天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給うべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給わざらん。月は西より東に向かえり。月氏の仏法の東へ流るべき相なり。日は東より出ず。日本の仏法の月氏へかえるべき瑞相なり。月は光あきらかならず。在世はただ八年なり。日は光明、月に勝れり。五の五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり。
仏は法華経謗法の者を治し給わず。在世には無きゆえに。末法には一乗の強敵充満すべし。不軽菩薩の利益これなり。各々我が弟子等、はげませ給え、はげませ給え。
『日蓮大聖人御書全集 新版』747頁(諫暁八幡抄)
となっています。この箇所は、御書の最初の部分に真蹟があったので、読んでみようかと思ったところ、「新版」には、真蹟が載っていないのですね。旧版の「御書全集」では、御書の最初の部分に「諫暁八幡抄」の最後の部分の真蹟がありました。結局、旧版の「御書全集」を取り出し、真蹟の部分を読んだというわけです。
旧版の「御書全集」の編者は、日蓮正宗59世法主の堀日亨さんでしたから、富士大石寺所蔵の「諫暁八幡抄」の真蹟を載せることができますが、「新版」は、日蓮正宗とは関係なく出版されていますので、創価学会としては、真蹟を載せていいですかとも言えるわけもなく、真蹟がない御書となっています。この点、寂しい感じがしますね。
昭和定本で「諫暁八幡抄」の箇所を確認してみますと、「第16紙〜第47紙 富士大石寺蔵」と記載されており、また、「身延曾存」とも記載されており、バラバラに保管されていたようです。
いずれにしても、「新版」の御書を拝しているわけですが、十大部にはじまり、その次が教理書と位置付けられており、「諫暁八幡抄」までが教理書の部分となっています。頁数でいうと747頁までであり、全体が2232頁ですから、十大部と教理書で約33.4パーセントです。「新版」の御書の3分の1を占めます。十大部と教理書の部分は、日蓮仏法の根幹といえます。もちろん、消息文も重要ですが、日蓮仏法の骨格を形作ろうと思うならば、やはり、三大部であり、五大部であり、十大部となりましょう。また、「守護国家論」を含む教理書の36編が必要でしょう。「新版」の御書の3分の1を読むことにより、自らの中に日蓮仏法の根幹、骨格が出来上がるといえます。