2024年03月28日
米国からキューバへ非正規移民61人が送還 今年の合計340人
Cubadebate、2024年3月28日、キューバ内務省
米国からの航空便がきょう木曜日(3月28日)、61人(男性52人、女性7人、未成年2人)をキューバに送還した。
7人は海路で不法出国し、残りの人たちは合法に出国後、非正規ルートに加わり、米国国境を目指した。
送還されたうちの1人は、人身売買の罪で服役していた刑務所を脱走していたため、逮捕された。
今年は、地域のさまざまな国からの送還作業が26回おこなわれ、計340人がキューバに戻されている。
キューバTV(2024年3月28日)
Devuelve EEUU a 61 inmigrantes irregulares por vía aérea
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/03/28/devuelve-eeuu-a-61-inmigrantes-irregulares-por-via-aerea/
コロンビア文化相 シルビオ・ロドリゲスにコンサート開催を依頼
シルビオ・ロドリゲス
Radio Habana Cuba、2024年3月28日、Prensa Latina
キューバ人歌手シルビオ・ロドリゲスの画像や、彼の歌の歌詞、彼のもっとも象徴的なコンサートのシーンなどが、コロンビア人のSNSで拡散されている。
コロンビアのフアン・ダビド・コレア文化芸術知識相がシルビオに対し、またコロンビアに来てコンサートをするよう依頼した手紙が公開されたあと、シルビオの名前はXのトレンドにさえあがった。
「コロンビア人の多くがあなたのような歌手の歌とともに育った。あなたのこれまでの我が国への訪問はこのことを証明してきた。きょう私は個人として、市民として、そして組織の人間として、大統領に代わって、あなたにお願いがある、もう一度わが国にきて、コンサートであなたの声を聞かせてくれないだろうか.、あなたが適切と考える場所でわれわれは準備できる..」、と3月1日付の書簡は述べている。
コレア文化相は、コロンビアがグスタボ・ペトロ大統領が牽引する史上前例のない変革の中にあり、これらの提案は包括的で民主的なものである、と述べた。
「いまシルビオを尊敬する大臣としての私の課題の一つは、われらの原体験を象徴し、そのシンボルを通して恐れや制裁を打ち破り、復讐の思想を乗り越えられる社会の希望を抱くことは可能だとわれわれに考えさせられる、そういう集団的空間を提供することである」、と大臣は論じた。
大臣はシルビオに対して、シルビオが好むコロンビア地域でのコンサートを提供する可能性を申し入れたが、同国首都はふたたびシルビオの声が聴けることに幸せを感じ「われわれを希望で満たすことだろう」、とも述べた。
この書簡が公開されたあと、多くのインターネットユーザーがXにおいてこの招待に賛同した。
シルビオ・ロドリゲス コロンビアでのライブ音源(2010年7月10日、メデジン)
Celebran invitación a músico cubano Silvio Rodríguez a realizar concierto en Colombia
https://www.radiohc.cu/noticias/cultura/350828-celebran-invitacion-a-musico-cubano-silvio-rodriguez-a-realizar-concierto-en-colombia
キューバのグアンタナモで交通事故 4人が負傷 バスとトラックが衝突
事故はグアンタナモの高架道ラ・ファローラで起きた
Cubadebate、2024年3月28日
水曜日(3月27日)高架道ラ・ファローラのアルト・デ・コティージャ付近での旅客バスとトラックによる交通事故で、4人が負傷した。
キューバTVの特派員ミゲル・レジェス・メンドーサによると、東部グアンタナモ県において、バラコアとサンティアゴ・デ・クーバ間を運行するバスにトラックが衝突した。
レジェスが自身のフェイスブックアカウントで提供した情報時点で、乗客たちはバスの窓から引き出されており、同県イミアス市へ搬送された。
すぐに、赤十字の緊急医療サービスが稼働した。現在まで重体の患者も、死者も、報告されていない。
バスに乗っていた残りの乗客たちはイミアス市へ搬送された。
(ミゲル・レジェス・メンドーサのフェイスブック投稿の情報による)
Accidente de tránsito en viaducto La Farola dejó cuatro lesionados
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/03/28/accidente-de-transito-en-el-viaducto-la-farola-dejo-cuatro-lesionados/
キューバ 食料品・衛生用品・医薬品の手荷物での非商用持ち込みおよび関税支払い免除の延長を決定 6月30日まで
Radio Habana Cuba、2024年3月28日、Prensa Latina
キューバは、食料品・衛生用品・医薬品の手荷物での非商用持ち込みおよび関税支払い免除の延長を決定した。
官報に掲載されたこの措置は、6月30日まで例外的に認可され、金額価値の制限はない。
乗客の預け荷物に関しては、キューバ税関が定めた価値・重量に基づき500米ドルあるいは相当重量50kgを限度に、非商用目的の食料品・衛生用品・医薬品および医療品の持ち込みの同日までの延長が決定された。
また、自然人が発送荷物によっておこなう非商用目的の持ち込みに関する関税制限は、200米ドルから500米ドルまでの増加が維持されている。
この場合、はじめの30米ドルあるいは相当重量の3kgまでは関税支払いの免除が続けられ、超過分について30%の関税料金のみが適用されることになる。
今回の発表によると、この期限の延長は、航空便や船便および郵便により自然人が持ち込む食料品・衛生用品・医薬品および医療品の、200米ドルあるいは相当重量20kgまでの非商用目的の持ち込みおよび関税支払い免除を含んでいる。
この利益給付は、乗客の荷物の中にある、食料品または衛生用品として分類された商品や、医薬品および医療品として特定される商品は、他の製品とは分離した包みで税関に提示されるという条件で適用される、と発表は明記している。
キューバTV(2024年3月28日)
Cuba prorroga importaciones sin carácter comercial
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/350769-cuba-prorroga-importaciones-sin-caracter-comercial
2024年03月26日
キューバ グランマ県で列車が脱線 被害なし
Cubadebate、2024年3月26日
3月26日火曜日の13時25分ごろ、グランマ県のマンサニージャとバヤモ間を運航する旅客列車の出発時、車両2両の脱線事故が発生したが、乗客や乗員、設備に被害はなかった。
現地の車両と線路をこまかく調整後に、運航は復旧した。
この事故を引き起こした原因を調査するため、多分野にわたる委員会が設置された。
キューバ鉄道連合は、ご迷惑をおかけしたことをお詫びする。
(キューバ鉄道連合の情報による)
Tren de pasajeros se descarrila sin daños para los pasajeros
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/03/26/tren-de-pasajeros-se-descarrila-sin-danos-para-los-pasajeros/
ベネズエラ ウゴ・チャベスのジャレ刑務所出獄から30年 ボリバリアーナ革命のはじまり
ウゴ・チャベス
Radio Habana Cuba、2024年3月26日、Prensa Latina
ベネズエラのニコラス・マドゥーロ大統領は、ウゴ・チャベス司令官(1954-2013)が同志たちとともに2年間拘禁されていたジャレ刑務所出獄から30年を思い起こした。
「わたしは国民とともにカタコンベへ行く」、と明快に、断固として、30年前、われらのチャベス司令官はジャレの壁を後にした、と大統領はXアカウントに投稿した。
マドゥーロ大統領は、ボリバリアーナ革命の指導者チャベスはこうして、国民を主人公にした国の「新たな歴史的過程」のリーダーシップを握った、と指摘した。
メッセージを伴う動画のなかで、チャベスは、1994年3月26日、ベネズエラ国民がわれわれを刑務所から連れ出した、刑務所は「わたしにとって形成の、成熟の、熟考の学び舎」だった、と述べた。
刑務所を脱出することに絶望はしていなかったが、闘争が街頭でおこなわれていることを理解しており、「わたしはあなたたちとともに決起すべき闘争に向かった、なぜなら一人では何もなしえないからだ」、とチャベスは語った。
「永遠の司令官」チャベスは、ジャレ山脈を下りた私は「わが良心を実現するためにいかなる恐れもなくやってきた」、と述べた。
チャベスは回想した。数名の記者との記者会見が予定されており、そのうちの1人の記者が私にこう質問した、「司令官、どこにあなたはこれから向かいますか」、私はこう言った、「まずはじめに国民とともにカタコンベに行こう、これが私の道だ」と。ボリバリアーナ革命運動200は「街頭にいき、突撃し、ベネズエラで政治権力を握る」、とチャベスは強調した。
われわれはベネズエラでの新たなモデルを作り上げよう、われわれはカタコンベから解放された、いまや「われわれベネズエラ国民は領土の所有者であり主人」であり、あらたな人民権力を作り上げている、とチャベスは回想した。
チャベス司令官は、国民から愛されていると感じると述べ、キューバ人の英雄ホセ・マルティのフレーズ「愛は愛で報われる」を引用した。
「ボリバリアーナ革命万歳!社会主義万歳、ベネズエラの自由な祖国万歳!勝利まで永遠に!」、とチャベスは強調した。
1992年2月4日の叛乱に参加したことにより2年間の幽閉後、1994年3月26日、チャベスとその闘争の同志グループは、ジャレ刑務所を出獄し、のちに国民のカタコンベに行き、そのあと政府本部のミラフローレス宮殿に行く、という予言を成し遂げた。
*訳注:カタコンベ(catacumbas)とは一般に地下墓地のことだが、チャベスは、国民が虐げられているそれぞれの場所、としてこの言葉を使用している。
Hugo Chávez Frías. Entrevista de José Vicente Rangel tras su salida de Yare. 26 de marzo de 1994
Hugo Chávez en 1994 sale de prisión y visita el Panteón Nacional
19 años de la salida de Hugo Chávez de la cárcel de Yare(2013年の動画)
Presidente de Venezuela evoca 30 años de salida de Hugo Chávez de cárcel de Yare
https://www.radiohc.cu/noticias/internacionales/350638-presidente-de-venezuela-evoca-30-anos-de-salida-de-hugo-chavez-de-carcel-de-yare
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オバマがキューバと米国との扉を開いた。なぜバイデンはこれをまた閉じるのか?
Cubadebate、2024年3月26日、The Guardian
1960年4月6日、米国の外交官レスター・D・マロリーは覚書を書き、そのなかで、「キューバへの資金と物資供給を絶ち、名目賃金と実質賃金を減らし、飢餓と絶望と政府転覆を引き起こす」禁輸措置を擁護した。64年後、キューバ人が「封鎖」と呼ぶこの政策はまだ続けられている。キューバ革命を転覆するというその目的は達せられていないが、絶望と正当な怒りの歳月を生み出してきた。
バラク・オバマは自身二期目にこのことを再認識した。2016年のハバナへの歴史的訪問のあいだオバマは、「アメリカ大陸での冷戦の最後の痕跡を葬り去り、キューバ国民に友好の手を差し伸べるためにやってきた」、と述べた。そのときまで、彼の政権はその方向での明白な措置を講じてきていた。
渡航と送金に関する米国人への規制を緩和し、ハバナとワシントンにそれぞれの大使館を再開した。決定的なことに、キューバはテロ支援国家リストからも除外され、世界金融システムの中心である米国の銀行との取引が可能になった。歴史上もっとも古い制裁の制度は完全には取り壊されなかったが、その進展はすばらしいもので、キューバの労働者はほとんど即時に恩恵に浴した。
ドナルド・トランプの驚くべき当選がすべてを変えた。マルコ・ルビオらのキューバ系米国人政治家たちやマイアミの圧力団体による影響を受けたトランプは、渡航規制を復活させ、キューバ経済の大部分をカバーしている国営企業との取引を禁止した。
しかしトランプのもっとも挑発的な行動は、2021年1月に任期を終える数日前に、キューバをテロ支援国家リストに戻したことであった。これは、両国がテロリズムとの戦いで幅広く協力しており、FARCのようなラテンアメリカのゲリラ集団に武装闘争をやめるよう促すキューバの努力も実を結んでいるにもかかわらず、である。
選挙運動において、ジョー・バイデンはオバマのアプローチに戻ることを約束したが、ほとんど変更はなかった。結果として、キューバは米国以外を含む商業や金融の重要な源から孤立したままである。これらの困難な状況が、サンティアゴでの食糧不足や停電に対する最近の抗議活動や、2021年7月のキューバ全土での一層広範なデモをうみだした。
米国のタカ派は、数十年間で最も弱い立場にある国家を見て、キューバ国民にさらなる圧力をかけることが共産党政権の終わりを導くと信じている。現実には、禁輸措置は改革への有望な努力を遅らせ、経済状況の責任を信用できる形で外国勢力に負わせることを政府に可能にしただけである。
キューバに対する行動は、マロリーの覚書より前、1959年のフルヘンシオ・バティスタ独裁に対するフィデル・カストロの革命軍勝利後すぐに始まった。古くからの米国によるキューバのテロ支援国家としての指定を考慮すれば皮肉なことだが、ワシントンに支援された行動は、小さな産業サボタージュ行為から、市民に対する攻撃や1961年の大規模な侵略まで及んだ。
この圧力にもかかわらず、カストロ政権は重要な対策を実行した。識字運動の対象は70万人以上に及び、その大半は放置された農村地域の人びとであった。これらのキューバ国民は、幅広い農村改革と、農村の電化と、全国における無償で高い質の医療と教育の確立の恩恵も受けた。唯一の党による国家ができあがったが、幅広い支持と、これらの努力への参加があった。
海外におけるキューバ人医師と技術者の働きは、世界中の発展途上国で称賛を浴び続けている。2010年のハイチ大地震や、2014年の西アフリカでのエボラ出血熱の発生後をも含み、革命以降、100か国以上に医療援助隊が派遣されている。ここ20年間では、発展途上国の視覚に障害を持つ患者300万人を治療したというさらなる努力もおこなっている。
キューバ軍隊の役割もアパルトヘイトの敗北において決定的であった。多くの死者と負傷者を犠牲にして、キューバとその同盟国アンゴラは、南アフリカ軍を退却させた。これはネルソン・マンデラに言わせると、「白人抑圧者の無敗神話を打ち破り、戦う南アフリカ国民にインスピレーションを与えた」。
しかし、これらの努力を支援していた経済は不安定な基盤の上に成り立っていた。米国のよる禁輸措置の効果を無効にするために、キューバはソビエト連邦陣営の支援に頼り始めた。コメコン諸国は石油、食料や補助金付きの機械部品を提供した。砂糖やニッケル、その他の輸出品を通常の市場よりも高く買い取る市場も提供した。1989年には、ソビエト連邦からだけで1300万トンの燃料が輸入され、キューバには食糧輸入の63%と、輸入機械の80%が供給された。また、砂糖、柑橘類、ニッケルなどキューバの輸出品の大部分はソ連に売られた。
東側陣営の支援はキューバの国営経済の脆弱性をある程度隠すことに成功したが、禁輸措置自体が、ワシントンが直接ソ連のミハイル・ゴルバチョフ首相になくすよう圧力をかけた補助金への独占的依存を決定づけた。ヨーロッパの国家社会主義の崩壊後、キューバの経済状況は緊迫した状態から破滅的な状態になった。
1990年代初頭に大衆の不満が高まり、カストロは「平和時の特別期間」を宣言した。投資プロジェクトは休止され、電力消費が極端に減らされ、食品や衣服の配給も削減された。主な工場は輸入原料の不足により閉鎖を余儀なくされた。化学肥料やトラクター用の交換部品の不足により農業分野は底割れした。キューバのGDPは1990年代初頭だけでおよそ40%下落した。
ワシントンにおいてこの危機は冷戦最後の勝利をあげる機会として見られた。右派の「ヘリテージ財団」はカストロを「時代錯誤のみならず危険な人物」とみなし、禁輸措置を強化し、最終的には「キューバ共産党政権を不安定化させる結果」を生み出すよう圧力をかけた。クリントン政権はいっせいにこのシナリオに従った。経済禁輸措置の強化を主導したのは、1996年のヘルムズ・バートン法であり、これは禁止取引の範囲を拡大し、海外企業を含む違反者への制裁を増やした。
米国のイデオローグたちにとって、所有権の問題はつねに第一の課題であった。ヘルムズ・バートン法はその昔に自分たちの資産をキューバ革命によって再分配させられた米国市民が、その長期にわたる収容資産を「密売した」個人および企業を訴えることを可能にした。議会では民主党議員による一定の反対があったにもかかわらず、ビル・クリントンは「市場経済の発展を奨励する」手段としてこの法令を称賛した。
しかしながら、キューバは特別期間のあいだも適応し、生き延びた。外国資本に扉を開き、外貨獲得の財源として観光業を促進し、経済の一部を分散させた。キューバはまた、地域での相次ぐ左派政権の当選によって、新たな同盟国を得た。とりわけベネズエラは、キューバの医療・教育援助と引き換えに、きわめて重要な石油や財政援助を提供した。
改革の努力は2008年にラウル・カストロが兄から引き継いだあと、伝統的な国家経済に国際投資および民間起業を結びつけた三位一体の成長モデルによって加速した。経済的実績は、特に農業やエネルギー分野ではまちまちの評価ではあったが、必要な変革や新たな実験に関するいっそう開かれた議論は、政府が正しい道のりを進んでいることを示した。オバマによる束の間の開放主義は、これらの積極的傾向を後押しした。
この前任者に対するトランプの方針変更は、キューバ国民にとってこれ以上ない最悪のときに到来した。キューバ経済は、すでに新型コロナのパンデミックによる健康への影響とその結果の国際観光業における影響にすでに苦しんでいたが、2020年に急激に冷え込んだ。燃料および食糧の価格高騰は、この国が近隣の超大国と免除品でさえ事実上取引できないことによって悪化した。そのうえ、米国内に本部を持たない銀行でさえ、国営企業の国際取引先への支払いを手続きすることを恐れており、開発努力への資金提供はなおさらだった。長いあいだ緊縮財政から隔離されてきたが、キューバの賞賛すべき保健・教育プログラムもこの環境で苦しめられるだろうことは明らかであった。
キューバ国民は物質的必需品を奪われてはいたが、ワシントンは「体制変換」の野望にさらに近づくことはなかった。選挙運動でバイデンはトランプの「キューバへの失政」の理由について語り、オバマのアプローチに戻る意志を述べた。しかしながら任期中に流れを変えるためにやったことはほとんどない。
禁輸措置はキューバのミゲル・ディアスカネル大統領による最近の改革努力の障害となっているだけでなく、この国の発展を65年にわたって汚してきた。ある計算によると、合計1400億米ドルを超えるコストがかかっており、これはあらゆるケースでキューバ革命の歴史の半分も続かなかったソビエト連邦によるキューバへの支援額をはるかに超えるものである。
単純に、米国はキューバ国民に対して、数世紀におよぶ経済戦争の借りがある。最低限、バイデン大統領は選挙公約を守り、テロ支援国家リストからキューバをすぐに除外すべきである。もし米国が長年流血の武力衝突を展開した相手である唯一の党による国家ベトナムと完全な関係を築けるのであれば、キューバとの冷戦を終わらせられない理由はない。
われわれのメッセージは簡単なことである。キューバの将来は何ら強制なくキューバ人に決めさせること。ちっぽけなタカ派グループの反対を乗り越え、一般の米国人とキューバ人の利益に反する政策を終わらせるときである。
*筆者バースカー・サンカーラ(Bhaskar Sunkara)はザ・ネイション社長、ジャコビン誌創刊編集長、「社会主義宣言:極端な不平等の時代における急進的政治の事例」の著者。
Obama abrió una puerta entre Cuba y Estados Unidos. ¿Por qué Biden la vuelve a cerrar?
http://www.cubadebate.cu/especiales/2024/03/26/obama-abrio-una-puerta-entre-cuba-y-estados-unidos-por-que-biden-lo-vuelve-a-cerrar/
2024年03月25日
キューバ外相 奴隷制度の犠牲者を追悼 奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国連デー
Radio Habana Cuba、2024年3月25日、Prensa Latina
キューバのブルーノ・ロドリゲス外相はきょう月曜日(3月25日)、「奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国連デー」を記念して、奴隷制度の犠牲者を追悼した。
ロドリゲス外相は自身のXアカウントを通じて、カリブ諸国がかつての宗主国に対して提示した、その人間性に対する罪による補償と賠償の正当な要求への、キューバの支持を表明した。
ロドリゲス外相は、残酷で非人間的な人身売買の結果として、キューバには130万人近くのアフリカ人が連れてこられた、と回想した。
国際連合によると、この記念日は、数百万人の人びとを侮辱し、彼らのあらゆる権利を侵犯した残虐なシステムによって被害を受け亡くなった人びとに敬意を表し、記憶する機会を提供するものである。
また、現在における人種差別や偏見の危険性について認識を呼び起こす目的もある。
400年以上ものあいだ、1500万人を超える男性、女性、子どもたちが、人類の歴史上もっとも暗黒な時代のひとつを生きた。
キューバTV(2024年3月25日)
Ministro cubano de Relaciones Exteriores rinde tributo a víctimas de la esclavitud
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/350546-ministro-cubano-de-relaciones-exteriores-rinde-tributo-a-victimas-de-la-esclavitud
キューバ 学生運動指導者フリオ・アントニオ・メジャ生誕121年
フリオ・アントニオ・メジャ
Radio Habana Cuba、2024年3月25日、Prensa Latina
キューバはきょう(3月25日)、20世紀前半の革命過程における象徴的人物のひとりで、生誕121年を迎える学生指導者フリオ・アントニオ・メジャの遺産を想起している。
ハバナに生まれたメジャは、短い生涯のなかで、政治的活動を展開し、国際的指導者となった。
1923年に第一回全国学生大会を組織・指導し、労働者に政治的・学問的教育をおこなうことを目的としたホセ・マルティ人民大学を開設した。
1922年12月20日に創設された大学学生連盟は、国防のための彼のもうひとつの空間であり、そこから大学改革のための学生団体を組織することに貢献する一方、労働者運動とも力をあわせヘラルド・マチャド独裁(1925-1933)と戦った。
思想の先鋭化と共産主義思想との合致により彼は、1925年8月16日にキューバ初の共産党を創設したグループに加わり、死ぬまでその一員であった。
その行動と叛乱により、大学を追放され、当局によって逮捕され(刑務所ではハンガーストライキを宣言)、亡命を余儀なくされ、そこから国際運動に結びついた。
1929年1月10日にメキシコシティで銃弾2発を浴びたあとに残した最後の言葉は、当時のキューバ新植民地独裁者ヘラルド・マチャドに言及した「マチャドが私の殺害を命じた。革命のために私は死ぬ」であった。
革命の歴史的指導者フィデル・カストロは、メジャを「短い生涯でもっとも多くのことを為したキューバ人」と形容した。
キューバTV(2024年3月25日昼のニュース)
キューバTV(2024年3月25日夜のニュース)
Evocan en Cuba ideas de líder estudiantil Julio Antonio Mella
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/350485-evocan-en-cuba-ideas-de-lider-estudiantil-julio-antonio-mella
2024年03月24日
ハバナ旧市街で共同住宅が一部崩壊 住民は無事救助される
Cubadebate、2024年3月24日
ハバナ旧市街サン・イシドロ地区のハバナとダマス間のサン・イシドロ通りにある共同住宅で、薄い屋根の倒壊が二階部分の崩壊を引き起こし、救助救命司令部隊が活動した。
連絡がとれなくなっていた3人が救出部隊に救助された。死者や負傷者、閉じ込められた人はいない。
事故現場には同地の党および政府の主要当局者たちがかけつけ、被害者の確保と解決に取り組んでいる。
(Facebookの Ransel Londres記者の情報による)
ACN(2024年3月24日)
Colapso parcial de edificio en Habana Vieja sin lesionados ni atrapados
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/03/24/colapso-parcial-de-edificio-en-habana-vieja-sin-lesionados-ni-atrapados/