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2022年02月01日

「多様性を理解しよう」という動きは、気候が寒冷化したら終わるのではないか。

昨今、

「多様性を理解しよう」
「個性を大切にしよう」


という動きが活発になっています。

僕はずっとマイノリティに属してきた人間なので、
本当にありがたい世界になったと思います。



優しい世界に期待する反面、こんな疑問も浮かびます。

「多様性を理解しよう」という動きは、
人類史上、初めての試みなのか?

「多様性を理解しよう」という動きは、
気候が安定している時代だから可能で、
気候が寒冷化したら終わるのではないか?




地球は今よりもずっと暖かい時代と、
今よりもずっと寒い時代を繰り返しています。

その中で人間は、

「多様性を理解しよう」という動きを
過去に何度も折られてきたのではないでしょうか。



ー目次ー
  1. ”多様性の理解”を阻む3つの前提
    @人間は集団を作って生き延びてきた生物
    Aみんなと違う人は集団を壊す危険因子
    B異端者は寒冷化で生存の危機が訪れると真っ先に排除される
  2. 人間の闇”異端者をいじめると快楽を得られる”
  3. 人間の生存と相反する行為”多様性を理解”

1.”多様性の理解”を阻む3つの前提

「多様性を理解しよう」という動きは、
気候が寒冷化したら終わるのではないか?

僕がそう考えるようになったのは以下3つの前提によってです。

  1. 人間は集団を作って生き延びてきた生物
  2. みんなと違う人は集団を壊す危険因子
  3. 異端者は寒冷化で生存の危機が訪れると真っ先に排除される

@人間は集団を作って生き延びてきた生物

人間は身体的に、とても弱い生物です。

トラやライオンを仕留める爪も牙もなく、
サルのように木をつたって逃げる筋力もありません。

衣服も道具も持たず、
1人でサバンナに放り出されたら猛獣の餌食でしょう。

そんな、単独では弱い人間は
集団を作ることで生き延びてきました。


そして、その集団を維持するためには、
みんなが同じ目的を持ち、同じくらいの力を出し合う必要があります。

こうして、人間の最優先事項は
「仲間に仲間と認められること」に、

最大の恐怖は
「バラバラになって各個撃破されること」に
なっていったのでしょう。

Aみんなと違う人は集団を壊す危険因子

生き残るために集団を維持したい人間にとって、
「みんなと違う人」はもっとも危険な存在です。


まわりから”スタンダード”と認められない者は、

「我らのために力を出さないかもしれない」
「我らと違う考えを広めて内部崩壊を狙うかもしれない」

と映るからです。



書籍『ヒトはいじめをやめられない』では、
「いじめは集団を壊す危険性のある者に制裁を加える行為」
ではないかと分析しています。


 みんなよりも身体が小さい者
 みんなよりも何かの能力が劣っている者
 みんなより…。

そういう人を放置した先に
「バラバラになって各個撃破」の恐怖があるなら追い出そう
というのが”いじめ”です。


この”いじめの仕組み”に沿って考えると、

「多様性を理解しよう」
「”みんなと違う人”が集団に居ることを許容しよう」

というのは、
人間が生き残るための行為と相反するのでは?と思います。

B異端者は寒冷化で生存の危機が訪れると真っ先に排除される

このように、みんなと違う人は、
真っ先にいじめられる可能性を秘めています。

それでも気候が良く、食料が十分にあればまだ
”みんなと違う人”が集団にいても養えます。

しかし、そこへ気候の寒冷化が加わったらどうなるでしょうか。
おそらく「みんなとの違い」の当たり判定がどんどん広がります。




『気候文明史』を読んでいると、
人間の登場以来、たびたび以下の流れが出てきます。
<温暖な時代>
→豊作、食料が増える
→人口が増える
→新たな開拓
→社会が安定
→文化や芸術が花開く

<寒冷化する時代>
→凶作
→飢饉、疫病、戦乱
→大きな文明がいくつも滅びる
→新技術の開発や新思想の台頭がさかんになる

地域によっては温暖化→乾燥→干ばつ→飢饉もありますが、
文明の衰退の多くは寒冷化によって起きています。



食べなければ死にます。
そして人間は弱いので、集団を維持しないと各個撃破されます。

平時なら「多様性→個性」でも、
食料不足時は「多様性→集団を壊す危険因子」です。

そうして、寒冷化の時代には
「口減らし対象」の審査基準がどんどん厳しくなったのでは、と思います。


2.人間の闇”異端者をいじめると快楽を得られる”

『ヒトはいじめをやめられない』では、
「いじめをすると脳に快楽物質が出る」ことも説明されています。
いじめ=制裁を行うと、
食事や性行動のときと同じ「ドーパミン」が出る

それに加えて正義達成の欲求や、
所属集団からの承認欲求が満たされる


僕ら人間は、
「生きるために同族を殺して楽しむ」という、
矛盾した生物に仕上がったのではないかと思います。


 いじめは人間が生き延びるため
 みんなと違う人を殺すのは集団を維持するため

何万年前のヒトたちは、はじめは仕方なく、
心を痛めながら”いじめ”をしてきたのかもしれません。

しかし、気づいたらヒトは
残虐な宗教戦争や公開処刑に熱狂する生物になっていました。




その快楽は、脳が

「やらなければ、でも気が引ける」
「失敗したら復讐が怖い」

というためらいを
振り払わせるために与えたものだとしたら。

弱い身体の人間が、
厳しい環境を生き延びるために与えられた麻薬だとしたら。


捕食のためでなく、
一時の快楽のために同族を殺す僕らの本質は、
本当に「愛情深く純粋」なんでしょうか。


3.人間の生存と相反する行為”多様性を理解”

『気候文明史』を読むと、
地球は現代よりずっと暖かい時代と、
ずっと寒い時代が繰り返されてきたことがわかります。

現代は温室効果ガスによる温暖化が問題になっていますが、
データ上ではわりと安定した気候のようです。



もしかしたら、
「多様性を理解しよう」という動きは、
温暖な時代で盛り上がり、寒冷化で頓挫を
繰り返してきたのかもしれません。


みんなと違う人を集団に置いておくことは本来、
人間にとって「生存と相反する行為」と言えます。

異端者をいじめる快感も味わえなければ、
正義感にも万能感にもひたれません。

それでも何とか「多様性を理解しよう」
という動きができているのは、

ある程度、気候が温暖で、
飢餓の心配が少ない時代だからこそ、
ではないでしょうか。




もし100年後、1000年後に次の寒冷化が訪れたら。

寒さ、飢餓、疫病の苦しみに耐えかねた人たちが
また”みんなと違う人”を殺して生き延びるんでしょうか。

それは遠い未来、歴史の教科書に
「第●次世界大戦」「●●の乱」と書かれるんでしょうか。

人間の「多様性を理解しよう」という試みは、
気候が厳しくなるたびに、何度も折られてきたのではないでしょうか。











posted by 理琉(ワタル) at 19:51 | TrackBack(0) | 生き方

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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