2018年12月14日
スペイン巡礼記㉓ 24〜26日目:第3ステージの始まりは吉凶相半ば?
Pilgrimage in Spain ㉓ Day25:Is the beginning of third stage the good or bad luck?【4.2011】
4月24日 (巡礼24日目)Leon レオン 〜 Villadangos del paramo ヴィラダンゴス・デル・パラモ (22km)
レオンを過ぎて、ついに自分で定めた第3ステージに突入。
パンプローナからレオンまでの471キロをすでに歩いたことになる。
サンティアゴ・デ・コンポステーラまで残りあと236.5キロ!
4月25日 (巡礼25日目)Villadangos del paramo ヴィラダンゴス・デル・パラモ 〜 Santibanez サンティバネス (16km)
「最悪の宿 The worst algergue」
この夜は最悪の宿に当たってしまい、午前と午後でツキが一転した。
巡礼の間は毎晩違う宿に泊まるので、40日もあれば当たり外れが出てくるのは当然なのだが、このサンティバネスの宿は、巡礼中1、2を争うワーストのアルベルゲだった。
昼間は、前の晩ヴィラダンゴス・デル・パラモ で泊ったアルベルゲで私にカンフーを教えてくれと言ってきた陽気なスペイン人夫婦の団体(日本人と中国人は誰でもカンフーができると信じているらしい)とランチで一緒になり、これぞ巡礼の醍醐味、というような楽しい時を過ごした。
仲良し夫婦8人組の中年男女がスペイン人の陽気さ全開で話しかけてきて、私のために席をあけてくれた上、スペイン名産のサングリアなるものを飲んでみろと勧め、ボカディージョまでご馳走してくれたのだ。
この日はアストルガまで行くという彼らは、一緒に行こうと私も誘ってくれたのだが、アストルガはそこから17キロも先。
すでに11キロ歩いていたので私には無理だと判断し、5キロ先のサンティバネスのアルベルゲに入った訳だが、オーナーは愛想が悪く、併設のバルは公民館のようなだだっ広い空間が広がっているだけでガラの悪い常連らしい男性客たちに一睨みされ、恐る恐る端の席に小さくなって軽食を取った。
そんな中、腕のむくみが気になる。特に右腕の肘下から手首、手の平とむくんで太くなっている。肩も痛んでシャワーがつらかった。それら身体の痛みもアストルガまでの強行を諦めさせた一因だったが、このたった数軒の石壁の家しかなく、人っ子一人いない通りにはひゅるると空っ風が吹き抜けていくような寂れた小さな集落は、まるでテキサスの砂漠の中にポツンとある無法者の街のようで、こんなに寂しい夜を明かしたのは初めてかもしれない。
夕べは同室のリー・キュンという中国からの留学生と二人でバルに夕飯を食べに行った。
セビリヤに留学中で自転車を使って巡礼しているというはにかみやのリー・キュンとの夜は、うざったくもなく寂しすぎもせず、なかなか楽しい一夜だった。
それだけに、男ばかりで話しかけてくれる人もいず、というよりも自分の存在自体誰の目にも見えていないのではないかというくらいの寂しさに「あったかいココアが飲みたいよー、寒いよー」と寝袋にくるまりながら、これもカミーノだと感じていた。どこかで吉と凶のバランスが量られているのかもしれない。
同室だったオランダ人の男性は、その鼾のものすごさに耐えきれず、隣室に避難し勝手に空いているベッドを使ってやっと眠れたと言っていた。
私も同じことを考えたのだが、勝手に移動していいものか考えあぐねていてできなかったのだ。ヘンなところで日本人独特の遠慮が出てしまう。損だなぁ、謙虚な日本人…。
4月26日(巡礼26日目)Santibanez サンティバネス 〜 Santa Catalina de Somoza サンタ・カタリナ・デ・スモサ (20.3km)
「初めて日本人女性に会う
Meet a Japanese woman for the first time」
今日初めて日本人女性に会った。サンティバネスを出て8キロ、休憩箇所のない区間が続く山の中で、後ろから追いついてきた彼女が声をかけてくれたのだ。
これが2回目の巡礼になるM子さんは、二週間の休暇を取ってバルセロナの友人に会いに来たので、レオンから歩き始め、10日程でサンティアゴまで行く予定とのこと。スペイン語も英語もペラペラの、カナダとスペインでの生活経験もある国際人で、とても快活な女性だ。
「どんな人になりたいか」と訊かれたら、M子さんのような「物怖じしない人」と私は答えるだろう。人と話すのが好きでなければ世界を股にかけて生きることは、苦痛ともいえる。
M子さんとは山を抜けるまで共に歩いたが、彼女はちゃっちゃと軽やかに歩くので、8キロ歩いてやっと休憩箇所にたどり着いた時点で私は止まって休憩し、彼女はそのまま先へ進んで行った。
チョコレートの街、と表されるほどショコラテリアの多いアストルガでカフェに入った。
もちろんお目当てはホット・チョコレート。久々にケーキなどを贅沢にも食べてしまう。アストルガにはガウディが設計した司教館もあり、一泊したいオシャレな街だった。
ガウディ設計の司教館。チョコレートとガウディ好きにはたまらない街、アストルガ。
昨日の最悪の宿による落ち込みがかなり痛手だったのか、今日は20.3キロで止まってしまった。ランチのために入ったバル併設のアルベルゲのオーナーがとても感じの良いイケメンだったのと、昨日の教訓があるのでもう一区間歩いて最悪の宿だったらイヤだなぁ、と思ったことに加え、足が肉離れを起こしそうだったから。
M子さんは、宿に早く着くのが好きではないので、休憩をたくさん取りながら長距離歩くそうだ。私もそうできればいいのだが、根性がないなぁ…。などと思いながら、シャワーのあとバルのオープンエアでコーヒーを飲みながら時間をつぶしていると、なんとM子さんが坂道を登って来るではないか。先に行ったと思っていた彼女はアストルガのカフェで長い休憩を取ったり、街の散策に時間をかけていたのだそうだ。
リュックを背負ったまま、巡礼途中の街々でもちょっとした観光のできる余裕のある人が羨ましい…。
初めて会った巡礼経験豊富な日本人女性なのでいろいろと教えてもらいたいこともあり、ここで会えてラッキー、とばかりにメルアドの交換をして、彼女は更に先へと歩いていった。
4月24日 (巡礼24日目)Leon レオン 〜 Villadangos del paramo ヴィラダンゴス・デル・パラモ (22km)
レオンを過ぎて、ついに自分で定めた第3ステージに突入。
パンプローナからレオンまでの471キロをすでに歩いたことになる。
サンティアゴ・デ・コンポステーラまで残りあと236.5キロ!
4月25日 (巡礼25日目)Villadangos del paramo ヴィラダンゴス・デル・パラモ 〜 Santibanez サンティバネス (16km)
「最悪の宿 The worst algergue」
この夜は最悪の宿に当たってしまい、午前と午後でツキが一転した。
巡礼の間は毎晩違う宿に泊まるので、40日もあれば当たり外れが出てくるのは当然なのだが、このサンティバネスの宿は、巡礼中1、2を争うワーストのアルベルゲだった。
昼間は、前の晩ヴィラダンゴス・デル・パラモ で泊ったアルベルゲで私にカンフーを教えてくれと言ってきた陽気なスペイン人夫婦の団体(日本人と中国人は誰でもカンフーができると信じているらしい)とランチで一緒になり、これぞ巡礼の醍醐味、というような楽しい時を過ごした。
仲良し夫婦8人組の中年男女がスペイン人の陽気さ全開で話しかけてきて、私のために席をあけてくれた上、スペイン名産のサングリアなるものを飲んでみろと勧め、ボカディージョまでご馳走してくれたのだ。
英語がかろうじてわかる一人の女性を通訳にして、次々と日本や私自身について訊いてくる。 日本でどんな仕事をしていたのか、秘書?うーん、セクシー!(何がセクシーなんだ?) 38歳、嘘でしょ 俺の愛人になってくれー!…など次から次へと笑わせてもらった。 右:ヴィラダンゴスのアルベルゲはなかなか良かった |
この日はアストルガまで行くという彼らは、一緒に行こうと私も誘ってくれたのだが、アストルガはそこから17キロも先。
すでに11キロ歩いていたので私には無理だと判断し、5キロ先のサンティバネスのアルベルゲに入った訳だが、オーナーは愛想が悪く、併設のバルは公民館のようなだだっ広い空間が広がっているだけでガラの悪い常連らしい男性客たちに一睨みされ、恐る恐る端の席に小さくなって軽食を取った。
シャワーは外で草叢の中の掘立小屋のような粗末さで虫がうようよいるし、寒いし、部屋に戻っても暗いし、知り合いも誰もいないうえ、客は男性ばかり。3時頃軽食を取ったので夕食は頼まず、暗い部屋で一人ベッドに丸くなっているしかなかった。 |
そんな中、腕のむくみが気になる。特に右腕の肘下から手首、手の平とむくんで太くなっている。肩も痛んでシャワーがつらかった。それら身体の痛みもアストルガまでの強行を諦めさせた一因だったが、このたった数軒の石壁の家しかなく、人っ子一人いない通りにはひゅるると空っ風が吹き抜けていくような寂れた小さな集落は、まるでテキサスの砂漠の中にポツンとある無法者の街のようで、こんなに寂しい夜を明かしたのは初めてかもしれない。
夕べは同室のリー・キュンという中国からの留学生と二人でバルに夕飯を食べに行った。
セビリヤに留学中で自転車を使って巡礼しているというはにかみやのリー・キュンとの夜は、うざったくもなく寂しすぎもせず、なかなか楽しい一夜だった。
それだけに、男ばかりで話しかけてくれる人もいず、というよりも自分の存在自体誰の目にも見えていないのではないかというくらいの寂しさに「あったかいココアが飲みたいよー、寒いよー」と寝袋にくるまりながら、これもカミーノだと感じていた。どこかで吉と凶のバランスが量られているのかもしれない。
これは巡礼なのだ。楽しいばかりであるはずがない。 おまけに夜は同室の中国人男性親子(コリアンかも)二人共のいびきがものすごく大音量(まさしくぐおーっという感じの鼾が十秒くらい続く)で眠れず、全てが最悪の夜だった。 右:最悪の宿に当たったショックもこんな愛らしい風景に癒されたりする |
同室だったオランダ人の男性は、その鼾のものすごさに耐えきれず、隣室に避難し勝手に空いているベッドを使ってやっと眠れたと言っていた。
私も同じことを考えたのだが、勝手に移動していいものか考えあぐねていてできなかったのだ。ヘンなところで日本人独特の遠慮が出てしまう。損だなぁ、謙虚な日本人…。
4月26日(巡礼26日目)Santibanez サンティバネス 〜 Santa Catalina de Somoza サンタ・カタリナ・デ・スモサ (20.3km)
「初めて日本人女性に会う
Meet a Japanese woman for the first time」
今日初めて日本人女性に会った。サンティバネスを出て8キロ、休憩箇所のない区間が続く山の中で、後ろから追いついてきた彼女が声をかけてくれたのだ。
これが2回目の巡礼になるM子さんは、二週間の休暇を取ってバルセロナの友人に会いに来たので、レオンから歩き始め、10日程でサンティアゴまで行く予定とのこと。スペイン語も英語もペラペラの、カナダとスペインでの生活経験もある国際人で、とても快活な女性だ。
「どんな人になりたいか」と訊かれたら、M子さんのような「物怖じしない人」と私は答えるだろう。人と話すのが好きでなければ世界を股にかけて生きることは、苦痛ともいえる。
M子さんとは山を抜けるまで共に歩いたが、彼女はちゃっちゃと軽やかに歩くので、8キロ歩いてやっと休憩箇所にたどり着いた時点で私は止まって休憩し、彼女はそのまま先へ進んで行った。
チョコレートの街、と表されるほどショコラテリアの多いアストルガでカフェに入った。
もちろんお目当てはホット・チョコレート。久々にケーキなどを贅沢にも食べてしまう。アストルガにはガウディが設計した司教館もあり、一泊したいオシャレな街だった。
ガウディ設計の司教館。チョコレートとガウディ好きにはたまらない街、アストルガ。
昨日の最悪の宿による落ち込みがかなり痛手だったのか、今日は20.3キロで止まってしまった。ランチのために入ったバル併設のアルベルゲのオーナーがとても感じの良いイケメンだったのと、昨日の教訓があるのでもう一区間歩いて最悪の宿だったらイヤだなぁ、と思ったことに加え、足が肉離れを起こしそうだったから。
M子さんは、宿に早く着くのが好きではないので、休憩をたくさん取りながら長距離歩くそうだ。私もそうできればいいのだが、根性がないなぁ…。などと思いながら、シャワーのあとバルのオープンエアでコーヒーを飲みながら時間をつぶしていると、なんとM子さんが坂道を登って来るではないか。先に行ったと思っていた彼女はアストルガのカフェで長い休憩を取ったり、街の散策に時間をかけていたのだそうだ。
リュックを背負ったまま、巡礼途中の街々でもちょっとした観光のできる余裕のある人が羨ましい…。
初めて会った巡礼経験豊富な日本人女性なのでいろいろと教えてもらいたいこともあり、ここで会えてラッキー、とばかりにメルアドの交換をして、彼女は更に先へと歩いていった。
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