2013年11月17日
323. 塩見三省 宮沢賢治・岸田今日子 「徹子の部屋」
京都出身。5人兄弟。同志社大学出身。
「同志社…大変な学校だったんですねえ…」と黒柳さん。「『八重の桜』で…」
「新島襄のことは知っていましたけど、奥さんのことは全然…」と塩見さん。「あんまり、学校行ってないんですけど…」
塩見さんはNHK「あまちゃん」で「琥珀掘りの勉さん」で渋い演技。癒し系キャラとして広く認知されました…。
「能年さんが(琥珀を掘る)穴の中で『ここから帰りたくなか!』って叫んでましたね」と黒柳さん。
「能年さんはずっと楽しんでいましたね…」と塩見さん。
塩見さんが能年さんに少量の琥珀を手渡した時のこと。そのことを忘れ、掘っていて下を見たら、琥珀が…。
「あっ!琥珀を見つけた!」と大喜びする能年さん。専門の方が「そんなはずはない」ということで、よく考えると、手に持っていた琥珀を落としていたということだったそうです。
うーん、いかにもありそうな…。
塩見さん、記念にということで「琥珀記念館」で琥珀の付いたボールペンを買ったそうです。
「ほんとは(奥さんに)ブローチか何かにしたかったんですけど…自分のものを」
大好きな宮沢賢治
岩手県・北三陸は今回「あまちゃん」の舞台として有名になりましたが、岩手県出身の作家といえば宮沢賢治。
塩見さんは宮沢賢治が大好きで、20代のときに訪れたことのある「宮沢賢治館」を今回再訪したそうです。
「『石っこ賢さん』って子どものころから言われてきて、琥珀について『夜明けの色』っていうんですか、『夜明けのあったかい色』を琥珀に充てているんですよ…」
広い敷地にある宮沢賢治記念館。すこし下ると「イーハトーブ館」があるそうです。
「遅い時間だったので自分ひとり…」
そこに入ると、塩見さんがいつも聴いている宮沢賢治の曲「星めぐりの歌」が流れてきたそうです。塩見さんが入館するのを見て、館の人がかけてくれたのだとか。
「『星めぐりの歌』…大友さんが編曲なさって…」と塩見さん。「自分ひとり…。贅沢な時間…。」
ずっと以前のことだそうですが、「賢治の弟さんの宮沢清六さんに会いに行ったんです。」賢治が亡くなる直前に原稿を預けた弟さんですね。
「文学だけでなく、鉱物…農業…いろんなものが組み合わさってイーハトーブの世界が…。素敵ですよね」と塩見さん。
恩人・岸田今日子さん
「『あまちゃん』の勉さんは癒し系だけど、北野映画では怖い人よね」と黒柳さん。たしかに「アウトレイジ・ビヨンド」ではとてつもなく恐ろしいお顔をしています。
「もともと『演劇集団 円』という、文学座から分かれたところにいらっしゃった方だけれども…」と黒柳さん。「岸田今日子さんと仲がよかった?」
「今、こうして役者やっていられるのも岸田さんがいてくれたから…。若いときから励ましてくれたから、今、役者としていられる…」と塩見さん。「とにかく励ましてくれて…。『コケたかな?』というときも『よかった、よかった』って…」
「今、そのことが自分の中に跳ね返ってきて、『おれは本当に許されてきたんだな…』って思って、感謝してるんです」
「そうなの?今日子さん、そんなに励ましてくれてたの…よかったですね」と黒柳さん。
「結婚のときも後見人みたいになっていただいて…。公私ともに世話になって…」
演劇集団円の公演では岸田さんとの2人芝居を行ったこともあったそうです。(「ブラインド・タッチ」2002年)
岸田今日子さんは黒柳さんにとっても大事な友だちでした。
「私も相当仲良かったですからね…」と黒柳さん。
黒柳さんはテレビの草創期に「NHKの『テレビの女優第一号』ということで入った」そうです。
しかし当時は「テレビが866台しか日本中になかった。5000人しか見ていなかった…。(テレビが)高いから…。25万円もして…」今でも高い25万円。ましてや60年近い前ですから…。
結局黒柳さんはラジオの世界でまず有名に。そのときのオーディションで初めて岸田さんと会ったそうなのです。
「それ以来のお付き合い」と黒柳さん。「車で家まで送って行って、着いたのに車の中で1時間も2時間も喋って…」
岸田さんが亡くなって、もう7年ほど経ちますが、塩見さんは今でも、俳優仲間に会うと岸田さんのことを延々喋ってしまうそうです。
「また岸田さんの話かよ…」と呆れられるのだとか。「でも話していると、ここに立ち上がっているような…」「話していたい人のことを話すのは大切なことだな、と」
物静かだけれども、熱のこもったお話をされる塩見さん。岸田今日子さんのことを語るときは目が潤んでいたような…。
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