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2024年03月26日

オバマがキューバと米国との扉を開いた。なぜバイデンはこれをまた閉じるのか?

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Cubadebate、2024年3月26日、The Guardian

1960年4月6日、米国の外交官レスター・D・マロリーは覚書を書き、そのなかで、「キューバへの資金と物資供給を絶ち、名目賃金と実質賃金を減らし、飢餓と絶望と政府転覆を引き起こす」禁輸措置を擁護した。64年後、キューバ人が「封鎖」と呼ぶこの政策はまだ続けられている。キューバ革命を転覆するというその目的は達せられていないが、絶望と正当な怒りの歳月を生み出してきた。

バラク・オバマは自身二期目にこのことを再認識した。2016年のハバナへの歴史的訪問のあいだオバマは、「アメリカ大陸での冷戦の最後の痕跡を葬り去り、キューバ国民に友好の手を差し伸べるためにやってきた」、と述べた。そのときまで、彼の政権はその方向での明白な措置を講じてきていた。

渡航と送金に関する米国人への規制を緩和し、ハバナとワシントンにそれぞれの大使館を再開した。決定的なことに、キューバはテロ支援国家リストからも除外され、世界金融システムの中心である米国の銀行との取引が可能になった。歴史上もっとも古い制裁の制度は完全には取り壊されなかったが、その進展はすばらしいもので、キューバの労働者はほとんど即時に恩恵に浴した。

ドナルド・トランプの驚くべき当選がすべてを変えた。マルコ・ルビオらのキューバ系米国人政治家たちやマイアミの圧力団体による影響を受けたトランプは、渡航規制を復活させ、キューバ経済の大部分をカバーしている国営企業との取引を禁止した。

しかしトランプのもっとも挑発的な行動は、2021年1月に任期を終える数日前に、キューバをテロ支援国家リストに戻したことであった。これは、両国がテロリズムとの戦いで幅広く協力しており、FARCのようなラテンアメリカのゲリラ集団に武装闘争をやめるよう促すキューバの努力も実を結んでいるにもかかわらず、である。

選挙運動において、ジョー・バイデンはオバマのアプローチに戻ることを約束したが、ほとんど変更はなかった。結果として、キューバは米国以外を含む商業や金融の重要な源から孤立したままである。これらの困難な状況が、サンティアゴでの食糧不足や停電に対する最近の抗議活動や、2021年7月のキューバ全土での一層広範なデモをうみだした。

米国のタカ派は、数十年間で最も弱い立場にある国家を見て、キューバ国民にさらなる圧力をかけることが共産党政権の終わりを導くと信じている。現実には、禁輸措置は改革への有望な努力を遅らせ、経済状況の責任を信用できる形で外国勢力に負わせることを政府に可能にしただけである。

キューバに対する行動は、マロリーの覚書より前、1959年のフルヘンシオ・バティスタ独裁に対するフィデル・カストロの革命軍勝利後すぐに始まった。古くからの米国によるキューバのテロ支援国家としての指定を考慮すれば皮肉なことだが、ワシントンに支援された行動は、小さな産業サボタージュ行為から、市民に対する攻撃や1961年の大規模な侵略まで及んだ。

この圧力にもかかわらず、カストロ政権は重要な対策を実行した。識字運動の対象は70万人以上に及び、その大半は放置された農村地域の人びとであった。これらのキューバ国民は、幅広い農村改革と、農村の電化と、全国における無償で高い質の医療と教育の確立の恩恵も受けた。唯一の党による国家ができあがったが、幅広い支持と、これらの努力への参加があった。

海外におけるキューバ人医師と技術者の働きは、世界中の発展途上国で称賛を浴び続けている。2010年のハイチ大地震や、2014年の西アフリカでのエボラ出血熱の発生後をも含み、革命以降、100か国以上に医療援助隊が派遣されている。ここ20年間では、発展途上国の視覚に障害を持つ患者300万人を治療したというさらなる努力もおこなっている。

キューバ軍隊の役割もアパルトヘイトの敗北において決定的であった。多くの死者と負傷者を犠牲にして、キューバとその同盟国アンゴラは、南アフリカ軍を退却させた。これはネルソン・マンデラに言わせると、「白人抑圧者の無敗神話を打ち破り、戦う南アフリカ国民にインスピレーションを与えた」。

しかし、これらの努力を支援していた経済は不安定な基盤の上に成り立っていた。米国のよる禁輸措置の効果を無効にするために、キューバはソビエト連邦陣営の支援に頼り始めた。コメコン諸国は石油、食料や補助金付きの機械部品を提供した。砂糖やニッケル、その他の輸出品を通常の市場よりも高く買い取る市場も提供した。1989年には、ソビエト連邦からだけで1300万トンの燃料が輸入され、キューバには食糧輸入の63%と、輸入機械の80%が供給された。また、砂糖、柑橘類、ニッケルなどキューバの輸出品の大部分はソ連に売られた。

東側陣営の支援はキューバの国営経済の脆弱性をある程度隠すことに成功したが、禁輸措置自体が、ワシントンが直接ソ連のミハイル・ゴルバチョフ首相になくすよう圧力をかけた補助金への独占的依存を決定づけた。ヨーロッパの国家社会主義の崩壊後、キューバの経済状況は緊迫した状態から破滅的な状態になった。

1990年代初頭に大衆の不満が高まり、カストロは「平和時の特別期間」を宣言した。投資プロジェクトは休止され、電力消費が極端に減らされ、食品や衣服の配給も削減された。主な工場は輸入原料の不足により閉鎖を余儀なくされた。化学肥料やトラクター用の交換部品の不足により農業分野は底割れした。キューバのGDPは1990年代初頭だけでおよそ40%下落した。

ワシントンにおいてこの危機は冷戦最後の勝利をあげる機会として見られた。右派の「ヘリテージ財団」はカストロを「時代錯誤のみならず危険な人物」とみなし、禁輸措置を強化し、最終的には「キューバ共産党政権を不安定化させる結果」を生み出すよう圧力をかけた。クリントン政権はいっせいにこのシナリオに従った。経済禁輸措置の強化を主導したのは、1996年のヘルムズ・バートン法であり、これは禁止取引の範囲を拡大し、海外企業を含む違反者への制裁を増やした。

米国のイデオローグたちにとって、所有権の問題はつねに第一の課題であった。ヘルムズ・バートン法はその昔に自分たちの資産をキューバ革命によって再分配させられた米国市民が、その長期にわたる収容資産を「密売した」個人および企業を訴えることを可能にした。議会では民主党議員による一定の反対があったにもかかわらず、ビル・クリントンは「市場経済の発展を奨励する」手段としてこの法令を称賛した。

しかしながら、キューバは特別期間のあいだも適応し、生き延びた。外国資本に扉を開き、外貨獲得の財源として観光業を促進し、経済の一部を分散させた。キューバはまた、地域での相次ぐ左派政権の当選によって、新たな同盟国を得た。とりわけベネズエラは、キューバの医療・教育援助と引き換えに、きわめて重要な石油や財政援助を提供した。

改革の努力は2008年にラウル・カストロが兄から引き継いだあと、伝統的な国家経済に国際投資および民間起業を結びつけた三位一体の成長モデルによって加速した。経済的実績は、特に農業やエネルギー分野ではまちまちの評価ではあったが、必要な変革や新たな実験に関するいっそう開かれた議論は、政府が正しい道のりを進んでいることを示した。オバマによる束の間の開放主義は、これらの積極的傾向を後押しした。

この前任者に対するトランプの方針変更は、キューバ国民にとってこれ以上ない最悪のときに到来した。キューバ経済は、すでに新型コロナのパンデミックによる健康への影響とその結果の国際観光業における影響にすでに苦しんでいたが、2020年に急激に冷え込んだ。燃料および食糧の価格高騰は、この国が近隣の超大国と免除品でさえ事実上取引できないことによって悪化した。そのうえ、米国内に本部を持たない銀行でさえ、国営企業の国際取引先への支払いを手続きすることを恐れており、開発努力への資金提供はなおさらだった。長いあいだ緊縮財政から隔離されてきたが、キューバの賞賛すべき保健・教育プログラムもこの環境で苦しめられるだろうことは明らかであった。

キューバ国民は物質的必需品を奪われてはいたが、ワシントンは「体制変換」の野望にさらに近づくことはなかった。選挙運動でバイデンはトランプの「キューバへの失政」の理由について語り、オバマのアプローチに戻る意志を述べた。しかしながら任期中に流れを変えるためにやったことはほとんどない。

禁輸措置はキューバのミゲル・ディアスカネル大統領による最近の改革努力の障害となっているだけでなく、この国の発展を65年にわたって汚してきた。ある計算によると、合計1400億米ドルを超えるコストがかかっており、これはあらゆるケースでキューバ革命の歴史の半分も続かなかったソビエト連邦によるキューバへの支援額をはるかに超えるものである。

単純に、米国はキューバ国民に対して、数世紀におよぶ経済戦争の借りがある。最低限、バイデン大統領は選挙公約を守り、テロ支援国家リストからキューバをすぐに除外すべきである。もし米国が長年流血の武力衝突を展開した相手である唯一の党による国家ベトナムと完全な関係を築けるのであれば、キューバとの冷戦を終わらせられない理由はない。

われわれのメッセージは簡単なことである。キューバの将来は何ら強制なくキューバ人に決めさせること。ちっぽけなタカ派グループの反対を乗り越え、一般の米国人とキューバ人の利益に反する政策を終わらせるときである。

*筆者バースカー・サンカーラ(Bhaskar Sunkara)はザ・ネイション社長、ジャコビン誌創刊編集長、「社会主義宣言:極端な不平等の時代における急進的政治の事例」の著者。

Obama abrió una puerta entre Cuba y Estados Unidos. ¿Por qué Biden la vuelve a cerrar?
http://www.cubadebate.cu/especiales/2024/03/26/obama-abrio-una-puerta-entre-cuba-y-estados-unidos-por-que-biden-lo-vuelve-a-cerrar/
posted by vivacuba at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | cuba
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