私は、ふと思うことがあると、
ノートに書き留めたり、それが無いときは、
そこら辺にある紙切れなどに
書き留めるようにしている。
ふっと、湧き出ることがよくある。
疑問に思った事や
これはどういうことなんだろうということは、
それについて考えたり
知らないことは
調べたりするのが面白いからだ。
しかし、湧き出た瞬間に
どこかに記録しておかないと
すぐに忘れる。せっかく
面白ことを思いついたのに、
興味深い疑問が沸き起こったのに、
それを書き留めてなかったばかりに
忘れてしまって、それを探求すらできない。
これは寂しい。だから、
シャワーを浴びているときでも、
トイレに入っているときでも、
思いついたことがあると
書き留めるようにしている。
「ふと思うこと」 この「ふと」という状態は
何となく好きだな。
何かのきっかけで ふーっと
浮上してくるんだな。
この感覚は何とも言えず面白い。
何か大事なことを忘れていて、
忘れたことを覚えているから、
一生懸命思い出そうとしている状態は
もどかしい。
関連するであろう他の言葉をキーに
連想しながら手繰り寄せる作業は
犯人を推理している感覚に似ているかもしれない。
といっても実際にそんな犯人探しなど
したこともないのだが、ふっと、
忘れていた事が浮上してきたときは、
やったー、とうれしくなる。ふと思うことは、
何気ない日常にちょっとしたスパイスを
与える感覚にも似ている。
ふっと、思い出すことができるためには、
常日頃、何かを考えていたり、
何かに疑問を持ったり、
そうでなくてもボーっとしている時であっても、
ふっと頭の中に浮上したりするもんなんだ。
そういえば、先日、レンタルでDVDを借りてみた。
映画館で見られなかった「シンゴジラ」を見た。
レンタル中四回みた。最初に見たときは、
やはりゴジラを倒すために奮闘する人間の活躍を
見ていた。いろいろ知恵を絞って頑張っている様子が
リアリティーがあった。しかし、三回、四回はむしろ
ゴジラの方に視点が向いていた。映画の設定では、
地球上で最も進化した存在だ。
もし、人間が絶滅したら、彼らゴジラが人間に代わって
頂点に立つことになる。ゴジラにとってみれば、
自分の周りで騒いでいるこいつら(人間)は
いったい何だ、と思っているに違いない。
ゴジラから見れば、我々人間はゴキブリみたいなもの
かもしれない。ゴジラにしてみれば、
たまたま陸に上がって歩き回ったところが
運悪く東京だったというだけのことかもしれない。
熊さんが間違って街に出てきてしまったみたいに。
だけどゴジラは熊さんじゃあない。
人類よりも進化した存在だ。ビビるのはむしろ人間の方だ。
映画の中で、ゴジラはどんどん大きくなっていった。
しかし、そう仕掛けたのは人間の方に
問題があったのではないか。
そもそも人間がいじめたり攻撃とかしなければ
デカくならなかったのではないか。
最初に接触した人間が何かしらの干渉を
ゴジラにしたに違いない。
最初から敵扱いだ。
ゴジラもきっと最初はもっと小さかったんだと思う。
そして海底でシーラカンスのように、
人知れずひっそり生きてきたんだと思う。
そこへ人間が入ってきて、引っ搔き回し、
きっとゴジラはいやだったんだと思う。
必死で生き延びるために変化してきたんだと思う。
そこだけ想像しただけで、何て健気なんだと思う。
まぁ、そんなことを勝手に思ってみたわけです。
実際のお話はどうなんでしょうね。
続編を匂わせた終わり方でしたね。
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