http://www.art-meter.com/works/?ID=AW120357
何かいいな、
と思うその感覚なのである。
よい感情を持てば、そこから、想像力が働くと思う。
興味を持つというか
どのようにしてそこに行き着いたのかを
想像するのは楽しい。
はじめはさらっと、そして、その後、じっくり見て欲しい。
見入ることで、日常の風景から非日常へ、
このような抽象画ならではに起こる現象といってよいでしょう。
何かを見る場合、
意識するしないに関わらず頭の中で、情報が処理されている。
それを出来るだけ少なくするところからスタート出来たら
より直観的に目に飛び込んで来た作品を
感じることが出来るかもしれません。
普通は、身構えて、
今から、作品を見るぞっと体がコチコチになって
リラックスせずにみてしまうことが多いのではないだろうか。
単に、ごくごく普通になんか空の景色を見るように、
例えば、晴れた日に空を見上げて
「あー、空、青いな、いい色だな」といった感じで見る場合、
直接的に何にも考えずに意識せずに
見たままを受け入れる。
しかし、自分がわざわざ美術館やギャラリーへ出向いて
今から見るぞと肩に力が入ると
例え自分がリラックス出来ていると感じても
やはり、純粋にスーッという感じでは
受け入れられないと思う。
このジレンマのような妙な感覚は
どうしてもつきまとうこともあるが、
やはり、これは見る側にも
いろいろと訓練なり勉強が必要になってくると思う。
それは単に、知識のことを言っているのではない。
行為であり、姿勢であり、
自分が何を望んでいるのか
自分自身が自覚していることでもある。
しかし、それは、大人でなければできないとか、
何か特別な事柄を勉強しないと出来ないことではない。
何かを求める。真剣な眼差しをもって
作品に対峙できれば、子供にだって
それは、可能であると思う。
しかし、それも、そんな大それたことではなく、
ごくごく普通に、純粋に感じる力があればよいと思う。
それはいったいどんなチカラなんだ、
と逆に問われてしまうかもしれない。
外見で人を判断したことは皆経験があると思う。
イケメン風とそうでないのを比べたときの第一印象は
良い方に目が向いてしまうだろう。しかし、
その本質は、そこでは判断できる人は、すくない。
外見ではとても難しい。しかし、
多くの実際的経験がある人から見ると
本質は外見からでも何かしらにじみ出ているものらしい。
それをかぎ分ける能力がある人は、
外見に惑わされないに違いない。
絵画の場合、別に善悪があるわけではないが、
たとえ一般的に評価が高い作品であっても
自分にとって受け入れられないものであれば、
それは良くない作品に見える。
無名で、誰も何の評価もない作品であっても
自分にとって、気になるような存在に見える作品もある。
その判断である。
長々と説明したが、要するにそういうことなのです。
だから、いろいろなものを見聞きし、
自分の頭で考え
自分にとって本当によいものって何だ
と常に考えている人であれば、
例え子供であっても、
感じる力は十分にあると思うのです。
他人がどうこう言っても自分はこれがいい
と思えるなら、そう言える。
これが大切なことだと思う。
私の作品は、
多くの人は見向きもしないことでしょう。
しかし、中には何を感じてくれる人もいるのです。
何年前にそういう方が購入して頂きました。
誰か一人でも共鳴してくれる、
ただそれだけでも、何か嬉しいものです。
(完)
-絵画の販売-