2020年02月04日
好きな服を買えず、惨めな気持ちで立ち尽くす。
このところ、バスケがない日は
仕事が終わってもまっすぐ帰っていない。
寂しさと孤独感から、
人がいる空間にいたくてブックオフへ行ったり、
あてもなく繁華街をぶらぶら歩いたりしてしまう。
この日は歯医者と精神科の帰り、
やはり直帰しなかった。
少しでも人混みの中にいたくて、
久しぶりに大好きなKERAショップへ行った。
ここで最後に買ってから、もう2年近く経つ。
最近は、足を運んでも、
「いいな、かっこいいな…」とうらやみながら
値札を見ては溜め息をついて立ち去るの繰り返し。
店員さんには完全に顔を覚えられていて、
行くと声をかけてくれるのに、
そのたびに冷や汗をだらだらかき、
ぎこちない会釈をして終わる。
そんなんじゃ試着もできないでしょ、と
話しかけられただけで過剰に汗をかく自分が嫌になる。
でも、それ以上に嫌になるのは、
どうせ買えなくて惨めな気持ちになるだけなのに、
諦め切れず眺めに行く、矛盾した自分の存在。
たった2か月とはいえ、僕は先月まで
生活保護を受けるほど困窮していた。
KERAブランドの服を自由に買えたら
どんなにいいだろうと憧れながらも、
そんな経済状況とは程遠い自分が
情けなくて自己嫌悪に陥る。
うらめしそうに眺めては
惨めな気持ちでショップを後にする、
こんな不毛なことをいつまで続けるの?
この貧困から抜け出せる日は来るの?
KERAの服を自由に買えるようには
一生なれないまま終わるの?
そんな後ろ向きな疑問を自分へ投げかけながら、
稼ぐ力のなさ、ストレス耐性のなさが許せなくなり、
自分への苛立ちと無力感に苛まれる。
いろいろな在宅ワークに挑戦したこと、
雇用以外の働き方を模索し続けていること、
現状を変えたくて取り組んでいることがあるのに、
そんな自分を褒める余裕がなくなる。
今、好きな服のショップにいるこの瞬間、
「生活費が…」などと言い訳を並べ、
我慢して立ち尽くす自分の情けなさ。
それがすべての前向きな感情を上塗りする。
ある程度の値段のするものを買うことへの罪悪感は、
生育環境で刷り込まれた呪縛のような価値観。
無駄遣いかどうかを考えるのは大切だとしても、
「どうせ買えない」というのは
自分が作り出した自分への禁止令であり、
自分さえ許可すれば買える。
そんな客観的な事実でさえも、
いざ現場に来ると尻込みし、勇気が罪悪感に負ける。
「それ、本当に今生きるのに必要?」
「ここで1万円近く、服1着にかけたら後でどうなるの?」
「最近まで生活保護受けるくらいだったくせに」
長年の刷り込みから膨らんだ罪悪感を煽る声が
自分の中から次々と聞こえてくる。
好きな服を着て、なりたい自分になり、
自信を持って歩けば、お金で買えないものが手に入る。
我慢し続ける長期的なストレスを抱えて
惨めな気持ちで過ごすより遥かに健康的だと
わかっているはずなのに。
無駄遣いや衝動買いをしたいということではなく、
好きな服やほしい物を買う時の姿勢は
ずっとこのままでいいの?と自問自答している。
よくない。変えたい。
今日のご飯も食べられるかどうか、
というわけではないんだから。
買って問題ないのなら、自信につながるのなら、
大きくなる罪悪感の声を蹴散らして、好きな服を買う。
うらめしく眺めるだけの自分に、勝ちたい。
仕事が終わってもまっすぐ帰っていない。
寂しさと孤独感から、
人がいる空間にいたくてブックオフへ行ったり、
あてもなく繁華街をぶらぶら歩いたりしてしまう。
この日は歯医者と精神科の帰り、
やはり直帰しなかった。
少しでも人混みの中にいたくて、
久しぶりに大好きなKERAショップへ行った。
ここで最後に買ってから、もう2年近く経つ。
最近は、足を運んでも、
「いいな、かっこいいな…」とうらやみながら
値札を見ては溜め息をついて立ち去るの繰り返し。
店員さんには完全に顔を覚えられていて、
行くと声をかけてくれるのに、
そのたびに冷や汗をだらだらかき、
ぎこちない会釈をして終わる。
そんなんじゃ試着もできないでしょ、と
話しかけられただけで過剰に汗をかく自分が嫌になる。
でも、それ以上に嫌になるのは、
どうせ買えなくて惨めな気持ちになるだけなのに、
諦め切れず眺めに行く、矛盾した自分の存在。
たった2か月とはいえ、僕は先月まで
生活保護を受けるほど困窮していた。
KERAブランドの服を自由に買えたら
どんなにいいだろうと憧れながらも、
そんな経済状況とは程遠い自分が
情けなくて自己嫌悪に陥る。
うらめしそうに眺めては
惨めな気持ちでショップを後にする、
こんな不毛なことをいつまで続けるの?
この貧困から抜け出せる日は来るの?
KERAの服を自由に買えるようには
一生なれないまま終わるの?
そんな後ろ向きな疑問を自分へ投げかけながら、
稼ぐ力のなさ、ストレス耐性のなさが許せなくなり、
自分への苛立ちと無力感に苛まれる。
いろいろな在宅ワークに挑戦したこと、
雇用以外の働き方を模索し続けていること、
現状を変えたくて取り組んでいることがあるのに、
そんな自分を褒める余裕がなくなる。
今、好きな服のショップにいるこの瞬間、
「生活費が…」などと言い訳を並べ、
我慢して立ち尽くす自分の情けなさ。
それがすべての前向きな感情を上塗りする。
ある程度の値段のするものを買うことへの罪悪感は、
生育環境で刷り込まれた呪縛のような価値観。
無駄遣いかどうかを考えるのは大切だとしても、
「どうせ買えない」というのは
自分が作り出した自分への禁止令であり、
自分さえ許可すれば買える。
そんな客観的な事実でさえも、
いざ現場に来ると尻込みし、勇気が罪悪感に負ける。
「それ、本当に今生きるのに必要?」
「ここで1万円近く、服1着にかけたら後でどうなるの?」
「最近まで生活保護受けるくらいだったくせに」
長年の刷り込みから膨らんだ罪悪感を煽る声が
自分の中から次々と聞こえてくる。
好きな服を着て、なりたい自分になり、
自信を持って歩けば、お金で買えないものが手に入る。
我慢し続ける長期的なストレスを抱えて
惨めな気持ちで過ごすより遥かに健康的だと
わかっているはずなのに。
無駄遣いや衝動買いをしたいということではなく、
好きな服やほしい物を買う時の姿勢は
ずっとこのままでいいの?と自問自答している。
よくない。変えたい。
今日のご飯も食べられるかどうか、
というわけではないんだから。
買って問題ないのなら、自信につながるのなら、
大きくなる罪悪感の声を蹴散らして、好きな服を買う。
うらめしく眺めるだけの自分に、勝ちたい。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9598384
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック