2018年12月24日
スペイン巡礼記㉔ 27日目:天国への道を、天使と歩く
Pilgrimage in Spain ㉔ Day27:Walk the pass to the heaven with an angel【4.2011】
4月27日(巡礼27日目)Santa Catalina de Somoza サンタ・カタリナ・デ・スモサ 〜 Acebo アセボ (27.7km)
「フォンセバドンの犬 Dogs in Foncebadon」
それは、天国へと続く道だった。そして、私の前を天使が歩いていた。
「フォンセバドンの犬」が記憶に残るシャーリー・マクレーンの巡礼本がある。
大女優でありながら彼女はこの道を一人で歩き、前世の記憶を追体験したという。
この本の中でフォンセバドンは廃村であり、獰猛な野犬のいる危険な場所としてクローズアップされていた。だから必死で山中の道を上りながら、今日のゴールをどこにしようか考えあぐねていた。
フォンセバドンに着いたのは2時。すでに約4時間半、17キロを歩いていた。
廃村といえども、シャーリー・マクレーンの本にあったほど寂れたイメージではなく、巡礼者を対象にしたバルやアルベルゲが数軒あり、他の小さな村とほとんど変わらないように見えた。
ラッキーだったのか、巡礼者が増えたおかげか、野犬に遭うこともなかった。
山中ずっと私の少し前を歩いていた背の高い若い女性がバルにいるのを見て、吸い寄せられるように私もそこへ立ち寄り、ハーフ・ボカディージョとカフェ・コン・レチェのランチにする。
暑い日だったので、タンクトップ一枚になってリュックを背負っていたアクティブな彼女にはずっと話しかけたかったのだが、山中の上り坂では息が上がって喋るのが難しく、スピードが速かったため、姿を見失わないように追いかけるだけで必死だったのだ。
中年夫婦は早朝から歩いているので、今日はもうここで泊まるという。
彼女(名はグロリアといった)は、一日40キロ歩くのでまだ先へ行くという。
君は、と訊かれてガイドブックによるともう3キロ先にアルベルゲがあるようだから、そこまで行くつもりだ、と答えると、旦那さんの方が驚いてそこはやめた方がいいという。
マンハリンという、イラゴ峠の真ん中、山上台地にあるその宿はアルベルゲといっても、トイレが外だったり設備が悪くて、とても女性が泊まれるような宿ではないらしい。
"Trust me. Don’t stay that albergue."
と心底心配するように男性が言うので困ってしまった。マンハリンを過ぎると更に7キロほど先まで宿はない。つまりあと10ロ歩くか(しかも登り)、このフォンセバドンで泊まるか、という選択になるのだ。
時間的に2時といえば通常でもそろそろ宿に入る時間だ。男性にも強くここに泊まることを勧められるし、もう10キロも歩くのは少し厳しいと判断した私は、フォンセバドンでアルベルゲを探すことにした。
ところがフォンセバドンのアルベルゲにどこかなじめないものを感じて、私はなぜか再び歩き出してしまったのだ。歩きながら自分でも、もう10キロ歩こうなんてどうかしていると思ったが、歩き出してしまったからには仕方がない。覚悟を決めて黙々と山道を登っていった。
「湯ノ丸高原のようなイラゴ峠
Puerta Irago which looks like Yunomaru-kogen」
深い森の中だし、野犬がいないとも限らない。考えないようにしても、万が一野犬や熊に襲われたら…という考えが頭をよぎってしまう。そんな時はもういかに冷静に対処法を考えようと思ってもまともに考えることなどできないので、ついつい足早になる。
そうこうするうち、先ほど別れたグロリアの背中が木々の間にチラチラ見えてきた。森の中で他の巡礼者の姿を見つけたときほどホッとすることはない。そこからはやっと安心して自分のペースで歩けるようになった。
30メートルほど先を歩く彼女の姿を見失わないよう、かといって近付きすぎないよう適度な距離を保ちながら付いていく。
フォンセバドンを出てすぐ左手に折れた道は更に高所へと巡礼者を導いていく。
林が途切れ、頭上を覆う木々がなくなると、飛行機雲くらいしか見つけることのできない晴れ渡った青空の下、私はグロリアの背中を追いかけて両脇に低い灌木の連なる高原の道をひたすら登り続けた。
昨日泊まった小さな村がすでに900メートルの高所にあったので、さしてきつい登りではないのだが、緩やかながらも確実に道は登っている。灌木の緑とヒースのピンク、エニシダの黄色に覆われた小高い山のような丘がいくつも果てしなく連なるその風景に感動して、所々で写真を撮りながら歩いていたのだが、そのうちグロリアに追いついてしまった。
フォンセバドンに泊まらなかったのかと問う彼女に、空が青すぎて止まるのは勿体ないからもっと歩くことにしたと答えると、本当にそのとおりねと笑い、一緒に歩こうと提案してくれた。
「鉄の十字架と噂のアルベルゲ、マンハリン
Cruz de Ferro and rumored albergue Manjarin」
間もなく私たちは印象的な場所に着いた。5メートルほどの高さの木の柱のてっぺんに十字架が設置されたそのモニュメントは、鉄の十字架(Cruz de Ferro)と呼ばれ、その足元には数えきれないほどの小石が積まれ、小さな丘と化している。
ここは地元では古くから聖なる地として信仰の対象であり、昔からこの鉄の十字架はイラゴ峠を越えていく巡礼者たちを見守ってきた。巡礼者たちは出身地から願いをこめた石を持参し、この場所に置いていく。
ローマ時代から人々が祈りをこめて置いていった石が、高さ2メートルほどの土台になり、その上に建つこの柱には巡礼者たちが捧げていったロザリオ、貴石やリボン、時には写真までもが縛り付けられて残っている。
といった知識を残念ながらこの時の私は持っていなかったので、ただ「ふうん、皆それぞれ何かと胸に抱えながら歩いているのね〜」と今更ながらカミーノを歩く、ということが意味する重さを感じただけだったが、東日本大震災の被災者と両親に対する黙祷は捧げてきた。
このイラゴ峠は、時に車道と交わり、時に巡礼者用の石ころだらけの道に戻り、を繰り返しながらいくつもの小さな丘(私には山だった)を越えていく。ヒースのピンクはイギリスのワザリング・ハイツ(嵐が丘)を思い出させたし、エニシダの黄色は、地元長野県のツツジが咲き乱れる霧ケ峰や湯ノ丸高原を想起させた。
やがて山上の台地マンハリンに、噂のアルベルゲが見えてきた。
何故か入り口には日の丸の旗が掲げられていた。オーナーによると、3月11日に起きた大震災の被災者を応援したい気持ちからだという。こんなに離れたスペインの山奥にも、日本の惨状を憂いて心を砕く人がいる、という事実に目頭が熱くなった。
フォンセバドンで会った男性が言っていたほどひどいアルベルゲには見えなかったが、確かにトイレは宿泊する小屋(まさに小屋という感じだった!)から車道を渡ったかなり離れた場所にあり、夜中に使うのは億劫だと推測する。そしてもちろんドボン式なのできっと巡礼者の排泄物は、周囲に広がる牧場で肥料にでもなるのだろう。
この山のてっぺんで一人でこの掘立小屋のようなアルベルゲを切り盛りしているおじさん(まだ若く見えたが)の人生って一体どんなだろう、と考えてしまった。
テントの中のようなリビングでグロリアと二人、冷たいミルクをいただき、日の丸の礼を言って再び私たちは歩き出した。
テレビや電子レンジ、電話といった文明から遠ざかり、毎日巡礼者を迎えては送り出し(宿泊する巡礼者が毎日いるとは思えないが)大自然と共に生きる。
これも一つの完結した生き方なのだと、どこか羨ましく思う自分もいた。
「天使は先を急ぐ The angel hurries forward」
尖った石ころがゴロゴロする急な坂道を上り、周囲で最も高いと思われる地点(1,515メートル)を過ぎると、道は急激に下り始めた。砂利で滑りやすく、適度な間を空けて足元に集中しながら歩かなければならなかったので、二人とも言葉少なに山道を下った。
ほどなくして眼下に小さな集落が見えてくると、一日の疲れが一気に襲ってきた。
自分の直観に従いフォンセバドンで泊まらずに歩き続けたはいいが、20キロをすでに超えているし、しかも今日は山道を上ったり下りたりの繰り返し。すでに膝が笑い始めていた。
少し間違えると急な砂利道を何メートルも滑り落ちてしまいそうな急峻な坂を重いバックパックのバランスを取りながら慎重に下り、アセボの村に着いたところで私の体力は限界に達したようだった。
グロリアと一緒に泊まりたかったが、一日40キロ歩かなければならない旅程の彼女はもう少し先まで行くというので、そこで私たちは別れた。29歳の美しいグロリア、強い日差しの下タンクトップ姿で肩から腕を剥き出しにして元気に歩いていた若さ溢れるイラゴ峠の天使とサヨナラして、私はひとりアセボの宿に入った。
夕方5時、ベッドがあらかた埋まっている時間まで歩いたのは初めてかもしれない。
すでに西にかなり傾いた夕陽で洗濯物が乾くか心配だったが、夜9時には半分以上乾いていて、ベッドサイドに干して寝たら翌朝にはしっかり乾いていた。スペイン、それだけ乾燥しているんだなぁ。
2日前ワーストの宿で私の眠りを妨げた大音量の鼾を持つ中国人父子を同じ部屋に発見してしまったので、この夜こそは催眠剤デパスを飲んで耳栓をして眠りについた。
この日は余程疲れていたせいか、デパスもしっかりと効いてくれ、夜中に起きることはなかった。デパスに感謝〜
4月27日(巡礼27日目)Santa Catalina de Somoza サンタ・カタリナ・デ・スモサ 〜 Acebo アセボ (27.7km)
「フォンセバドンの犬 Dogs in Foncebadon」
それは、天国へと続く道だった。そして、私の前を天使が歩いていた。
「フォンセバドンの犬」が記憶に残るシャーリー・マクレーンの巡礼本がある。
大女優でありながら彼女はこの道を一人で歩き、前世の記憶を追体験したという。
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この本の中でフォンセバドンは廃村であり、獰猛な野犬のいる危険な場所としてクローズアップされていた。だから必死で山中の道を上りながら、今日のゴールをどこにしようか考えあぐねていた。
フォンセバドンに着いたのは2時。すでに約4時間半、17キロを歩いていた。
廃村といえども、シャーリー・マクレーンの本にあったほど寂れたイメージではなく、巡礼者を対象にしたバルやアルベルゲが数軒あり、他の小さな村とほとんど変わらないように見えた。
ラッキーだったのか、巡礼者が増えたおかげか、野犬に遭うこともなかった。
山中ずっと私の少し前を歩いていた背の高い若い女性がバルにいるのを見て、吸い寄せられるように私もそこへ立ち寄り、ハーフ・ボカディージョとカフェ・コン・レチェのランチにする。
暑い日だったので、タンクトップ一枚になってリュックを背負っていたアクティブな彼女にはずっと話しかけたかったのだが、山中の上り坂では息が上がって喋るのが難しく、スピードが速かったため、姿を見失わないように追いかけるだけで必死だったのだ。
外のテーブルで中年夫婦の巡礼者と話しながらランチを取っている彼女の隣りのテーブルに座ると、オラ!と巡礼者同士の挨拶をして自然と仲間に入れてもらえた。皆で情報交換をし合ったりするのだ。 右:シャーリー・マクレーンが野犬を恐れたフォンセバドンの村。 |
中年夫婦は早朝から歩いているので、今日はもうここで泊まるという。
彼女(名はグロリアといった)は、一日40キロ歩くのでまだ先へ行くという。
君は、と訊かれてガイドブックによるともう3キロ先にアルベルゲがあるようだから、そこまで行くつもりだ、と答えると、旦那さんの方が驚いてそこはやめた方がいいという。
マンハリンという、イラゴ峠の真ん中、山上台地にあるその宿はアルベルゲといっても、トイレが外だったり設備が悪くて、とても女性が泊まれるような宿ではないらしい。
"Trust me. Don’t stay that albergue."
と心底心配するように男性が言うので困ってしまった。マンハリンを過ぎると更に7キロほど先まで宿はない。つまりあと10ロ歩くか(しかも登り)、このフォンセバドンで泊まるか、という選択になるのだ。
時間的に2時といえば通常でもそろそろ宿に入る時間だ。男性にも強くここに泊まることを勧められるし、もう10キロも歩くのは少し厳しいと判断した私は、フォンセバドンでアルベルゲを探すことにした。
ところがフォンセバドンのアルベルゲにどこかなじめないものを感じて、私はなぜか再び歩き出してしまったのだ。歩きながら自分でも、もう10キロ歩こうなんてどうかしていると思ったが、歩き出してしまったからには仕方がない。覚悟を決めて黙々と山道を登っていった。
「湯ノ丸高原のようなイラゴ峠
Puerta Irago which looks like Yunomaru-kogen」
深い森の中だし、野犬がいないとも限らない。考えないようにしても、万が一野犬や熊に襲われたら…という考えが頭をよぎってしまう。そんな時はもういかに冷静に対処法を考えようと思ってもまともに考えることなどできないので、ついつい足早になる。
そうこうするうち、先ほど別れたグロリアの背中が木々の間にチラチラ見えてきた。森の中で他の巡礼者の姿を見つけたときほどホッとすることはない。そこからはやっと安心して自分のペースで歩けるようになった。
30メートルほど先を歩く彼女の姿を見失わないよう、かといって近付きすぎないよう適度な距離を保ちながら付いていく。
フォンセバドンを出てすぐ左手に折れた道は更に高所へと巡礼者を導いていく。
林が途切れ、頭上を覆う木々がなくなると、飛行機雲くらいしか見つけることのできない晴れ渡った青空の下、私はグロリアの背中を追いかけて両脇に低い灌木の連なる高原の道をひたすら登り続けた。
昨日泊まった小さな村がすでに900メートルの高所にあったので、さしてきつい登りではないのだが、緩やかながらも確実に道は登っている。灌木の緑とヒースのピンク、エニシダの黄色に覆われた小高い山のような丘がいくつも果てしなく連なるその風景に感動して、所々で写真を撮りながら歩いていたのだが、そのうちグロリアに追いついてしまった。
フォンセバドンに泊まらなかったのかと問う彼女に、空が青すぎて止まるのは勿体ないからもっと歩くことにしたと答えると、本当にそのとおりねと笑い、一緒に歩こうと提案してくれた。
「鉄の十字架と噂のアルベルゲ、マンハリン
Cruz de Ferro and rumored albergue Manjarin」
間もなく私たちは印象的な場所に着いた。5メートルほどの高さの木の柱のてっぺんに十字架が設置されたそのモニュメントは、鉄の十字架(Cruz de Ferro)と呼ばれ、その足元には数えきれないほどの小石が積まれ、小さな丘と化している。
ここは地元では古くから聖なる地として信仰の対象であり、昔からこの鉄の十字架はイラゴ峠を越えていく巡礼者たちを見守ってきた。巡礼者たちは出身地から願いをこめた石を持参し、この場所に置いていく。
ローマ時代から人々が祈りをこめて置いていった石が、高さ2メートルほどの土台になり、その上に建つこの柱には巡礼者たちが捧げていったロザリオ、貴石やリボン、時には写真までもが縛り付けられて残っている。
といった知識を残念ながらこの時の私は持っていなかったので、ただ「ふうん、皆それぞれ何かと胸に抱えながら歩いているのね〜」と今更ながらカミーノを歩く、ということが意味する重さを感じただけだったが、東日本大震災の被災者と両親に対する黙祷は捧げてきた。
このイラゴ峠は、時に車道と交わり、時に巡礼者用の石ころだらけの道に戻り、を繰り返しながらいくつもの小さな丘(私には山だった)を越えていく。ヒースのピンクはイギリスのワザリング・ハイツ(嵐が丘)を思い出させたし、エニシダの黄色は、地元長野県のツツジが咲き乱れる霧ケ峰や湯ノ丸高原を想起させた。
ワザリング・ハイツを一人で歩いた時も天国へ続く道を歩いているように感じたが、この日は私の隣りを天使グロリアが歩いていた。 時おり互いの人生についての短い会話を交わしながら、私達は満たされた気分で天国へ続くような道を歩いた。 |
やがて山上の台地マンハリンに、噂のアルベルゲが見えてきた。
何故か入り口には日の丸の旗が掲げられていた。オーナーによると、3月11日に起きた大震災の被災者を応援したい気持ちからだという。こんなに離れたスペインの山奥にも、日本の惨状を憂いて心を砕く人がいる、という事実に目頭が熱くなった。
フォンセバドンで会った男性が言っていたほどひどいアルベルゲには見えなかったが、確かにトイレは宿泊する小屋(まさに小屋という感じだった!)から車道を渡ったかなり離れた場所にあり、夜中に使うのは億劫だと推測する。そしてもちろんドボン式なのできっと巡礼者の排泄物は、周囲に広がる牧場で肥料にでもなるのだろう。
この山のてっぺんで一人でこの掘立小屋のようなアルベルゲを切り盛りしているおじさん(まだ若く見えたが)の人生って一体どんなだろう、と考えてしまった。
テントの中のようなリビングでグロリアと二人、冷たいミルクをいただき、日の丸の礼を言って再び私たちは歩き出した。
テレビや電子レンジ、電話といった文明から遠ざかり、毎日巡礼者を迎えては送り出し(宿泊する巡礼者が毎日いるとは思えないが)大自然と共に生きる。
これも一つの完結した生き方なのだと、どこか羨ましく思う自分もいた。
「天使は先を急ぐ The angel hurries forward」
尖った石ころがゴロゴロする急な坂道を上り、周囲で最も高いと思われる地点(1,515メートル)を過ぎると、道は急激に下り始めた。砂利で滑りやすく、適度な間を空けて足元に集中しながら歩かなければならなかったので、二人とも言葉少なに山道を下った。
ほどなくして眼下に小さな集落が見えてくると、一日の疲れが一気に襲ってきた。
自分の直観に従いフォンセバドンで泊まらずに歩き続けたはいいが、20キロをすでに超えているし、しかも今日は山道を上ったり下りたりの繰り返し。すでに膝が笑い始めていた。
少し間違えると急な砂利道を何メートルも滑り落ちてしまいそうな急峻な坂を重いバックパックのバランスを取りながら慎重に下り、アセボの村に着いたところで私の体力は限界に達したようだった。
グロリアと一緒に泊まりたかったが、一日40キロ歩かなければならない旅程の彼女はもう少し先まで行くというので、そこで私たちは別れた。29歳の美しいグロリア、強い日差しの下タンクトップ姿で肩から腕を剥き出しにして元気に歩いていた若さ溢れるイラゴ峠の天使とサヨナラして、私はひとりアセボの宿に入った。
夕方5時、ベッドがあらかた埋まっている時間まで歩いたのは初めてかもしれない。
すでに西にかなり傾いた夕陽で洗濯物が乾くか心配だったが、夜9時には半分以上乾いていて、ベッドサイドに干して寝たら翌朝にはしっかり乾いていた。スペイン、それだけ乾燥しているんだなぁ。
直観に従い、「I can do it!」と心で唱えながらグロリアと共に27キロも歩いたこの日は、自分へのご褒美のつもりでアルベルゲのレストランにて、ポルチーニ茸のクリームパスタとシードルという豪華な夕食。 右:アセボのアルベルゲ。この奥に驚くほど広い空間が拡がっている、意外と大きなアルベルゲだった。 |
2日前ワーストの宿で私の眠りを妨げた大音量の鼾を持つ中国人父子を同じ部屋に発見してしまったので、この夜こそは催眠剤デパスを飲んで耳栓をして眠りについた。
この日は余程疲れていたせいか、デパスもしっかりと効いてくれ、夜中に起きることはなかった。デパスに感謝〜
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