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2021年01月18日
高千穂ノ峯の傳説地 その7
塵袋引風土記は偽書 その1
次に塵袋引く所の風土記逸文なるものは、古文の徴證として常に引用せられ、霧島説に取りて亦有力なる論據をなすものなりとす。
而して史家或は之を以て、和銅年間奏上の古風土記の逸文なりとなす。
然れども、つらつら其の内容を檢するに、こは恐らく中世の記述にして、奈良朝古風土記の文にあらず。
以て證とするに足らざるの感なきにあらず。
同じく鎌倉時代に編纂せられたる釋日本紀別に本國風土記の文を引き、西臼杵郡の高千穂を以て天孫降臨の地となす。
塵袋所引の文は是と事實に於て矛盾せるのみならず、其の文字の用例亦彼此甚しく相容れず。
到底同一風土記中の文なりとしては解し難きものなりとす。
ここに於て論者或は言ふ、風土記の成る必ずしも奈良初のみにあらず。
醍醐天皇の延長年間にも、復風土記の貢進を催促せられしことあるにあらずや。
蓋し釋日本紀引く所は是れ延長年間編纂の新風土記にして、後の所傳を録するものにはあらざるかと。
然れども、延長の風土記なるものは其の實存在せず。
史家往々にして延長年間風土記催促の太政官符の趣意を誤解し、此の際別に新風土記の編纂を命ぜられたるものとなす。
次に塵袋引く所の風土記逸文なるものは、古文の徴證として常に引用せられ、霧島説に取りて亦有力なる論據をなすものなりとす。
而して史家或は之を以て、和銅年間奏上の古風土記の逸文なりとなす。
然れども、つらつら其の内容を檢するに、こは恐らく中世の記述にして、奈良朝古風土記の文にあらず。
以て證とするに足らざるの感なきにあらず。
同じく鎌倉時代に編纂せられたる釋日本紀別に本國風土記の文を引き、西臼杵郡の高千穂を以て天孫降臨の地となす。
塵袋所引の文は是と事實に於て矛盾せるのみならず、其の文字の用例亦彼此甚しく相容れず。
到底同一風土記中の文なりとしては解し難きものなりとす。
ここに於て論者或は言ふ、風土記の成る必ずしも奈良初のみにあらず。
醍醐天皇の延長年間にも、復風土記の貢進を催促せられしことあるにあらずや。
蓋し釋日本紀引く所は是れ延長年間編纂の新風土記にして、後の所傳を録するものにはあらざるかと。
然れども、延長の風土記なるものは其の實存在せず。
史家往々にして延長年間風土記催促の太政官符の趣意を誤解し、此の際別に新風土記の編纂を命ぜられたるものとなす。
タグ:塵袋引風土記
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