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2024年06月24日

認知症の母


今日3月2日は妻の73歳の誕生日であったので、「蕎麦を食べたいな」の一言の元に車を乗り出していた。
東金を過ぎ八日市場方面に向かっている時、母と訪れたホームセンターを発見。
既に認知症を発症していた母を土日の休日はいつも連れ出し、そちこちと歩き回っていたのである。
「トイレに行きたい」の一言で寄れる店を捜していた時、コメリを発見したのである。

妻に「昔、母親の為に、このお店でトイレを借りた記憶がある」と。
胸が少し熱くなった。
「あー、あの時もっと優しく出来ていたら、どんなに母親もよろこんだ事だろうな」と、妻に言ったら「それでもお母さんを何度か旅行に連れて行っていたじゃないの」とフォローしてくれたのは嬉しかった。

母がボケ始めてから10年以上毎日散歩をするようになり、歩数計から年間1000キロ以上歩いていた。
昔は母親も一緒に6人で毎年泊りがけで出かけたものであったが、後年娘達が大きくなってからそれも無くなってきた。

認知症を発症してから、日帰りのバス旅を2回一緒に行った。
バス旅の途中、サービスエリアのトイレに行けば帰ってこない母親を女子用トイレの前で待っていたり、
女子トイレの前で「おふくろさーん!ここにいるからねぇー」とか、他の人に「80過ぎのおばあさんで迷っているような人はいませんでしたか?私の母親なんですが」と説明したり大声出したりと、恥ずかしい思いも。
休日の長い散歩中でもトイレに行きたがり、10メートルも離れていないそれまで座っていた自分の席に帰って来れなく、私と一緒だという事も忘れてうろつく母との行動は大変であった。

最近でこそ認知症に対する世間の認知度も広まったが、以前はまだまだ広く世間に認知されていなかった。
確かに10年以上毎日帰宅後、雨でも一緒に1時間以上の散歩を共にし土日は朝から二人で出かけ午後まで一緒に散歩し長い時間を共に過ごしてきたが、本当に優しい気持ちで接してきたのかと・・・。
優しい倅であったら母はボケなかったのではないかと時折思うのであった。

※今日の記事は初回から1500回目の投稿記事である。
亡父母.JPG

          75歳を過ぎる頃から少しずつ忘れ物が多くなってきた。父は56歳で亡くなった。
          母は86歳で亡くなった。父との30歳差が心配故母の嫁入り時の写真も一緒に。


因みに今日はブログ投稿し始めてから1500件目の記事であろうと思われる。
posted by 小豆洗い at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族
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