年に一、二回警備に借り出されました。
一番多かったのがテレビ局です。
最初に社内で研修を受け制服を支給されますが、
私の背格好を見て「君はどう見ても警備員には見えん」と
はっきり言われましたが人員が足りないこともあり
出す側も出される側も仕方なしの出動となりました。
警備の詰め所はいつも騒然として
指揮する隊員の大きな声がよくきこえていました。
隊員も多くがバイトでしかも短期が多く
日雇いの隊員も多くいました。
そのためシフトの変更が頻繁に起きていました。
私が担当した場所はあまり重要ではない場所が多かったですが、
真冬の夜中の外での警備は大変でした。
室内の待機所は何箇所かありましたが休憩の時、
窓から深夜の街並が見えました。綺麗でした。
隊員詰め所は駐車場付近にある本部以外は
殆ど待機所付近で警備している隊員が
次の交代までの時間を潰す場所として使われました。
上階にある待機所での夜景は綺麗でした。
深夜の東京。
待機所では常に数名の隊員が待機していましたが
皆たまに挨拶や近況の報告をするくらいで
ほとんど話すことも無く静かでした。
もっともあまりさわいでよい場所でもなかったので
皆そうしていたと思います。
そのためか余計に深夜の静けさは深まります。
高層ビルの屋上には赤いランプが点滅してます。
俺は何でここでこんなことをしているのだろう。
皆は学生のアルバイトであったり、
警備の仕事一本でやっていこうとしている人もいます。
生きるためにできる事を精一杯でいる日雇いの者もいます。
自分は何なんだ。
本当は何がしたいの?
大学に行きたいと言ってもそんなに勉強しているわけでもなく、
かといって今の仕事に熱心でもない。
明確にこれだ、というものが無い。
働いているのは単にそれを紛らせているだけ。
決断を保留にして逃げているのか?
そう問われれば返す言葉は無いかもしれない。
何か打ち込めるものが欲しかった。
学問であれ何であれ。
夜景を見るとセンチメンタルになるなぁ。
話を戻して。
在職していた支店には部署が4つ分かれていました。
警備部、経理部、システム部、管財部。
私は管財部にいました。
警備部とは違い警備といっても小さなオフィスビルや
スーパーの駐車場が多く、ビルの管理などもしていました。
私はそこで勤務する隊員さんの
スケジュール管理などをしていました。
毎月契約先全てを順に訪問し
隊員さん達と直に話を聞き
不満や問題点が無いか聞いて廻りました。
一度調査という名目で
一晩現場の警備を見学させてもらいました。
定年を過ぎた年齢でも
生活のために働いている姿を直視しました。
戦後何もない状況で上京し
建築現場で働き続けてきたその隊員さんは
老いてもまだたくましく見えました。
華やかに見える東京も底辺では
このたくましい人たちに支えられていることをみました。
管財部ではビル清掃も請負っていました。
そのため、清掃要員として何人も人員を雇っていました。
そこの主任にあたる唯一の社員である方と
いっしょに講習をうけたことがありました。
プロとしての清掃要員を養成する研修です。
二日の研修です。清掃の七つ道具の説明や使い方、
洗剤の特徴や注意事項など専門的な内容から
プロらしく見せる仕草や立ち振る舞いにいたるまで
盛りだくさんでした。わたしは、
管財部本来の仕事があり、この講習はあくまで
社員として形式的に受けてきて下さい程度の位置付けでしたが、
主任はそれでやっていこうと決意されて
受けているので意気込みが違っていました。
ただただ圧倒され、私は場違いなところに来てしまったと
恥かしくなりました。
一生懸命研修を受けている姿を見て、
何事も真摯に取組んでいる人は後ろ姿は違うと
感じました。そんな人になりたいと思いました。
親父は清掃の仕事など3Kにあたる仕事を軽蔑していました。
落ちぶれた仕事だと。
いくら仕事が無いといっても清掃などの仕事だけはするな、
みたいな見方をする人です。
私は主任の姿を見て親父は誤解していると思いました。
政治家や官僚といった社会的に認められているような仕事の方が
汚いことが多いと思うのです。
清掃の仕事なんてそれに比べたら可愛いものです。
もっともそれを管理している親玉など権力者とつながっている人間は
あくどい人もいるけど。
何が言いたいのかというと、真摯で取組んでいれば
何をしても輝いて見える。
それを主任を見て感じたのです。
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