有できれば
生き延びることが出来ると思います。
世の中には正しいことをしている人は何人もいます。
私に出来る事は彼らを応援すること、
例えば、自然農法での作物を買う、
遺伝子組み換えの作物は買わないようにする。
不買運動は小さいけど直ぐできる活動です。
ちいさなことでも一歩一歩していきたいです。
さて、今回この記事を書きたいと思い至ったきっかけは、
2016年11月22日にフリーライターさんが投稿した
「日本の過剰労働は、「お客様」の暴走が原因だ」
という記事を読んだのがきっかけです。
だいぶ前の記事ですが、PCに保存してあったのを
たまたま先日読み返して、そして、思うところがあって、
この記事を書くに至りました。
このフリーライターさんは、
そもそも過剰労働の原因は、客にある、といってます。
実は私もそう思っているのです。
特に問題になっているのは、
「早くやる」「休まず何時でもやっている」
この2点に集約されます。
「早くやる」は、
例えば、土日が定休日だと処理に時間がかかることに
客がクレームすれば、土日返上で
仕事をせざるを得なくなります。
細かい事だと、スーパーのレジが
ちょっともたもたするだけで客がブチ切れるとか、
駅のホームの立ち食いソバみたいに
速さがエスカレートし過ぎています。
店員も早くすることばかりで、
それを見ている客も無駄にセカセカし、
それが相乗効果になってその場の雰囲気も
慌ただしい決して落ち着いた雰囲気とは思えない状況を
生み出しています。
それはリラックスするような場であっても、
そこに行くには予約をしたり、
予約した時間に間に合うように行くストレスもあるし、
行ってもそこにいる時間にも制限があるだろうし、
そもそもセカセカモードの人が
ちょっとその場にいったからと言って
くつろげるかどうかも疑問でしょう。
今のサービスははっきり言って過剰ではないか
とも思えます。というか、親切すぎるというか、
ある意味手取り足取り感覚で
何でもやってもらえる感覚が異常に思えます。
例えば、家電量販店にいって、
PCを買う場合でも、
全く何も知らない状態でもモノが買えてしまうのが現状です。
店員があれこれ丁寧に説明するから
知らなくてもそれなりに買えるし、
買って帰ってすぐに使えます。
私が、30年以上前の時には、
そんな状態ではありませんでした。
店員がまず、ぶっきらぼうでしかも
やや上から目線での物言いな態度で接してきます。
当時は今ほどPCが普及しているわけでもなく、
エンジニアかそれに関わる仕事をしているか
マニアぐらいしか買わないようなものだったので
そうかもしれませんが、
客の方もある程度知識を持っていないと
店員に相手にもされない感じでした。
だから、どんなメーカーがあって、種類や機能を勉強し、
相場が幾らかを把握して購入の際は値段交渉までしました。
店員はそこまで知っている客に対しては対等に接し、
適正な価格で売買に応じてくれました。
だから、全く知らずに店員のおまかせで購入しようとすれば、
とんでもない粗悪品を相場よりも高く売りつけられます。
客も店員を見ているし、店員も客を見ているのです。
そうした緊張関係の中での売買は双方で
クレームがでることはあまりありません。
客もその製品の事を勉強してくれば、
店員もそのように見てくれます。
店員もど素人のアイドル店員ではなく
マニアックに良く知っている店員が多く、
客もそれなりに知識があると一目置いてもらえます。
そういう関係になると業界の裏情報とかも
教えてくれたりして、
インターネットが普及していなかった当時は
貴重な情報源の一つでした。
よく、騙されたとかでクレームしたり、
ちょっとしたことで難癖つける客がいます。
自分は何もしらんくせに粋がって買うから
騙されるわけであるのに、それを棚に上げて
相手の責任だけを追及する客も多いです。
そうなると、店員も客に対してあまりいい感情が
起きなくなり上辺だけの仮面おもてなしになってしまいます。
金があると横暴に振舞う態度を子供がみていると、
子供はそれを真似ます。
成金の子供が大金をチラつかせ
大人の店員に横暴に振舞うこともするでしょう。
そうされた店員は、自分が客となった時、
同じような感情を別の店員にもするでしょう。
負の連鎖です。この連鎖を断ち切るのは、
店員側ではなく客です。
客がもっと賢くならないといけないのです。
そう思います。そして、
店員は商品に対して愛着をもって臨んで欲しいと
思います。商品知識は個人差があるので
たまたま客のほうが知っている場合は
バカにされますが、それでも商品に対して
こよなく愛着を持って接しているのなら
その気持ちは客にもつたわります。
客は、きっといい製品なんだろうなと
感じるはずです。それを、商品知識も無い、
愛着もない、ただ売っているだけであれば、
客の方もがっかりするし、
これなら自販機で物を買っているのと
同じ感覚になります。そうなると、
それ以外の事が目につきます。
店員の言葉使い、態度、身なり、間の取り方、
細々したことが気になり
それがクレームつながると思うのです。
以前は、そういった店員も多かったと思います。
量販店が出来てから変わったのでしょうか。
量販店が出始めた頃は、
例えば、PCなんかは量販店では
圧倒的に安く購入できました。
それは徹底したコストカットだと思います。
あの当時は、こんな感じだったと記憶してます。
店員は商品の説明は一切しなません。
店には、箱からまだ出されていないPCが積まれ、
箱に書かれてある記載を客が見て判断し、
それをレジに持っていき代金を払う、
それだけのお店です。
だから、あらかじめどの製品を購入するか
決めてから行かないと無駄足を踏むことになります。
でも、今は多くのお店では
店員が用もないのによってきてあれこれ説明してきます。
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