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2022年01月27日

違いがわかる人間になることが重要です

日蓮幼少の時、習いそこないの天台宗・真言宗に教えられて、この義を存して数十年の間ありしなり。これ存外の僻案なり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』804頁(題目弥陀名号勝劣事)

「この義」とは、南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏も同じであるという考え方のことです。同じ南無であっても、妙法蓮華経と阿弥陀仏とでは違いがあるわけですが、仏法であれば何でもよいという考え方があったようです。

日蓮ほどの人であっても、幼少の頃は何も分かりませんから、習いそこないの天台宗・真言宗の人々の言っていることを、そのまま正しいのだと思っていたようであり、その期間も数十年であったようです。

しかし、日蓮は、比叡山で仏法研鑽に励むうちに法華経最第一との確信を得るようになります。南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏も同じという考え方が間違っていることに気付くのですね。

このようなことは、現代にもあり得ますね。以前、新宗教団体は、法華経、御書の団体であると思っており、ある意味、新宗教団体イコール法華経であり、御書であると思っておりました。

しかし、新宗教団体での活動を続けていきますと、肝心なところや最終的なところで新宗教団体の言っていることが法華経、御書とかけ離れていることに気付くのですね。

新宗教団体は、表面的には、法華経が大事、御書が大事とは言うのですが、何か嘘っぽいのですね。実のところ、法華経、御書などどうでもよく、新宗教団体が利益になることに熱心であり、会員のことなど、どうでもいいという面が見えてくるのですね。

そうしますと、新宗教団体と法華経、御書とは、全く違うということに気付きます。法華経研鑽、御書研鑽をしたい場合、新宗教団体が発行する法華経と御書とは購入しますが、それ以外の新宗教団体の活動なるものは、研鑽の邪魔になることはあっても、役立つことはないのですね。

結局、新宗教団体とは距離を置くようになり、法華経、御書との距離が近くなったというわけです。新宗教団体は、正しく活用すべきであり、利用されてはなりません。正しい活用法とは、出版物としての法華経、御書を購入するに留めることであり、活動なるものは一切しないということですね。

研鑽は、自分ですればよいですね。その際、『御書辞典』や『日蓮辞典』などを参照すればよいでしょう。

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2022年01月13日

「諫暁八幡抄」の真蹟がなくなっている

昨年発刊された『日蓮大聖人御書全集 新版』を読み進め、「諫暁八幡抄」に至りました。「諫暁八幡抄」の最後の部分は、
天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給うべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給わざらん。月は西より東に向かえり。月氏の仏法の東へ流るべき相なり。日は東より出ず。日本の仏法の月氏へかえるべき瑞相なり。月は光あきらかならず。在世はただ八年なり。日は光明、月に勝れり。五の五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり。
仏は法華経謗法の者を治し給わず。在世には無きゆえに。末法には一乗の強敵充満すべし。不軽菩薩の利益これなり。各々我が弟子等、はげませ給え、はげませ給え。
『日蓮大聖人御書全集 新版』747頁(諫暁八幡抄)

となっています。この箇所は、御書の最初の部分に真蹟があったので、読んでみようかと思ったところ、「新版」には、真蹟が載っていないのですね。旧版の「御書全集」では、御書の最初の部分に「諫暁八幡抄」の最後の部分の真蹟がありました。結局、旧版の「御書全集」を取り出し、真蹟の部分を読んだというわけです。

旧版の「御書全集」の編者は、日蓮正宗59世法主の堀日亨さんでしたから、富士大石寺所蔵の「諫暁八幡抄」の真蹟を載せることができますが、「新版」は、日蓮正宗とは関係なく出版されていますので、創価学会としては、真蹟を載せていいですかとも言えるわけもなく、真蹟がない御書となっています。この点、寂しい感じがしますね。

昭和定本で「諫暁八幡抄」の箇所を確認してみますと、「第16紙〜第47紙 富士大石寺蔵」と記載されており、また、「身延曾存」とも記載されており、バラバラに保管されていたようです。

いずれにしても、「新版」の御書を拝しているわけですが、十大部にはじまり、その次が教理書と位置付けられており、「諫暁八幡抄」までが教理書の部分となっています。頁数でいうと747頁までであり、全体が2232頁ですから、十大部と教理書で約33.4パーセントです。「新版」の御書の3分の1を占めます。十大部と教理書の部分は、日蓮仏法の根幹といえます。もちろん、消息文も重要ですが、日蓮仏法の骨格を形作ろうと思うならば、やはり、三大部であり、五大部であり、十大部となりましょう。また、「守護国家論」を含む教理書の36編が必要でしょう。「新版」の御書の3分の1を読むことにより、自らの中に日蓮仏法の根幹、骨格が出来上がるといえます。

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2022年01月12日

法華経への絶対的な信仰に基づく読み込み

一代聖教の中に、法華経は明鏡の中の神鏡なり。銅鏡等は、人の形をばうかぶれども、いまだ心をばうかべず。法華経は、人の形を浮かぶるのみならず、心をもうかべ、心を浮かぶるのみならず、先業をも未来をも鑑み給うことくもりなし。
『日蓮大聖人御書全集 新版』679頁(神国王御書)

日蓮は、法華経を第一として法門を立てていますが、その法華経をどう捉えているかがよく分かる御文です。「明鏡の中の神鏡なり」とは、最第一をよくあらわしていますね。

銅鏡は、人の形を浮かべるけれども、人の心を浮かべることはできないといいます。しかし、法華経は、人の形を浮かべるのは当然として、人の心をも浮かべることができるといいます。それだけでなく、先業という過去も見ることができ、未来も見ることができるといいます。それも曇りなしですから、明瞭に見えるというわけですね。

人の心を知るには、法華経を読めばよい。過去を知りたければ、法華経を読めばよい。未来を知りたければ、法華経を読めばよい。このようになります。法華経への絶対的な信頼感があります。また、絶対的な信仰が見て取れます。我々法華経信仰者は、ここまで法華経を信仰しているでしょうか。上っ面の信仰になっていないか、この御文を拝しながら我が身を省みたいですね。

法華経を読む際、人の心を浮かべる明鏡、神鏡であることを念頭に置きながら読み解いていくことです。また、過去、未来を見通すのが法華経であるとの観点から、深く読んでいくことが求められます。法華経の文字を読みながら、その行間をも読み解き、また、眼光紙背に徹すほどの読み込みが必要です。そうしませんと、心、過去、未来は見えてこないでしょう。とことんまで法華経を読んでいくという姿勢が我々の信仰において極めて重要ですね。

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2022年01月11日

仏法は、経済学の役割をも果たしていたのか

しかるに、日蓮、このことを疑いしゆえに、幼少の比より随分に顕密二道ならびに諸宗の一切経を、あるいは人にならい、あるいは我と開見し、勘え見て候えば、故の候いけるぞ。我が面を見ることは明鏡によるべし、国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず。
『日蓮大聖人御書全集 新版』678頁(神国王御書)

「このこと」とは、安徳天皇が「海中に崩じ給いき」、「海中のいろくずの食となり給う」たこと、つまり、不遇の死を遂げたこと。後鳥羽上皇が隠岐に、土御門上皇が土佐、阿波に、順徳上皇が佐渡に配流になったこと、つまり、承久の乱のことですね。なぜ、国の人王たる人々が、このような目に遭ってしまうのか。なぜ、天の加護がないのか。このことを日蓮は疑い、幼少の頃から仏教研鑽に励みます。

今では、日蓮は大きな名前であり、偉人であり、宗祖と仰ぐ宗門や教団からすると大聖人であり、ある意味、神、仏、スーパーマンのような扱いですから、生まれた時からスーパースターという感覚がありますが、当然、日蓮にしても幼少の頃があり、その時は、才能はあるにしても、一少年に過ぎません。顕教、密教、諸宗の一切経を人から習うのですね。

もちろん、才能のある人物であったでしょうから、自分自身で経典を読みながら、自ら仏法の法門を開き、明らかに見ることができたでしょうし、また、そうであったと上記の御文に記していますね。人から習うけれども、結局は、自分自身で経典を読み解いていくというところに、やはり、日蓮の天才的気質が窺われます。宗祖たるゆえんといえましょうか。

自分の顔をみるには、よく映る鏡が必要であるように、国土の盛衰を計るには仏教の経典という鏡が必要といいます。国土の盛衰を計るというわけですから、今で言うと、経済学といえましょうか。仏法が経済学の役割をも果たしているようですね。
法華経も、
諸の説く所の法は、其の義趣に随って、皆な実相と相違背せじ。若し、俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆な正法に順ぜん。
法師功徳品第十九

と言っているぐらいであり、まさに、資生の業とは、経済学ともいえましょう。仏の説法には、経済学的側面も含まれており、それは正法に順じているというのですね。

実際、経済学を学ぼうとしますと、数学の素養も必要ですし、ミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学等々、幅広い分野があり、数学、基礎的な経済学の心得がない私のような人間が入り込む余地はありませんが、仏教の側面から経済学的視点を得ることは、それなりに面白いのではないかと思われます。

もちろん、仏教と経済学とは、全く違う分野ですが、国土の盛衰を計ることに経典がこの上なく重要という日蓮の言葉は、興味深く感じられます。
仁王経・金光明最勝王経・守護経・涅槃経・法華経等の諸大乗経を開き見奉り候に、仏法に付きて国も盛え人の寿も長く、また仏法に付いて国もほろび人の寿も短かるべしとみえて候。
『日蓮大聖人御書全集 新版』678頁(神国王御書)

法華経をはじめとする諸大乗経を見ると、仏法に基づくならば、国は栄え、人の寿命も伸び、また、国が滅び、人の寿命が短くなることもあるといいます。仏法の信仰をしておればそれでよいという単純なものではないようです。正しく、仏法を信仰しなければなりません。これは、経済学も同様でしょう。正しく、経済学を用いないと国は滅び、人の生活は疲弊し、寿命が短くなります。

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2022年01月05日

奪命者、奪功徳者に気を付けましょう

今、真言をもって日本の仏を供養すれば、鬼入って人の命をうばう。鬼をば奪命者という。魔入って功徳をうばう。魔をば奪功徳者という。鬼をあがむるゆえに、今生には国をほろぼす。魔をたっとむゆえに、後生には無間獄に堕つ。
『日蓮大聖人御書全集 新版』664頁(木絵二像開眼之事)

鬼とはどのような存在であるのか。日蓮によると、命を奪う者、つまり、「奪命者」です。

また、魔とはどのような存在であるのか。日蓮によると、功徳を奪う者、つまり、「奪功徳者」です。

命とは、すなわち、時間と考えますと、人の時間を食い尽くす人間は奪命者ですね。身の回りにたくさんいるのではないでしょうか。現在はそうでもありませんが、以前は奪命者に囲まれ自分の時間がなくなっていたものです。結局、何らの精進もできず、大したことのない人間のまま時間を過ごしただけとなりました。このことを反省した後は、奪命者を寄せ付けず、自分の時間を確保し、然るべき精進を行いますと、それなりではありますが、以前より境涯が高くなります。

人には、それぞれ功徳があるものですが、その功徳を奪い取る盗人がいるのですね。奪功徳者のことです。人の功徳を奪うとは、とんでもない人間ですが、これもまた、うようよしているのですね。以前の私は、無防備でありましたから、功徳を持って行かれっぱなしでありました。これも反省した後、鉄壁の防御とまではいかなくとも、それなりに防御を施しますと、奪功徳者は近寄れなくなります。

人にとって、一番重要なのは、命(生命、時間)といえましょう。まだ、その次に重要なのは、功徳(良質な人間関係、良質な智慧・知識、良質な富など)といえましょう。命、功徳は、守り抜くべきものです。奪命者、奪功徳者どもなど蹴散らしながら、人生を歩むことですね。

油断していますと、奪命者、奪功徳者が近付いてきます。常に心して生活することにより、未然に奪命者、奪功徳者からの被害を食い止めることですね。被害を受けると、日蓮によるならば、国を滅ぼされ、死後、無間地獄に堕ちるというのですから、尋常ではないことになります。単なる盗人を超え、根本的な盗人が奪命者、奪功徳者です。我々としては、法華経の信仰、日蓮仏法の信仰により、この奪命者、奪功徳者を排除し、時間を確保し、良質な人間関係、智慧、知識、富を築いていきたいですね。

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2022年01月04日

日蓮仏法の厳しさ

我が弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時、阿鼻獄の相を現ずべし。その時、我を恨むべからず等云々。
『日蓮大聖人御書全集 新版』640頁(顕立正意抄)

日蓮仏法を信仰するといっても、その信仰が薄いと成仏できないどころか、阿鼻地獄、無間地獄に陥ると日蓮は指摘します。そして、我を恨むなと付け加えます。

なかなか手厳しい言葉です。

「顕立正意抄」は、立正安国の意を顕わすとの題号のとおり、冒頭において、日蓮自ら、立正安国論の要約をしています。「他国侵逼の難」、「自界叛逆の難」が来ると預言していたではないかというのですね。

文永11年(1274年)10月、蒙古が襲来します(文永の役)。その直後ともいってよい同年12月15日、日蓮は、「顕立正意抄」を執筆します。日蓮の筆が厳しく、激しいのは、日本国が騒然となった時代の空気を感じてのことと思われます。日本にとって、有史以来、初めての他国侵逼ですから、尋常でない緊迫感があったでしょう。他国侵逼を預言し、それが的中したことに、日蓮自身、相当な興奮状態にあったのではと推察されます。そうでなかったら、上記の文章は出てこないですね。平時に上記の文章が出てくると、こちらとしてはびっくりしてしましますが、日本の歴史において、有事中の有事のさなかにおいての筆ですから、そのことを念頭に読むと、このような表現も納得できます。

日蓮仏法は、このような激動の時代に育まれた仏法であり、日蓮自身、苦難の連続の中で自らの仏法を紡ぎ上げてきていますから、厳しい側面が強いのは当然のことでしょう。仏教といえば、穏やかな感じを受ける場合もありますが、そのような側面もあれば、日蓮仏法のような厳しい側面もあることを認識しておく必要があるでしょう。

ある意味、現代の我々にとって、この世の中は穏やかな側面もありながら、厳しい側面もあります。厳しい世の中を処していくときに厳しき法門としての日蓮仏法を信仰する意味は大きいように思われます。

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2022年01月03日

二乗作仏の本当の意味

前四味の諸経にては、「菩薩・凡夫は仏になるべし、二乗は永く仏になるべからず」等云々。しかるを、かしこげなる菩薩も、はかなげなる六凡も、共に思えり。「我ら仏になるべし。二乗は仏にならざれば、かしこくして彼の道には入らざりける」と思う。二乗はなげきをいだき、「この道には入るまじかりしものを」と恐れかなしみしが、今、法華経にして二乗を仏になし給える時、二乗仏になるのみならず、かの九界の成仏をもときあらわし給えり。諸の菩薩、この法門を聞いて思わく「我らが思いははかなかりけり。爾前の経々にして二乗仏にならずば、我らもなるまじかりける者なり。二乗を永不成仏と説き給うは、二乗一人ばかりなげくべきにあらざりけり。我らも同じなげきにてありけり」と心うるなり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』632頁(小乗大乗分別抄)

爾前経においては、二乗は仏になれないとされています。よって、二乗でない菩薩や凡夫は仏になれると考えられます。このことから、賢明な菩薩、大したことがない凡夫は、「我々は仏になれる。二乗は仏になれない。二乗の道に行かなくてよかった」と思い、二乗は、嘆きながら「二乗の道に入るべきではなかった」と悲しみます。

しかし、法華経においては、二乗作仏ですから、二乗は成仏できます。二乗が成仏できて良かったね、で終わらず、二乗を含めた九界の衆生が成仏できることを説きあらわすのですね。これはどういうことでしょうか。二乗が成仏できないというのは、二乗だけが成仏できないのではなく、菩薩、凡夫も成仏できないことをあらわしているのですね。それ故、二乗作仏が説かれると同時に、菩薩、凡夫の成仏も可能となるわけです。

そのため、菩薩は、二乗作仏という法華経の法門を聞いて「我々の思いははかないものであった。爾前経で二乗が成仏できないのならば、我々も成仏できない者ということである。二乗が永く成仏できないと説かれるのは、二乗だけが嘆くのではなく、我々も同じ嘆きにあるということである」と心得るのですね。

つまり、二乗作仏は、二乗が成仏できるということだけをあらわしているのではなく、菩薩、凡夫を含めた九界の衆生すべての成仏をあらわした法門ということです。仏教は、信仰ある衆生を成仏させるためにあるわけですから、一部分の衆生は成仏できないというのはおかしな話です。一部分の衆生が成仏できないというのは、すべての衆生が成仏できないことをあらわしているのですね。

二乗作仏とは、我々が成仏できることをあらわしている法門ですから、私は二乗でないから関係ないという態度では、二乗作仏が分かっていないことになります。二乗すなわち我々であると捉え、その上で、作仏すると信仰していくのが法華経信仰者のあり方ですね。

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2021年12月31日

悪縁に気を付けましょう

譬えば、水精の玉の、日輪に向かえば火を取り、月輪に向かえば水を取る。玉の体は一なれども、縁に随ってその功同じからざるがごとし。真如の妙理もまたまたかくのごとし。一妙真如の理なりといえども、悪縁に遇えば迷いと成り、善縁に遇えば悟りと成る。悟りは即ち法性なり。迷いは即ち無明なり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』614頁(当体義抄)

法華経の信仰があったにしても、悪縁に遇えば迷いを生じ、無明の状態、つまり、成仏ができない状態に陥ってしまいます。法華経の信仰があるから大丈夫とはならないのですね。信仰を持っているからこそ、悪縁を排除するよう、悪縁を寄せ付けないように心掛ける必要があるのですね。油断大敵といったところです。

当然、法華経を信仰して善縁に遇えば、悟りとなり、成仏の境涯に至ります。しかし、そう簡単に善縁と巡り会うというわけにはいきません。善縁と遇えるよう努力、精進をしなければなりません。いつ、善縁と出会うか分かりませんので、常にいつ出会ってもよいように信仰をしてくことですね。

世の中を見渡してみますと、悪縁は多く、善縁は少ないですね。

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2021年12月29日

法華経の団体にいても権経、爾前経に留まってしまう人

「顚倒して義を解す」とは、実経の文を得て権経の義を覚る者なり。
『日蓮大聖人御書全集 新版』507頁(顕謗法抄)

法華経の文を得たにしても、法華経の義を覚らず、権経、爾前経の義を覚る人のことを言っています。

新宗教団体で活動していた頃、トンチンカンなことを言う人がいましたので、それはおかしいと指摘したところ、その人は、私に向かって「二乗だ」と非難がましく言うのですね。簡単に言うと、二乗(声聞、縁覚)は成仏ができない、よって、お前も成仏ができないということが含意されているのですが、よくよく考えるとこの人は矛盾していることを言っているのですね。

確かに、権経、爾前経において、二乗は成仏できないと説かれています。しかし、法華経に至って、二乗も成仏できると説かれます。よって、法華経は、最第一の経典であるとされるのですね。

一応、法華経を根本経典とする新宗教団体に所属しながら、人に向かって「二乗だ」というのは、まさに、「実経の文を得て権経の義を覚る者なり」に相当しますね。

法華経の団体の人間であるならば、「二乗だ。しかし、あなたは成仏できる」という台詞になるはずです。しかし、この台詞では、非難にならないのですね。褒めてしまうことになります。

とにかく、私に対して、非難したいという気持ちがあったのならば、それなりの非難の言葉を言えばいいものを、「二乗だ」と言ってしまうわけですから、結局、法華経信仰の団体に所属していても、法華経の信仰に至らず、権経、爾前経の信仰になっているのがばれてしまうのですね。

瞋りの感情が出たときに、その人の本性が現れますが、その人は、権経、爾前経の信仰レベルの人であることを現したということです。法華経がどのような経典であるのか理解できておらず、信仰できていないのですね。みっともないことです。一応、「二乗」という仏教用語を知っているのは結構なのですが、自分のものにできていないのですね。このようなレベルでは、話になりませんので、研鑽する場合は、正しく研鑽するべきですね。

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2021年12月28日

法華経を中心としてすべてを活かす

法華経は爾前の経を離れず、爾前の経は法華経を離れず。これを妙法と言う。
『日蓮大聖人御書全集 新版』474頁(十法界明因果抄)

法華経を最も上位に置く日蓮仏法からすると爾前経は必要なのかと思われるところ、「法華経は爾前の経を離れず」ですから、必要性がある経典ということになります。

法華経を中心としながら、爾前経を活かしていくという方向性なのですね。爾前経がすべて悪いということはなく、仏教の根本義の成仏に関しては、法華経に及ばないとしても、その余に関しては、重要な法門が散りばめられています。それを活かさないというのは、あまりにも不経済といえましょう。

ただ、爾前経だけでは、成仏が不可能ですので、法華経を外してはならないということを「爾前の経は法華経を離れず」と表現しているのですね。

法華経を中心に据えておけば、爾前経だけでなく、外典の書籍も活用対象となります。

よって、
「もし俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」文。一切の外道・老子・孔子等の経は即ち法華経という文なり。
同書 475頁(十法界明因果抄)

というわけですね。

ここでは、中国哲学について述べられていますが、当然、西洋哲学も同様です。

成仏の根本義を外さない限り、世の中の知識はすべて活かしていくという姿勢が法華経的な姿勢、絶待妙的な姿勢といえるでしょう。

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