慳貪等無き諸の善人も、謗法により、また謗法の人に親近し、自然にその義を信ずるによって餓鬼道に堕つることは、智者にあらずんば、これを知らず。能く能く恐るべきか。
『日蓮大聖人御書全集 新版』464頁(十法界明因果抄)
慳貪とは、物惜しみをして、欲深いことをいいます。このような慳貪がない善人であっても、謗法の人という物事の道理、仏法の道理に背く人と近づきになれば、その悪い影響を受けて、謗法の人間と同様の境涯に落ちてしまいます。
はじめは善人であっても最終的に悪人になるというわけですね。なぜ、悪人になったかというと、悪人と接したからですね。
付き合う人は選ばなければなりません。悪い環境からは離れなければなりません。そうしませんと、悪い影響を受け、境涯が下がり、貧乏になり、無能な人間になってしまいます。
やはり、環境は大事ですね。いい人、いい環境と出会うように精進することが肝要です。そのためには、まずは、自分自身が努力する必要があります。その上で、いい人と出会い、いい環境に身を置くよう動いていくことですね。
ただ、そうはいっても、簡単にいい人と出会うことはできません。そこで、古典等の著者といういい人との出会いを求めることですね。良書を読めばよいということですね。
人によって、良書はそれぞれ違うでしょうが、本ブログでは、「法華経」、「御書」を良書として読んでいます。結局は、古典に行き着くのですね。