法華経は爾前の経を離れず、爾前の経は法華経を離れず。これを妙法と言う。
『日蓮大聖人御書全集 新版』474頁(十法界明因果抄)
法華経を最も上位に置く日蓮仏法からすると爾前経は必要なのかと思われるところ、「法華経は爾前の経を離れず」ですから、必要性がある経典ということになります。
法華経を中心としながら、爾前経を活かしていくという方向性なのですね。爾前経がすべて悪いということはなく、仏教の根本義の成仏に関しては、法華経に及ばないとしても、その余に関しては、重要な法門が散りばめられています。それを活かさないというのは、あまりにも不経済といえましょう。
ただ、爾前経だけでは、成仏が不可能ですので、法華経を外してはならないということを「爾前の経は法華経を離れず」と表現しているのですね。
法華経を中心に据えておけば、爾前経だけでなく、外典の書籍も活用対象となります。
よって、
「もし俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」文。一切の外道・老子・孔子等の経は即ち法華経という文なり。
同書 475頁(十法界明因果抄)
というわけですね。
ここでは、中国哲学について述べられていますが、当然、西洋哲学も同様です。
成仏の根本義を外さない限り、世の中の知識はすべて活かしていくという姿勢が法華経的な姿勢、絶待妙的な姿勢といえるでしょう。