2015年03月13日
560. 中村文則・西加奈子・又吉直樹A なぜ小説を書くようになった?・教団X 「ボクらの時代」
「西さん、なんで小説家になりたいと…」と中村さん。
「…もともと大阪で、いろいろアルバイトやってて、情報誌でライターの仕事もしてたのね…。たとえば、こういうお店に来て、このお茶のこと、書かなあかんとか…、もうおいしいねん、おいしい以外分からへん。どこ産のやつを使って、どんな味で…。それよりは(お茶を)持ってきてくれた人がすごく震えてたりとかあるやん、たまに…。それを書きたいねん。そっちのほうがおもしろいから…。それは情報誌には要らんねん、情報として…」
「そこから書き始めたのか…」と中村さん。
「25歳くらいの時に書いて。書いたら、『楽しい!』ってなってん…。そっからすっごい楽しかった…」と西さん。
「今の話、初めて聞いたぞ」と中村さん。
こういう話は普段はしないようです。
「(中村さんは)ぼくが落ち込んでいるとき以外、真面目な話、したことがない」と又吉さん。「中村さんの小説には暗い人間が出てくるのに、中村さんは明るい」
その疑問をかつて又吉さんは中村さんに投げかけたことがあったそうです。そしてその返答が、又吉さんの座右の銘になっているのだとか。
「おれね、もうね、暗いことで人に迷惑をかけるの、やめようと思ったんだよ」と答えたそうで…。
「それ、すごーい!」と西さん。
「…ぼく、翌日からちょっとだけ変わりましたもんね。暗いことで迷惑をかけることがある、という視野が生まれたんです、ぼくに…」と又吉さん。
「いや、暗くったっていいんだよ、迷惑かけたっていいんだよ…」と中村さん。中村さん自身は明るく振舞うことを選択した、と…。
「暗さを肯定したいということだよね」と西さん。「でも小説なんて、全部暗いからね…」
「そうそう」と中村さん。
「人間が人間の身体で書いている限り、明るいだけの人って、絶対おらへんやん」と西さん。
「いないですよね」と又吉さん。
中村文則さんの出発点
「ものすごい暗い子どもだったから」と中村さん。「高校に行けなくなったこともあった…。それも別にいじめとかじゃなくて、人がいっぱい集まって座っている空間って、意味分かんなくて…。『こんな苦しいところにはいられない』って思って…」「腰痛くないのに、腰が痛いって休んだり、保健室に行ったりして…」
そして太宰と出会ったそうです。
「そのときに太宰治とか読んで、『ここに自分がいる』って思って…。そこから小説いっぱい読んで」
「自分は暗いと思ってたやろうけど、周りは暗いとは思ってなかったやろ?そこはうまいことやってたんじゃないの?」と西さん。西さん自身にも思い当るところがある?
「そうかもね…」と中村さん。
「それもまた、太宰に近いんじゃない?」と西さん。
「…それに疲れたんだろうね…、演技をしていることに疲れて…。」と中村さん。「そこでパンとスイッチが切れちゃって、『あ、学校行けない』ってなって。そのときに、人間嫌いだったんだけど、考えてみれば、『自分は人間が書いた小説に救われている』って気づいて…。こんなに好きなら書いてみようかと思って書いてみたら、非常にしっくり来て…」
以上が西さん、中村さんが小説を書くようになったきっかけ・動機です…。
次回は「笑い」と又吉直樹さんのことが語られます。
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